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第13回「演出編② 演出プラン」~創作ノート~TARRYTOWNが上演されるまで

こんにちは!TARRYTOWN翻訳・訳詞・演出の中原和樹です。

前回のノートでついに演出編に入り、演出する際に僕が重要だと考える観点を書きましたが、「TARRYTOWN」の場合は実際どうだったのかを今回は書いていきます。

ちょっとだけおさらいからスタートしていきたいと思います。


演劇公演は、戯曲という文字情報をいかに立体化するか(上演するか)だと僕は思っているのですが(下の表でいうA→B)、その作業の間にある工程に演出家のオリジナリティが現れます。

僕の場合は、下の表でいう①、②という作業が存在します。


A 戯曲(文字情報) 
   ↓
① 戯曲の社会(世界)の実在化
   ↓
② 実在する社会のどの部分を切り取り、どの部分を変容し、強調し、色付けし、表現するかの精査・試行錯誤(圧縮)
   ↓
B 舞台上での立体化(作品上演)=表現

ここまでが前回に書いたことなのですが、この②の段階で、今度は精査や試行錯誤のための指標が必要になってきます。

どんなに資金面や条件面が豊富なカンパニーでも、①の実在化した社会全てを舞台上に乗せることは不可能だからです。(そして全てを乗せるよりも、より効果的でより面白い方法を見つられることこそ、舞台表現の奥深さ・楽しさであるとも思います。)

①で自分の中に広がった社会の、どの部分を切り取るか。

その決断を下すためには、戯曲全体・作品全体をどういう方向性にしていくかという大きなビジョンが必要です。

それこそが、

演出プラン=演出家がこの作品をどう捉えて、どうしていきたいか

なのだと思います。



TARRYTOWNの場合も、戯曲を読みながら、①戯曲の社会(世界)の実在化のために

・どんな場所なのか(地理的・歴史的・文化的に)
・気候、気温、天気などはどうか
・人々はどんな生活か、どんな人々か

ということを調べたり、想像したりということを行いました。

そうしてTARRYTOWNの社会を自分の中に具体化していったのですが、具体化の作業と同時に、この作品を表現するために何を核として捉えていけばいいのかを少しずつ考えていきました。

ただ、①の作業が成熟していないうちにいきなり決めつけてしまうと浅い思考になってしまいがちなので、少しずつ、ふわふわと考えるようなイメージです。

その間にも①の作業は続きます。

その戯曲社会の物理的なイメージを膨らませていくと同時に、台本を読み込み、登場人物の言動を分析し、その登場人物の存在も自分の中で具体的にしていきます。

①の作業をさらに分析してみると、

ハード面:物理的要素、環境的要素
ソフト面:人間関係、人物像、コミュニティの特徴など

が存在します。そしてこの両面にまたがる観点として、その社会の文化がどういうものなのかということを捉えると言っても差し支えないのかもしれません。

こうした①の作業をしながら、「TARRYTOWN」創作の一つの演出的な鍵として少しずつ見えてきたのは、

・「小さな町」「狭いコミュニティ」「閉ざされた人間関係」

と、

・「人を飲み込むような森」「霧」「迷路」

の対比軸のようなものでした。

前者は戯曲上の情報として書いてあります。カトリーナやブロムの発言からも匂ってくるような町の特徴です。

後者に関しては、イカボッドやカトリーナはNYのことをよく言及するのですが、NYとタリータウンの違いや、物語終盤でイカボッドに起きる出来事、カトリーナとブロムが長年複雑な想いを抱えながら過ごしてきた結婚生活などから見えてきたキーワードです。

実はこの段階ではまだ「このキーワードたちが面白そう、何か結びつきそう」といったフラッシュアイディアの状態です。これで上手くいく!という確信はありません。

ですので、すぐにこのキーワードから演出プランを決めていくのではなく、こうした面白そうなキーワードをぷかぷかと自分の中に浮かべたまま、さらに戯曲を読み込んでいきます。

そして同時に、条件面についても考えを結び付けていきます。

「劇場空間をどう作品空間としていくか」という点です。

これには、

・劇場がどういったサイズか
・劇場の壁の色はどんなものか、高さはどんなものか
・客席と舞台面の関係は、距離は、客席から舞台を見下ろすのか(見下げ)か見上げるのか(見上げ)
・照明はどこまで仕込めるのか、表現できるのか(予算面・劇場スペック面で)

という制約・条件が大きく関わってきます。

「TARRYTOWN」の上演では、

・劇場は小劇場で、舞台面・客席面はフラット(同じ面)
・壁は黒くなく、白が基調
・劇場高さは比較的高い
・照明の仕込みは比較的制限がある(難しい)
・予算としてもかなり小さい予算規模

という条件がありました。

その中で、上記したような面白いキーワードたちがどう生きてくるか。
他にもっと違う観点・軸は無いか。他と掛け合わせたら?
などなどと考え続けます。

思考の海を泳ぐような、じっくりと煮込み料理を作るようなイメージですが、少しずつ作品の輪郭を作っていく作業です。

と同時に、その戯曲の社会の中で生きる人々=登場人物たちにもさらに深く想いを向けて考えていきます。
登場人物たちは物語を進めてくれる存在であり、この人物たちがいないと、どう舞台が表現されても、物語が観客に伝わりません。

そして、まだぷかぷかとしている演出プランに新しい光を差し込んでくれるのも、この登場人物たちです。

この記事の前半までで記載したプロセスは、マクロ的な視点と言い換えてもいいのかもしれません。戯曲の社会全体を俯瞰するような感触です。

対して、登場人物たちの人生を読み込んでいく作業は、ミクロ的な視点で、まるでムシ眼鏡でじーっと何かを観察するような感触に近いです。

この二つの観点をいったり来たりしながら、ぷかぷかしたものがどっしりと、かっちりと、時には思いもよらない形に変容します。


なんだか小難しい話になってしまった気がしますが、この思考の時間は、とてもエキサイティングで、創作的喜びに満ちた時間です。

次回は、ミクロな視点として、登場人物たちをどう考えどう読み込んでいったかに焦点を当てて、書いていきたいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

中原和樹

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