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知念村の旅

「知念村の旅」は、第41回新沖縄文学賞の最終選考作品です。沖縄タイムスの文化欄にて、「「おもいつき」の産物の域を出ていない」や「プロットが不鮮明」というご指摘を頂戴致しております(2016年1月28日月曜日 朝刊)。三人の選考委員による選評は以下の通りです。

「映画にロードムービーという手法があった。西原太郎「知念村の旅」は、映画のロードムービーを思い出させるような展開。ある日、思い付きで久高島を目指して歩き出す。次々と出会う人々。それはそれで、なかなかおもしろいのだが、作品もまた「おもいつき」の産物の域を出ていないところが残念であった。思い付きで歩き出した主人公の目に映るものを独自の言葉で徹底的にスケッチすれば、興味深い作品に仕上がったことだろう。」(中沢けい)
「「知念村の旅」(西原太郎)は、作者が作品世界を逍遥し、いろいろ発見するかのような書き方をし、実際の久高島を活写している。久高島から帰ったら急に喧嘩やどんちゃん騒ぎを始め、「大人の悪漢小説」風の人間ドラマになる。多彩な経歴の持ち主を配置し、主人公に人生勉強を強いる。主人公がどうなるのか、ヒヤヒヤ感があり、何となくユーモアもある。「元特攻隊」など深めたら意味が出そうな人物が少なからず登場する。一人一人が主人公になりそうな予感がする。厳選した人物と作者が格闘したらどうだろうか。」(又吉栄喜)
「「知念村の旅」(西原太郎)は、とりとめのない紀行文になってしまっているようだ。なによりもプロットが不鮮明で、人物造形の面白さとプロットが十分に噛み合わないところが残念である。作品の最後に注釈がいくつかあるが、これは作品の中で文章表現として昇華させることで読者に理解させるべきものだ。この書き手は、書き続けるとおもしろい世界が出てくるような気がする。」(山里勝己)

「知念村の旅」は、私が大学三回生の頃(2000年頃)に体験したことを、そのまま文章化したものです。より正確に言うと、「知念村の旅」というコンテンツは、21歳頃の私が、久高島周辺からの旅から自宅に帰ってきた直後にパソコンに向かっていっきに書き上げた作品です。これに今回、約16年の歳月を経て、新沖縄文学賞に応募するために、若干の加筆修正を施したものです。要するに、リサイクル作品です。その当時の私が、旅先で見聞きしたこと、その都度感じたこと考えたことが、時間の流れに沿って淡々と記述されているだけの紀行文に、「言葉足らずになっている箇所の補足」や「実名を偽名にする」等の修正を行ったものです。

プロットという言葉が、謎解きや山場を意味する言葉であるのならば、プロットは、この作品には確かに存在していません。旅先で見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたことを、ノートに殴り書きして記録したものが「知念村の旅」だからです。

この小説のようなものを、私は以前、ネット上に公開しておりました。利用していたサーバーが壊れるまで、約10年の間、公開していたと思います。友人達や、ネット上の通りすがりの人から「面白かった!」というコメントを頻繁にいただいていたため、「本当にこれは面白いのだろうか。プロの物書きにとっても、これは面白い読み物なのだろうか。」と疑問に思い、試しに今回、新沖縄文学賞に応募してみたのでした。「どうなるのだろう」という実験心からの応募だったので、最終選考まで残ったという連絡を沖縄タイムスの記者からいただけた時には、「なるほど!やっぱり「知念村の旅」は面白いのか!」と納得すると同時に、「もしかしたら新沖縄文学賞を受賞できるのかも!」と興奮致しました。

残念ながら、第41回新沖縄文学賞を受賞することはできなかったのですが、それは至極もっともなことだと思います。又吉栄喜さんが「ヒヤヒヤ感」という言葉で形容して下さったように、「知念村の旅」にあるのは臨場感です。これしか存在しておりません。これだけが最終選考にまで残ることができた、この作品の唯一の強みだったのだと思います。

その意味で、中沢けいさんによる「「おもいつき」の産物の域を出ていない」や、山里勝己さんによる「プロットが不鮮明」というご指摘は、的を射ています。まさに、このような特徴のある読み物が、私が書いた「知念村の旅」です。ドーナツを目の前にして、「穴が開いているね」と評価するがごとくの、新沖縄文学賞にふさわしい小説を吟味する審査委員の方々の真っ直ぐな鑑定力には、ただただ敬服するばかりです。

今後は、審査委員の方々から頂戴することのできた建設的な助言を生かして、「おもいつき」ではない、「プロット」の鮮明な作品を、意識して書いてみたいと考えています。

以下より、「知念村の旅」の始まりです。芥川賞作家・又吉栄喜さんが表現するところの「ヒヤヒヤ感」を、どうぞお楽しみ下さい。

知念村の旅

家のベランダから遠くにうっすらと見える島がある。久高島だ。今まで家から眺めるだけで、行ったことはなかった。思い切って行ってみることにした。

午前十時頃、家を出た。海岸に向かって丘からまっすぐに降りていく。私の家は運玉森という丘の近くにある。そのため、海岸沿いに出るには坂を下るような形になる。

さとうきび畑の中を突っ切って、329(1)に出た。与那原の海岸は埋め立て工事の最中であった。相変わらず臭う。昔から与那原の海は臭うことで有名だ。「マリンタウン計画」という名のもとに、埋め立て工事が行われているのだが、たとえ派手に埋め立てても、一般家庭や工場から排水が川に流れ続けているので、また汚れてくるのは目に見えている。マリンタウン計画。それでいいのか。

私の住んでいる西原町には温泉があるらしい。昨日読んでいた観光雑誌に「西原温泉」という名称が載っていたのだ。場所的にはこのあたりになるはずである。329沿いの歩道の脇に、地図の看板が立てられていたので眺めてみる。すると、すぐそばで交通整理をしていたおじさんが、物珍しげに近付いてきた。いつものように沖縄観光中のナイチャー(2)と思われたのだろう。ちょうど良いので、このおじさんに尋ねてみた。

「すいません。この近くに西原温泉ってありますか?」

「西原に温泉?聞いたことないなぁ」

私も聞いたことはなかった。

海岸沿いを歩き、かつて与那原港だった場所に着いた。今は埋め立てられてしまって昔の面影はない。しばらく歩くと臨時の与那原港があった。小さな船が並んでいる。麦わら帽子のおじさんが釣りをしていた。

「何か釣れますか」

「今、釣り始めた」

「何を狙っているんです」

「ガーラ」

二言三言話して、私はまた歩き始めた。

海岸沿いをひたすら歩く。与那原中学校の裏あたりから、次第に海の色が青くなっていく。

私は堤防を右手にして海岸を歩くことにした。フグの稚魚らしき魚が私に驚き、ヒュッと逃げていく。知念高校の裏に差し掛かる。海に面した学校はいいなと思う。

まだ少し臭いがあるが、海の透明度はかなり増したようだ。前方に身の丈程の草むらが見えてきた。ハブがいそうなので、海岸ではなく堤防側の道を歩くことにする。

某新聞の発行所近くに出た。大通りは景色がつまらないので歩きたくない。しかし、海岸沿いは袋小路が多い。仕方なく大通りを歩く。

途中、コンビニでオープラスという名の飲み物を買う。砂糖抜きのアクエリアスという印象。レモネードにも似ている。コンビニの裏通りを歩いていると、このあたりが馬天港の近くであることを思い出した。海岸沿いを目指して歩くと、あたりが港らしい雰囲気になってきた。

次の久高島行きの船は午後二時三十分発であった。まだ三時間もある。汗ばむTシャツを、チケット売り場の休憩所に置いてあった椅子にかける。着替えのTシャツを着てしばらく座っていると、一台の軽自動車が現れた。

中から出てきたのは赤い帽子を被ったおじさん。続いて髪の薄い男が出てきた。帽子のおじさんに私はなんとなく声をかけた。

「こんにちは」

「どこから来た?」

「西原から歩いて来ました」

「歩いて!はー!」

そうやって会話が始まった。

彼の名前は儀間守。久高島から船でやってくる友人を向かえに馬天港に来たのだという。私は自分が大学生であり、九州の大学から帰省中の身であることを話した。

「大学生か。何か資格は持っているのか」

「いいえ。あまり持っていません」

彼は資格の大切さを私に話して聞かせた。彼は、クレーン、大型車、二輪、司法書士などの免許を持っていると言う。昔は司法書士の仕事をしていたのだが、頭脳労働は疲れるので今はしていないとのこと。また、電化製品の部品を作る企業の代表取締役をしていたこともあるそうだ。

「東京に研修を受けに行くよう上司に言われたけど、都会が嫌いなのでそのまま辞表を出して辞めた」

「東京のどこに行く予定だったんですか?」

「池袋」

髪の薄い男が沖縄口で何やら話し掛けて来た。それに儀間さんが何やら答えている。私は沖縄口があまり分からないのでただただ聞いていた。話が終わると、また会話が始まった。

「久高島に行くのか?」

「はい。遠くから見たことはあったんですが、行ったことがないんです」

「そうだよ。近くにあるとかえって見えない」

なかなか穿ったことを言う。

「久高島の物は取ってきてはいけないよ。押されるよ」

「押されるってどういうことですか?」

「寝ている時に上から誰かに押さえ付けられるんだよ」

「はあ」

儀間さんはよく喋る。私はできるだけ多く話をしようと思い、自分のことや大学のことを話した。彼と一緒に車で来た髪の薄い男は後方のベンチで横になって寝ている。

「待っておけよ」

儀間さんはそう言うと車に乗ってどこかへ行ってしまった。しばらくすると、久米仙とコップ二つを持って帰ってきた。車から降り、顔中笑顔でこちらに歩いてくる。かくして、昼間から酒を飲むことになった。

彼はよほど私を気に入ってくれたらしく、しきりに私を誉める。

「いや、あんたはいい顔しているよ!いい青年だ。さっき挨拶をしてきた時からそう思っていたよ。嘘じゃないよ。あんたは誰からも好かれる…」

言われていて恥ずかしかった。何度もそう言うので段々どう反応したらいいのか分からなくなってくる。

「何か書くものない?」

彼は私が取り出したメモ帳に自分の住所と名前を書き、更に一筆書き添えた。

『九月十三日記入す。知念村◯◯番地 儀間守 宜しくお願い致します。私の家にも遊びに来て下さい。待っています』

「いつでも遊びにきなさい。土地は二百坪あるから広いし、畑にはたくさん野菜があるから御馳走してあげよう」

「あっ、ありがとうございます」

私も彼の手帳に自ら進んで自分の連絡先を書いた。

「年齢は関係ない関係ない。色々私に教えてください」

「はい。こちらこそ宜しくお願いします」

そして握手をした。私と儀間さんは友人の契りを交わすことになったのだ。

よく山川先生が「西原!お前と俺は十年しか違わないんだよ!分かる!?たった十年なんだよ!」と言っていたことを思い出す。年齢など気にせず、人は対等に付き合えるということだ。せっかく思い出したので、私は儀間さんに山川先生のことも話した。

「私の大学の先生も、儀間さんと同じように、年齢は関係ないと言ってました。日頃から先生は考えることが大切だと言っています。例えば、いくら性能の良いコンピューターがあったとしても、使わなければただの箱なんです」

