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修学旅行と麻雀

麻雀のことが世の中で話題になって、修学旅行のときの出来事を思い出した。

H岡くんの放課後特別授業

当時は、大人たちは誰しもが麻雀をする時代だった。「不良」高校生もよくやっていた。

高校1年生か2年生のある日の放課後、後に東京大学に現役合格することになった秀才のH岡くんが、突然「麻雀を教えてやる」と言い出した。

「そんなのいいよ〜」と思ったが、彼は私のほか数人を生徒にして、どんどこ板書を始めた。

H岡くん、さすがに頭が良いだけあって、きわめて論理的な説明をしていく。

「3つの同じ絵柄は『刻子(こうつ)』といい、皆に見えない手元にあるときは『刻(アンコ)』、場にさらしたものは「刻(ミンコ)」という」

など、整然と述べ続ける。

最初はバカバカしいと思いながら、言われるままにノートしていたのだが、聞いていくうちに感動に変わっていった。

美しい形で仕上がると、確率に従って、点数が上がる。

その点数は、等比級数的に高くなる、しかし等比級数では天文学的な数字になるので、満貫という、上限の概念が導入されている。

なんと美しい体系なんだろう。発明した中国人はすげー、と思った。

修学旅行準備

そんなこんなで、数ヶ月すると、皆に混じって麻雀をやることになった。

結構夢中になった。

そのうち、修学旅行が近づいてきた。

修学旅行と言えば、優等生なら、行き先の歴史的建造物をあらかじめ調べたりするものであろうと思うが、私は、「どうやって夜を楽しく過ごそうか」と、そのことばかり考えていた。

そして思いついたのが、麻雀のセットをもっていくことであった。

これはきっと皆が喜ぶに違いない!

しかし麻雀のセットは高価である。もし先生に見つかって没収されたら、大損害。

平素から割といろんなものを作っていた私は、児童館に糸ノコがあることは知っていた。これで作っていけばタダ同然だと気づいた。

そこで、近くのDIYショップで角材を買ってきて、麻雀牌の形になるように切り出しをした。一セット136枚もあるので、けっこう大変だったが、そこはそれ、若い力と情熱で乗り切った。

切った角材を、ヤスリで整えてきれいにする。あとは、麻雀の本から牌の絵柄をコピーし、これまた136枚、ハサミで切り出したものを貼り付ければ出来上がりだ。

しかしさすがにこれは児童館ではできない。児童館では、高校生が麻雀牌を自作することを想定していない。

もちろん家でもできない。親にバレたら大変なことになる。親の職業は不幸なことに、両方先生だ。

そこで、H岡くんに相談し、修学旅行の前の晩に決行することとなった。

前夜

H岡くんは割と遠いところに住んでいたので、修学旅行出発の朝が楽になるように、僕の家に前泊することになっていたのである。

両親が寝た後に、H岡くんと、136枚の牌を出して、ひとつひとつノリをつけて貼っていった。裏からみて特徴がでてしまわないように、紙がはみ出さないよう、丁寧な作業が必要だ。

枚数が多いので結構な時間がかかる。後に述べる理由により、さらにたくさんの時間がかかった。

その情熱があるなら大学も受かりそうなものだが、当時はとにかく、なぜか勉強しても試験で結実しない日々を送っていたので、こういったことに特に夢中になっていたわけなのである。

完成した麻雀牌セットをきちんと荷物にしまえたのは深夜であった。

修学旅行に出かけるという興奮もあり、その後話し込んだりしてしまって、かなり睡眠時間が短くなることになった。おやすみなさい・・・。

「太郎っ!! まだ行かなくていいのか!!?」

大きな父親の声で、目が覚めた。

H岡くんも飛び起きた。

えっ!

