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休んでえらい

わたしのパートナーは、休むとほめてくれる。

たまにコウペンちゃんに見えてくるぐらいだ。

今まで、がんばってと応援されたことはある。
わりとがんばりすぎるときがあるから、がんばりすぎてたおれて、仕方ないねと言われたことはある。

でも、よく休めたねと、
ゆっくりやってえらいねと、
言ってくれるひとには初めて出会った。

“なんにもしてなくていい、ただただすきなだけ寝て、すきなことをしている時間が必要だよ”

わたしはそれを、昔大切なひとに伝え続けたときがあった。だけど言いながら、どんどん苦しくなって、それに比例するように、代わりにわたしががんばりつづけてしまった。

ほんとうはあのとき、じぶんが一番そのことばを言ってほしかったのかもしれない。だけどわたしは、長く、じぶんにうまくやさしくできずにきてしまったようにもおもう。

ただ、そこにいるだけでかわいいと
そんなことを言ってくれるひとと出会えるなんて、あのころは思いもしなかった。

わたしの人生の、流れが変わったのかもしれないとおもった。

わたしはよく、人生を積み重ねで捉えるけど、ほんとうはどんどんどんどん、流れていくものなのかもしれない。

だから、忘れていってもいいのかもしれない。

わたしはよく、いろんなことを覚えてしまっている。いいことならいいけど、いやなことやつらかったことを、なんどもなんども記憶の引き出しからわざわざ引っ張り出して眺めてしまうときがある。これも、パートナーに言ってもらって初めて言語化された。ああ、忘れていいのかって、うそみたいだけど目からうろこだった。なにかからすこし、解放されるような気もした。

避けようのないことはたくさんあるけど、それを一度引き受けてしまったからといって、一生背負っていく必要はないんだ。流れて流れて、いつか遠くのほうにいって、そのころのじぶんと今のじぶんとが、おなじでいる必要はどこにもない。

これもパートナーがおしえてくれたんだけど、
わたしはもう水の中からあがって地上の生活になったのに、まだえら呼吸をしようとして苦しくなってるときがある、らしい。パートナーがおもしろくてやさしいひとだってことがよく伝わったとおもう。

じゃあ今、じぶんはどう考えたら、どんな流れに乗ったらしあわせになれるのか。“休んでえらい”を体現できるようになるのか。考えなおすときがきたなあと、ちょっとわくわくしている。

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