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銀山町 妖精綺譚(第11話)

第十章 宇都宮大学

 宇都宮大学校舎の正面入口に場所にある事務室で、受付に出た女性に来訪の旨を告げると、受付票に所属・名前の記入を求められ、案内が来るまで待つように指示された。
「いい大人なんだから、場所を教えてもらえれば行けると思うんですけどね」
田中が小声で呟いたが高橋は何も答えなかった。程なくして細身で髪が腰まである女性が二人に近づいてきた。学生にしては落ち着いて見えた。
「銀山町役場の高橋さんでよろしいでしょうか。須藤と申します、先生の研究のお手伝いをしています。ご案内いたしますので、ついてきていただけますか」
愛想は良くないらしく無表情のまま高橋に告げると、返事を聞かずに踵を返した。田中のことは眼中にないように見えた。二人は自分たちが「招かざる客」であることを意識させられた。
 スタスタと進む須藤を追うようにして校舎内を進むと、立派な扉の前で足が止まる。扉の上には「第一応接室」との文字が掲げられていた。扉が開かれると、正面の大きな窓から明るい陽が室内を照らしているのが見えた。来客用のソファはもちろん、絨毯が敷かれた床も周囲の調度品も落ち着きがあり、品質が良い物で整えられていた。
 高橋は落ち着いた様子を見せていたが、田中は驚いた表情を隠せなかった。須藤は二人をソファに座るよう案内し
「少しお待ちください。遠くから来ていただいたのに申し訳ないですが、先生が蒐集したコレクションの譲渡を希望されるのでしたら、期待しないでお待ちください。先生はこれまで、宇都宮市長をはじめ、そのようなお話を全てお断りされています。ご期待に添えなくても先生を非難されないようにお願いします」
と声をかけて姿を消した。田中は小声で話しかけた。
「てっきりロビーか研究室とかで話をすると思っていましたが、賓客待遇ですね」
「どんな意図かさっぱり解らないな。ただあの秘書みたいな女性の態度は冷たいな」
 二人は狐につままれたような心境で会話を止めた。須藤がカップを四個準備して戻ってきたため、間もなく稲村が来るということが予想できた。須藤は紅茶を飲みながら待つよう告げて部屋を出たが、二人ともカップに口をつける気持ちになれず、重苦しい空気に包まれた。

