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信頼の原則は保たれるのか(ルール通り自宅安静した後に)


多くの医療者、また政府が、「症状のあるときにはまず自宅安静し様子をみること」を皆に説明している。たしかにそれは妥当だ。


また、日本人ならばすべからく、「いたずらに病院に行くとより感染者を増やすこと」や、「いたずらに検査を求めれば、人的物理的限界をすぐに超えてしまう」ことは、分かってもらえると思う。日本人は、全体としてはとてもよくルールを守ってくれる。


・・・でも、違和感がある。


自宅安静をして、例えば4日経って、「いよいよ治らない、これはまずいぞ」となったときに、本当にすぐに診てもらえて、すぐに治療してもらえるのだろうか。本当に命を失わなくてよいだろうか。その先の手続きは信頼できるものなのだろうか。


ルールを守り、4日経ったあとに電話相談を試みて、なかなかつながらず、具合がどんどん悪くなり、電話をかけつづけるのもつらくなり、ようやくつながって、受診の許可がでて、その後、医師に保健所に問い合わせてもらい、保健所からの回答を待ち、そして、そして、、、一体全体、何日経ったら本当に治療を初めてもらえるのだろうか。


「ルールを守った人には、適時治療をしてもらえる」・・・その「信頼の原則」は保たれるのだろうか。正直者が馬鹿をみることはないのだろうか。


もう一つは、早期治療開始についてである。これまでの常識は、それがどんな疾病であっても、なるべく早期に診断・治療をしてもらうことにより、より症状が悪化しないで治る確率が高いというものだった。4日待って、ウイルスが増えてから連絡し、許可がでて、はじめて治療を始めるよりも、ウイルスがあまり増えていないうちに治療開始したほうが良いということになっていたはずだ。


そもそも、このことに疑問を感じる医療者はいないのだろうか。


どちらの問題も、症状が出た人にとっては切実なものだ。だから、この2つのことについて、適切な情報をもっと出すべきだと思う。聞こえてくる話が、「ルールを守ろう、80%は軽症で治るんだ」という話ばかりのような気がしている。


混乱の中なので、走りながら解決していかないとならないのは分かる。科学的にも社会的にも、満点や完全な正解はない、ということも分かる。しかし、ここで示す本質的な疑問や不安に対して、医療人は「ルールを守る」ことだけを示して強調するだけでなく、もうすこし素朴な疑問を大切にして、声を上げていくべきではないだろうか。

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