「あいっ!いいこと言ってるよお!」

そう言って儀間さんは正座をした。

私は今回の久高島行きの旅でフィールドワークをしようとは考えていなかった。そこで、またの機会に儀間さんの生活にお邪魔させていただこうと思い、こう言った。

「儀間さんの仕事を、いつか手伝わせてくれませんか?」

儀間さんは、うん、うん、と頷きながら、首にかけていたネックレスを取り出し「十六金」と自慢げに言って微笑んだ。そのネックレスには蛇を模したような紋章が彫られており、呪文のような言葉が刻まれていた。私は一瞬凍り付いた。

大学に入学して間もない頃、私は某新興宗教団体に入ってしまったことがある。あの時の勧誘人もやたら私を誉めてきたものだ。ものの本によると、それは「讃美のシャワー」と呼ばれる勧誘手口なのだという。相手を褒めちぎり喜ばせて判断力を奪い、そして入信させるのだ。再び私は宗教の勧誘に引っ掛かってしまったのだろうか。

儀間さんは私を入信させようとしているのか。それとも純粋に友人として接してくれているだけなのか。

「…なんかの宗教団体のですか?」

「あ。うん。まあ。そんなもんだ。私は大里支部の事務局長をやっているんだ」

私は警戒し始めた。しかし、儀間さんは悪い人には見えない。

「大丈夫、人に自分の宗教を押し付けるなんてことは私はしないよ」

不安そうな私を見透かすように彼は言った。

その言葉を私は信じることにした。もしも、やっぱりただの勧誘だったのなら、連絡先を書いたページを破って去るのみだ。しかし、この際、新興宗教による勧誘のフィールドワークをしても面白いのではないか、とも一瞬思った。

ひとしきり儀間さんは私の顔を誉めた後、酔ってきたのか沖縄口で語りかけてきた。沖縄育ちであるにも関わらず、私はほとんど沖縄口を話せない。聞き取ることもあまりできない。何度も聞き返すと怒り出しそうな雰囲気なのでとりあえず頷いた。

「俺はあんたを家に招待して御馳走したいんだよ!チケットを明日に変えてもらえ!」

そう言ってしきりに私を家に連れていこうとする。

宗教の勧誘の可能性があったので、私は正直言って彼の家に行きたくなかった。人を勧誘する際に、御馳走をする新興宗教は多い。しかし、このまま関係を断ち切るのも勇気がいる。頭が混乱してきたので、私は当初の計画通りに、とにかく久高島に行くことにした。

明日何時頃ここに帰ってくるのかという儀間さんの質問にはっきり答えられない私は「とにかく明日必ずそちらに伺います」とのみ答えた。儀間さんは「う、うん」と頷き、分かったというように、右掌をちらと見せた。相当酔っているようだ。

「フィールドでは他人に不快感を与えぬよう礼儀正しくありたいものだ」と常々思いながら私は行動している。しかし、ややもするとただの八方美人になりかねない。やたら相手に気を使い、怒らせないように怒らせないようにとドキドキしている。相手の顔色を見過ぎだ。今回も私は「ノー!」と言えなかった。関係を切ってしまったほうが良かったのではないだろうか。

沖に向かって船着き場から徐々に離れていく船から、私は儀間さんに手を振った。腕組みをしてこちらを眺めていた儀間さんは、はっと私に気付くと、大きく手を振り返した。果たして彼は悪い人なのだろうか。それとも良い人なのだろうか。このような仕方で人を杓子定規に分類してしまうことは嫌いなのだが、新興宗教の勧誘を警戒する私は、どうしてもこのような思考を止めることができず、頭の中がちょっとしたパニック状態になっていた。とにかく、当初の目的通り、久高島へ行こう。逃げるようにして、船に乗り、五十分程で島に着いた。

久高島に着くと私は、近くにあった店に入り、島の地図を探した。しかし、地図は売られていなかった。店に向かう途中、船で乗り合わせたおじさんが「久高に行くなら釣りだよ。もう入れ食いだよ」と言っていたのを思い出す。目と鼻の先にありながら一度も行ったことがなかったので来てみただけだ。釣りをするつもりはないし、ユタやノロに会って話を聞こうとは考えていない。のんびりと島を回りたかった。

店の人に「地図はセンターに行けばあるかもよ」と言われ、センターと呼ばれる場所へ行ってみる。剥き出しのセメントの建物がセンターであった。そこには本島から渡ってきた工事のおじさん達が宿泊していた。入口にある靴箱の上にノートが数冊置かれている。感想ノートだ。久高島を訪れた観光客のコメントが載っている。久高島を褒めちぎる文章に溢れている。と、その中に、三月の人類学会で見かけた京都の大学の院生に関する文章があった。

「人類学者は野宿しません」

彼はこのセンターで飲み会があった時に、観光客の女子大生にこう言ったらしい。

この文章に私は少しカチンときた。

私はまがりなりにも大学で人類学ゼミに所属している。人に会ってお話をしたり、生活を共にしたりしなければならない。気負わずに久高島ではゆっくりとしたかったのだが、こんな文章を読んでしまったからには誰かの家に泊まらねばなるまい。あるのかないのか分からない人類学者魂が騒いでしまった。

何だか少し気負うことになってしまった。民宿にお金を出して泊まることが恥ずかしいことのように思われた。なんとか誰かの家に泊まれないだろうか。しかし、どうやって泊まろう?図々しいことを考えながら私は島を歩く。千五百円出せばセンターに泊まることができるらしい。センターは最後にとっておこう。とにかく人に会わねば。

道を歩いていると、向こうに三人のおばあ達が椅子に座ってくつろいでいるのが見えた。咄嗟に私は脇の道にそれて、そこにあった「小さな民芸館」という名の、無人の民芸店を覗いた。出会いをお粗末なものにして、相手に自分をつまらない者として印象付けてしまい、もしかしたら得られるかもしれないチャンスを、逃したくなかったのだ。少し時間を取って作戦を練ろうと思った。

「旅にマニュアルはない。旅は人間関係修行の場である」

山川先生の言葉を思い出しつつ、今の自分を俯瞰してみる。泊めてもらうことだけを考えて、泊めてくれる人のことを知ろうとしていないのではないか。額から汗が流れるような一瞬であった。とにかく人と話してみよう。

おばあ達に、おずおずとこんにちはと挨拶をする。おばあ達も快く答えてくれる。

「どこから来たの?」

「西原から来ました」

ここで会話が途切れたらまずい。何か言わねば。

「すいません。この近くに泊まるところはありませんか?」

「ああー。この道をまっすぐ行って右に西銘さんの民宿があるよ。ほらほら今、白い車が行くところ」

「あっ。はい。分かりました。ありがとうございます」

頭を下げて礼を言い、おばあ達から離れる。いきなり「泊めて」なんて言えない。しかし、もっと何か言いようはなかっただろうか。会話がすぐに終わってしまったことを後悔しつつ、民宿に歩いていく。

「民宿にしめ」の場所を確認し、しぶとくあちこちの小道を歩く。久高島は小さな島だ。歩いているといつのまにか海岸沿いに出る。岩の多い浜辺を歩いていると、遠くの岩の上に人影が見えた。近付いてみる。海人のようだ。そばに発泡スチロールの箱が置かれてある。

「こんにちは。何を取っているんですか?」

麦藁帽子のおじいは黙ったままだ。耳が遠いのだろうか。

「すいません。この箱覗いてもいいですか?」

微かにおじいが頷いた。私は箱の中を覗いてみた。箱の中にはアンボイナに似た貝が入っていた。

「この貝はなんて名前ですか?」

「でぃらじゃー…」

よく見ると、貝には鋭いナイフのような触手が付いている。こんな貝を私は一度も食べたことがない。

「こんな貝、初めて見ました。市場でこの貝を売るんですか?」

「…市場では売らない。料亭に持っていく」首を振りつつおじいは言う。

私はこの貝に興味を持った。おじいと仲良くなろうと思い、しきりに私は声を掛ける。ところが、おじいは聞こえているのかいないのか、なかなか返事をしてくれない。少し歩き、芝生らしき植物のまばらにはえる砂浜に、おじいは腰を下ろした。そして、海を眺め始めた。私はおじいの横に座ってしつこくあれこれ話し掛けた。

「今何時?」

おじいがいきなり聞いてきた。

「はい。えーと五時です」

「五時…」

そうつぶやくとおじいは歩き去っていこうとした。待ってくれおじい。その後を追い掛け、私は思い切ってお願いした。

「すいません。家に泊めてもらえないでしょうか」

「だめ」

おじいは首を振ってそう答え、のそのそとアダンの森へ消えていった。幾分ぶしつけで図々しすぎたかもしれない。

仕方なく私は浜辺から離れた。

浜辺でおじいと別れてからもう随分歩いた。しかし、なかなか人に出会えない。そうこうしているうちに、あたりが暗くなってきた。この時間帯だとそろそろ夕食の時間だ。今から誰かと知り合える確率は低い。お腹がすいてきた。何処かに食堂はないだろうか。久高島の船着き場近くの食堂に行ってみる。この島で唯一の食堂がそこなのだ。

店の外にある炊事場で髪の長い女性が大根を切っていた。

「すいません。食堂開いていますか?」

「すいません。もう終わっちゃったんですよ」

「はあ。終わってしまったんですか…」

店の女性は本土の人で、この食堂に住み込んでアルバイトをしているのだそうだ。旅人の気持ちが分かると言い、店の主人に頼んで、余った弁当を私に分け与えてくれた。沈んでいく夕日を眺めながら私は近くの公園でその弁当を平らげた。

最後の手段にとっておいたセンターに行ってみることにした。

センターに着く。そこにいた工事のおじさんにセンターに泊めて欲しいのだがと話してみる。しかし、おじさん達は「自分達はここに泊まっているだけだから分からない。区長さんに聞いてくれ」と言う。区長さんの家を探そう。売店のお姉さんに道を教えてもらい、指差してもらった方向に歩いていく。

久高小中学校の裏を歩いていると、後ろから足音が近付いてきた。小刻みな足音から子どもであることが分かる。それが、たーくー、だった。

「にーにーどこ行くのー?」

後ろを振り返った私にたーくーは話し掛けてきた。

「区長さんの家をさがしているの。区長さんのお家どこにあるか分かる?」

「分かるよー」

「教えてくれない?」

たーくーに区長さんの家まで案内してもらうことになった。たーくーは三歳の男の子だ。とても人懐こい。三歳にしては大柄だ。旅人を見つけてはちょっかいを出している久高島のナンパ師とみた。人見知りしないたーくーに人類学者の素質をみながら、私は彼とお喋りをしながらふらふらと歩いていった。

区長さんはお留守であった。たーくーはいつまでも私の後をついてくる。貸し自転車屋の前に差し掛かった時、小学生くらいの男の子がたーくーを連れ戻しにきた。たーくーの兄である。たーくーは自転車屋の子どもだったのだ。公園の前でたーくーと別れた後、私はこれからどうしたものかと、公園のベンチで横になった。もう夜だ。

蚊に噛まれつつ、野宿しようか民宿に行こうか、それとも今から家々を巡って宿を乞おうかずっと迷っていた。結局午後七時頃に「民宿にしめ」に駆け込んだ。野宿するには蚊が多く、今から誰かと知り合って宿を乞う気にもなれなかったからだ。 

「にしめ」のおばあは当然やってきた私に驚いて、「船が遅れたの?なんで今頃来たわけ?」と聞いてきた。私は公園で寝過ごしてしまったと嘘を付いた。なんとか素泊まりさせてくれることになった。「にしめ」には先客が一人いた。

