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銀山町 妖精綺譚(第13話)

第十二章 銀山湖 

 
 平成四年七月、妖精美術館の建設予定地を高橋と田中は訪れていた。普段は静かな銀山湖の湖畔で、大きな音を出しながら大型の重機が縦横に動く造成工事が行われていた。
 遠目に施工管理をしている武藤の姿が確認できた。
「来年にはここに妖精美術館が建っているんだな。稲村先生から寄付していただけるコレクションのリスト化も終えたようだし、田中さん本当に世話になった」
「自分で言うのもアレですけど、とんでもない仕事でしたね。濃い一年でした」
「この事業のために転職を一年延ばして貰ったけど、転職に向けた就職活動は進めているのか」
田中は屈託の無い笑顔で答えた。
「転職はもう決めました」
高橋の顔が一気に曇った。
「田中さんの人生だから、その選択に俺は何も口を挟めない。が、一度だけ正直に言わせて貰えば、目の前が暗くなるくらいガッカリしている。しかし人生の先輩としては田中さんの前途を祝いたいしその選択を応援する。目標としていた東京の大手商社か」
 水に落ちた猫のような顔をした高橋と対照的に田中はニコニコしていた。
「高橋主任でも読み違えることがあるんですね」
「どういう意味だ」
「転職は、し・な・い・こ・と・を、決めました」
「え、えっ、田中さん本気か」
「本気ですよ。こんな面白い事業が担当できるのに辞める必要無いじゃないですか。『世界を相手に仕事』というイメージだけで大手商社を希望していたことが今は虚しいです。
 変な話だと思うかもしれないですけど、俺、この町に来るまでちゃんと自分で生きていなかった気がするんです。田中家の次男として何の苦労も知らず、親や先生の言うとおり良い子で勉強して、親に言われるまま高校と大学に行って、大卒で無職じゃ格好悪いから親父に言われるまま銀山町職員になった人形みたいな存在でした。自分で考えようとも歩こうともしない空っぽな人形です。ところが銀山町職員になったら『考えまくり 動きまくり』ですよ。世界どころか異世界・妖精界とも仕事するなんて楽し過ぎです。
 銀山町職員が俺の天職だと、今は感じています。だから転職しないことを決めました。高橋主任だって俺がいないと困るでしょう。正直に言ってくださいよ、きびだんごが無くてもお供します。それに……」
「それに何だ」
田中は眉を中央に寄せて困った表情を浮かべた。
「いつかちゃんと話します。今はまだ言わないでおきます」
「何だよ俺にも言えないことって」
 田中は不満そうな高橋の視線を外して輝く銀山湖に目を向け、先月須藤が初めて銀山町に来た時に銀山湖を案内し、二人で湖畔を歩いた時のことを思い出した。

「妖精美術館の現場も確認できたし、コレクションの整理もほぼ終えたし、もう心残りはないわ。田中さん一年間お手伝いいただきありがとうございます」
「こちらこそ大変お世話になりました。須藤さんがいなければ展示品の整理が終わらず、スケジュールが破綻していたかもです。院は二年ですよね、就活は順調ですか」
「言いにくいことをサラっと聞いてくるのね。今のところ就活は全滅。文学部はもともと就職には不利だけど、院で年は嵩んでいるし就職氷河期だし。まぁ就職できなければ実家に帰りバイトしながら妖精の研究を続けるのも有りね。パソコン通信を使えばどこに居てもメールでやり取りできるから、実家に戻ってもからも稲村先生に相談できるし」
「実家はどこか聞いても良いですか」
「関西の小さな町。田中さんは知らないと思うけど、未だに部落差別が残る旧態依然としたところ。私も差別を受ける側だったから妖精に心を寄せたのかもしれないわ」
「関西となると遠いですね」
「宇都宮市からも銀山町からも遠いから、ここに来るのは多分最初で最後になるわね。完成した妖精美術館を観覧したい気持ちもあったけど、来年はお金が無いから叶わぬ夢ね。就職できず実家でアルバイトでは、生活するだけでも厳しそうだから」
「こんな話は失礼かもですが、来年度に向けて妖精美術館の学芸員となる職員を町職員として募集する予定です。給料が安いので須藤さんにお声をかけるのは躊躇いがありましたが、後で募集要項を送付しても良いですか」
「本当にそんな話があるの」
「本当です」
「私が合格するとは限らないけど魅力的な話ね。妖精の研究も続けられるかしら」
「パソコン通信で稲村先生とメールでやり取りできますし、稲村先生のところに行く時は、俺が車を出します。道は覚えましたから安心してください。是非採用試験を受けてください。須藤さんのような専門家に来ていただけたら、町としても有難いです」
「けど宇都宮から長い髪の女の子が来たら、虐められるという話を聞いたことがあるから悩ましいわ」
「そんなこと絶対にさせません。俺が、俺が守ります」
「本気?」
「本気です。もし学芸員に落ちたとしても、須藤さんに銀山町に来て欲しいです。何があっても、俺が須藤さんを守ります」
「知っていると思うけど、私は可愛げが無いわよ」
「可愛げなくなんてない!妖精を、夢を追い続ける須藤さんが大好きです!」
「本当に、本気で言っているの」
「妖精の名にかけて、本当に本気です」
空は青く澄み渡り、天は二人に微笑むような柔らかな光を降り注いでいた。

 田中は思い出から現実世界に戻ると、須藤が銀山町に来ることが決定したら高橋に報告・相談しようと銀山湖を見ながら思った。

 夏の太陽が激しく美しく、銀山湖を煌めかせていた。

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