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銀山町 妖精綺譚(第6話)

第五章 妖精の住むふる里 

 週明けの月曜日、始業時間の前だったが、高橋と田中は出勤してきた飯田に第一回若者定住会議の結果を報告した。
「ということで、いくつかの宿題はありますが若者定住会議においては『妖精の住むふるさと』をテーマに検討することで、概ね了承を得ることができました」
飯田が高橋の宿題を引き取る。
「まず本の購入はすぐ進めてくれ。せっかくだから佐藤書店に相談して『妖精界入門』だけじゃなくて、学校と公民館それに老人福祉センター用に、何冊か妖精関係の本を購入してはどうだ。妖精の住むふるさと事業の雰囲気作りに繋がるんじゃないか。
 ジェニファーの件は、教育委員会を通じて県に打診してもらうことにしよう。県教委の承諾を得たら日程を詰めてくれ。まぁそこまではいい。
 で、その、何だ、英国視察については今日のうちに町長の耳に入れておくか。来年度予算編成の時に揉めないように、まず一報を入れて方向性だけでも確認しておくか。会議の委員に期待を持たせ過ぎないよう、駄目なら駄目と早く伝える方がいい」
飯田は叱られた飼犬のような表情で高橋の顔を見上げた。
「そうですね。細かい話はともかく、若者定住会議の概要を口頭で報告しておきましょう」
高橋はすぐに受話器を取り、総務課の宗像総務係長に電話して町長の日程を確認した。
「課長、すぐに町長に説明に入って良いそうです、お願いします」
飯田はペンとメモ用紙を手に慌てて立ち上がった。

