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芋づる式思い出

小さいころの記憶というものは恐ろしいものである。齢27になった現在でも一定の事象に遭遇すると、ふわっと記憶がよみがえってくるものだ。

私はどうしても、リトルマーメイのアンダー・ザ・シーを聴くと、小学校時代の思い出がよみがえる。


私の通っていた小学校は、一定の歳になるとぶち込まれる対テロ特殊部隊養成所みたいなところだった。なんか異様に厳しいのである。

たかが小学生の学芸会の練習で、出来が悪いからと20時まで残されたり、クラリーノの高い筆箱を買えないと先生にどやされたり、アレルギー物質の献立にするのが面倒だから、該当のメニューにぶち当たった日は「食うか食わないか」の二択になる。そういう学校であった。
弱肉強食。親、体、頭、技術の四拍子が揃っていないことには先生の機嫌を損ね、厳しい処遇を受ける。そういう学校であった。


中でも嫌いだったのが朝の活動である。日によって読書の日と掃除の日がある。読書の日は学校の図書館から借りた本でないと許されなかった。私の好きなタイプの政治、宗教、伏せられがちな歴史などのわりと怪しめな本はもちろん小学校にはない。
光文社新書を読みたいと咽び泣きながら、おおよそ小学生が借りたがらないであろう風貌の、唯一楽しく読めた西遊記のいにしえバージョンの上中下巻をローテーションで借りて読んでいた。

↑ こちらの書籍である。一冊が辞書くらいある。
 重さは鈍器になるくらい。


掃除の時間はもっと嫌であった。特に外掃除にぶち当たった日は地獄である。何が楽しくて朝から学校の掃除をしなければならんのだ。
給食のあとの掃除を帰る前に行い、翌朝来たらきれいな状態!ヤッター!ということがなぜできないのかと、心の中でずっと異議申し立てを行っていたのだが、口に出してしまうと先生にどつき回され、1か月くらい学校で居場所をなくしてしまうので、黙って朝清掃をするしかなかった。弱者の極みである。

その時に流れていたのが、リトルマーメイドの挿入歌である「アンダー・ザ・シー」であった。それもインスト。
私は今でもアンダー・ザ・シーを聴くと、アリエルではなく、先生に監視されながら掃除をする灼熱の小学校玄関を思い出すのである。


学校がそんな感じなので、脱走を試みる者もたくさんいた。
私の記憶が正しければ、学校裏のフェンスを乗り越えて公道に出て皆脱走していたので、足をかけてよじ登ることができない網目の細かいフェンスに張り替えられたのだが、地面が芝生と土だったがために、有志で少しずつ穴を掘り、フェンスと地面の間にできた空間から脱走する方式に変わった。あれには大変感心した。ランドセルは投げて外に出せばいい。かしこい。


6年間耐え忍び、やっと地獄から解放されると思って進学した中学校も、とんでもなく厳しかったのでその話も追々する。


ちなみに我々は「昼休みはお前たちが休むためのものではなく、法律で定められている教師の休みなので、本来お前らが休んでいい時間ではない」と教えられている。

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