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【随想】エッセイの名手。流れるような文章って・・・

まだ「ボク」が20代だったころ、永倉万治のエッセイは何度も読み返した。
はじめて彼の文章に接したのはファッション雑誌に連載(だったかな)のコラムではなかったかと思う。最初の印象が「面白い文章」で「読みやすく惹きつけられる」だった。それから作者のことを知りたくて書店で探してみたが著作はなく、興味を持ちながら、しばらくはその他の類似雑誌も探しながら、掲載されていれば読んでいた。ある日、書店に行くと「ポワール・ウイリアムスに関する20点と70点の思い出」というエッセイ集が・・・あった。早速買って一気に読んだ。読みやすく、やはり引き込まれた。(理由あってその本は今、手元にないけど・・・)

記憶をたどれば、そのエッセイの最後に脳出血で倒れたとあった。そんなことが・・・。ただ、リハビリを重ねてかなり良くなって執筆も再開されたようだった。後遺症は残ったとのことだったが、ひとまずはホッとし、それからポツポツと出版される単行本を「ボク」は追いかけたし、著者の名が売れるにつれ、過去の作品も書店に並ぶようになり、手に入れては読んだ。(経緯は著作「父 帰る」にもあるしNHKでもドラマ化された)

その後、ますますメジャーになり小説も多数、手がけられていたが、惜しくも2000年に再発し帰らぬ人になっている。
以降「ボク」はあまり作品を手に取らなくなった。あんなにも、こんなにも流れるような面白い文章を書く人が早くなくなってしまって、作品を見るたびに思い出されるのがなんだか切なかった。

永倉万治は文章を書くスピードがとにかくはやい。とは今は理由あって手放してしまった作品のあとがきに書かれていたと思う。おそらくタイプ的にそんな風な仕事をする人のように推察していたけど、やはりそのようで、文才があるというのはこういうことなんだろう。わかりやすくシンプルでなめらか。独創的な比喩と着眼点。人物を独特な眼で鋭く見据える様子は「アニバーサリー・ソング」を久しぶりに読み返して再認識したし、「屋根にのぼれば吠えたくなって」など短いエッセイの随所に現れている。

「ビートルズの音楽は楽しくて(さらにわかりやすくて)最後にちょっとほろっとさせる部分がある、だから素敵。文章も同様だと思う」

みたいなことを永倉万治は書いている(ちょっと「ボク」の解釈あり)。そんな域に到底達することはないが、せめて仕事で文章を書くことがあったら、もう少しわかりやすさに努めよう。

ちなみに“理由あって今は手元にない”のは、昔付き合っていた女性に何冊も貸して、その後突然別れてしまったから・・・にほかならない。これはこれで最後にちょっと物悲しい、と言えなくもない。

写真は「アニバーサリー・ソング」の中の「十七年目の再会」(講談社エッセイ賞を1989年に受賞)。
ちょっと席を離れたらこうなる・・・。

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