ロースクールの思い出3

ギスギスし始めるクラス

二年生もそろそろ終わろうかという時期、司法試験に対する焦り、今の自分と合格水準との違いにクラスメイトは少なからずストレスを感じていただろう。ひどい人は、自己中心的な行動が目立つようになる。自分でゼミを開いたり、積極的に教授に質問をしたりするので、一見積極的に勉強ができているように見える。しかし、反面、ゼミで自分の意見に合わない人とは対立し、創造的な議論はできない。他人が質問しようとする前に質問を始め、長時間教授を独り占めし、周りには何の配慮もない。そんな感じだ。私は当然の如く、ウマが合わず、その人の行動に疲弊していた。
正直、勉強とは全く違うこのストレスには非常に悩まされた。そこそこ成績の良かったので、なぜこんな人が成績が良くて自分はダメなのかとも考えてしまい、負のスパイラルに陥っていた時期もあった。
結局、卒業するまでそのストレスから解放されることはなかった。あのストレスを耐えた自分わわ褒めたい。なお、その人は受かっておらず、受験を続けているかも分からない。

3年生になって

ついに、3年生に進級した。ここまで残ったのは当初の7割ほどで、それ以外は途中で辞めたか、留年している。なんだかんだ、厳しい世界だ。
3年生になると、いわゆる起案の毎日になる。演習系の授業がほとんどになり、起案、解説授業、起案、解説授業の連続である。
ただ、レポートがなくなるので、毎日夜遅くまで調べ物をしたりするようなことはなくなり、人によっては2年生よりかは楽だという人もいる。
起案以外には実務科目があり、司法研修所で習うようなことの先出しのような授業もある。これはとても好きだった。なりたかった実務の雰囲気を味わえるので、実践的な模擬裁判などは楽しくやれた。
ただ、一部の人は試験に関係ないという理由でめちゃくちゃ手を抜いたりしていたのだが、そういう人はだいたい受かっていない。余裕のなさの表れということだったのだろう。

ビリ

行政法の授業で、起案が返却された。そこには順位が付されていたのだが、まさかの最下位だった。
そんな…、あの人もあの人も俺よりできているのか。
率直にそう思った。たしかに、得意ではなかったが、まさかこんなに差がついてしまっていたとは。あと1年もないのに、こんな状態で果たして受かるのだろうか…。さすがにこれにはショックを受けた。
慌てて、教授に質問し、優秀な同期の答案を参考にして、復習をしまくった。辰巳の趣旨規範ハンドブックをつかって、典型論点をまとめ、そこに授業や優秀答案の論証をまとめ、自分なりにブラッシュアップさせた。
結局、試験ギリギリになってようやくなんとか書けるくらいにまでは持っていくことができたが、なかなかに大変だった。
司法試験の行政法は出題の仕方が一定で、経験を積むことで解きやすくなるところがある。なので、他の科目と異なり、事案の読み方や誘導への乗り方など特殊なスキルが必要で、それを身につけるのに時間がかかったのではないかと思う。(単に苦手だったのももちろんある)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?