見ると、新幹線の発車まで1時間余りしかない。家から東京駅まで、1時間ぐらいかかるのに、である。

泣きそうになりながら着替えて、歩いて10分足らずの距離を父が車で送ってくれて、駅から小田急線に飛び乗った。

計算するとギリギリ着きそうな気はする。でも当時は「乗換案内」はない。携帯で今乗っている電車の目的地到着時刻が調べられるようになるのは、20年後のことだ。

だから「着くんじゃないかな、でも着かないかも」という不安と、ずっと闘いながら乗車することになる。

ちなみに、先生にも携帯がない。だから時間に遅れた生徒がいても、携帯で連絡できない。きっと、僕の家に、公衆電話で電話してくれているはず。でもそのことは僕らには分からない。

総武線

新宿駅で、勘違いしたのか、焦ったのか、なぜか総武線に乗り換えた。どうしてなのかは覚えていないけれど、黄色い電車に飛び乗って、その後、気づいた。

え、この電車、東京駅じゃなくて、秋葉原にしか行かない・・・・

本当は、オレンジ色の中央線快速に乗って東京駅を目指さなくてはならなかった。

もう、完全にパニック。ダメだ。

でも、一縷の望みを託して、秋葉原で飛び降り、山手線にダッシュし、東京駅に着き、迷いながらゼイゼイしながら、とにかく新幹線のホームに駆け上がった。

発車のベル(多分鳴ってたはず)とともに、出発寸前の新幹線に乗った。号車とか関係なく、とにかく一番近いドアに滑り込んだ。

プシューーー。
先生もまだ知らないはずだけど、とにかく乗った。俺たちは間に合った!

乗った車両から、友人の待つ車両まで移動したときには、もう新幹線はスルスルと走っている。

一緒の席の、M崎くん(ネコがすきなので、にゃんこというアダ名で呼ばれている)は、「あ〜あ、ダメだった・・・」と思ったそうだ。

楽しい修学旅行のはずだったのに、親友2人が来ないまま新幹線が出発してしまったのだから、さぞかしかっかりしたことだろう。それが出発後に現れたのだから、こんどは大笑い。

またもや「波乱万丈、でもなんとか上手くいって良かった」のパターンである。なんでいつもこうなるんだろ。

警報装置

そして、いよいよお楽しみの修学旅行の夜がやってくる。お昼の岡山交通のガイドさんがめっちゃ可愛かったね〜などと、男子校らしい話をしつつ、いよいよ皆が寝静まった頃に徹マン(徹夜マージャン)をしようとするわけである。

にゃんこ(M崎くん)は、電子機器に明るかった。彼は後に、Nロケットに搭載する人工衛星の開発に携わることになる。

「修学旅行徹マン計画」を話したら、興味を示してくれて、「それなら先生が来たときにブザーが鳴る警報機を作るよ」と言ってくれた。

”What you know is whom you know(アナタが何を知っているかは、誰を知っているか、ということだ)” とは、このことである。

人脈と技術は大切。

当時の「大人の科学」みたいのを参考に、にゃんこは、「警報装置」を作り上げていた。

詳しい構造は覚えていないが、断線ブザーのようなものである。

細いワイヤーがその箱からでていて、廊下の幅方向ににそのワイヤーを張っておく。人が通ると、そのワイヤーが引っ張られ、部屋にある警報装置のブザーが鳴るという仕掛けである。

しめしめ。これで完璧!

と、思ったのだが、実は先生が見回りにくるよりなにより、悪い生徒が夜中に徘徊していて、そのたびにブザーが鳴ってしまうのであった。

これを偽陽性(false positive)というのだと、大学に入ってから習った。

先生に見つかる

案の定、何度もブザーがなるし、そのたびにワイヤーを貼るのもアホくさくなって、警報装置は意味をなさなくなっていた。

その頃に、そっと忍び寄ってきた先生に、見事にバレてしまった。

もちろんかなりこっぴどく怒られたし、せっかく作った麻雀牌も没収されてしまった。ある意味、予想されたことである。残念!

ちゃんちゃん。

実はその次の晩も・・・


ところが、実はその次の晩も、麻雀はできたのである。

なぜか。

それはね、もうひとつセットを作っていたからなんである(えっへん!)。

272枚の麻雀牌を作るのは実に大変なことであったが、しかしこの努力は報われて、翌日は2つ目のセットで行うことができた。

勉強はできなかったが、ちゃんとその時からフェイルセーフのシステム設計が分かっていたんだよな〜。

・・・というわけで、懐かしい高校時代の思い出でした。

最初に書きましたが、同じく寝坊したH岡くんは東京大学現役合格だけど、僕はその後、2年間にわたり、8つの大学を受けて全部落ちるという、フェイルセーフのない、とってもツラい日々が待っていたのでした。

(了)


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