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「書きたい」と思うことが、自分にしか書けないことのサイン 【sentence 読書会#1】

私がお世話になっている書く人のためのコミュニティ「sentence」で、初のオンライン読書会が開催された。

運営の西山さんが紹介してくれた『高校生のための文章読本』から、ひとつの章をメンバー全員で音読したあと、意見交換をするというプログラム。音読が文章への没入感を深めるという新たな発見もあって、とにかく楽しくて尊いひとときだった。

「書きたい」と思うことが、自分にしか書けないことのサイン

今回お題となった章『表現への扉をひらく』では、筆者によって文章を書く上で大切なことが定義されている。

文章を書く時に最も大切なことは何だろうか。それは、他の人には書けないこと、自分にしか書けないことを書こうとすることである。これがなければ、けっして文章を書くよろこびは生まれない。

これを読んで、自分にしか書けないことなんて私にはないのでは、、、と、でかめのダメージを受けていた。意見交換をしながら読み深めていくなか、運営の中楯さんがポツリとこんなことをおっしゃった。ピカソみたいにやむにやまれず「書きたい」と思うことが、自分にしか書けないことのサインなんじゃないか、と。

実は章の冒頭には、ピカソの「泣く女」や作曲家・武満徹の楽譜の例とともに「表現」についてこんなことが書かれていた。

武満にしてもピカソにしても、人を驚かせるために、このようなことをしたのではない。自己の内面のイメージを忠実に表現しようと手さぐりするうちに、やむにやまれず、このような表現形式に到達してしまったのである。

たしかに、「書きたい」「書かずにいられない」という欲求は自分の心の中に生まれた唯一無二の表現のタネだ。書かされて書くものと、書きたくて書くものでは、表現におけるスタート地点がまったく異なる。

筆者が大切なことの中で語っていた「文章を書くよろこび」という言葉も、誰かの役に立ったりお金を稼げたから嬉しい、というような副次的なことではないように思う。「自分が書きたい文章を書けている」という、表現における本質的なよろこびを示唆しているのではないだろうか。

そして、たとえ書かされて書くものだったとしても、プロセス次第で書きたくて書くものに変換していくことは可能なのだろう。

書きたくて書く、をつくるプロセス

この数年間で私はどれだけ「書きたい」という気持ちを持つことができていただろう。何か書きたいと思いながらも、何を書きたいか見つけられずここまで来てしまった。

表現のタネを生み、自分にしか書けない文章を書くためにはどういうプロセスが必要なのか。文章読本に書かれていることや読書会での意見交換をもとに自分なりに整理してみた。

1.ものごとを深く知る
例えば好きなゲーム、行きたい国、はたまた自分の悩みや誰かへの好意であっても、とにかく調べて、体験して、深く知ろうとする。そうすることで、自分と対象との接点が増えていく。この接点が多ければ多いほど、掛け算的に気づきも増えていく。
興味があって自然と知っていくものもあれば、仕事などで努力を要するものもあると思うが、ここがすべての表現のスタート地点になるのだと思う。

2.自分の世界を通す
このプロセスは、文章読本の中で「もっとも孤独な、深い思索の時間」と称されていた。持てる知識、感情、感覚を総動員させて、対象を自分の世界に入れ込んでいく。そして、自分にしか書けないこと、書きたいことを見つけ出す。
読書会の参加メンバーの想いを聞いても、明確なフレームなどは存在せず、ものを書く人がもっとも苦しみ、自分と向き合う時間なのだと感じた。

3.表現する
文章読本の中で、自分にしか書けないことを書くのと同じくらい大切だと語られていたのが、「だれが読んでもわかるように書くこと」だった。伝えたい人に伝わるように、どう表現するかを模索する。その過程でさらに文章は深まり、研ぎ澄まされていく。
自分の外に出すことの重要性について、同じく読書会に参加されたJun Osakiさんが素晴らしいnoteを書かれていたので、紹介させてほしい。

「あの頃」の自分を取り戻そう

こうして思考を整理していく中で、思い出したことがある。私は学生の頃、勉強が好きだった。読書好きで物知りな父にあこがれ、花や鳥やパンの作り方に詳しい母にあこがれ、知らなかったことを知っていくことが好きだった。もし自分が子育てをするときが来たら、子どもの無垢な質問に何でも答えられるようなお母さんになりたい、と思っていた。

でも、働き始めてからの数年間は、相手が人であれ物事であれ、必要以上に深く「知る」ことをシャットアウトしていたように思う。そもそも要領がよくない上に、目の前の仕事で失敗しないように、上手くやれるようにと独りで勝手にプレッシャーを負っていくうち、心も頭も常にキャパオーバーだったからだ。

そんな日々の中でカラカラになり、知ることから生まれる「書きたい」という気持ちや、書く以外の表現欲求もわかなくなってしまっていた。今思うと、「sentence」に入会するという行動は自分なりのアラートだったのかもしれない。そしてそれは英断だったと褒めてやりたい。

この読書会を経て、まずは知ることが好きだった「あの頃」の自分を取り戻そうと決意した。そして、自分にしか書けないこと、書きたいことを探しにいく。このnoteは、その第一歩としたい。

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いつも気づきのきっかけを与えてくれる、「書く」と共に生きたい人のコミュニティ「sentence」はこちらからどうぞ!


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