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初めての二郎というアトラクション

健康とは真逆の食べ物として名が挙がってくるものの一つにラーメンがあるだろう。中でも食欲を、胃を、暴力的に満たすということに特化しているラーメンの代表格が、二郎だろう。

僕はラーメンが好きだ。だいたいどんなジャンルでも好きだが、一番好きなのは淡麗系スープと細麺のコンビネーション。これまでに泣きそうになったラーメンには、自由が丘の『いちばんや』や渋谷の『はやし』などがある。ジャンキー(というと怒られるかもしれないが)なものも避けてきたわけではなく、東大宮に住んでいたころは『ジャンクガレッジ』、錦糸町に通勤していたころは『春日亭』、なども通ってきた。でも、二郎はどの店舗も未経験だった。

小ラーメンが世の中の通常サイズだという噂、あのマシマシだのヤサイアブラカラメだのいう呪文のような注文方法、列に並ぶ人たちのスポーツの大事な試合前のような顔つき。そのすべてが、ナヨっとしたガリガリ人間である僕を阻んできた。しかし、時は来た。続く自宅勤務の中で変化球の刺激を得るため、同期の退社によって萎えた気持ちにカツを入れるため、二郎童貞に終止符を打つことを決意した。九月一日、東京にも震災が来ることを思い出す日に、ガツンと心に衝撃を与えに行った。

ところは荻窪。行列から翌日まで、濃い二郎体験だった。行列からたちこめる嵐の前の静けさ感。小ラーメンの食券を買い、じっと待つ。入店して席につき、麺の量を…あれ?いつ伝えるの?少なめにしたいんだけど…機を逃す。麺が茹であがり、続々と呪文系の注文が入る。四つ前の人、アブラニンニク野菜。なんだあの野菜の量は…これぞ二郎という見栄えだが、到底戦えない…。二つ前の人、野菜少なめニンニク。…これだ、これなら麺が通常量でもなんとか!真似をして「野菜少なめ、ニンニク」。そして僕のための一杯が完成した。

これなら行ける、そう思った。実際行けたが、肉の攻撃力が高く、際どい戦いだった。味はたぶん、総合的な体験の中でそこまで重要ではないのだが、「ですよね」という味。思ったよりスープが濃く、野菜たっぷり前提なのだろうなと思わせる。半分ほど食べた辺りからは(止まっちゃいけない…止まったら終わるやつだ…止まっちゃダメだ…)とシンジ君のように念じながら勢いで食べた。これは格闘だ。対話であり格闘なのだ。行列での皆さんの精悍な顔つきが理解できた。どのラーメン屋よりも「食べること」にただひたすらに向き合う空間だった。

食べ終えた。存在感のあるあの肉があと一枚多かったらアウトだったかもしれない。しかしやり遂げた。達成感…と同じくらいの、脂を洗い流したい欲求。よろよろと帰宅し、ウーロン茶を淹れて、ぐびりぐびり。その日の夜はサラダだけ。翌朝、消化器官の引き続きの要求に応えてグレープフルーツジュースを入手し、ぐびりぐびり。朝飯と昼飯はそれだけ。ファスティングかよ…。1リットル弱のグレープフルーツジュースを半日で飲みきるという、これまた健康とは言い難い所業である。そして夕方、二郎を食べてから24時間強、ようやくまともな空腹感が生き返ってきた。

凄まじい総合体験だった。ラーメンというより、アトラクションだ。コスパはひどく高いが、ダメージもひどく残る。次の一杯は、当分要らない。

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