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毎日酒を飲んでたら「重症急性膵炎」で死にかけて4カ月半入院した話

割引あり

こんにちは、たろちんと申します。
僕はこれまでライター・編集者として生活を営んだり、日に5合の黒霧島水割りを飲んだりして元気に破綻していました。
いました、というのは先日、無事に重症急性膵炎になって4カ月半ほど入院。一生の禁酒を義務付けられたからです。

「すいえんってなあに?」というちびっ子にもわかりやすく説明すると、膵臓の消化液の分泌がイカれて膵臓自身が溶けちゃう病気です。これに「重症」がつくと膵臓の一部が壊死して二度と元に戻らなかったり、炎症が体のあちこちに飛び火して様々な臓器不全を引き起こしたり、何もかもめちゃくちゃになって死んじゃったりします。私がなりました。

37歳まで特に大病を患うこともなく、健康に悪いことといえば酒とタバコと仕事くらいしかしていなかったのですが、急転直下で死のキワキワまで行くことになり、私としては青天の霹靂、寝耳に水、といった心持ちでありました。
しかしながら後悔先に立たず。こぼれたミルクのことを嘆いても仕方がないように、一度損なわれた膵臓はもう元には戻りません。往年のバラエティ番組よろしく「ちょ、もっかい! 泣きの1回で再挑戦お願いしますよ~」と土下座してみましたが、ダメなんだそうです。膵臓のやつテレビわかってねえわ。

そんなわけでこちらのnoteでは僕の膵臓追悼記念スペシャルとして、「鎮静剤を打ったら性的なメンズエステに行く幻覚を見て2つの意味で逝きかけた話」「お腹を切ったら腸がパンパンに腫れてて閉じられなくなった話」「脳出血を併発して意識不明になった話」などの愉快な闘病の思い出を1つ1つ綴っていきたいと思います。

よい子のアル中のおともだちはぜひ参考にしてください。次はお前がこうなる番だよ!

ざっくりした概要はYouTubeのラジオやTogetterでもまとまっています



なんでそんな飲んだの?

お酒を召し上がらない方、あるいは本当の意味で嗜む程度になさっている方はみなこうおっしゃいます。なんでそんな飲むねん、と。
酒飲みが酒を飲むのには108の深い理由があるのですが、それをどんなに丁寧丁寧丁寧に説明しても大抵の場合「要するにアル中じゃん」と冷たい目をされて終わることになり、そうされると悲しい気持ちになって酒に逃げたくなるのでここでは語りません。

ひとつ個人的な傾向を言うのなら、わりと自分はストレスや感情を内に溜め込むタイプだったということです。
仕事でイライラしたときにカラオケでブワーッと歌うとか、人間関係で悩んだときにバッティングセンターで情熱を振り回すとか、いろんな人間がいると思いますが、僕はそうした感情を吐き出すのではなく焼酎と一緒に飲み込むのが好きだった。そう、多分好きだったのです。誰かに相談ができないとかではなくそうすることが自分的には発散にならないからしなかっただけで。多分このへんの性格は酒飲まなくなった今後もあんま変わんないだろうなと思う。

膵臓とかいうクラスの全然しゃべったことないやつが急にキレた

まあそんな感じで毎晩壁のシミを見つめながら酩酊することでギリギリ自我を保っていたわけですが、「酒毒」という言葉があるようにアルコールは一定のスリップダメージが発生する薬物です。酒耐性や最大HPなどのステータスは人によりけりですが、0になったら基本死ぬと考えればわかりやすいでしょう。

自分もバカではない(ソース:大学を卒業している)ので「酒を飲むと肝臓を悪くする危険がある」ということは知っていました。よって健康診断の際は肝臓の数値を常に注視していました。正確に言うと指をくわえて見ているだけだったので基準値は常に超えっぱなしだったのですが、一応気にはしていました。(アル中ワンポイントアドバイス:自分より高い数値の人を見て安心するのはやめよう)