先客の名は田森という。関東の大学で民俗学の非常勤講師をしている人であった。

ユタのお話をたっぷりと聞くことができた。最近のユタの中には、神や先祖の霊にだけでなく、宇宙人にも言及する人がいるのだという。ユタの語りも、時代によって変化しているようだ。このような変化と、従来の「ユタ」という概念との兼ね合いが気になる。宇宙人に言及するユタは、あくまで例外的なものとして扱われ、従来の「ユタ」のイメージや定義はそのまま存続してしまうのだろうか。「そもそも、どのような特徴を備えた存在を我々はユタと呼んでいるのか」という根源的な問いがここから提起できそうで非常に興味深かった。

なんと面白いことに田森さんは、私の大学に所属している民俗学者の信長先生のことを知っていた。さらに、二月にゼミ旅行で訪れた大分県の姫島で、私が出会ったフランス人ジャンヌのことも知っていた。島の踊りの見物客に紛れた金髪で色白の女性はひときわ目立っていた。

「院で一緒だったから飲んだことがあるよ。ジャンヌはフランス人ぽくない。そんなにきつくない」

「ははあ。綺麗な人だったということは覚えていますが…」

世の中は狭い。

その夜は生ビールと刺身を田森さんに奢ってもらった。刺身はシコシコして美味しかった。生ビールはよく冷えていた。島で唯一の食堂は夜になると唯一の飲み屋になる。私に弁当をくれたお姉さんがいた。食堂には工事のおじさん達も来ていた。かなり酔っぱらっている。

「えー!にーにー達、踊れ!」

私と田森さんはカチャーシーを要求された。言っているおじさんからして既に踊っているのだから踊らねばなるまい。私は食堂の入口で、おじさん達を見た時から、こうなるんじゃないかと予想していた。やっぱりなと思いながらそれでも真剣に踊る。おじさんに上手と誉められた。これも先月、石垣島へ行ったおかげである。私は石垣島の友人に教えられた通りに背筋を伸ばして踊った。午前零時頃に食堂を引き上げ民宿に帰ると、すぐに眠りについた。なぜかいっぱい蚊に噛まれた。

翌朝、田森さんに別れを告げ、たーくーの家に行き、自転車を借りて島を回った。とても小さな島だ。一時間もあれば十分回ることができる。

昨晩は寝床でうとうとしながら、波の音を聞いていた。島の幅は最長でも六百三十メートルぐらいしかないので、すぐ傍に海がある。一通り島を巡った後、自転車を返してぶらぶらしていると、再びたーくーに遭遇した。私の後をずっと付いてくる。

久高小中学校の向かいにある幼稚園の壁には、絵が描かれている。おそらく、この島の児童が製作したものだろう。様々な生き物が至る所に自由に描かれた、子どもらしい壁画だ。しかし、よくよく見てみると海の生き物についてはその描写がやけに細かい。イラブーやイカ、ウツボが生き生きと描かれている。

その中でもイカがひときわ私の目を引いた。立派だ。都会の子どもはこのように具体的には描けないであろう。それだけ魚が久高島では身近なのであろう。イカの絵の写真を撮っていると、「何をしているのですか?」と、後ろから声を掛けられた。振り向くと、男女の二人連れが立っていた。

声を掛けてきたのは男性のほうで、彼は本島にある介護施設で働く介護士だった。女性のほうは関東の大学で音楽療法を勉強している学生だった。二人はバンドを組んでおり、佐敷でライブ活動をしているのだという。

介護士の男性から介護の現場についてお話を聞く。彼によると体罰は時には必要なのだそうだ。他人の物を盗んだりすることについて、いくら「いけない」と口で諭しても、ちっとも態度を改めようとしない「知的身体障害者」がいたそうだ。ある日、介護士の男性が現行犯で彼に注意している時に、いきなり彼が介護士の男性の顔面を殴ってきた。介護士の男性はついに怒って殴り返したのだという。所長に呼び出されあわやクビかと覚悟を決めていると、「よくやった。あんたがやらなければいつか私がやっていた」と逆に誉められてしまったのだそうだ。

公園で三人で話していると、背の高い男性が船着場から歩いてきた。介護士の男性があっと声をあげた。背の高い男性は、おっと声をあげた。二人は知り合い同士なのだという。お互い偶然久高島で出会って驚いている。背の高い男性は琉大で人類学を専攻している大学生ということであった。彼も私と同じようにフィールドをさがしていた。人類学専攻の学生が卒業論文を書くには、どこかでフィールドワークを実施して、情報を集めなければならないのである。そこで私は、実家の近所に出没するおじさんの話をした。

そのおじさんは「いつも歩いていること」で有名だ。西原の池田ダム周辺に出没することが多いのだが、与那原や南風原や大里や那覇などの道路でも、のしのしと歩いている姿が目撃されている。足の筋肉が非常に発達しており、ふくらはぎがサッカーボールのように膨れている。その頑丈そうな足で、たいてい道路の真ん中を、いつも独りでひたすら歩いている。黒い麻袋のような服を着ており、体中日焼けして真っ黒であるため、遠くから見ると、とにかく黒くて目立つ。眉毛が顔から飛び出すほど勢いよく生えており、口がガハハと笑う寸前のような開き方をしているので、時代劇に登場する荒くれ侍のような風貌をしている。高校生の頃、世界史の図説で「屈原」という詩人の絵を見かけたことがあるが、それによく似た風貌をしている。私の家族は尊敬の意を込めて彼を「池田原人」と呼んでいた。私と私の家族の他にも、「池田原人」に畏敬の念を抱く者は多く、池田周辺でこの人物を知らない人はほぼいない。

「池田原人」のライフヒストリーをまとめてみてはどうだろう。私は琉大生にこのように提案した。案の定、彼も「池田原人」のことを知っていた。それだけこの地域では有名な人なのである。「池田原人」に話し掛け、彼と仲良くなり、彼の生きる世界を、文字にしてはどうか。そして、たとえば、宮本常一の『土佐源氏』のような卒業論文を書いてみてはどうか。『土佐源氏』とは、百姓に扮した民俗学者の宮本常一が、元ばくろうの老人から聞き出したライフヒストリーである。そこでは、夜這いや牛の取引、女性関係などの、老人が経験してきた様々な出来事が、饒舌かつ生き生きと語られる。とある個人がどのような人生を何を考えながら生きてきたのか。その個人の生きてきた過程を厚く記述し、唯一無二のその在り方を浮かび上がらせる。そのようにして、「池田原人」のライフヒストリーを、論文に書いてみてはどうか。むしろ時間があれば、自分がこのテーマに取り組みたいぐらいだ。私は「池田原人」について熱く語った。しかし、琉大生は苦笑いをしつつ、しきりに「ホームレスか…」とつぶやいていた。

公園で四人で話していると、田森さんが歩いてきた。暇なので公園のベンチに寝にきたのだという。簡単に五人で自己紹介をし合う。面白いことに、田森さんの出身大学は、音楽療法の女性の通う大学と同じであることが判明した。二人で大学周辺のローカルな話で盛り上がっている。世の中は本当に狭い。すると今度はプロレスラーのような大男が船着場から歩いてきた。

彼の名前は大島という。彼も介護士の男性の知り合いであった。そんなことではないかと最初から予測していたのだが、やっぱりそうであった。会ってしまう時は、どんな場所であっても会ってしまうものなのである。

大島さんは、那覇空港の管制官であった。沖縄本島における飛行機の飛び方について話してくれた。風が吹くと飛行機はそれに逆らうようにして飛ぶのだという。風向きによって航路を変えるのだ。管制官になる方法も教えてくれた。試験は絵を見せてどこに何があったかを答えさせる瞬間記憶力の問題や、頭の中で図形を回転させる空間移動の問題から成り立っており、このテストは東大生が十人受けても一人か二人しか合格しないぐらい癖があるのだそうだ。受験資格は二十九歳以下で裸眼視力が0・七以上、高卒でも大丈夫。一番大切なのは人間関係が構築できるかどうかなのだという。コミュニケーションをして情報交換をすることが管制官の仕事であるだけに、人見知りの激しい飛行機オタクは面接で落とすのだという。

介護士と音楽療法の女性と大島さんは島を回ってくると言って、自転車に乗って行ってしまった。私と琉大生と森田さんが残った。するとそこに丸坊主の青年が現れた。

「あのー。すいません。泊まる場所を教えてくれませんか?」

そう聞いてくる彼に、私はどこか落ち着きのなさを感じた。今朝、那覇空港に降り立ち、今、久高島にいるらしい。お金を節約したいらしく、昨日の私と同じように、誰かの家に泊めてもらおうと考えているようだ。なかなか去ろうとせず、しきりに何かを求めている。私は夜の食堂で誰かと仲良くなって家に泊めてもらうという作戦を提案した。彼は東京でフリーターをしているのだという。少ない休みを利用して沖縄に来たのに、想像していたよりも沖縄の人間が冷たいのでショックを受けていた。

無理もない話だと私は思った。沖縄にも様々な人がいる。優しい人もいれば、そうでない人もいる。沖縄に住む人間を「沖縄の人間」として一括りにできるわけがないのだ。

雨が降ってきたので、田森さんは洗濯物を取り込むために民宿へ去っていった。本島行きの船が出る時刻になったので、私と琉大生は丸坊主の青年をおいて港に向かった。

馬天港に着くと、私は琉大生に別れを告げ、しばらく佐敷方面に歩いた。

船の中でも私は琉大生に「池田原人」について卒業論文を書くことを勧めていたのだが、琉大生は「ホームレス」を毛嫌いしているらしく、相変わらず何度も「ホームレスねえ…」とつぶやいていた。このような態度は根本的に間違っていると私は思う。そもそも私は「ホームレス」という言葉を一度も使っていない。終始、「池田原人」という言葉を用いて、私は「池田原人」に言及していた。それに、「池田原人」は「池田原人」であり、「ホームレス」という存在では決してない。にも関わらず、この琉大生は、「ホームレス」というレッテルを「池田原人」に勝手に貼り、その在り方を一方的に理解しているように思えた。この、船の中で覚えた違和感を反芻しながら、私は佐敷方面を歩いていた。

正直、儀間さんの家に行くべきか否かで私は迷っていた。宗教がらみでなければいいのだが、迂闊にも住所と連絡先を教えてしまった。ややナイーブすぎる行動であった。このまま家に帰ってしまおうか。

結局私はバスに乗り知念村役場前で降りた。三百八十円だった。バスから降りて思った。私は儀間さんのことをよく知らない。にも関わらず、「新興宗教の信者」というレッテルを貼って、彼の在り方を理解した気になっている。これでは、先程の琉大生と同じではないか。とにかく、儀間さんにもう一度会おう。

教えてもらった住所をたよりに儀間さんの家をさがす。人に道を聞き聞きやっと見つけた。入口に長い階段がある家に儀間さんはいた。

儀間さんは玄関前に置いたテーブルで何人かの男達と酒を飲んでいた。皆沖縄口で話している。丸いテーブルを囲んで比嘉さん、花城さん、親川さん、大城さん、儀間さんが座っていた。

「おー!よく来た!よく来た!」

儀間さんは嬉しそうに言い、続けて、「貴重品は自分で持って。鞄は家の中に置いておきなさい」と言った。なぜ鞄を家の中に置かねばならないのだろう。私は「え?」と言って考えてしまった。

