【駄文】ゴーヤだからさ
ゴーヤがまだ日本の内地では普及していない平成元年。当時勤務していた職場の敷地内、フェンス際に小さな土の場所があるところで、課長がゴーヤを栽培していました。課長の身長は185センチ、体重は90キロを超える大きな体なのに、ジョウロで水やりをする姿は、なかなか愛らしいもので、若手職員の話題になることも多くありました。しかし、笑っていた私たちは知らなかったのです、その実を自分たちが食すことになることを。
その職場では宿直勤務がありましたので、ちょっとした厨房・食堂と仮眠室がありました。ある夏の日、ちょっとした行事の打ち上げとして、食堂で食事会を開くことになり、課長が「差し入れ」と称して、ゴーヤをもいできました。正直、その頃は見た目がちょっとグロテスクな植物という認識しかありません。ちゃんとした調理方法を知る者もいません。今とは違いインターネットが普及していませんので、料理を検索することもできません。
「豚肉と一緒に醤油で味付けして、炒めりゃいいんだ」
という係長の説明を受けながら、怪しげな炒め物を作らされたものの、そもそも肥料も与えていない痩せた土地の収穫物、まして「ゴーヤチャンプル」などの認識も無い時代ですから、正直、「美味しい」という言葉からは、ほど遠い物が皿に盛られたことになります。
しかし、課長がいるところで、「何だこりゃぁ」なんて言うこともできません。忖度しながら「乙な味です」とか「珍しいです」「初めて食べました」など、言葉を選びながら食事会を進めますが、なかなか料理が減りません。
そして「太郎君は、若いんだから、どんどん食べなよ」攻撃を喰らうことになります。現代なら「ハラスメント」になるでしょうね。口の中だけではなく、心まで苦くなった思い出です。
当時とは異なり、今は美味しいゴーヤが安価に手に入るようになり、調理方法も普及しましたので、良い時代になりました。平成20年代に一人暮らしをしていた時期は、毎日のようにゴーヤを食べていた気がします。朝、ゴーヤ入りの野菜炒めを作り、朝ご飯のおかずにするとともに、昼のお弁当のおかずにしていました。基本的に醤油は使わず、塩・胡椒で味付けして、合わせる肉や野菜で味に変化をつけていました。
当時、お付き合いしていた女性に振舞う時には、少し高めの食材を使用していた記憶があります。その方が、今どうしているかわかりませんが、元気で幸せでいてくれることを祈りたいと思います。
若い時であれば、甘酸っぱい思い出なんだろうと思いますが、この年齢ですと苦みも塩気も強すぎる感じです。こんな夜は、甘い恋愛小説でも読んでから眠ることにします。
勘の良い読者の方はお気づきかと思います。何を書いても最後は宣伝。本日は福島太郎、唯一の恋愛小説。「恋する旅人」を宣伝させていただきます。本の中身が、甘いか、苦いか、しょっぱいか。お試しいただけたら嬉しいです。どうぞ、召し上がりください。
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