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ドラマ『だが、情熱はある』社会学的考察〜だが、愛情はある〜

こんにちは。
鶴賀太郎です。

日テレのドラマ
『だが、情熱はある』
終わりましたね。

一部で熱狂的なファンがついた
もしかしたら
今後カルト的な人気を
誇り続けることになるかも
知れないドラマでした。

もちろん僕も
毎週日曜日の夜を
楽しみにして最後まで観ていました。

終わっちゃったのは
正直ちょいロスです。

+++

ですがこのドラマ、
一部に熱狂的なファンがいる他方
ドラマとしての評価は
実は必ずしもそこまで高くない気がします。

そして
それもわからなくもありません。


それはこのドラマの持つ
特殊性というか
現代性というか
奇跡性と

とても深く関わることなんじゃないかと
思っています。

なので、
今日は備忘録も兼ねて
『だが、情熱はある』という
ドラマの持つ特異性について
書いて行こうと思います。

【1)ドラマ『だが、情熱はある』概要】

『だが、情熱はある』は日本テレビの2023年春期の
日曜ドラマ。

オードリー若林正恭と、
南海キャンディーズ山里亮太の
若き日から、
彼らが芸人として成功し、
そして「たりないふたり」という
ユニットを組んで
一通りの成功を手にするまでの物語。

ほぼ実話といってもいいくらい
事実をベースに構成されているドラマです。

【2)特徴としての異常な再現性】

このドラマを観て、
山里亮太と若林正恭を知っている
誰もが最初にたまげるのは

二人を演じる
森本慎太郎と高橋海人の
憑依とも評される
激似演技です。

さらに第7回で放送された
南海キャンディーズ
2004年M1決勝ネタの
驚くべき完成度の高さ

マニアックなところでいうと
高校時代アメフト部だった
オードリーの二人のヘルメットが
若林・AIR社製
春日・Riddel社製
というような激細かなところまで
入念に取材して再現されているなど

これらの憑依演技や
小ネタとも言われているような
細部の再現性などについては
また後述もしますが、

とりあえず
これらはこのドラマの大きな特徴です。

【3)日本エンターテインメントの歴史と今】

さて、ここでは
いったん『だが、情熱はある』を離れて

戦後のエンターテインメントの流れと
昨今の風潮についてお話しましょう。

まず簡単に戦後のエンターテインメントを
振り返ってみましょう。

◉戦後:異次元のスターの時代〜力道山、石原裕次郎、美空ひばり〜

第二次世界大戦後、敗戦からの復興もままならなかった日本人の生活は厳しい中、力道山、石原裕次郎、美空ひばりなどのスーパースターが出てきました。
「銀幕のスター」という言葉が象徴するように、彼らは明らかに一般人とはかけ離れた異次元の世界の虚構のスターであり、荒廃した戦後の焼け野原からの復興の希望となっていました。

◉高度経済成長後:スターとしてのアイドルの時代〜山口百恵、松田聖子、お笑いBIG3〜

1960年代後半に入り、日本人の生活が向上してくると、日本人は自分たちはスターを求めながらも、異次元のスターではなく、同じ世界のスターを求めるようになりました。
この動きは1970年代の南沙織、天地真理などから始まり、山口百恵、ピンクレディーで一つの頂点を極め、そしてご存知松田聖子が完全な昭和アイドルの爛熟時代を作り上げたのです。
ちなみにお笑いでいうといわゆるBIG3と言われるタモリ、さんま、たけしはこの時代のカウンターとして生まれた化け物たち。

◉20世紀末:等身大グループと遊園地の舞台裏〜おニャン子クラブ、とんねるず、モーニング娘。〜

ところが1985年のプラザ合意以降円高が進み、日本人が自信をつけバブルに突入すると崇める対象としてのアイドルから、もっと身近な存在としてのアイドルの需要が高まりました。
それがオールナイトフジによる女子大生ブームにつながり、あのおニャン子クラブと連なっていくのです。
そして忘れてはいけないのがとんねるずの存在です。とんねるずの革新性の一つは番組制作の舞台裏を全部エンターテインメントとして暴露したことです。ここで「国民的スター」という虚構の消滅へのカウントダウンが始まります。

そしてバブルが弾けます。が、日本人はまだそこから「失われた30年」が始まるとは思ってもいません。
だから何となく元気はないものの、自信は完全には喪失していません。
その中、がんばっている普通の人達にシンパシーを抱いたのです。
その対象となったのがモーニング娘。に象徴されるグループアイドルでした。

◉2000年代:スター最後の輝きとM1グランプリ(SMAP、安室奈美恵、ダウンタウン)

時代は21世紀になります。
1995年にWindows95、
2000年にはWindows2000が発売され
街ではソフトバンクが無料で
ブロードバンドルーターを配っていました。