「取らんから!置いておきなさい。心配ない。全然心配ない」

私は警戒しつつ財布と眼鏡を抜き取り、鞄を玄関入ってすぐそばの畳の上に置いた。部屋は狭く、散らかっていた。食べかけのカップラーメンやゴミくずが散乱している。

「どこから来た?」

席に戻った私に比嘉さんが聞いてきた。初めて儀間さんと馬天港で会った時に、後ろで寝ていた髪の薄い男である。

「そんな大きなリュックをしょって、伝導ですか?」

リーゼント頭の大城さんが、からかうように聞いてきた。

一通り自己紹介をした後、私は黙っておじさん達の話を聞いていた。沖縄口がほとんど分からないのだ。たまに知っている単語が出るくらい。比嘉さんが聞いてきた。

「お前、言っていること分かるか?」

「いいえ。ちょっとしか分かりません」

「今はな、この人がな…」

比嘉さんが通訳をしてくれる。皆の話はどうやら下ネタに移行したらしい。なんとなく雰囲気で分かる。「ホーミー」という単語が聞こえた。突然比嘉さんが聞いてきた。

「お前、女は好きか?」

「はい好きです」

驚いた顔をして比嘉さん、何事かを隣の人に話し始めた。そしてまた聞いてきた。

「Hしたことあるか?」

「はい」

一瞬どよめくと、男達は何事かを沖縄口で話し始めた。比嘉さんが振り向いた。

「西原君。ピンクサロンへ行こう!」

「はい」とはすぐに言えなかった。すると、「いや、無理して行くことはないんだけどよ」と比嘉さんは言う。

「いえ。あのお金がないんで…」と私が言うと「大丈夫。奢りだから。行こう」と今度は大城さんが誘う。仕方なく行くことにした。これも勉強だと自分に言い聞かせて。しかし実は嬉しかった。

親川さんの運転する車で佐敷へ向かう。助手席に大城さん。私は後ろに座った。不思議なことに全然緊張しない。妙に落ち着いている。

「皆さんはいつもあのように集まってお酒を飲んでいるんですか?」

「ああ。そうだ」

「付き合いが長そうですね」

「昔から一緒だからな。いうなれば俺達は悪友だな」

親川さんが言う。知念村で昔から彼らは一緒に助け合って生きてきたようだ。

佐敷の新開近くの食堂に着いた。全然ピンクサロンではない。裏口から中へ入るとおばさんが三人いた。

「お金のことは気にしないでいいからね。心配ないよ」

大城さんが言う。

おじさん二人とナイチャーっぽい青年が飲み屋でスクをつまむ。

「お前、スクの正式名知っているか?」

親川さんが聞いてきた。私は知らなかった。

「アイゴって言うんだ」

「へー」

スクというのは小魚のことで醤油をかけて生で食べると旨い。生ビールが運ばれてきた。

「遠慮なく飲んで」

大城さんのお言葉に甘えて飲む。この人は一体何者なのだろう。私は聞いてみることにした。

「大城さんは何をしていらっしゃるのですか?」

すると、いきなり大城さんはシャツのボタンを外し始めた。そして腹を指差した。みぞおちから臍の下にかけて縦に傷口が走っている。

「私はね。今は静養中。大きな声では言えんが、急性進行ガン、急性進行ガンで胃を全部摘出したんだよ」

「ええ?!それじゃあ今はどうなってるんですか?」

「それがね西原君。人間の体は不思議なもので、小腸をMの字型にして胃の代わりにしているんだよ」

「ははあ…」

「私がね。急性進行ガンだと分かって、仕事を続けられなくなった時、息子達が『お父さん。僕達が働くから心配いらないからねぇ。大丈夫だからねぇって言ってくれたんだよ。私はとても嬉しくてねぇ!」

そこまで言うと大城さんは泣き出してしまった。私は大の大人が泣いている姿を見て驚いてしまった。

「いや。いい息子達を持ったと私は思っているよ…」

俯きながら大城さんが言う。

なんだかとても暖かいものを見せつけられた私は感動しながらスクをひたすらつまんでいた。

「儀間を信用しちゃいけないよ」

いきなり大城さんが言った。真顔である。

確かに、簡単に人を信用してはいけないと私も思っている。しかし、やっぱり人を信じたいので、半ば無理矢理に人を信じようとしている。迷惑を被るのは私なのだから問題はない。ただ私の家族に迷惑がかからないで欲しい。

「お前は騙されてんだよ。あいつは嘘つきだ」

親川さんが吐きすてるように言った。

「あいつの家よりも大城さんの家に泊めてもらいなさい」

仁王さんのような顔をさらにきつくして親川さんが言う。よく見ると親川さんの唇には傷があった。上唇の中央が痛々しく血で滲んでいる。

突然、私の向かいに座っていた大城さんが泣き出した。お腹が痛いらしい。本当はお酒を飲んではいけない体なのだ。無理をすると腰に激痛が走りとても辛いらしい。それが今起こったのだ。本当に痛そうだ。顔を歪めウンウンと唸っている。

「スクを食べるからだよ!」

親川さんが怒鳴るように言った。鱗のない魚は腹痛を引き起こすらしい。本当なのだろうか。

腹痛を起こし苦しんでいる大城さんに向かって、カウンターにいた黄色い服のおじいが沖縄口で何か言った。すると、大城さんは「ぬー!?たちくるさりんどー!」(3)と怒鳴り、拳を握って立ち上がった。

「あびらんけー!」(4)

親川さんが大城さんを宥める。私は黄色い服のおじいが何を言ったのか分からなかった。しかし、大城さんを嘲笑していることだけは分かった。私はおじいを睨みつけた。

大城さんが背中を指圧してくれと頼んできた。店のおばさん達よりも私の方が力は強い。おばさんに代わって私が大城さんの背中を指圧する。

「西原君!ありがとうねぇ…」

大城さんがくしゃくしゃの顔で言った。私はいいえと答えた。

大城さんの二人の息子さん達が車で迎えに来た。

「おとう。いいかげんにしないと」

長男の真治さんと次男の元さんに抱えられるようにして、大城さんは帰っていった。私と親川さんが残された。黄色い服のおじいはいつのまにかいなくなっていた。

「お前!何か歌え!」

場の雰囲気を気にしたのか、親川さんが私に怒鳴る。こんな時に歌なんか歌えるか。そう思いつつも、私はおばさんからマイクを受け取り、てぃんさぐぬ花を歌った。

「お前!うまいな!」

親川さんに誉められた。しかし、あまり嬉しくない。席に座るとおばさんが私の前に来てこう言った。

「大城さんはほんとにいい人なの。今どきああいう人はいないよ」

大城さんを誉めている。私にもそれは分かる気がした。

カラオケの後、「お前、泊まるとこあるのか?」と親川さんに聞かれた。「ないです」と答えると、「だったら、俺の車で寝ろ」と言われた。というわけで、その日は、親川さんの車で寝ることになった。そして、明日の朝は知念漁港の競りに連れていってもらえることになった。彼の被っていた「大漁」ロゴ入りの青い帽子が、漁港で働くと貰えるのだという。

ひとまず、親川さんは大城さんの家に向かうと言う。心配なのであろう。いつしか、雨が降り出した。沖縄でよくある突然の大雨である。しかし、雨にも負けず、酔っぱらっていることも少しも気にせず、親川さんは車を運転する。車はフラフラと夜の道を走る。何度も何度も反対車線に寄っていき、地面に備え付けてある障害物に当たってはガンガンガンガンと音をたてる。いつ事故を起こすか分からない。私は助手席から手を伸ばし、車が段々右に傾いてくると、ハンドルを左回りに引っ張った。

「お前は触るな!事故起こすよ!」

親川さんは怒鳴る。しかし、説得力がない。

しばらくフラフラ走った後、車はとある駐車場に入った。

「お前がいるからな。事故起こしそうだから少し休む」

そう言って車のクーラーを全開にすると親川さんは座席を倒し、いびきをかいて寝てしまった。一応、「飲酒運転は危険」とは思っているようだ。私も助手席で小さくなって寝ようとした。親川さんが寝返りをうった。泥の付いたゴム長靴が車内の至る所にべったりと泥をつける。私はもうどうでもいいような気がした。

結局、大城さんの家の前に着いたのは午前三時頃であった。到着後、再び私と親川さんは車の中で寝直した。

午前六時頃に、私は自然に目を覚ました。車を降りた私は、車の後方のガラスがないことに気付いた。誰かに割られたのだろうか。それとも事故を起こしてどこかにぶつけたのだろうか。一体、親川さんはどのような生活を送っているのだろう。

ひとまず私は、自分の鞄を取るために、儀間さんの家に向かった。玄関には鍵がかかっていた。仕方なく私は石段を下りて車に戻る。儀間さんの家の向かいは大城さんの家だ。まだ朝の早い時間なので誰の気配もしない。親川さんが起き出してきた。

「俺は朝いつもこれを聞くんだ」

親川さんはAMラジオをオンにした。沖縄民謡が流れてきた。民謡を聞きながら私達は知念漁港へ向かった。

競りは午前九時から始まる。それまで大分時間がある。車には昨日の泥があちこちについていた。

「格好悪いな。おい西原。車洗え」

寝不足と、新鮮な体験をしていることからくる興奮がごっちゃになっていたので、私は何を考えることもなく、漁港内のホースを使って無心に車を洗った。ちっとも緊張していなかった。

やがて、漁から帰ってきた漁船が陸揚げを始めた。次々に運び出される本マグロに私はただただ驚いた。とにかくでかい。黒光りするマグロ達はどれも一メートルをゆうに超えている。重さも二十キロ以上はある。

「沖縄のマグロはあまり美味しくない。寒いところで取れたのが一番美味しい」

「そうなんですか…」

「それにな。丸っこい奴が美味しい。ほら。ああいうやつ」

親川さんはプリッと丸みを帯びたマグロを指差した。

私もマグロの運搬を手伝った。マグロの尻尾を右手の人差し指と中指で挟み込み、口のあたりに左手を添える。そして、抱きかかえるようにして漁港の大広間に運んでいく。重い。しかし、とても良い運動だ。わざわざ筋トレなんかしなくとも、勝手に筋肉がついていくに違いない。海人を羨ましく思った。

マグロを眺める私の横で、親川さんが解説をしてくれる。沖縄では本マグロの頭の部分を捨ててしまう。本土では本マグロの頭は一万円で売れるというのに、なぜか沖縄では売れないのだという。利用方法は多い。使いやすい形に加工し、魚の餌として釣り人に売ることができるし、食料として自分で食べることもできる。本マグロの頭には目や肝といった栄養価の高い部分が含まれている。冬瓜と一緒に茹でて味噌汁にして食べると旨い。

知り合いと思しき人に親川さんは話し掛け、マグロの頭とナタを持って戻ってきた。そして、おもむろにマグロの頭をナタで解体し始めた。私は思い切って「自分にやらせて下さい」と頼み込んだ。 

「おっ!?お前がやるか!?よし!」

嬉しそうに言うと、親川さんは解体の手順を教えてくれた。簡単そうにマグロの頭を解体していたように見えたのだがこれがなかなか難しい。狙ったところにうまくナタが入らない。

「お前大学生だろ!もっとサッサしないか!」

「魚は生ものだ!トロトロするんじゃない!」

「お前本当に大学生か!頭悪いな!」

モタモタやっている私に親川さんの檄が飛ぶ。

「はいっ!」「はいっ!」「はいーっ!」

ただただ頷き、私はマグロ解体に集中した。

作業は絶えず手を洗いながら、魚を洗いながら行う。ホースから大量に水が流れ出てくるのでそれを利用する。魚の表面はぬるぬるしている。すべるとあぶないので、そのぬめりを絶えず洗い流すのだ。魚を押さえる手にはめるよう、親川さんが軍手を貸してくれた。解体作業に苦戦している私に、近くで作業していたおばあが声を掛けてきた。

