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苦手なセミと、好きなセミと

玄関の目の前に、セミがひっくり返っていた。

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僕の実力ではミンミンゼミなのかアブラゼミなのかナニゼミなのかわからないが、これを安易に扱ってはいけないということはわかる。経験的には半分以上の確率で、こいつはまだ生きている。触れると力を振り絞って飛ぶのだ。それも、残りの力が少ないから低空飛行になることが多い。ゼミの低空飛行は恐ろしい。顔の近くなど飛ぼうものなら身体はビクゥッと震え、肩はすぼみ背は丸まり、顔は引っ込み膝は内を向き、上目遣いで必死にヤツの第二波がないことを確認することになる。

言い忘れていたが、僕はセミが苦手だ。正確には、生き物としてのセミが苦手だ。夏の風物詩としての、アイコンとしてのセミは好きだ。セミの抜け殻を見て、何種類かのセミの鳴き声を聞いて、低空飛行のセミとすれ違って、車に潰されぺしゃんこになったセミを、アリに食われ羽だけが残るセミを目撃して、夏の到来と盛りを実感する。生命の儚さについても一瞬だけ考えたりする。Eテレ『昆虫すごいぜ』のセミの回で香川照之が熱弁をふるうのを見てセミの生存戦略に思いをはせたりする。羽化して羽が色づいていく様子は見事な自然の美だ。見入ってしまう。

でも、目の前のセミは苦手だ。玄関の目の前で腹を出しているやつなどは、特に苦手だ。ひんしでもそらをとんだりなみにのったりできるポケモンと同じで、瀕死のセミもまだまだ生を全うする気満々なのだ。さあどうする。何もしないと、こちらに都合の悪いタイミングで飛び出すかもしれない。瀕死ではなく既に力尽きていたとしたら、僕が処理しない限りそこに居続けるだろう。選択肢は一つだ。恐る恐る足を出し、膝から下を素早く前に出し、ペッと前方に蹴りだす。インサイドキックの要領だ。ヤツらの甲殻は固く、多少の衝撃はダメージにならないから平気だ。なぜ前に出すか。こちらから離れる方向に運動量を与えることで、こちらに飛んでくる確率を下げるためだ。

さあ。もう娘を保育園に預ける時刻を回っている。行くのだ。ペッ。ブゥ…ン。やはり生を保っていたヤツは、狙い通り前方へ飛んでいった。ミッションコンプリートである。感傷に浸る間もなく、ヤマハの電動自転車へと歩を急ぐ。

セミは苦手だ。でも、この「ペッ」もまた夏の風物詩であり、成功裏に終われば、これもアイコニックな夏の象徴となる。そうすれば僕の好物だ。ただ、ひと夏に一度で十分だ。

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