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『音楽の危機』をジャケ買いしたら、音楽の尊さを思い出した話。

2019年12月に近隣保育園でのミニコンサートの機会をいただいたのが最後、もっぱらお客様の前や人前で演奏させていただく場がなくなった。元々近隣施設への営業活動により実現した依頼演奏が活動の根幹だったわけだが、地域イベントも中止、保育園での依頼演奏も中止になり、ここ2年は活動の場が全くなかった。

私たちの音楽団体には、団体の活動収益で家計を支えている音楽家はいない。活動の場がなくなったこの期間、私を含め団体が設立される前の環境に戻ったメンバーがほとんどだ。主婦業、サラリーマン(私はここ)など、アマチュア演奏家として依頼演奏会を行わなくとも、家計には影響がないが、少なくとも私には人生の彩りというかワクワクが欠けて久しい。

先述で「地域イベント」と書いたが、以前こちらで第九を演奏させていただいたことがある。第九といっても、あのコンサートホールで行われる重厚長大なものではない。合唱パート(最終楽章の最後あたり)から始まり、野外でフラッシュモブ的な演出をし、お客様からはお金を頂かないという、とっても親しみやすい第九である。早いもので2年前の演奏となってしまったが、その時の光景をこの書籍の題名『音楽の危機』〜第九が歌えなくなった日〜を見た瞬間にありありと思い出したのだった。

2019年10月、路上で演奏した第九の様子。演者とお客様が近く、演奏する側もいつもより少し緊張する演奏会だった。もっと練習すれば良かったと思ったが、今となっては贅沢な悩みなのだろうか。

夏の終りの演奏会、なんだなんだと演奏者の周りに集まって下さるお客様、スマホ片手に私たちを撮影するお客様、演奏が終わった後のメンバーのほっとしたような嬉しそうな顔。始まる前のトラブル(同時多発的に起こった)で不安そうなメンバーや、機材設置がうまく行かず慌てるスタッフさんの様子も、この演奏会の一部だった。準備を一緒に頑張ったメンバーとの談笑の時間、花火、その全てが尊いもので貴重なものであったのだと、音楽イベントで人が集まることが許されない今だからこそ、しみじみと感じるのだ。

この日は近所の花火大会も開催されており、演奏後の心を癒してくれた。自治体が主催する花火を見たのは、思い起こせばこれが最後であった。皆さんはどうですか?

第九はオーケストラ、合唱、それを取りまとめる指揮者が必要だ。足りない楽器パートの知人友人を探し頭を下げてくれたメンバー、参加してくれた皆さん、遠くからほぼノーギャラで駆けつけてくれたプロの友人、HPの代表電話から突然連絡をした私を受け入れて下さりメンバーを集めて下さった合唱団の方、得体の知れないアマチュア団体の指揮を快諾してくれた指揮者さん。普段は5名前後で小さく演奏会をしていたが、この時は30名くらいの皆さんにご協力いただいた。皆それぞれの生活をしている中で、本当に有り難かった。書いている途中で涙が溢れてくる。

音楽を聴く側の話もしたい。この本の中で「録音された音楽」と「生の音楽」は根本的に別物という記載がある。この2年、もっぱら音楽を聴く側に徹している私にとって、プロの音楽団体により制作・配信された音楽は流石練り上げられており素晴らしく、演者の表情も高画質でよく撮影されており、聞き手としてはその工夫が非常に嬉しい。その一方、配信された演奏会には存在しない、拍手の臨場感、ブラボーの声、隣の客がどんな人か気になる気持ちも含めて、その場に参加している大勢の人によって演奏会は成り立っていたのだと、尊いものだったのだと、改めて気付いた。演奏者も観客も「生の音楽」でしか得られない感情があったのだ。

録音された音楽も生の音楽も、どちらも素晴らしい。サイトウ・キネン・オーケストラの感動的なYouTube配信映像は記憶に新しい。当然ながら拍手やカーテンコールはなかった。

演奏者の話に戻るが、本番前に裏手からお客様の入り状況をこっそり覗くこと、観客の表情や拍手の大きさ、楽屋での団員同士の賑やかなやりとりも「生の音楽」を生み出す要素であり、私が20年ビオラを弾き続けている理由なのだ。「録音された音楽」の技術は、より臨場感が溢れるものに進化していくだろうが「生の音楽」はどうだろうか。

2021年9月現在、プロのオーケストラは既に演奏活動を再開しており、来日する団体もある。観客動員数の制限は続くだろうが、復活の兆しが見えて来ているようで、大変嬉しい。私も今月、大好きなチェコのオーケストラの来日演奏会を東京オペラシティに聴きに行く予定だ。「生の音楽」は非常に楽しみで、また感想を書ければと思う。

著名オーケストラの演奏会を日々の癒しにしている人間は多い。私もその1人。プロが奏でる音楽音は目にも耳にも美しく「録音された音楽」も「生の音楽」も本当に素晴らしい。

だが、誰にも知られていない小さなアマチュア音楽団体に対して「録音された音楽」「生の音楽」を必要としてくれている方はいるのだろうか。音楽を愛するメンバーと一緒に自分たちの心を満たしたい、家族に喜んで欲しい、小さな子どもたちを笑顔にしたい、地元を盛り上げたい、等の理由で音楽活動をしていたし、それが楽しかった。この環境下で私たちにできることを模索すれども、答えがない。

あの尊い日々は、帰ってこないのだろうか。

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