「はじめは難しいさあー。だんだんできるようになるよ」

解体されたマグロの頭はビニールに詰められ、クーラーボックスで冷凍される。本マグロの解体は危険な作業だが面白い。大工仕事のようだ。

競りでは、シーラ、ダツ、サメ、カニなどが取引されていた。

「何とか今日中にカニ仕入れなきゃ駄目なんだよ!」

髪の青い長身の男が仲間とおぼしき男達数名をせき立てている。

「四百!」

「四百五十!」

「五百!」

威勢の良い掛け声とともに、次々に魚の値段が決まっていく。魚には重さが記された紙が貼られている。「四百!」とかいうのは一キロあたりの値段だ。だから二十キロの本マグロだと二十×四百=八千円ということになる。私は競りの集団に終始付いて回っていたが、なかなか数字を聞き取ることができなかった。早口ですぐに次の魚へ移動してしまう。

この日、魚を競り落とすためのお金を、午前七時頃に佐敷の琉球銀行へ下ろしに行ったのだが、九月十五日は敬老の日だったので銀行は閉まっていた。祝日の銀行は午前八時四十五分からしか開かない。競りは九時から始まる。銀行が開くまで待っていると競りに間に合わない。

「これだから沖縄の銀行はだめなんだ!」

親川さんが吐き捨てるように言う。

「西原。今いくら持ってる」

「…二千円ぐらいです」

「その二千円貸してくれ。明日倍にして返してやる!」

私は有り金を全部親川さんに渡した。返してくれるだろうという自信はあった。

その二千円を使って親川さんは、ざる一杯の小魚を仕入れた。そして傍らにいたおばさんと話をした後、こちらに戻ってきた。仕入れた魚を今から魚屋なり料亭なりに売りに行くのだろうと私は思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。仕入れた魚は先程のおばさんが売ってくるのだという。二千円で仕入れた魚は漁業組合員である親川さんを介して行商のおばさんに渡り、五千円ぐらいで売られるのだそうだ。稼いだお金のうち、二千円はおばさんの取り分となり、あとの三千円が親川さんの取り分となる。あれれ儲けは千円か。貸した二千円に千円足りない。大丈夫なのだろうか。しかし、「明日にならないとお金は返せない」と親川さんが言うので、私はとにかくそれで納得することにした。

働いてはいるが、親川さんには家がない。親川さんは車で生活している。常に酒を飲みながら車を運転する。とても恐い。信じられない。「いつか捕まりますよ」と私が言うと、「俺はな!もう何度も捕まっているんだよ!だから与那原署の巡査なんか顔馴染みなんだよ!注意されても何度も何度もまた捕まるから「また親川か!」って言われるだけだ!」と自慢げに言う。そういう親川さんの運転免許は、そもそも更新が切れているのであった。さすがにそれはまずいのではないか。しかし大丈夫なのだという。どうして大丈夫なのだろう。

魚を仕入れた後、私達は大城さんの家へ戻った。お世話になっているお礼として、親川さんは仕入れた魚の一部を大城さんにいつも持って行くのだという。

大城さんは元気そうであった。親川さんから本マグロの頭を受け取ると「ちょっと待っててねぇ、今料理するからねぇ」と言って、台所で料理をし始めた。親川さんは縁側に座った。私は、預けていた鞄を取り戻すべく、儀間さんの家へ向かった。

儀間さんは玄関の前で椅子に腰掛けていた。彼は昨日私が戻ってこないのを心配して、私の実家に電話をしたのだそうだ。私を見ると驚いた顔をしてこう言った。

「どこに行ってた」

「知念漁港に行っていました」

「あいつらと仲良くするな。あいつらは嘘つきだよ。大変なことになるよ」

いきなり会って言う言葉だろうか。私は儀間さんの言葉にムカッときた。

ここへ来てからというもの、私は二つのグループの合間で揺れ動いている。お互い「あいつらは信用するな」と言い合っているのだ。私はどちらを信じればいいのだろう。勇気を出して儀間さんに聞いてみた。

「あちらもあなたを嘘つき呼ばわりしてますよ。これは一体どういうことなんですか?」

「誰が!?誰が言っていた。そんなことを。誰が!?」

儀間さんは声を荒らげ私に聞いてくる。面倒になったので「大城さんのところに行ってみんなで話しましょう。さあ!」と私は儀間さんの手を掴み、大城さんの家に連れていった。

「誰が嘘つきって言ったかー!」

「俺だ!」

私は庭に置いてあったソファに座り、儀間さんと親川さんのやり取りを聞いていた。ここには二つのグループがある。一方は大城さんと親川さん。もう一方は儀間さんと比嘉さんと花城さんだ。ただし、比嘉さんはどちらかと言うとコウモリのような存在である。どっちつかずの、ゲゲゲの鬼太郎のねずみ男のような存在だ。

お互いに影で文句を言っていながら、なぜか一緒に酒を飲む。私はこれが理解できない。

「お互いにいがみ合って嫌っているのにどうして一緒にいるんですか。おかしいです! 大城さんもなぜ儀間さんを切らないんですか。嫌いなら仲良くすることはないです!」

大城さんが腕を組みながら言った。

「うん。君の言うことは正論だよ。しかし、私にはそれはできない。」

「嘘つきはお前だろ?!誰が嘘つきってー?!」

「うるせー!お前だ!」

私と大城さんの横で、二人の男が大声をあげている。

バトルである。親川さん対儀間さん。お互いに嘘つき呼ばわりして一歩も引かない。一体どちらが嘘つきなのか。私は馬天港で儀間さんと会った時に、彼が司法書士の免許を持っていると言っていたことを思い出した。

「儀間さん。儀間さんは本当に司法書士の免許を持っているんですか?」

「持ってるよー!持ってこようか!?」

「持ってこい!嘘つきめ!」

私は儀間さんの言葉を信じることにした。家が向かいにあるのにこんなセリフは言えまい。儀間さんは席を立ち、しばらくして戻ってきた。そして私に一枚の紙切れを手渡した。それには次のように書いてあった。

『この人は大変な人です。信用してはなりません。嘘つきです』

私はいっきに儀間さんが嫌いになった。しかし、その紙を見て怒りだしたのは今まで黙って話を聞いていた大城さんだった。

「えー!儀間!お前は!君を信用してここまで訪ねてきた純真な西原君にこんな紙を渡して恥ずかしくないのか!」

「………」

儀間さんは黙っている。大城さんの大喝に周囲は沈黙している。「純真な西原君」という下りにはやや赤面したが、もっともだと私は思った。口で言えばいいものを、相手に対する悪口をわざわざ紙に書いて他人に渡すなんて、かなりいやらしい。かえって信用をなくす。第一それを目の前でやるな。私は儀間さんを信じられなくなった。それよりも多少無茶苦茶だがちゃんと働いている親川さんに付いて行って勉強しようと思った。

「お前だって盗人だろ!」

「いつ俺がものを盗んだ!」

親川さんが儀間さんに泥棒呼ばわりされ始めた。儀間さんによれば、親川さんは本土の飯場にいた頃、同僚の給料を奪って沖縄に逃げてきたのだという。

「違う!あの時俺は我那覇組にいた!」

だんだん話が分からなくなってきた。しかし、この二人は以前から同じようにして喧嘩を繰り広げてきたことが伺える。しばらく言い争った後、親川さんが「証拠品」として我那覇組のロゴの入った白い作業服を車から探し出してきて儀間さんに突き付けた。それを受け取った儀間さんはうーんと呻き、「あい…。だーるやっさー」(5)と言った。

「だろ!?儀間!これで分かっただろ!」

「…わんが悪かった」(6)

どうやら仲直りしたらしい。

その後、私と親川さんは商売をしに玉城村へ向かった。

道路に立っている交通整理のおじさん達に、手を挙げて挨拶をするよう、親川さんは私に促す。私は言われた通り、すれ違いざまにおじさん達に手を挙げた。おじさん達も手を挙げて応えてくれる。

「嬉しいんだよ。こうすると」

親川さんはそう言って笑った。

仕入れた魚の中にはウツボがあった。これをある人物に売りに行くという。途中、親川さんは車を止めて、売店でバニラアイスクリームを買ってきてくれた。棒状の、沖縄でしか売っていない五十円のバニラアイスクリーム。私も小さい頃よく買って食べたものだ。

「俺はいつもこれだ!本土にはないものだ。食べなさい」

「ありがとうございます」

アイスを頬張った二人を乗せ、車は海岸沿いを走っていく。

消防署近くの路地に入り、ある家の前に止まる。親川さんが勝手口から声を掛けると、中からおばあが出てきた。ウツボは千円で売れた。しばらくすると、家から青い作業服を着たおじいが出てきた。彼の名は具志堅という。七十一歳だ。私は後部座席に移り、具志堅さんが助手席に座った。これから公園に向かうと言う。その公園には玉城一体を仕切っている男がおり、これからその男に本マグロをお裾分けに行くのだという。

「西原。お前は俺のことをやつらの前では親父と呼べよ。そしたら手を出せないから」

「…はい」

大変なことになってきたようだ。しかし別に恐くはない。まるでドラマみたいな状況を私は楽しみ始めていた。

公園の隅の草むらに宮平さんはいた。親川さんと同じく、車の生活をしていた。サラ金から身を隠しているという。サングラスをかけ、ビーチでよく見掛ける白いデッキチェアで横になっている。傍らには小さな子犬がいた。

宮平さんと親川さん、そして私と具志堅さんの四人は、公園の休憩所で料理を始めた。

今朝仕入れた本マグロの頭と、具志堅さんの畑で取れた冬瓜を一緒に茹でて、味噌を付け足す。カセットコンロの火は弱く、沸騰するまで時間がかかったが、次第に油のような模様が表面に浮いてきた。おそらく、本マグロの頭から出ているのであろう。

「西原君。食べなさい」

どこからかお椀を取り出して、親川さんが冬瓜の味噌汁をついでくれた。旨い。出し汁が非常に旨い。コクがあるとはこのことを言うのであろう。また、肝がレバーのように美味であった。

「肝を食べるとね。精力がついて立ちっぱなしになるぞ。わっはっは!」

親川さんが笑う。

宮平さんは、とあるレストランの元料理人であった。ポンという名の子犬を連れた野外生活は二ヶ月目に突入したのだという。

「仕事の仲間よりも地元の悪友達の方がよくしてくれるよ。酒とか食い物とか持ってきてくれるし」

そう言って宮平さんはポンの頭を撫でる。

具志堅さんというおじいは元特攻隊員であった。出撃直前に、肝臓かどこかを悪くして死なずにすんだのだという。ブラジル人の女性を沖縄に呼び寄せ、今でも彼女と一緒に年金で暮らしている。先程見たおばあがブラジル人とは全く気付かなかった。沖縄の人にしか見えなかった。具志堅さんはしきりに自衛隊の話をする。それもそのはず、彼の二人の息子さんは両方とも自衛隊員なのであった。

真っ昼間からの冬瓜の味噌汁を囲んでの怪しい宴は、公園に人が増えてきたため、トイレの裏へ場所移動となった。

「世間体というものがあるしね…」

宮平さんが言う。この人達は無茶苦茶する割には、周囲に結構気を使っている。

それにしても彼らはよく酒を飲む。毎日朝から晩まで酒を飲んでいる。それでいて車を運転するのだ。危ない。左右にフラフラしつつ走るのが常だ。しかし、そのくせ事故は起こさない。後方に車があると、道路の脇に車を止め、先に行かせる。ちゃんと考えている。酒を飲んだ時の車の運転法が確立されている。とは言うものの、酒を飲んだらそもそも運転はしないで欲しい。

