名もなきテレビマンの備忘録〜27時間テレビと親父とドンドンパフパフ〜



テレビマンというと、少し照れくさい。
だけど"放送作家"と名乗るには、まだまだ忍びない気持ちもある。
放送作家と名乗って今年で6年?7年?
今が何曜日の何時なのかよくわからないまま、とにかく走り続けた。

その結果、少しばかり、体調を崩した。
元気ばかりが取り柄で、悟空にオラに元気を!と言われたら僕1人だけで無限に元気玉を作れると思っていたが、
休まざるを得ない状況になり
この先を考える時間ができたので
名もなきテレビマンの思い出を書こうと思う。

『無理するなら若い内』がもう若くねぇんだ…今年で30知っとるケのけ、のアミダばばぁを2歳も超えてしまった。

日本一忙しい男と言われたら明石家さんま師匠が、まどろむと言う言葉を覚えたのは32歳。
だからちょっとだけ、憧れのさんま師匠に倣って、少しだけまどろんでみようと思う。


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執筆時、2024年7月23日火曜日の深夜。

今年も24時間テレビが終わり視聴率が世間に流れた。結果も評判も素晴らしいかった!

今年のコンセプトは『日本一楽しい学園祭』。
コンセプト通り一貫して、
見やすく、わかりやすく、楽しかった!

何より同い年のディレクターさんが総合演出をしていた…
そんなの見せられたらさぁ〜…
『俺、なにやってんの…』ぢゃん?
小6から20歳まで、『27時間テレビの総合演出になりたい』が夢だったぢゃん?

コンセプトを一貫してやり抜く。
これは言葉よりも何倍も難しい。
そして一流の演出家に共通するこだわりだと思う。
学歴も才能も人望も…フジテレビがこのテレビマンに賭けたい!という想いが伝わってきた。

ただ、どこか、物悲しかったことがある。
それは…“FNS"を感じられるポイントが、
個人的な感触だけれども、
あまり感じられなかったこと。

その理由は、はっきりしている。


私には、FNS系列の局員だった父がいる。
FNS系列とは、フジテレビ系列の各地方局のこと。

ここからは"しがない放送作家"ではなく、
1人の"FNS系列局に務める人の子ども"が書いていると思って、お読みいただきたい。



彼は、数多いるローカルテレビマンの、
どこにでもいる1人だった。
でも私は、彼ほどローカル局を愛していた人を知らない。
彼は就活時、日本テレビを受けたそうだが端にも棒にもかからず、地元に戻りFNS系列のローカルテレビ局員となった。


テレビは………いや、"テレビマン"として生きることは彼の人生そのもの。
ほぼ定年で退職した1年後に亡くなり、人生のほとんどをローカル局のテレビマンとして生きた。

ローカル局員は、キー局とはちがい、
色々な部署を経験する。
その中でネットワーク局の担当になると、
フジテレビと自社ローカル局をつなげる担当者になる。
毎年27時間テレビの季節になると、
家族には黙っていたものの、
見るからにテンションが上がっていた。


よく覚えている年がある。
2004年、めちゃイケチームが初めてメインで担当した27時間テレビ。
系列局から社員を集めて人気企画だった
『テスト企画』を受けるという通し企画で、
系列局の自社から社員3名を連れて、
教室セットが待っている場所の手前まで
担当者が連れて行くと、
駆け寄ってきた秘書らしき人に声をかけられる。
『@@(父の名前)さん、自社局から電話が入っておりますので他の社員のみなさんは先に入ってお待ちいただき、@@さんはこちらにお越しください』と秘書役の人に別室へ案内される…という仕掛け人を担当したそうだ。

細かい部分の記憶違いはあるかもしれないが、
その当時のことをよく飲み屋で嬉々として語っていたので、覚えている。
『フジテレビってやっぱすげぇな!
 めちゃイケって徹底してる』
と、まるでテレビ好きの中学生みたいなテンションで語っていた。


そしてもう一つ、それから7年後、再びめちゃイケチームがメインになった2011年の27時間テレビ。
その時、私は大学1年生で上京しており、
たまたま東京の支社に単身赴任が決まり、
東京で暮らし始めた父と、
1年間の同居をしていた。


先にいっておくと、
いわゆる一般的な、思い描いたような親子関係ではない。

テレビマンという多忙な職種…
私が覚えている限りで、父とキャッチボールしたのはたった一度きり。
鉄棒の上り方、跳び箱の飛び方もたった一度…たった数時間のこと。

親子のようで、普通の親子じゃない。
一般的な親子の時間を過ごした育児環境ではなかった。


当時、東京で同居しているのにほとんど父と話さない日々を過ごしていた…あの日。


27時間テレビが始まる土曜日の夕方、
休日なのに父はスーツを着て出かけようとしていた。
『27時間テレビ録画しとけよ、映るかもしれないから』
そう言って家を出て数時間、リアタイで視聴していた私の目に飛び込んできたのは、
27時間テレビのオープニングで、
いろんなFNS系列おじさんたちがピクミンのようにスタジオにごった返したバックショット。