そうインターネット時代の幕開けです。

CDの売上は落ち、
そして前述のようにスターは
輝きにくくなっていきます。

その中、最後の国民的アイドルとして
圧倒的に輝いたのが
SMAPと安室奈美恵でした。

おそらく今後
世界で大ブレイクするグループが出ても
彼らを越える「国民的」感のある
人たちは出てこないでしょう。

そして2001年にもうひとつ
忘れてはいけないことが始まっています。
M1グランプリです。

1980年代からお笑いブームはあったのですが、
20世紀の間はお笑いといえば
基本的には道化と言うか
笑われる存在でした。

しかしこの頃からダウンタウンを始め
TV番組の司会者にお笑い芸人が増え、
そしてついに競技者となりました。

つまり一般人より下に入って
お笑いをとる存在から
一般人の上にいる面白い人になったのです。

◉平成末期〜令和:現実を魅せるから現実を見せるへ〜

2010年代になると
完全にインターネットの時代になり、
SNSの時代に入ります。
すべてがバレる時代になります。

それまでもリアリティーショーは流行っていましたが
「リアリティー」と言われるものでも
多分に「演出」と呼ばれる「ウソ」があることが
バレてきました。
(現在の『推しの子』では
 それをメタ視点で描くようにさえなっている)

そしてお笑い芸人が日本のエンターテインメントの
中心にいることによって
人々のテンプレ化したコミュ力の向上に
違和感を感じて生きづらさを感じる人も
増えていきました。

そうした中で
本当に「ウソ」が嫌われる時代になってきました。

これまでエンターテインメントの中心である
TV局の少なからぬ制作者の
「視聴者はこういうことをやれば喜ぶ」的な
上から目線が透けて見えてきたのも
原因かも知れません。

そして、むき出しの、
裸の本音、の時代になってきました。

【4)山里亮太と若林正恭】

山ちゃんと若林といえば、元々はそれぞれ
南海キャンディーズ、オードリーの
「じゃない方」芸人的な存在でした。

しかし今やふたりともトップクラスの芸人です。

二人に共通するのは
ラジオを通じて昇りつめていったこと。

自分の生きづらさ、コンプレックスを
包み隠さないのと同時に
絶妙の話術で芸に昇華して
共感と人気を得てきた人たちです。

山ちゃんは
「気持ち悪いキャラ」の頃から
自分のラジオでは
妬み嫉みを芸に昇華させながら
リスナーから「ボス」と呼ばれるほどの
人気を獲得していたし、

若林は世間とのズレ、
生きづらさを
トークの力で芸に昇華し
共感を得て、

さらにはノーガード(っぽい)戦法で
相手を裸にする天才です。


もちろん、
二人は単なる妬み芸、
生きづらい芸ではなく、

めちゃくちゃお笑いに対しても
真剣に向き合ってきたからこそ
M1などでも結果は出してきましが、

とはいえ、
裸のトークを芸として展開して
人気を得ているという意味では
極めて今日的な芸人でもあるわけです。

【5)高橋海人と森本慎太郎と戸塚純貴と富田望生と】

さてここでまた『だが、情熱はある』。

【2)】でも書きましたが、出演者の高橋海人(若林役)と森本慎太郎(山ちゃん役)の仕上がりが以上に高いのがこのドラマの特徴です。

さらにいうと春日役の戸塚純貴も、しずちゃん役の富田望生の完成度も尋常じゃありません。

これはもちろんそれぞれの役者が達者であり、メチャクチャ努力されたということもありますが、それだけではないはずです。

もし彼らが役者の内面から理解して演技に入っていくメソッド演技的なアプローチを取っているなら、ラジオ、エッセーと彼らの赤裸々な内面に接続する方法がたくさんあるのもその理由の一つだと思われます。

それに加えて、たくさんの映像資料もあります。

これまでも実在人物を演じてきた役者はたくさんいるでしょうが、当人との接点を外面的にも内面的にもこれだけ持って臨んだ役者はそうはいないと思います。

この接点の多さは、このドラマの大きなポイントです。

【6)小ネタ(内輪受け)のつるべ打ち】

さてこのドラマ、
実は視聴率的にはそこそこ苦戦しました。

元々日テレの「日曜ドラマ」は
視聴率の取れる枠ではありませんが、

それに加え、
「オードリーの若林と南海キャンディーズの
山ちゃんの自伝的ドラマ」と言われた時点で
視聴者の層は限られてしまい、
視聴率の天井は決まってしまいます。

もちろん制作サイドも
最初から理解していたはずです。

でもそれを無視して全力で作った感じが
ドラマには感じらました。

山ちゃんと若林に対する愛が
あふれすぎている感じが
随所に溢れかえっていました。

それは視聴者からすると
目配せ的な「小ネタ」となって
ドラマに現れます。

実在の人物が
役名を変えて色々でていたり、

若林を抜擢したラジオプロデューサー
本人が出演しているのもそうです。

ありとあらゆるところに
ラジオやエッセーから拾ってきたような
話がちりばめられてあり、

それどころか

実はM1グランプリの舞台裏に張られていた
香盤表は2004年に本当に使われていたものを
どこからか入手してプリントしたものだった、

などのように
視聴者の誰も気づくことのない小ネタさえ
入れているのです。
(先述のアメフトのヘルメットの話もそのレベルですね)