助手席で水割りを作りながら私はかなり迷っていた。このままだと私は捕まってしまうのではないか。懲りずに私はまた言った。

「親川さん。こんなことばかりしていると、本当にいつか捕まりますよ」

「大丈夫!俺はもう何回も捕まっているから与那原署の巡査と顔なじみなんだよ!捕まっても「またお前か!」って言われるだけだ」

一体何が大丈夫なのであろう。その時はなるほどと納得した私だが、今となっては絶対嘘だ。何度も飲酒運転を繰り返せば、いつか免許を剥奪されてしまうに違いない。待てよ。親川さんは既に無免許なのだったっけ。もういいや。

雨が降ってきたので、四人は車に乗り、大城さんの家に向かった。その間、私は助手席でお酒を作っていた。燃費を良くするために、車は坂道にさしかかると道路の中央を走る。

「これが浪速走行や!」

親川さんが豪語する。対向車が猛スピードで走って来たらどうすんねん、などという突っ込みは、この人にはきかないんだろうなと思いつつ、私は助手席で黙々と酒を作る。

タクシー代を払わない某指定暴力団の組員と喧嘩したことが原因で、大阪から沖縄にしぶしぶ帰ってきた親川さんにとって、恐いものは何もないのであろう。親川さんの唇の傷は、つい最近、数名の男達と海で喧嘩した際に、靴で蹴られてできた傷なのだそうだ。喧嘩が好きなのだろうか。親川さんは気性が荒く、恐ろしい顔をしているが、元タクシー運転手というだけあって、確かに運転はうまい。無理をせず、非常に安定した運転をする。問題は、常にお酒を片手にハンドルを握っている点だ。

途中、様々なお店に立ち寄る。親川さんには知り合いが多い。助手席に座っていた私は「あんた久高の人ねぇ?これ食べなさい」と様々な食べ物をいただいた。このネットワークは何であろう。久高島出身者のネットワークなのだろうか。

そろそろお金が貯まった頃ではないかと思い、私は親川さんに切り出してみた。

「親川さん。今日貸した二千円返せますか?」

「待て。明日にならんと分からん。明日には一万円にして返してやる!」

大城さんの家に着いた。

大城さんの家に着いたのは夕方頃だったと思う。私を含め、人が増えたので、大城さんが庭に絨毯を敷いた。その上に、私、具志堅さん、宮平さん、親川さん、大城さんが座った。酒を飲んでいると、大城さんの息子さん達が帰ってきた。彼らは二人とも清掃会社に勤めている。私は軽く会釈をした。

ここへ来てからというもの、私は酒ばかり飲んでいる。彼らのようには飲めない。死んでしまう。だから、酒を勧められても遠慮をしていた。さらに何かと色々食べさせてくれるので、たいていお腹が張っており、その時は何も食べたくなかった。

「出されたものは食べんと失礼だぞ」

遠慮する私を見て宮平さんが言う。しかし、無理して食べたらもっと失礼ではないだろうか。このような時が一番困る。相手に不快感を与えないだけが礼儀ではない。こちらの立場もきちんと主張しなくては、本当に仲良くはなれない。

「すいません。今、お腹がいっぱいで…」

私は宮平さんの言葉に背き、酒と食べ物の勧めを丁寧に断った。

具志堅さんが私の様子がおかしいと言い出した。私の目つきが変だという。確かにこの時、宮平さんにどのような態度で接するべきか考え迷っていたので、気分が悪く見えたのだろう。しかし、しきりに「おかしい」と具志堅さんが言うので、私は次第にうんざりしてきた。「お風呂使ってもいいよ。服は洗濯機に入れて」と大城さんが言うので、このタイミングで風呂に入り、早々と寝てしまうことにした。今日は疲れた。マグロを解体したので体中が臭い。ズボンは今着ているものしか持っていない。洗濯をしている間、トランクス一枚で人の家を歩き回るのもどうかと思い、私は大城さんの息子である元さんに「すいません。ズボンを貸してくれませんか」と頼んでみた。すると、その声を聞き付けた宮平さんが急に目を剥いて怒り出した。

「お前、他人の家で図々しくないか。ちょっとこっちへ来て座れ」

私は驚いて、「今の私は図々しかったですか?」と大城さんにおずおずと聞いた。大城さんは「いいよ。いいよ。遠慮しなくて。これ元。西原君にズボンを貸してあげなさい」と言った。

「大城さんがいいというならいい」

宮平さんはそうつぶやいて酒を飲み干すと、ぷいとそっぽをむいた。私は自分のしたことが失礼なことなのかどうかよく分からなかった。トイレや風呂を借りることと同じ感覚だったのだ。しかし、今考えてみると衣服はそう簡単に借りてはいけない気がする。これといって根拠はないのだが。そんなことを考え始めると、家に泊めてくれとお願いすることも失礼なことのような気がしてくる。

風呂場に入った私は、着ていたTシャツとトランクスとズボンを洗濯機に入れることを躊躇した。これは失礼なことではないだろうかとついつい考えてしまうのだ。そこで、傍にあったバケツに衣服を入れ、それらを石鹸で洗って干すことにした。干す場所も大城さんにお伺いを立てて決めた。本当に他人の家は気を使う。向こうも私に気を使っているのであろうが。

私は疲れていたので、家の応接間の絨毯の上で寝ることにした。目をつぶって横になっていると、私のことで宮平さんが何か喋っているのが聞こえた。

「ナイチャーだからあいつは図々しいんだ。ウチナーンチュ(7)ならあんなことは言わない」

しにむかつく。わんねーナイチャーあらん(8)。一瞬体中が怒りで真っ赤になったのを感じたが、すぐに冷静になった。よくあることだ。言わせておけ。サラ金から逃げ回っている奴に説教される覚えはない。ややふてくされつつ、私は眠りについた。

夜中の二時頃に目が覚めた。酔っぱらった誰かが何かわめいている。ところどころで私の名前が聞こえる。具志堅さんか宮平さんであろう。彼らにはナイチャーに対する恨みがあるのだろう。しかしそれを私にぶつけてきても困る。西原出身で十八歳まで沖縄で育ったと伝えたはずなのに、なぜ彼らは私をナイチャー扱いするのだろう。肌の色が白いからであろうか。そんな単純な理由で人をナイチャー扱いしているのだろうか。ナイチャー扱いされることには慣れてはいるが、それでもうんざりしながら、私は目をつぶり続けた。

翌朝、午前五時頃に起きた私は、既に起床していた親川さんに聞いた。

「今日は競りには行かないんですか?」

「今日はいい魚がない」

なぜ分かるのだろうと疑問に思いつつ、今日をどう過ごそうかと考えようとすると、「お前は俺と一緒に来い。魚の売り方を教えてやる」と言われた。

宮平さんと具志堅さんを親川さんの車で送る途中、花城さんが経営する豆腐屋に立ち寄った。花城さんは豆腐工場の社長なのだ。宮平さんが工場の中へ入っていった。私は鍋を持って彼の後ろへ続いた。彼が持ってこいと言ったので、私は鍋を持ってきたのだ。宮平さんは工場内のテーブルの上に置かれてあったビニール詰めされたゆしどうふを一つ取り上げ、私に「持って行け」と言った。私は一瞬、その場の雰囲気から「これは泥棒では?」と思った。しかし、その後、宮平さんがその場にいた従業員と思しき高校生ぐらいの少年に何か話していたので、「話はついているのか?」と思い直した。「これは泥棒ですか?」なんてとても聞けない。それこそ礼儀知らずと言われかねない。鍋に豆腐を入れて外に出ると、先程の少年が追い掛けてきた。

「これもらおうね」

そう言って少年は、鍋ごと豆腐を持って行ってしまった。「もっと豆腐をくれるのかな」と考えていたのだが、いつまで経っても少年は戻って来ない。やはり宮平さんが豆腐を盗んだだけのようであった。とんでもない奴だ。こいつは信用できない。私はあからさまに不機嫌そうな顔をして車に乗った。

車に乗ったら乗ったで、宮平がブツブツ文句をたれる。

「あのわらばーやー、うしぇている」(9)

「頭がおかしいんだ。あいつは」

具志堅さんまでも先程の少年をなじりだした。私は頭にきた。ゆしどうふ盗んでおいて、何文句言ってんだこいつらは。すると突然宮平さんが「ま、豆腐取るのは悪いか」と言った。私は「むこうも商売ですからね」と意地悪くつぶやいた。こいつに油断してはいけない。

具志堅さんと宮平さんをそれぞれの家(宮平さんは公園)に送り、私と親川さんは具志堅さんの家の近くの路上でカップラーメンを食べた。その後、昨日のように様々な店を巡った。

親川さんが車から降り、店の人と何かゴニョゴニョと話をする。私は車からその様子を見ていた。お昼頃になると具志堅さんの家にまた戻ってきた。つくづく行動が読めない。何だか思いつきで生きている気がするのだ。この男達は。

具志堅さんの家で親川さんはトイレを借りた。小便ならところかまわずそこらへんでやってしまう彼らでも、さすがに大きい方はちゃんとトイレでやるのだ。その間、私は具志堅さんと喋っていた。具志堅さんの家の玄関にはハブ捕りが置いてあった。白ねずみを餌にして取れたハブは、玉泉堂で一匹八千円ぐらいで売れるのだそうだ。そういえば車で移動していた時、ワゴン車に乗ったハブ捕りとすれ違った。小さな子どもが大勢乗ったワゴン車を眺めていたら、「ああ。あれはハブ捕りだ」と親川さんが教えてくれた。そうなのかと私はワゴン車を見直した。ハブ捕りは儲かるのであろうか。

具志堅さんをまた車に乗せ、私達は大城さんの家に向かった。

大城さんの家に着く。大城さんと話していると、宮平さんのことに話が及んだ。大城さんは宮平さんのことを全く知らないらしい。豆腐事件のことを話すと、大城さんは「西原君。君は人のものを取ったのか?」と心配そうな顔で聞いてきた。私はありのままを話した。

「君は意志をはっきりさせないといかんよ。泥棒の手伝いは理由はどうあれやっちゃいかん。分からなかったと言って責任を他人に押し付けちゃいかんよ」

大城さんに諭されてしまった。

話はそれで終わった。しかし、大城さんはしきりに考え込んでいた。「あの宮平という男は信用ならんな…」と具志堅さんに話している。具志堅さんはうんうんと頷いている。いや。具志堅さん。あなたも宮平さんと一緒になって豆腐屋の少年を非難していたよね…。そこに親川さんがやってきた。そしていきなり私を誉めだした。

「具志堅さん!西原君は見込みがある!昨日俺がマグロを解体してたらな。『僕にもやらして下さい』と言って手伝ってくれたんだ!こいつは見込がある!」

私は照れ臭かった。

眠くなったので、私は皆から少し離れて壁にもたれて目をつぶっていた。そこに具志堅さんがやってきた。警戒しつつも、具志堅さんと話す。仕事遍歴をお聞きした。

具志堅さんは、若い頃は特攻隊の訓練で大分にいた。終戦後、沖縄に帰り、土方、大工、電気工事人、針師、さとうきび農家などをして生活をしていた。そして親戚を頼って遊びに行ったブラジルで、とある女性と恋に落ち、二人で沖縄に帰ってきた。今は畑でゴーヤーや冬瓜を育てて、年金でのんびり生活している。

