ムズカシイ言葉

なぜ、ムズカシイ言葉が世の中こんなにも多いのだろう。

アジェンダ、ショートノーティス、フィックス、ペルソナ...

最近のコロナ騒動でもそうだ。オーバーシュート、クラスター、ロックダウン…世の中は大衆がついてきていないカタカナ言葉で溢れている。

そういったムズカシイ言葉を使うことに怒りを覚えているコメントもたくさん見かける。


ただ、使う理由が全く理解できないわけではない。

まずは、なんかカッコ良いからだ。「期限までが短く、大変申し訳ございませんが、」より「ショートノーティスで恐縮ではございますが、」のほうが圧倒的になんか仕事が出来る感じがする。確かにカッコ良いは大事だ。相手の信頼を得ることが出来る。コンサルタントからの提案なんて、なぜだか横文字を多用される方が信頼感が増す。頭が良い感じがするからだ。

もう1つわかる理由があって、それは同じような意味と見せかけて、若干意味が異なり、その言葉がピッタリ当てはまるからだ。

たとえば「熱い」「冷たい」の2つの単語で40℃弱の水をどう表現するか。「少し熱い」「熱いと冷たいの間くらい」などと色々と方法はあるだろう。

ただ、ここで登場してくるのが、救世主「ぬるい」だ。「熱い」と「冷たい」に比べたら圧倒的知名度がない言葉だが、的確な単語「ぬるい」だ。

こういったケースは方言でもよくぶち当たる。伊予弁の「むつこい」なんてなかなか東京では通じない。味が濃すぎて胃もたれ気味で食が進まない時などに使うが、標準語でピッタリな言葉が見つからないのだ。

なので、少し知名度が低いけどこの言葉で表現したい。というこだわりで使う場合は確かにある。特に自分の専門分野であったりするとなおさらだ。


というように、ムズカシイ言葉を使うことが完全に理解ができないわけではない。

が、やはり基本に立ち返ると「言葉」は相手に伝える手段だ。伝わらなければ意味がない。

私も世間と同じ怒りを覚えることがある。性根が捻くれているので、横文字がビッシリ並んでいるビジネス書は「あ、無知な私はお呼びでないのね。」「高尚な人たちの情報交換なのね。」と卑屈にすぐ閉じてしまう。・・・自分の語彙力の甘さも恥じずに。


何が言いたいかというと、「言葉」は一方的に投げつけるものではなく、受け取ってもらわなくては意味がない。言葉を使うときは、誰に向けて話すのかを見極めて、「言葉選び」をすべきだ。

意識の高い人の集まるIT企業でカタカナ言葉が飛び交うこと自体は何も不自然ではないし、専門用語でやり取りがなされることは何も問題はない。しかし、全国民に向けて説明する際の言葉が、例え専門的にピッタリな言葉であっても「オーバーシュート」であることが本当に正しいのか。ということだ。

「言葉選び」はまた「語彙力」とは異なる能力だ。

何かを積極的に発信する立場の人に「語彙力」が達者な人はたくさんいるが、「言葉選び」が上手い人ははっきり言って少ない。

「語彙力」は純文学や専門書・セミナーなどと、発信する立場になるような頭の良い人は生きているだけ(頭が良い人になる過程)で勝手に身に付く。

ただ「言葉選び」については学ぶ場があまりない。それどころか、勉強すればするほど、偏差値が上がれば上がるほど、世間一般の平均とは離れていく。

つまり、「言葉選び」が上手くなるためには、

頭が良くなることは、世間からどんどんズレていっているんだ。ということを自覚するのが大事なのだ。


「言葉選び」が上手いなと思うのは、バラエティ番組のMCや芸能人(特に芸人)のエッセイなどで良く感じる。彼らは意識的に世間の感覚からズレないよう常に敏感に察知しているからだろう。

本当に人に何かを伝えたいのであれば、一言一句精査し、少なくとも一番伝えたいポイントは中学生から高齢者でもわかるような言葉で表現することが重要だ。なんか結論が新入社員研修の資料のようになったが気にしないで欲しい。

そういった配慮を持った言葉の使い方がされる世の中になると良いな。と切に願う。



そういえば最後に、この記事の見出しは

なぜ、相手に伝える気のない言葉が世の中こんなにも多いのだろう。

が正しいタイトルだったのかな、と。

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