 入口から軽やかなノックの音が響き
「大変お待たせいたしました。稲村です」
明るい声が続いた。二人は慌てて立ち上がり、声の主が正面に来るのを待った。小柄で短い髪をした稲村は二人に笑顔で語りかけた。
「遠いところをご足労いただき、ありがとうございます。あらためまして宇都宮大学 文学部助教授の稲村です。
 高橋さんお会いできて嬉しいです。田中さん初めまして、お話できること楽しみにしていました。どうぞおかけください」
 高橋と田中はそれぞれ名乗りソファに座り直した。稲村に促されて須藤は稲村の隣に座る。一息いれてから高橋が口火を切った。
「稲村先生お忙しい中お時間をいただき恐縮です。本日は相談というか不躾なお願いに参りました。当町では現在『妖精の住むふるさと事業』を企画しており、その一環として『妖精美術館』の建設を検討しております。つきましては先生が蒐集されている妖精関連のコレクションの一部をお譲りいただけないか、というお話を相談させていただきたく参った次第です。誠に勝手なお願いですが、何とか御検討いただけないでしょうか」
 高橋と田中の体を油っぽい冷たい汗が這う。須藤の表情が険しくなる。稲村はカップを一度口に運んでから静かに置いた。
「検討も何も、結論は出してあります」
 須藤は勝ち誇った表情を浮かべ、高橋と田中の顔からは血の気が引いた。交渉の余地が全く無いとは考えていなかった。
「妖精美術館について全面的に協力します。詳細についてはあらためて相談させていただくとして、結論を先にお応えしますね」
二人の声が響いた。
「先生、本当ですか」
「先生、本当ですか」
田中と須藤が同じ言葉を発したが、表情は歓喜と憤怒で真逆だった。
「先生はこれまで誰にもコレクションを譲らなかったのに。どうしてこの方々に」
須藤の目が吊り上がっていた。
「人生は一つの舞台人は皆役者。いろいろな役を演じるの。だから若き勇者アーサーを助ける魔法使いマーリンを演じようかなって」
稲村は幼子のような無邪気な笑みを返したが、須藤の顔は険しいままだった。稲村は田中に向き直り尋ねた。
「田中さん、どうして妖精は人間の前に姿を現すのかしら」
「人間と仲良くしたいからじゃないでしょうか」
「田中さんは妖精と仲良くしてくださる」
「はい、妖精と住民の皆さんと仲良くして、銀山町を良くしたいです」
「素敵な答えをありがとう、妖精の皆さんも同じ気持ちみたい。田中さんや高橋さんと『仲良く暮らしたい』と願っているようなの。だから私がコレクションを譲るというより、妖精たちが銀山町に移住したいと考えているということね。もう一つ質問していい。フェアリーギフトって御存じかしら」
「妖精からの贈り物ですね、葉っぱが金貨に変わったりお水がお酒になったり。先生の著書で読みました」
「ありがとう。これまでも私のコレクションを譲って欲しいという方は何人かいましたけど、投機目的だったり、個人のコレクションにしようとしたりする人ばかり。宇都宮市長からも人気集め、次の市長戦に向けた票目当てのような印象を受けたわ。田中さんのように妖精のことを学び、妖精を感じようとして本の感想や素敵な写真を贈ってくださった方は、そんなにいなかったの。
 手紙から「妖精と仲良くしたい」という思いが伝わってきたわ。妖精たちも田中さんたちと仲良くしたいと思っているように感じたの。だからフェアリーギフトとして受け取っていただけるかしら」
 静かな口調にもかかわらず、異論を挟む余地を感じさせない揺るぎなさが三人に伝わった。高橋が言いにくそうに声を絞りだした。
「た、大変ありがたいお言葉をありがとうございます。とても嬉しいですし田中も報われます。ただ大変さもしいお話ですが、コレクションをお譲りいただけるとして、予算はいか程見ておけばよろしいでしょうか。概算で構いませんので上限又は下限額を教えていただければ助かります」
稲村は大げさに目を開き驚いた表情を見せた。
「お役所ですから予算は大事なところですよね。もちろん予算も決めていますわ。上限も下限もゼロ円、無償。それがお譲りするための条件です」
田中と須藤の声が重なる。
「先生、いくら何でもそれは」
「先生、いくら何でもそれは」
 二人は顔を見合わせたが稲村は素知らぬ様子で
「だって今は私がお預かりしているけど、先輩や友人からの善意、無償で贈られた物も多いわ。それなのに私がお金をいただいたら変でしょう、妖精たちに叱られちゃうわ。それに私が購入したものも、御先祖様が遺してくださった資産の運用益を使わせていただいたものばかり。御先祖様への感謝をお金にしたくないの。宇都宮市生まれ宇都宮市育ちの住民として、いずれは宇都宮市にコレクションを寄贈するつもりですけど、その時も無償で寄付するつもりよ」
須藤は険しい表情のままで話した。
「それが先生の御意思なら仕方ないですが、けど先生本当に良いのですか。私は御意見できるような立場ではありませんが、納得できないというか釈然としないというのが正直な気持ちです」
須藤の意見に田中も同調する。
「稲村先生、俺も正直納得できないです。先ほど褒めていただいたことは泣きたいくらい嬉しいですし、心から感謝します。けど自分がそれほどのことをしたとは思えないです」
稲村は静かに息を吐いた。
「もう二人してあまり虐めないでちょうだい。これからする話は、もしかしたら物語として書くかもしれないから絶対内緒ね。私の中にある『妖精の話』を一度だけ話します」
 稲村は立ち上がり、三人に慈しむような微笑を見せると歩きながら話し始めた。

