トップガン マーヴェリック

『トップガン マーヴェリック』を観てきた。間違いなく映画史にその名を残す映画だと思う。というか映画史そのものの一部となってしまうような映画だ。今世界に存在するすべての映画館はこの映画を上映するために存在しているんじゃないかとすら思う。それほどまでに胸が熱くなる映画なのだが、思えばとてもパーソナルな作品でもある。

トム・クルーズを知らない人は今やほとんどいないだろう。老若男女に愛される紛うことなきスターだ。そんな彼がスターに名を連ねたのが前作『トップガン』だ。この映画自体は全員が全員好きなわけではないという感じがする。決して駄作ではないのだが、あまり得意ではないという人もちらほら見かけるような、そんな感じだ。ちなみに僕は大好きである。
『トップガン』公開以来色々賞にノミネートされたりで不動の地位を築いたわけだが、僕には『ミッション:インポッシブル』の彼の印象がとても色濃い。多分『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』は僕が人生で初めて触れたスパイ映画だし、初めて観たスパイはイーサン・ハントだ。だからキューブリックの映画に出演してると知った時は印象と違いすぎてとても驚いた。いつでも現役で無鉄砲なアクションスターのイメージが強いからだろう。
彼へのイメージは世代によって変わるのかもしれない。だが、どんなイメージであれ、『トップガン』以降のどの世代もトムに馴染みがあるはずだ。それは凄いことだと思う。中年世代から僕たちのような若年層まで、リアルタイムで一線を走り続ける俳優なんてなかなかいない。しかもずっとアクションスターとして。

そんな彼の映画哲学、映画への全てが詰め込まれたのが今作だ。世界最高のパイロットであるマーヴェリックと世界最高のアクションスターであるトムが映画の至る所で重なる。

トムといえば「無茶して自分でなんでもやってしまう」「スタントダブルを使わない」というイメージがある。ブルジュ・ハリファでの超高層スタントも、長時間にわたる水中でのスタントも、『ミッション:インポッシブル』シリーズでの本当に不可能なんじゃないかと思わせるような手に汗握るスタントの数々は我々を興奮させ、映画に没入させると同時に心配にもなった。若いとは言えない年齢で、こんなスタントを続けて命を落としでもしたら映画界において計り知れない損失だし、世界中が悲しむだろう。
確かに俳優本人が実際にアクションするのは、何よりもリアルだろう。だけど、なぜそこまでこだわるのか、いまいち理解できていなかった。
今作前半でのマーヴェリックは物悲しい。白い歯とこんがりと焼けた肌のチャーミングな色男はそこにはいない。いつにも増してシワの目立つおじさんが「未来にお前の居場所はない」と言われる。人が飛行機に乗る時代は終わりを告げ、無人機の時代が到来するのだと。トップガンでの最優秀パイロットなんて意味を持たない時代がすぐそこまで来ているのだ、と。
マーヴェリックはこう返す。「そうかもしれないが、それは今日じゃない」と。
昨今、無人化や機械化の流れがどの分野にも到来している。軍需産業は例外でないどころか、最先端を走る分野だろう。映画業界での無人化といえば、ロボットが代わりにアクションをするというものではなく、CGIなどで後から付け足すといったものだ。
技術の発達はめざましく、マーヴェリックやトムのような人間はいずれ必要なくなるだろう。今作はそれの是非を問うような映画ではない。CGIや無人化がいいとか悪いとかそういったことを論じているのではない。そういった世界でのトムの哲学をひたすらに語っているのだ。
「いつかそういう時代は到来するだろうが、今日ではないし、僕は命の限り飛び続ける。」それが彼の来たる時代に対する答えであり、心構えなのだ。

マーヴェリックは未来だけでなく過去とも向き合うことになる。彼が指導するパイロットたちの中にかつての盟友であ理、訓練中に命を落としたグースの息子、ルースターがいるからだ。ルースターの母親が死に際に遺した「息子をパイロットにしないでほしい」という言葉とルースターの自身の想いの狭間でマーヴェリックは苦しむ。彼は後身を育成したいが、自分は教官ではなく飛行機乗りであることを自覚しているし、ルースターをはじめ誰一人として若きパイロットを死なせたくないのだ。辛く苦しいすれ違いが続く。かつての親友でずっとマーヴェリックを守っていたアイスマンの元を訪ねるも、アイスマンは病気が悪化しており、会話も困難でパソコンの文字入力でしかコミュニケーションができない。二人の部屋には深い哀愁が漂う。そんなアイスマンは「It's time to let go」と諭す(ここの訳が字幕では「水に流せ」なのはなんか違うなと僕も思うが、他にいい訳も思いつかない。ルースターにもマーヴェリックにも通じるダブルミーニングのようになっていて秀逸で美しいセリフなのだが、ニュアンスを日本語にして気持ちよく伝えるのはかなり難しいだろう。)。過去を捨てることはできなくとも、前に進まなくてはいけないのだ。マーヴェリックはルースターを守るのではなく飛び立たせ、ルースターもマーヴェリックを許すことが必要だった。

シリアスなシーンばかりではない。若き飛行機乗りたちは皆個性豊かで、溌剌としていて、若さと才能に溢れた金の卵たちだ。30年前のマーヴェリックやアイスマンにように。ビーチのある町に若者が何人もいたら遊ばないはずはあるまい。マーヴェリックも混ざってラグビー(アメフト?)をしているあたり、この男まだ若い。当時リアルタイムで観ていたわけでもないのに「あの頃」を思い出してグッと来てしまうのだから映画のパワーはすごい。

懐かしいといえば、ニンジャも懐かしい。バイクについては明るくないのだが、あのMA-1を着てサングラスをつけて戦闘機と並走している…それだけで涙腺が緩みそうになってしまう。前作へのリスペクトがこれでもかと詰め込まれているから、前作の予習は欠かせないといえるだろう。

先述したように、ひたすらにリアルを追求する姿勢はキューブリックやノーランにも通ずるものがあるし、僕は彼らのもたらす「本物」の世界を愛している。一方でMCUなどのヒーローフランチャイズも大好きだ。これら二つが相反するもので、どちらかが淘汰されないといけないとは思わない。だから、今作を他作品と対比させることはしない。劇中で無人機と友人機の性能の差異がわざわざ描かれないように、別にそれらを対比させて語るような映画ではないからだ。映画をいかにして作ろうが、そこに情熱があることが最も重要なことだと思う。トムの愛した映画、その作り方、そのパッションの全てを思う存分見せてくれたこの映画が心の底から愛おしいし、それでいいのだ。

ミッション:インポッシブルシリーズもついにフィナーレが近づいてきたが、トムが命と誇りを懸けて描き続ける映画たちからますます目が離せない。これからも、誰もが不可能だと思うことを可能にし続けてくれることだろう。F14で第五世代機を撃墜するように。ダークスターでマッハ10を超えるように。

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