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真の人間性が問われるAI時代。

こんにちは、白井です。



昨日同様、今回もAI絡みの話をしていきます。


ChatGPTが流行り始めて以降、一時的に収まっていた世間的なAIブームが再来しました。

そんな中で脚光を浴びているのが、生成AIと呼ばれる文章や作品を生み出すAIです。
(ChatGPTもその一種)

数年前までは、音声認識AIだったり、一辺倒な回答を返すSiriやAlexaなどが、話題になっていましたね。この時代のAIの役割は、みんなができることの代替でした。

それに対して現在は、文章や音楽、アートなど、素人が簡単には手を出せないものまでも、徐々に生み出してきています。

シンギュラリティや仕事を奪われるといった、AIの危険性の議論はいつの世間的ブーム時にも交わされてきていますが、今回も例の如く様々な意見が飛び交っていますね。


今回の本題は、
クリエイティブなこともできるようになったAI時代に、人間の生み出す価値とは?
という少し抽象度の高いテーマです。


人間とAIの違い。

先にも述べましたが、人間とAIの違いは何でしょうか?

専門家であれば別ですが、私のようなAIってこういうものだよねーくらいのレベルの人たちからすればパッと答えられないのでは無いでしょうか?

最近のAIを見て感じているのが、計算機を駆使しているか否かくらいの違いで、そこを単純比較すると計算機を駆使しているAIの方が圧倒的に強く、人間としての強みを改めて感じさせられます。


まず第一に、厳しいことを言います。
仕事において、指示待ち人間は無価値だということです。

社会に出ると、当たり前のように指示待ち人間にはなるなと言われますよね。

まだ、AIがない頃は、指示を出して文書を作成してもらうというだけでも、その人が言われた通りのアウトプットさえすれば、その人に任せる理由がありました。


ですが、生成AIが生まれたことによって、指示待ち人間の存在意義が全くなくなってしまいます。

というのも、先に述べた通りで生成AIは、人間と比べて圧倒的なスピードでアウトプットを返せます。
1000文字単位の文章を書いてもらうのに、1分もかかりません。

私も、毎日約1500文字の記事を書いていますが、30分程度は余裕でかかります。


スピードもさながら、さらに精度も高いとなると、指示待ち人間に勝ち目はありません。

たとえ間違えたとしても、正しいINPUTを再度渡せば、すぐに改善されたアウトプットを持ってきてくれます。



頭で考えること。それだけが人間に残された道。

強いAI、弱いAIという言葉があります。

強いAIとは、自らの意思を持って判断することができるAIのことを指します。まだ現実世界には存在せず、ドラゴンボールでいう人造人間、アベンジャーズに登場するウルトロン、ドラえもんといった本当に真の意味での人間的なAIです。
今現在は研究段階の技術で、フィクションの世界の話です。

対して弱いAIとは、与えられた仕事(指示)に対してアウトプットを出すAIで、ChatGPTやSiri、Google Lensなど、サービスとして現在私たちが触れられるAIは(おそらく)全てこれに該当します。


幸いなことに、まだ強いAIが存在していない現代だからこそ、AIへの勝ち目があります。

その鍵を握っているのは意思です。

AIは、現状は指示待ち人間を超えた程度であり、自らの意思を持って判断することはできません。

つまり、自分の意思を使って判断し、主体的に動けるのであれば、まだまだ我々人間の存在意義は残されています。


私は専門家ではありませんので、あとどのくらいで強いAIが生まれるのかはよくわかりません。2045年と言われていますが、めまぐるしい進化を遂げている現代社会では、早まる可能性が高いと思います。


まだ、何年あるかは分かりませんが、少なくとも強いAIが生まれないうちは、どの仕事にも私たち人間の意思が必要です。

意思を持って、主体的に判断し、弱いAIに仕事を奪われない人材でいられるように努めましょう。

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