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足るを知る

note界に足を踏み入れ、交流が生まれた方に「りみ子@元引きこもり* 」さんがいらっしゃるのですが、その方の記事に対して、本日、少し生意気なコメントをしてしまいました。
アレンジを加えますが

『幸せと言う字がありますが、一が足りなくなると辛くなる、と言われています。辛いし、幸せではないので、不幸になるのでしょうね。
足りないと感じるのは何故か?
他人と比べたり、過去と比べたりした時「足りない」と感じるのかもです。
「足るを知る」ということは、そこで満足することなく、何かと比較することなく、あることを受け入れ、そこからスタートするための言葉かも、と思います』

というような内容です。
 りみ子さんの投稿への、共感とリスペクトの気持ちから、コメントを入れたのですが、少し、言葉が足りないような気持ちにもなりましたので、ここで補足します。

「足るを知る」とう言葉は「吾唯知足」という竜安寺の「蹲踞」に代表される仏教や「老子」の言葉としても有名なようですが、解釈は様々あるようで深い言葉のようです。筆者も正しく理解できてはいないと思うのですが、
「他人と比べない、過去と比べない、今、あるがままを受け入れる」
「無いものねだりはしない」
「神様がくれた分だけ幸せ」
「足るを知り、ここから加えることを目指す」

こんなニュアンスで咀嚼しています。

 筆者は貧しい家庭で育ち、心身ともに貧相な時代が長く続きましたので、未だに「卑しい、貧しい」考えが根っこにあります。「浅ましい」という言葉も似合うと思います。「妬み」や「僻み」も人一倍多く抱いています。一生消えることは無いと考えています。
「ゆとり」という言葉は、未だに実感したことがありません。

 就職してからも「金無し、コネ無し、能力無し」を継続していますが、近年は「縁」に恵まれたこともあり、安定した収入と生活を基盤とできているような感じです。
 ただ、市役所では「金有り、コネ有り、能力有り」の方々に囲まれ、自分とのギャップに悩み、戸惑う日々を過ごしています。
 しかし、逆説的には「貧しい経験」をしていること、「金・コネ・能力」には欠けるので、他者のような力は無いからこそ、自分が持つ「心と体」を、「市民ため」「未来のため」ならいつでも「心と体は賭けてやる」という考えで過ごしてきた公務員生活が、自分だけの財産でもあると受け入れることができつつある今だからこそ、「公タマ伝」が生まれたとも言えるかも知れません。

 そういう意味で、ご自身の経験、体験を糧として「他者のために」「未来のために」、「自分が持つ力」を生かそうとしている「りみ子@元引きこもり*さんに、共感するのかもしれません。
 りみ子さんばかりではなく、note界には「誰かのため」「未来のために」に「持てる力」を生かそうとするクリエーターの方に溢れているような印象です。他者への無償の愛が溢れている気がします。
 「足るを知る」ことを実践することは、突き詰めれば、無償の愛に繋がるのかも知れません。
 いつも以上にとりとめの無い話になりましたが、最後は定番の台詞で締めます。

この本は面白い500円の価値はあります)」(応援してください)


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