亡くなった父のレシピでキンピラごぼうを作ってみた
・遺してくれたレシピで、7年ぶりに、父のキンピラごぼうを作ってみた。
・めっちゃなつかしくて、美味しくって、泣けた。
父が2013年に大腸がんで亡くなってから、早や7年余りが経つ。
父は生前、水彩画を描くのを趣味にしていたが、器用な人で、工作や料理もなかなかの腕前であった。
母(岡崎出身)も料理が上手な人だった。好きだったのは「どて鍋」という名前の、赤だし味噌で煮た鍋。最近食べてないなぁ。
父のほうは、本人が「居酒屋をやりたかった」というぐらいで、酒飲み友達に振る舞う感じのレパートリーを得意としていた。
そのなかで、バツグンにすごいなと思ったのが、キンピラごぼうである。砂肝がはいったピリ辛のもので、何度でも食べたくなって、よくリクエストした。
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父は、2012年11月末に、進行大腸がん(ステージIV,多発肝転移、多発リンパ節転移)に罹患していることが分かった。
母が急逝し、そのお通夜の席で、「実は最近食欲がない」などと打ち明けるものだから、すぐに調べたら、嗚呼何ということだろうか、進行した大腸がんだったのである*。
どんな風に限りある時間を過ごすか
そんなに先が長くないのが医師として当然わかるし、父にもすぐに率直に話をしたので、残りの貴重な時間をどんなふうに使うかを、父と一緒に、みんなで考えた。
まず、知り合いのライターさん(高橋(平野)多美恵さん)に頼んで、人生を振り返るインタビューをしてもらった。父は、すごく生き生きと話してくれたらしい。その内容は父が1年後に亡くなったときに、みんなに配るパンフレットになった。
翌年の3月には、母と行っていた「水と油の二人展」を敢行したりした。母は直前に亡くなってしまったので、父だけが生きている展示会になってしまったが、父の水彩画と母の油絵は仲良く両方飾られた。
闘病中だったから、八重洲クリニックの人や、知り合いの先生、おつきあいのある方もたくさん来てくれたりした。父はすごく喜んでくれて、とても感謝している。
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死が確実に近づいていくなかで
死が確実に近づいていくなかで、僕のなかでは、どうしても、記録に残したくなった。
本人には失礼かもしれないけれど、思い切って、「キンピラごぼうの作り方ちゃんと教えておいてよ」と頼んでみた。
律儀な父は、富士通の親指シフトのワープロを使って文書に遺してくれた。ビデオ撮影もしてくれた。
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リクエストしてまで作ってもらったのに、なんとなく億劫で、せっかくもらったレシピをそのままにしていた。
お盆で、最近亡くなった従兄弟のことや、また父母のことを考えていて、「あ、そういえばキンピラごぼう食べたいな」と急に思い立ち、スーパーで ごぼうと砂肝を買ってきたのである。
(両親共稼ぎ(フルタイム)の家に育ち、夕食はかならずしもあるとは限らなかったので、必要に迫られた結果ネイティブに料理はできる)
レシピはこんな具合だ。
キンピラごぼうのレシピ
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久しぶりに台所に立ち、ごぼうは ささがき にして用意を整えた。
レシピに書いてあるとおりに砂肝を炒めたあとに、ごぼうを入れたところ。
作ってみて分かったが、好みよって量を変えるトコロなど、すごい細かいところまできちんと書いてあるからわかりやすい笑
さすが、偉い!と父ちゃんを褒めながら料理を進める。
味付けをして、出来上がったものの一部がこれ。
父のバツグンのものと比べると、テリがちょっと足りない気がするし、ごぼうは(若干手間取ったりしたので)思ったよりしんなりしすぎてしまったが、食べてみて、、、
あ!これは父の味だ
と思った。間違いなくあの味。
なんだか7年前にタイムスリップした感じ。
お父ちゃんお母ちゃん、お盆で帰ってきているのかなぁ〜と、
なんだか近くに感じて、なつかしくって、美味しくって、涙がでた。
7年も経ってしまってごめんなさい。でも今日、作れたよ (^^)
ごぼうはまだあと1本、砂肝もまだ残っているので、すぐにまた作ってみよう。今度はもうすこしマシにつくれるかも。
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(余談)
父は、製本やメモ帳の作り方も上手でした。生前の様子、もしよかったら見ていってください。ちなみに「こば」と言っているのは「木端」だと思います。
* このことをきっかけに、自分で考案した手法(DWIBS法)を使って、MRIで無被曝のがん検診を始めることになるのでした [リンク]
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