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ネガティブなものとの向き合い方 ~Twitter連投の供養~

昨日、Twitterで書き出したことを、Twitter向けじゃないと途中から思ってたので、noteに移行させた記事になります。テーマは「ネガティブなものとの向き合い方」みたいなイメージ。

イヤなこと、嫌いなこと、イライラすること、そんな感情について考えていたのですが、ネガティブなテーマほど扱いは難しい。そこで、「嫌い」は「好き」に近いとよく言われるところに焦点を当ててみました。

「イラっとする、嫌だなと思ったことが起きた」→その他人をイラっとさせる行為は自分が自分に禁じて抑制しているものだったり、ある意味では、そこを抑制せずに出来ちゃうのは羨ましいというのはあるとは思います。

ただ、そうなりたいかというとなりたくはないし、尊敬もできないですね。

否定的なことをあえて言わない、ある程度のことであれば我慢も必要、言い方やその時々での振る舞いをしっかりする。

基本的には、大人として当然のことだと思います。それができないのかおまえは!と言いたくなることもあるんです。

あと、我慢に関しては、「ある程度」です!我慢しすぎもダメです。また、時には厳しく言うべきときもあると思います。

なんで、こういうことをネット上に書くことがあるのかというと、書かないと(あの人は迷惑な振る舞いを許容している)サイレントマジョリティにされるからです。

今回は、Twitterでさくっと牽制球投げようと思ったら、どんどん肥大化していってしまいました、という感じです。

表現方法とかタイミングとかはやはり難しいのですが、自分は普段黙ってるけど、見過ごしてるわけじゃなくて、良くないと思っているよ、と明示しておかないとエスカレートする人もいる

そこをときどき牽制する、ある意味、機械的な、冷徹なふるまい方も大事だと思っています。冷たくできない人は、本当の意味で優しくもできません。

また、ときに普段と違う体験をすることがあると思いますが、そこでは今までの自分の世界における視界の偏りや認知の歪みに気付くことができたりします。世界が広がるのは希望がわきます。

「好き・やりたいこと」と「それにかかる負荷・損害」を天秤にかけると、本当に嫌とかではなくむしろ好きなことでも、諦めた方が良いという判断になることもあります。

ただ、メンタル的には消耗しますね

「メンタル的に消耗する」というのが、やっぱり人間臭さやドラマを生む要因だったりするんじゃないでしょうか。

個人的には、嫌なことから目を背けすり抜けて生きていく人と、葛藤しながら磨かれていく人だと、後者にしか惹かれないかもしれません。

「ネガティブなものとの向き合い方」については、答えが出るものではなくて、こんなふうにときに振り返って考えることもあり、それはがずっと続くので、特に結論はありませんが、こんな感じでTwitter連投の供養でした!