二人で話していると、大城さんと親川さんがこちらにやってきた。もちろん酒付きである。また親川さんが私を誉めだした。

「うん!俺は感動した!なかなか『僕にも手伝わせて下さい』なんて言えないよ。うん!俺はいい話なら何度でも言うぞ!」

そこに、今までどこかに出かけていた儀間さんと比嘉さんと花城さんが、私達の輪の中に入ってきた。この三人はいつも一緒に行動しているように見える。私は少し緊張しながら、彼らにお酒をついだ。儀間さんが親川さんの隣に座る。この二人は昨日喧嘩したばかりだ。あわや再び衝突かと思われた。

意外なことに、親川さんが自ら進んで儀間さんにお酌をした。しかし、無言だ。二人の間で目に見えない何かが交錯しているようだ。

「西原君。氷持ってきて」

大城さんに言われ、私は氷を取りに行った。

私が席に戻ると、ちょうど右隣に花城さんがいた。しきりに私に話し掛けてくる。

「西原さんは大学生なんですか?だったらこの近くに面白いものがありますよ。斎場御嶽と言って、今、大学の先生方が発掘調査を進めています。そしてですね、でてきたものが、首里王朝の高官が付けていたかんざしとか中国の漆器なんです。凄いですよ。是非一度行ったらいいです」

花城さんは物知りであった。私は感心して彼の話に聞き入っていた。斎場御嶽のことで私が花城さんと話し込んでいると「そんなとこ行かんでもいい!」と親川さんが大声で怒鳴り、話を遮ってきた。斎場御嶽に行ってはだめだと言う。「なぜですか?」と聞くと、「今日は日が悪い」と言う。「なぜ日が悪いのですか?」とさらに聞き返すと、親川さんはしばらく黙り、次のように聞いてきた。

「斎場御嶽からはな。久高島が見える。お前『黄金のうりざね』を知っているか!?」

初めて聞く言葉であったので、「知らないです」と正直に私は答えた。すると、親川さんが怒りながら語りだした。

「昔な。首里の王様が斎場御嶽に行った。そこから久高島を見て『あそこに行ってみたい』と言ったんだ。そしてな。久高島でナビィという美女と結婚した。王様は首里に帰ってしまうが、久高島のナビィは子どもを生んだ。男の子だった…。お前、本当に知らんのか」

「はい」

「そこの学校とかでも劇でやっているぞ!」

「聞いたことありませんでした。それでどうなったんですか?」

「ああ。首里の王様には男の子がいなかった。それで妾どもが『ナビィはおならばかりする』って変な噂をたてて、ナビィの息子が首里に来れないようにしたんだ」

「おなら…」

「でもな。久高島で大きくなった男の子は、ある日母親から『あなたのお父さんは首里の王様です』って聞かされる。そして、その子は稲の種を蒔きながら首里まで王様を訪ねていった」

「なんで、稲の種なんか蒔いて行ったんですか?」

「分からん!そしてな…うっ。うっ。ううっ」

親川さんが仁王様のような顔をくしゃくしゃにして泣き出した。よほどいい話なのだ。

「そしてな。王様の前で『ナビィの息子でございます』と言った。その途端、周りにいた妾どもがくすくす笑い出した。『おならばかりするあの女の子どもか』ってな!しかし、その子は王様の前で舞いを踊ったんだ。昔、王様がナビィにくれた帯を持ってな!それを見た王様は涙を流しながら言った。『おならをしない人間がどこにいようか。みんなする!』ってな!」

そこまで話すと親川さんは目頭を押さえて俯いてしまった。いかつい大男が泣いている。なんだか不思議な光景だ。

「その子どもが後の尚真王」

具志堅さんが付け足した。

「西原君。お酒買ってきてくれる?」

大城さんが私にお金を渡してきた。私は近くのAコープに元さんと一緒に買い物に出かけた。

元さんは十六歳。中学を卒業してすぐに働いているのだという。それも父親のためであるのに、大城さんは相変わらず酒をやめようとしない。

「元君。いつも大変じゃない?」

「いやー。そうですね。大変と言えば大変ですね」

元さんは十六歳とは思えない大人びた喋り方をする。私なんかよりよっぽど人間ができている。一人前に働いているからであろうか。

買い物を終え、Aコープから戻る道すがら、どこからか怒鳴り声が聞こえてきた。大城さんの家に近付くにつれ、その声は次第に大きくなってきた。怒鳴り声はやはりこの家からであった。

人が多くなってきたので、皆は庭に敷かれた絨毯に移動することになった。酒を買ってきた私は親川さんの真向かいに座った。

「西原!お前こっちへ来い!」

親川さんが自分の隣へ来いと言う。絨毯は七人の男で埋まっているので、そう簡単に移動できない。面倒なので私は「ここでいいです」と答えた。

「俺と具志堅さんとお前で会社を作って、お前は専務になるんだぞ!俺は常務で、具志堅さんが社長だ!」

確かに、車を運転している間、親川さんは頻繁にそのような話をしていた。その度にどう反応していいか迷い、私は「ありがとうございます」と言っていた。

「専務の方が上じゃないか?」

比嘉さんが言った。

「専務の方が上だから行かなくていいよ」

「うるさい!こいつは俺の従業員なんだ!」

「ん?西原君。それは本当かね?君は親川の従業員なのか?」

大城さんがわざと聞いてきた。

「いいえ。違います」

親川さんはムスッとした顔で酒をグビリと飲み干した。花城さんが今度はガマ(10)について私に話してきた。するとまた親川さんが騒ぎだした。

「そいつの言うことを聞くな!お前は魚のことだけを勉強すればいい!」

「親川さん。私は全て勉強だと思っています」

「西原!お前は大学で何を勉強している!?」

「人類学です。知らない人と仲良くなって一緒に生活してその人達のものの考え方を学ぶ学問です」

私は自分でもはたしてそうなんだろうかと迷いながら説明した。人類学って一体何なんだろう。

「西原君。私はね。こうやって酒を飲んだり、魚の商売のことよりもむしろ、花城さんの話す斎場御嶽とかを君に知ってもらいたい。そっちのほうが勉強だと思う」

大城さんが言う。

「私の大学の先生はいくら知識があっても、人とお話ができない奴はだめだと言っていました。だからこうやって皆で酒を飲むのもちゃんとした勉強なんです」

私がそう言うと大城さんは驚いた顔をして「あい。よくできた先生やさやー」と比嘉さんや具志堅さんに言った。

「西原さん。それでですね。斎場御嶽の他にもこの近くにはですね。受水走水と言って有名なところがあります…」

「うるさい!花城!黙れ!」

花城さんが話している最中に、また親川さんが邪魔に入る。

「何を!?」

花城さんと親川さんが一瞬睨み合う。しかし、花城さんは親川さんの相手をせずに、話を続けた。その様子を見て、さらに親川さんがわめきだした。しきりに大声をたてて、話の邪魔をしてくる。あまりにもわがままなので、私は「親川さん。私はあなたを尊敬していますが、わがまますぎると思います」と勇気を出して言った。左隣に居た比嘉さんが私の背中ごしに「ん…。お前、度胸あるな」とささやいた。

親川さんは黙って俯いている。お酒がなくなった。

「車の中にお酒があったはずよ」

具志堅さんが言った。

「あれは俺のだ!」

親川さんが言った。

私は小便をしたくなったので玄関から外に出て、向かいの儀間さんの家に向かった。その石垣で用を足し、引き返そうとすると、玄関からフラフラと親川さんが出てきた。そしてチャックを開けて自分の車のタイヤの前に立った。

「親川さん!自分の車ですよ!石垣でしたほうがいいですよ!」

「お、おお。そうか…」

私はフラフラしている親川さんを石垣まで引っ張って行った。その時、花城さんがのそっと親川さんの車に近付き、中を覗こうとした。

「俺の酒だ!取るな!」

親川さんが花城さんに掴みかかった。親川さんは完全に酔っている。何をするか分からない。

「やめて下さい!まあ!まあ!」

私はボクシングの審判のように二人の間に飛び込んだ。

「西原さん。大丈夫です」

冷静に花城さんは言った後、「くぬひゃーよー!」(11)と怒鳴りながら、親川さんを後ろから羽交い締めにした。花城さんにはまだ理性があるようだ。ちゃんと手を抜いている。

「俺の酒だ!取るな!」

後ろの花城さんに向かって親川さんがフラフラしながら怒鳴る。

花城さんに任せておけば大丈夫だろう。そう思ったので、私は大城さんの庭に戻った。しばらくすると、車のエンジンの音がしてきた。そして、走り去っていく音。どうやら親川さんは、車に乗ってどこかへ行ってしまったようだ。相変わらず、酔っ払ったまま。

大城さんが諭すように私に言う。

「西原君。あいつも信用してはいけないんだよ。あいつには前科がある。今でもあいつにお金を取られた男がジープに乗って、あいつを追っ掛けてくるんだよ」

「本土からわざわざ追っ掛けてきた」

具志堅さんが付け足す。その男は茶色のジープに乗って、取られた金を請求しに、今でも親川さんを訪ねて来るのだという。

私はもう誰が良い人なのか悪い人なのかどうでもよくなっていた。魚の解体方法などの役に立つ技術を学ぶことができればそれでいいやと、割り切って考えるようになっていた。

私は自分のリュックを親川さんの車の後部座席に置いていたことを思い出した。私に比嘉さんが話し掛ける。

「言っとくからよ。西原君。君はそろそろ帰った方がいいよ。ここにいると危ないよ。俺ははっきり言っておくからな」

「リュックを親川さんの車から回収したら帰ります」

その言葉を聞いた大城さんや花城さんが一斉に私を見た。

「お前。あいつの車に鞄置いてきたのか?」

「はい」

「大くすーやー!えー!お前の鞄どうなるか分からんぞ!」

大城さんだけでなく、他の男達も深く頷いている。親川さんも相当なワルらしい。このまま親川さんが帰ってこなかったどうしよう。泥棒の集まりみたいなこんなところから早く去りたくなった。しかし、鞄を取りかえさなくては。あの中には眼鏡や本や財布が入っている。

「財布の中にはお金は残っていません。昨日親川さんにほとんど貸しました」

「何!?いくらあいつに貸した?」

「二千円です」

「そうか。それぐらいならまあいい。お金は戻ってこないぞ。二千円ですんで良かったな」

「でも、倍にして返すって言っていました」

大城さんが首を振る。

「親川さんは帰ってくると思います。私が勝手に鞄を車に置いたんです。親川さんは車に私の鞄があることを知りません。盗んだりなんかしません」

「…あの車。車検切れているし、無免許だから途中で警察に捕まるかも…」

具志堅さんがとんでもないことを悲し気な目をして付け足した。かなり不安になってくる。いつしか雨が降り出した。

しばらくすると、久米仙をさげて親川さんが戻ってきた。

「鞄はどうした!?」

今にも殴り掛からんばかりの形相で花城さんが親川さんにすごむ。私が勝手に親川さんの車に鞄を置いているのだから、親川さんは何のことか分からない。キョトンとした顔をしている。男達は「とぼけるな!」とばかりに親川さんに罵声を浴びせる。やはり私が止めに入った。

「大丈夫です!私が勝手に鞄を車に置いたんです!親川さんは何もしていません!」

そう言って、車へ走って行き中を見ると、鞄は確かにそこにあった。半分信じて半分疑っていたので内心ホッとした。大城さんが「ちゃんと入っているか?大事なものは?」と聞いてきた。中を開けて調べはしなかった。入っているに決まっている。「はい」と答えて座り直した。

親川さんは詫びのつもりで久米仙を買ってきた。それを受け取りつつ、大城さんは、「お詫びの印に、こうやって久米仙を持ってきてくれた君の気持ちが私は嬉しい!」と律儀に言って、親川さんを許してあげた。