 むかし、むかしのことです。
 今よりも日本がもっと貧しかった頃、宇都宮市に「ちーちゃん」という女の子がいました。
 ちーちゃんは瞳の色が少し薄いのが嫌で前髪を伸ばして隠していて、後ろの髪もとても長く伸ばしていました。ちーちゃんが小学二年生の時に、お母さんが重い病気で入院してしまい、ちーちゃんはお母さんの田舎、祖父母の家に預けられました。
 その田舎では、昔、沼の側に住む長い髪の女、正体は恐ろしい大蛇(おろち)が旅人を襲い喰らったという話が伝えられていて、村の女の子は皆短髪でした。一人長い髪のちーちゃん、その上ちーちゃんは田舎の方言が解からないから、皆と話ができずに黙ってばかりいたので、周囲の子どもたちからは気持ち悪い女の子と思われました。それで同じクラスのガキ大将から虐められるようになってしまいました。
 虐められていても、ママに合える日を楽しみに学校に通っていたちーちゃんでしたが、参観日には来てくれる約束をしていたママが来られなくなったという話を聞かされて
「参観日には来てくれると信じていたのに来ないなんて。ママの嘘つき、ママの嘘つき。病気が治ったら迎えに来てくれる、一緒に暮らせる話も嘘かもしれない。私は捨てられたのね。もうママにもパパにも一生会えないのかも。一人で虐められるだけなら生きていてもしょうがない、死んじゃいたい。死んでお化けになって、虐めっ子たちに復讐しよう」
 と考えました。美しい湖で死のうと考えたちーちゃんは、夜中にお爺さんの家を抜け出して、山の上にある湖に向かいました。死ぬことを覚悟していたので、暗い夜道も怖がらずに進みました。
 湖のほとりに着いてから靴を脱ぎ、湖の水に足を踏み入れた時にあまりの冷たさに吃驚して、その夜初めて空を見上げました。大きな満月が天上から湖を照らしていて、湖に金色にも銀色にも輝くリフレインがキラキラしてとても美しく、遠くの山々のシルエットを優しく感じて、その美しさに感動してちーちゃんは涙を零しました。
 そしたらキラキラたちがとても優しい声でちーちゃんに囁いてきました。
「泣かないで」
「死んだりしたらだめ」
「ちゃんと生きないと妖精界には来られないの。一緒に遊べないの」
「今夜は耐えて、明けない夜はないから」
「いつか一緒に遊びましょう、楽しく踊りましょう」
 優しい声に励まされて泣き止んだちーちゃんは、何をしに湖に来たかを忘れてキラキラを見つめました。そしたらキラキラの中に緑色や桃色、色とりどりの可愛い洋服を着た妖精たちの姿が見えてきました。
 妖精たちは皆、励ますように微笑みながら可愛いダンスを魅せてくれました。月が雲に隠れた時、妖精たちの姿は消えてしまいました。
 ちーちゃんは「妖精さん、またね」と呟くと、明日を信じて湖に背を向けて家に帰りました。

 次の日「もしかしたらママが参観日に来てくれるかも」というちーちゃんの淡い期待は叶わず、お爺ちゃんとお婆ちゃんだけが授業を見にきました。
 授業が終わり「何も変わらなかった」と、ちーちゃんが悲しい気持ちでいたところに、ガキ大将たちが囃子たててきました。
「やっぱり父ちゃんも母ちゃんも来なかったな。お前は捨てられたんだ。
父無し 母無し お化けの子 変な目をした 変な言葉の大蛇の子。沼に帰れ、宮に帰れ」
 いつもなら学校の帰り道とか、一目につかないところで虐めていたガキ大将たちは、参観日で早く帰れることで少し興奮していて、皆の前でちーちゃんを囃し立てました。ちーちゃんは、ショックで声も出せず立ち上がることもできず、机に顔を伏せることしかできませんでした。
 その時、別な男の子の声が響きました。
「両親が来られなくて何が悪い。目や言葉が違って何が悪い。何も悪いことなんかない。なのに虐めるなんて、お前ら何しとんだぁ。恥ずかしくないのか」
 咎められたガキ大将たちが言い返す声が響き、少し男の子と言い合いになった後、ガキ大将たちの声は小さくなり、最後は逃げるように帰りました。そして、ちーちゃんを庇ってくれた男の子も帰り教室は静かになりました。
 その日から虐めは無くなり、ちーちゃんは他の女の子たちとも仲良くなれました。ちーちゃんママの病気もどんどん良くなり、二学期の途中でちーちゃんは元の学校、元の暮らしに戻ることができました。
 夏の夜、妖精たちの囁きを聞いて妖精たちの姿を見てから、ちーちゃんの世界は光を取り戻したのです。それからちーちゃんはずっと考えています。
「もしかしたら、あの夜私は一度死んだのかもしれない。妖精たちが一度だけ生き返らせてくれて、次の日に男の子の姿を借りて助けてくれたのかもしれない」
 ちーちゃんは、いつか妖精たちにお礼が言えるように、周りの誰よりも妖精のことを知りたいと考えるようになり、妖精の本をたくさん読み資料を集め、大人になり妖精の研究者になりました。
 だけど、自分を守ってくれた妖精たちと男の子に、ちゃんとお礼が言えずに転校してしまったことは、ずっと心の棘として刺さったままでした。
 おしまい。