 町長室のドアを開くと、正面に座っていた町長は顔を上げて飯田と高橋の姿を確認し、人懐っこい笑顔を見せた。長谷川建設の元社長だけに、本音はともかく営業スマイルは巧みである。
「良い話だろうな、良い話以外は聞きたくないぞ。金曜日の若者定住会議だな」
二人は頷きながら町長の机の前に進む。その後方では宗像総務係長がドア付近で待機していた。飯田が口火を切る。
「はい若者定住会議の件で、取り急ぎ御報告したくお時間をいただきました。後ほど報告書も提出いたしますが、高橋から口頭で御報告させていただいてよろしいでしょうか」
「構わん」
高橋が一礼してから話を始めた。
「まず若者定住会議においては『妖精の住むふるさと』をテーマに、今後の具体的施策を検討していく方向となりました」
町長が満足そうに頷く。
「なお次回の会議で英国人講師のジェニファーさんをお招きし、英国の妖精について話を聞きたい、また次年度に会議のメンバーで英国視察を行いたいとの要望がありましたことを御報告させていただきます」
町長の顔が険しくなる。
「来年度に英国視察だと。それについて企画課ではどう考えている」
飯田の顔がみるみる青くなり声を失っていた。すかさず高橋が応えた。
「企画課としては『妖精の住むふるさと事業』のために英国視察が必要だと考えておりますことから、次年度に予算計上をお願いしたいです」
出過ぎたか、と思いながらもはっきりと答えた。
「馬鹿もーーん」
町長の怒声が飛んだ。
「会議の委員に言われたまま、考えも無しに俺に持ってきてどうする」
飯田が頭を下げたまま答える。
「申し訳ありません、先ずは町長に御報告と思い、課内の検討が浅いままで来てしまいました。持ち帰り来年度における英国視察の必要性について検討してまいります」
町長の顔がさらに赤くなる。
「飯田課長それが駄目だと言っている。来年度予算で視察の検討なんて、悠長に構えていたら機を逃す、それでは駄目だ。顔を上げなさい、宗像係長もこっちへ来なさい」
宗像係長が高橋の隣に並ぶ。
「『妖精の住むふるさと事業』を進めることが前提、今後の会議次第ではあるが、九月補正に予算を計上し今年度中に『英国視察』を実現できるよう準備を進めて欲しい。会議は今年度限りとし、次年度には具体的な事業に着手しないと駄目だ。
 こういう事業はスピード感が重要だ。As soon as possibleだ。若者定住会議の委員に『英国視察』を約束して、事業に対する期待感、高揚感を高めて一気に事業を推進して欲しい。わかったか」
飯田がブンブンと顔を上下にし、高橋と宗像は静かに頷いた。
「飯田課長、これからも若者定住会議の動きについては最優先で報告してくれ。前回、今回と迅速に報告を受けて良かった、頼むぞ」
三人は一礼して町長室を後にした。
町長室を出たところで、宗像係長が少し興奮した声で飯田に話かけた。
「よくもまぁ、とんでもない話を通しましたね。国の補正予算とかの財源もないのに、九月補正で新規事業費を計上するなんて、言葉を失いましたよ。私からも木村課長に報告しますが、飯田課長も早めに木村課長にお話してください。細かいことはともかく
『九月補正予算で英国視察を計上する。迷惑をかけるがよろしくお願いしたい。町長の方針だ』程度の仁義は切っておいてください。後は私と高橋主任で調整しますから」
「俺も驚いたよ。来年度の当初予算さえあり得ない話と思っていたからなぁ。宗像係長に手間をかけて申し訳ない。早めに木村課長に話をしておく」
「手間は仕方ないです。元はと言えば昨年度のうちに『ふるさと創生事業』を纏められなかった総務課のせいでもありますから。しかし高橋主任よく『妖精ネタ』を会議のメンバーに飲ませましたね」
 宗像が驚きを隠せずに尋ねてきた。会議のメンバーを人選したのは宗像なので、運営の難しさを強く感じているようだった。
「田中が『妖精界入門』という本を根拠に『大蛇も座敷童も河童も妖怪も全部妖精です』と見栄を切ったのが効いたようです。今年度に田中を採用した総務課の手柄です。俺と課長だけではそんな発想にはならなかったです。大蛇は大蛇ですからね」
高橋の総務課フォローを受け、宗像は表情を柔らかくした。
「それはそうと高橋主任。田中君がワープロを持ちこんでいるらしいですが「電気機器持込」の申請が出ていませんよ。駄目とは言いませんから急ぎ申請させてください。
 規則違反ですし防火管理、盗難防止責任者の立場からも看過できない状況です。田中君はまだ規則等を承知してないでしょうから、その辺りの指導もお願いしますよ」
言い方は少しきつめだが、三人の間には不思議な連帯感があり穏やかな空気が流れていた。
「申し訳ないです、すぐに申請させます。なおワープロを使うのに感熱紙という紙が欲しいようなので、後で購入依頼を回します。よろしくお願いします」
「高橋主任は、転んでも只では起きないですね。わかりました」
宗像は笑いながら総務課の執務室に戻った。

 企画課に戻ったところで、飯田が改めて田中に指示を出した。
「田中君、英国視察について町長の内諾を得ました。ただし来年度当初予算ではなく、九月補正予算での対応です。『妖精の住むふるさと事業』を本格的に進めるために、町としても本気を見せます。スピード感を持って頑張りましょう」
 田中は思わず立ち上がり、高橋の顔を見た。高橋はゆっくりと頷いた。
「次の会議に向けて忙しくなるな」
(この事業は上手くいくかもしれない)
二人は手応えを感じていた。ニコニコとした笑顔の飯田が自席に戻るのを見ながら、田中が質問した。
「高橋主任『妖精界入門』の著者に御礼の手紙を書きたいんですが、業務内容を書くのは駄目ですよね。守秘義務に抵触しますよね」
「公務員に守秘義務はあるが『妖精の住むふるさと事業』は秘密には当たらないから手紙に書いて問題ない。感謝の気持ちをちゃんと伝えておくのは良いと思う。商工観光課から観光用のパンフを貰って、町の観光PRもしといてくれるか。相手にとっては迷惑だと思うが」
田中は直ぐに商工観光課に向かった。

 ストーブの上ではヤカンが激しい湯気を立てていたが、窓からは春の日差しが差し込んでいた。 


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