このように
異常なレベルまで徹底して
当時の再現にこだわっているのは
本当に凄いのですが、

同時にそのことをもって
オードリーや山ちゃんファンじゃないと
楽しめない内輪受けの要素が強い、
という批判も産んでしまったのも事実です。

それが最も顕著に出ているのは
最終回、第12話でしょう。

【7)最終回の評価】

最終回は、山ちゃんと若林の
二人の漫才ユニット「たりないふたり」の
解散ライブが中心に置かれていますが、
ドラマの物語的決着として地味といえば地味な内容でした。

しかしその代わりと言ってはなんですが、
小ネタの盛り込み方は半端ではありませんでした。

Creepy Nutsをモデルにしたかが屋が演じた
Kree Peanutsの渾身のパフォーマンスシーン

通常の場面に見切れるテーブルの上にある
春日の卓上日めくりカレンダーを
戸塚純喜バージョンでちゃんと
作り込んである、

そして極めつけは
山ちゃんと蒼井優の
結婚記者会見を報じるスポーツ新聞の
一面の写真に
ホンモノの蒼井優が出演していたなど
ほとんどお祭りです。

物語の進行がぬるく
代わりにこうした小ネタばかり
目につくことで
ドラマとしての『だが、情熱はある』を
低く評価した人がいたとしても
おかしくありません。

しかしこの最終回は実は
単に物語を進行させる以上の
凄いことをしているのです。

実はドラマの中で
山ちゃんと若林のドラマ
(つまり『だが、情熱はある』)が
制作されるという
超メタな話が出てきます。

しかもドラマの撮影の途中に
若林がカレーパンを差し入れに行ったという
一部ファンの間で話題になった
エピソードも入れ込まれています。

さらにいうと、
高橋海人が現在若林がやっている
番組を進行していたり、森本慎太郎が
山ちゃんのやっている情報番組を
進行している映像があったり、

高橋と森本が
若林(高橋)と山ちゃん(森本)に
挨拶しに行くシーンまである。

挙句の果てに、
ドラマの中で、
ドラマが終わった後の世界が
現実として描かれるのです。

これはどういうことでしょうか?

先程も述べた通り、
『だが、情熱はある』は、
作り込んだウソが嫌いな人が増えている時代に、
作り込まない裸の本音を芸に昇華させた
二人の芸人をモデルにして作られています。

だからドラマの中でも極力ウソをつかない。
それどころか、
ドラマと現実をどんどんクロスオーバーさせる
仕組みを仕掛けている。

よく山ちゃんが、
自分と森本の区別がつかなくなる、
とふざけて発言しているのですが、
実はそのクラクラ感こそが
制作の意図にあるはずだと
思うわけです。

VRで現実と虚構の境目が
曖昧になってきている時代に
テレビという虚構が

どこまで嘘をつかずに
現実とドラマを
クロスオーバーさせられるのか、

という挑戦こそが
この『だが、情熱はある』だったのだと
僕は解釈しています。

最初からドラマツルギーで
魅せようとは思っていないのです。

その証拠が
冒頭ナレーションにあります。

「しかし、断っておくが、
 友情物語ではない、
 サクセスストーリーでもない、
 そして……ほとんどの人において
 まったく参考にはならない」

そう、これはドラマの
カタストロフィを狙った
作品ではないのです。

ですが、代わりに
揺るがぬものが制作者の中に
あったはずです。

「だが、情熱はある」

【8)『だが、愛情はある』】

僕はその壮大なる実験は
奇跡的なレベルで成功したように
感じられました。

そのことに軽い興奮さえ覚えました。

しかし
先にも書いた通り
視聴率的には正直失敗といっても
おかしくないレベルでした。

では
『だが、情熱はある』は
失敗だったのでしょうか?

いや、違うでしょう。

少なくとも、
制作者と出演者の
尋常ならざる熱は、

視聴者に届き
カルト的な人気を得てきています。

そしてその破壊力を
裏付けるように
このドラマの関連公式Youtube動画の
再生総数が1億回を超え、
これまでの日テレのドラマの歴代1位の
8000万再生を大きく超えて
堂々の1位となっているのです。

情熱はかなりの
パワーを産んでいるのです。

++++

豊かになり価値観が多様化し、
インターネットが発達した現在、

国民的スターが存在しえなくなったのと同じ様に
国民的番組、というものの存在も
絶滅品種となっています。

バーっと広く視聴率を取って
広告費を集めるという
TVのビジネスモデルにも
限界が出てきています。

となると
DVDが売れるとか、

ロングテイル的に
配信で観られ続けるとか、

グッズなどの物販が売れるとか

イベント収益を上げる
などということが必要になってきます。

そうなったとき、
単に「展開的な面白さ」という
脳の脊髄反射に頼ったコンテンツよりも

こういったような
とにかく制作者に愛情のあり
狭くても深く刺さるコンテンツの方が

一点突破の可能性が
高いように思うのです。

おそらくこのドラマの
DVDボックスの売上は
そこそこ行くことに
なるのではないかと思っています。

そしてこのドラマが
ドラマの新しい地平を開く
可能性になるとも。

そんな、期待感を抱かせる
愛情と情熱に溢れた稀有なドラマでした。

これを作り上げた
関係者はみなメチャクチャかっこいいな
と本気で思います。



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