 稲村は話を終えるとソファに座り直した。
「このお話は誰にも言わないでね、ここだけのお話。ねぇ田中さん、もしこんなフェアリーテイル、おとぎ話の主人公のちーちゃんが、大人になり自分を助けてくれた男の子と再会できたとしたら、どうするかしら」
 田中は少しリラックスし胸を張りながら答えた。
「感謝の気持ちを伝え、お礼をしたいと思うんじゃないでしょうか。妖精の恩返しですね」
「妖精の恩返しは、恩を受けた方に何倍にもして返すものよね。そう、できる限りのことをしたいと思うじゃないかしら。そして、このお話には今日続きができたの。

 ちーちゃんは、自分を救ってくれた妖精と男の子にいつか恩返しがしたい。と思いながら妖精の研究を続けていました。時が過ぎて大人になり、ちーちゃんが妖精を見た日、六月二十二日という夜が一番短い日に、男の子が大人になって訪れてきてくれて、ちーちゃんはとても嬉しくなりました。
 これで、本当におしまい。

 とっても都合が良い展開だけど、おとぎ話だから笑って赦してくださいね。けど、夏至は夏の夜の夢の舞台となる日ですもの。どんな不思議なことが起きても不思議じゃないと思いませんか。高橋さん、来ていただき本当にありがとうございます。ずっと言いたかったの。
 心から感謝しています、ありがとうございました。
 どうか私のコレクションを「妖精の住む町 銀山町」のために使ってください」
 稲村は静かな微笑みを浮かべながら頭を下げ、須藤と田中の表情は固まっていた。高橋がブルっと体を動かしてから口を開いた。
「先生のお話に茶々を入れるつもりはないんですが、現実的な話として、その男の子はちーちゃんを助けたとかじゃなく、母子家庭か何かで、母親は仕事が休めず参観日に来てくれない口惜しさとか寂しさから、ガキ大将に言い返したとかじゃないですかね。自分の都合で怒っただけだとしたら、ちーちゃんが感謝する必要はない気もします」
 稲村は菩薩のような優しい微笑で応えた。
「高橋さんはリアリストなのね。男の子の本心は解からないですけど、ちーちゃんはずっと考えてきたの。妖精たちが一度だけ生き返らせてくれた、男の子の姿を借りて自分を助けてくれた。それがこのフェアリーテイルにあるtrue story。
 そして、妖精の恩返しは恩を受けた方に何倍にもして返すもの。もう一回言いますけど、このお話はいつか物語として書くかもしれないから、誰にも話しをしないでね。ここだけの内緒話。お茶が冷めてしまったわね、須藤さん煎れなおしてくれるかしら」
 須藤が静かにカップを集め応接室から退室した。
 高橋は下を向いたままハンカチで目元を拭うと、顔を上げて稲村に確認した。
「稲村先生が町に協力していただく理由として、田中が送った写真を見て『この町には妖精が住んでいる』と感じて、先生のコレクションを銀山町で保管・展示したいと考えた。くらいのお話は表に出してもよろしいでしょうか。先生のお話とも妖精の住むふるさとというコンセプトにも合いますので」
「高橋さんは本当にリアリストなのね。そのように公表していただいて構いませんわ。ただ後からのお話で恐縮です、実は私のコレクションはほとんど整理がされていないの。今年から須藤さんに整理とリスト化をお願いしているけど、少し時間がかかりそうなので銀山町さんにお譲りする品のリストアップはお時間をいただけるかしら。作業の進捗状況は須藤さんを通じて適宜報告させていただきます」
「それはもちろん大丈夫です。その他諸々の事務が出るかもしれませんが、先生の負担が小さくなるように取組みます」
高橋の言葉に田中が続いた。
「稲村先生、週末だけにはなるとは思いますが、俺にもコレクションの整理を手伝わせてください。先生の御好意に比べたら微々たるものですが少しでも恩返しがしたいです」
 応接室の扉が開き須藤が静かに入室してきた。
「それなら田中さんにもお手伝いしていただこうかしら。重い物もあるから須藤さんだけじゃ心配だったの。来られる時だけでもお手伝いしていただけると助かるわ。お譲りするコレクションを見ていただくのは良いかもしれないわね」
「やります、やらせていただきます。喜んで」
 須藤は自分も関係する話が進んでいるとは知らないまま、紅茶をテーブルに置いた。

 初夏の午後、応接室には柔らかく暖かな陽射しが外から入り込んでいた。

https://note.com/tarofukushima/n/n146c0669f2df



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