肝臓は「沈黙の臓器」と言われますがγ-GTPだのなんだのと数値が出るので僕に言わせたら全然「話してみると意外と面白いやつ」という感じでした。真の沈黙の臓器は膵臓くんです。あいつとは正直1回もしゃべったことなかった。そんな膵臓くんが突然キレたのが今回の事件です。

「なんかお腹痛いなー」→突然の死(未遂)

「そんなに傷ついているとは思わなかった」というのはいじめっ子の都合のいい言い分で、膵臓くんがキレそうな兆候はそれまでにも確かにありました。でもそれは胃のあたりの痛みだったり妙な膨満感だったりといった曖昧なもので、せいぜい市販の胃腸薬を飲むくらいで済ませてしまっていました。ごめんな、膵臓くん。でも正直お前のそういう態度にも問題があったと思うぞ、先生は。

その日もそんな腹部の違和感を感じつつ、「たまにあるやつだなあ」とおかゆ食って焼酎飲んで寝ました。ところが眠って数時間後、2022年10月26日の早朝です。お腹の痛みはおさまるどころか尋常じゃないレベルに悪化していました。すぐに救急車を呼んだもののこのときはまだそこまで大事になるとは夢にも思っておらず、「救急車乗る前にシャワー浴びたほうがいいかな」とか思っていたことを覚えています。

病院に運び込まれていくつか検査。このあたりから痛みで朦朧として記憶が曖昧ですが、尿検査をすると言われてその場で即おちんちんをまろび出したり、輸液をされた直後に気持ち悪くなって吐いたりといろいろ大騒ぎをしていて付き添ってくれた妻が大変そうでした。

その後、いろいろ引き回された挙句、医師から重症急性膵炎と診断され「すぐ入院。とりあえず2~3週間はかかる」と言われました。その程度で済む話じゃなかった、ということがわかるのはもう少し先の話。

「重症」と聞いても「重賞(競馬)」が先に出るくらい現実味がなかった

色んなベクトルで辛いことがあった入院生活ですが、純粋な痛みで一番つらかったのが最初の数日かもしれません。初日はとにかくお腹が痛かった。プロレスラーが僕の腹の中を毎秒握りつぶしているようなギューっという痛みが無限ループで続き、一晩中「うううあああああー!」って叫び声が出るのを抑えられませんでした。痛み止めもすぐに切れちゃうし。

また、ようやく少し眠れても今度はアルコールの離脱症状で大量の寝汗をかきます。それ自体は七夕と同じくらいの頻度で訪れるプレミア休肝日などでも体験していたことですが、急性膵炎の治療としてすでに絶飲絶食と点滴治療が始まっていたことがまた苦しみでした。のどが渇いても水が飲めない。水分が失われているところに強引に栄養だけを詰め込まれている感じが内部から体を押しつぶされているような耐えがたい苦痛で、「本当につらいからこの点滴を抜くか、もしくは多めに水分補給をするとかなんとかしてほしい」と10回くらい懇願したんですが冷たくあしらわれました。

病院にさえ行けばとりあえずその場の痛みくらいはなんとかしてくれる、と思っていたのでさらなる苦しみが続いたのは思わぬことでした。妻が入院の手続きを済ませて着替えその他の荷物を持ってきてくれたのですが、コロナ禍で病室までは入れず。看護師がベッドにどすんと入院グッズのバッグを置いて去っていき、痛みで動けない僕はそのバッグを開けることもどけることもできずベッドの少し端に寄って唸り続けました。順調に病状が悪化していく中、転院が決まってここからが本当の地獄だ、というところで次回に続きます。

以下おまけ

※記事のメインとなる部分は全て無料で公開するつもりですが、せっかくなので投げ銭がわりの有料エリアとちょっとしたおまけ雑記もつけていこうと思います。今回は退院後に発覚した衝撃の事実について。(グロというほどではないけど人によってはヒエッとなるかもしれない写真アリ)


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