画面の右下隅っこに、これでもかというほど楽しそうに、"ドンドンパフパフ"を鳴らす、
父がいた。


時間にして1.8秒ほどだったと思う。
それでも一瞬にしてその後ろ姿はわかった。
どうやらその年のオープニングは、
FNS系列の東京支社担当者がスタジオに呼ばれ、"ドンドンパフパフ要員"でお台場入りし、嬉々として鳴らしていた。

オープニング後、スタジオから退去した父が家に帰ってきた第一声はあれから13年経った今でも忘れられない。

『俺、映ってたか!?』

あんなに息子と喋らなかったテレビマンは、
かつてないほどにはしゃいでいた。


録画していた映像を見せて無事に映っていたことを伝えると、少し不満そうな顔をした。
『クレーン(カメラ)の位置、狙ったんだけどな…』
映るかも…じゃなくて、映る気まんまんだったんじゃねえか!!
あんたは裏方で映る側じゃねぇだろ!!
と心の中でつっこんだが、
中学生のような笑顔の父に突っ込むのは、
あまりにも無粋でやめた。


その後も録画を見ながらリアタイ視聴に追いつき、珍しく親子2人で家で晩酌しながら
27時間テレビを見た。
もしかしたら家で2人で呑んだのは、
初めてかもしれない。

その日、父がお土産として持って帰ってきたのはオープニング用に配られた27時間テレビ用のtシャツと、『NO,FUN. NO,TV』がテーマに書かれたリストバンド。

深夜になって眠くなったのか、
寝床に入ろうと食卓から立ち上がった父が言った。
『FNSっておもしれぇだろ。
 フジテレビはお祭りやらせたら1番だ』

そう言って寝巻きに着替え、
深夜の…『殿様のフェロモン』の前だったと思う。おやすみの代わりに父は言った。


『お前もわかってんだろ。
 やりたいようにやれ』



それから10年後。
やりたい限りを尽くした1人のローカルテレビマンが、テレビマンとして死んだ。


あの時の一言は今…
自分のテレビマン人生に問うてくる。

『やりたいようにやってるか?』
『テレビの世界は楽しいか?』


『日本一楽しい学園祭』
これはおそらく、今年のテーマじゃなくて
FNS系列局で27時間テレビに携われるすべてのテレビマンのテーマなんだと思う。
いちローカルの、地方のテレビマンが、
キー局担当者よりも楽しい時間を過ごすのが、
"27時間テレビ"なんだ。


実は、ここだけの話…
27時間テレビを見るたびに、
父の姿を探している自分がいる。
きっとお盆より、命日より、誕生日より…
お祭り好きだった彼は、引き寄せられるように27時間テレビに戻ってきているような気がして、他ならない。

あの時、父がお土産に持ってきていた、
『NO,FUN. NO,TV』のリストバンドは、
今もデスクの引き出しにある。
『楽しくなければテレビじゃない』は、
正しく言うと、
『"テレビマン"が楽しくなければテレビじゃない』。

そういうことなんだと、
人生を通して伝えた男はきっと、
このお祭り騒ぎを聞きつけて、
戻ってきているはずだから。


今年の27時間テレビの反応をSNSで見ていると、あるフレーズをよく目にした。
『やっぱフジテレビはこうじゃないと!』
過去にしがみつくことなく、原点回帰して
やりたいことを貫いた同い年の総合演出は、
心から尊敬する。


だからこそ、悔しかった。
自分ならもっと…もっと!!
FNS全体と繋げて面白がれたんじゃないか…と。
そのバックボーンを持った自分にしかできないことがあるんじゃないか、と。


今年の27時間テレビを担当していたどの放送作家よりも、演出家よりも、
私が勝てるところがあるとすれば…
"FNS系列"に最も愛と知識を持ったテレビマン、というところだと思う。


いくら吠えたところで、
一介の名もなきテレビマンの届かない、
遠吠えなのは重々承知している。
なんの効力も、なんの影響力もない。


でも、この27時間テレビを担当したことを
誇りに生きた、ローカルテレビマンがいたことを、私は忘れないでいようと思う。


たった1.8秒のドンドンパフパフに、
思いを乗せて、テレビの、ローカル局の未来を託した、
どうしようもないテレビマンがいたことを。


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あの日のあなたへ。

すまん、まだやりたいようにやれてない。
そのための人望も才能も、
まだ足りてねぇように思う。
ただそろそろ、周りを見てもいい頃だ。
もしかしたら、お前とやりたいようにやりたいと思ってくれるテレビマンがいるかもしれないから。


27時間テレビに関わった
すべてのテレビマンの皆様へ。
そしてFNS系列の皆様へ。

本当に、お疲れ様でした!

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