そしてまた、宴会が始まった。

私はこの男達が好きである。喜怒哀楽が激しく、悪いことをするが、真っ直ぐである。よく笑い、よく泣く。嘘をつくにしても何だかばればれの嘘をつく。正直な人達だ。勘違いは激しいけれど。

花城さんはしきりに軍歌や演歌を私に歌って聞かせる。私はてぃんさぐぬ花を歌った。みんなそれぞれ勝手に歌を歌ってとてもうるさい。あたりが暗くなってきた。

お腹が痛かった。突っ張っている感じとはこのことだろうか。何か変だ。連日に及ぶ飲酒に胃が驚いているのだろう。ここにいたらまた何か食べさせられてしまう。私は散歩を口実にして外に出た。途中、親川さんの車と出会った。宮平さんを乗せている。また来たのかこいつ。お腹が痛いので散歩をしていることを親川さんに伝えると、「車の鍵を開けておくから、休みたい時は車で寝ておきなさい」と言われた。「ありがとうございます」と礼を言い、私はそのまま道を歩いていった。

バス停のベンチでしばらく横になっていたら、蚊に咬まれた。暗くなってきたので、大城さんの家に戻る。大城さんが、イカと冬瓜の味噌汁を作ってくれていた。

「これ食べて休んでいなさい」

とても美味しかった。なぜイカは茹でると赤くなるのだろう。テーブルに座って独りで味噌汁を啜っている私を見て、宮平さんが「嫌味な奴だな」と言った。なぜ嫌味な奴と言われねばならないのだろう。意味が分からない。もう、この人は無視しておこう。私にナイチャーのレッテルを貼り、悪意ばかりを勝手に読み込んでくる。そして結果的に自分自身が、自分が想定するところのナイチャーのような、嫌な存在になってしまっている。

その日、また事件が起こった。

男達がゆんたく(12)している最中に、そのことは発覚した。儀間さんが住んでいる家は、大城さんが無料で儀間さんに貸しているものである。しかし、儀間さんはその家の所有者のふりをして、以前にその家に住んでいたおばあにお金を請求していたのだという。大城さんがおばあに無料で家を貸していたにも関わらず、である。

このことを知って大城さんは、切れた。

「くるさりんどー!儀間!」

夜の十時頃からそう言って、大城さんは比嘉さんに怒りをぶちまけている。比嘉さんが大城さんを沖縄口で宥めている。儀間さんをかばっているような口ぶりであったが、私は何を言っているのか分からない。どこからこういう話がでてきたのだろう。大城さんがおばあに直接電話して事実を確かめる。電話を切った後、もう一度彼は言った。

「やなやー、くるす!」

その日は訳が分からなかった。具志堅さんと親川さんは酔っ払って寝ている。そこに例のジープの男が現れた。借金返せと具志堅さんを本土から追いかけてきた男である。

「また新しい人が来たよ…」

真治さんが忌々しそうにつぶやいた。

身振り手振りで、ジープの男は親川さんに用があることを示した。どうやらジープの男は、喉かどこかに障害を抱えているようであった。寝ていた親川さんを大城さんが叩き起こす。そしてなぜか儀間さんも一緒についていく。そして四人でどこかへ行ってしまった。私は家の絨毯の上で横になってうとうとしていた。

数時間後、大城さんが帰ってきた。寝ている私をまたいで、どこかに電話をかけている。タクシーを呼んだようだ。そしてそのまま沖縄市に行ってしまった。またしばらくすると電話がかかってきた。時刻は午前二時頃だった。私は受話器を取るか取るまいか相当迷った。しかし、真治さんが起き出してきて、受話器を取った。父親の行動に相当頭にきているらしい。

「知らんよー!」

真治さんが荒々しく電話を切ったのが聞こえた。私はようやく眠りについた。

翌朝、目覚めると大城さんが朝から酒を飲んでいた。宮平さんと具志堅さんと比嘉さんもいる。他の人達はどこかへ行ってしまったままだ。美味しいイカと冬瓜の味噌汁を食べた後、私は大城さんに、「今日、家に帰ります」と伝えた。帰る前に、儀間さんのメモ帳を入手し、自分の連絡先を書いたページを剥ぎ取ることに決めた。脅迫まがいのことをしている人間からは、距離を置きたかったからである。私は儀間さんの家に向かった。「メモ帳を出せ!」と言っても、素直に出してくれる気がしない。そこで、「メモ帳に一筆添えたい」と言ってみることにした。メモ帳を受け取った後、自分のページを破ってしまおうという作戦だ。

「メモ帳が見当たらない。ジープに忘れたんだ…」

儀間さんは寝ぼけながら言った。嘘ではないことが私には分かった。仕方なく私は別の紙に、ありきたりのことを書いて彼に手渡した。

『私は儀間さんを信じています。しかし、もしも悪いことをしたのなら一緒に警察にいきましょう』

ちょっと変な文章だ。

紙を儀間さんに手渡すと、そこに大城さんが「大くすーやー!」と怒鳴りながら、階段を駆け登ってきた。そして凄い勢いで儀間さんに掴み掛かり、彼を激しく揺さぶった。

「お前は…。おばあを脅迫してからに…。許さんどー!」

殴り合いが始まったら止めよう。そう思い私は身構えた。しかし、大城さんは空手四段。こんな人を止めることはできるのだろうか。しかし、大城さんは暴力を振るわなかった。土下座して謝る儀間さんのおでこをポーンと押して、後方に突き飛ばしただけだった。儀間さんはすてんと尻餅をついた。これで制裁は終わりとなった。

私は大城家へ戻り、そこにいた男達に別れの挨拶をした。

「そうか。帰るのか。また遊びに来なさいねぇ」

今の今まで怒りの形相だった大城さんが今度は顔をくしゃくしゃにしている。

「西原!まだお前に一万円渡していない。代わりに今度車が三台手に入るから一台あげよう!」

親川さんが言う。

「ナンバープレートはないけどね」

具志堅さんが付け足す。

「…いいです。車は結構です…」

握手をして別れた。

「帰るか?よし送ろう」

比嘉さんが車で送ってくれることになった。車は、馬天港で最初に会った時に見た、軽自動車だった。てっきり、軽自動車は儀間さんのものとばかり思っていた。比嘉さんの車だったのか。

私は斎場御嶽を見てみたかった。ここからそんなに離れていない。沖縄で生まれ、高校卒業まで、沖縄南部の西原で育っていながら、私は斎場御嶽に一度も行ったことがなかったのである。比嘉さんは「よっしゃ」と言って、車で連れて行ってくれた。私が御嶽の中に入っていこうとすると、「俺はここで待っている。ここの神様はでかい。俺はちょっと入れないから、独りで行ってくれ」と比嘉さんが言う。私はそんなもんかなと思いつつ、独りで御嶽の中に入って行った。岩が奇妙な形で折り重なっている。その隙間から久高島が見えた。沖縄一の聖地と言うが、それほど感動しなかった。特に何も感じない。私には霊感もないらしい。

私は沖縄の南部に行くことが滅多にない。この際、色々回ってみようと思った。

摩文仁に行きたいと比嘉さんに伝えると、有難いことに、そこまで連れて行ってもらえることになった。

「摩文仁に行くなら花城さんを連れて行ったらいい。あそこの一帯はあいつの親戚が多いからな」

私は一瞬考えてしまった。

「いや。どうしたいかはお前が決めればいいんだけどよ」

そんな私を見透かすように比嘉さんが言う。

「…いえ。それではその方向でお願いします」

「よっしゃ」

花城さんを拾うべく、私達は再び大城家へ戻った。

車が大城さんの家の前で泊まると、親川さんが出てきた。一升瓶を抱えている。それを「持っていけ」とばかりに前に突き出して近付いてくる。比嘉さんが喜んで受け取ろうとする。しかし、瓶の中身は空だった。

「からやしえー!」(13)

「がっはっは!」

笑いながら、親川さんは、車に乗ってどこかへ行ってしまった。

花城さんが大城さんの家から出てきて、後部座席に乗り込む。

「待てー!わんも行く!」

なぜか儀間さんまで付いてきた。そして後部座席に入り込んだ。私は複雑な心境だ。

私達はまず奥武島に向かった。花城さんが奥武漁港でマグロの頭を私のために貰ってきてくれた。どこからかナタを取り出すと、鮮やかに手際良く解体し始めた。親川さんだけでなく、男達は皆、マグロの解体ができるようだ。まるで何でも屋だ。

途中で、儀間さんが車を止めてくれと言い出した。妹がこの近くに住んでいるらしい。お金を借りに儀間さんは、とある民家に消えて行った。そしてしばらくして戻ってきた。駄目だったらしい。がっくりと肩を落としている。儀間さんが車に乗り込んだ後、花城さんお勧めのザビチガマに向かう。

玉泉堂の裏の方にさしかかると、また儀間さんが止めてくれという。彼の門中のお墓が近くにあるらしい。さとうきびに埋もれるようにして、だけれども立派なお墓が確かにあった。「儀間」と彫られている。儀間さんはその時、厳しげな表情でおもむろにお墓の前に歩いて行き、中央できちんと正座して、しばらく手を合わせた。この場面だけを見ると立派に見えるのに、なぜ儀間さんはおばあを脅迫したりするんだろう。車の中から眺めつつそう考えていた。比嘉さんや花城さんは儀間さんを決して切ることはしない。黙って、仲間として受け入れている。私はとても歯がゆい。中途半端に許すとつけあがって、儀間さんは他人に悪さをし続けるのではないか。私は比嘉さんに聞いてみた。

「なんで儀間さんを切らないんですか。もっと厳しくしないとまた悪さをしますよ」

「俺達はな。そんなことはできないんだよ。沖縄の人間は人情を大切にする。そういうことは絶対にできない。たとえ悪いことをしてもな。仲間外れにはできないんだよ」

私も沖縄で生まれ育った人間だ。しかし、比嘉さんや花城さんの考えは受け入れがたい。

「いやな。お前が本土に行ってもな。沖縄には俺達みたいな人情深い人達がいるってことを、覚えていて欲しいんだな」

「西原さん。沖縄の人は優しいです。人情深い」

花城さんが言う。確かにそうだと思う。沖縄に住む大部分の人々は優しい。そう私は直感的に思う。だけどやっぱりすっきりしない。本当にそれは「優しさ」なのか。彼らの言う「人情」とは単なる馴れ合いではないのか。何かひっかかる。

しかし、現実に、儀間さんのような人を仲間として受け入れ続けている人々が目の前にいる以上、沖縄の人間は優しい、沖縄の人間は人情を大切にする、という彼らの言葉は、このような一つの事実を指し示す言葉として、素直に受け入れる必要があるのだろう。その良し悪しの価値判断はひとまず別にして。

「西原君。女がいっぱいいるところを教えよう。ほら。あそこ」

比嘉さんが指差したのは某工業高校だった。制服姿の女子生徒が歩いている。

「こんなことばかり教えたら駄目だな」

比嘉さんが笑って言う。

「俺はな。昔。男はつらいよの寅次郎のようになりたかったんだ」

「的屋ですか」

「ん。ああ。そうだ。でな。実際にな。日本中を渡り歩いてそういうこともした。でもな。やっぱり沖縄がいい。お前。沖縄好きか?」

「はい」

「そうか」

「沖縄の方が本土より美人が多いもんな」

「ははっ。そうかもしれません」

花城さんは案内役として色々な場所に連れて行ってくれた。ザビチガマ。港川人の遺跡。糸数マブチラガマ。白梅の塔。南風原文化センター。これらはどれも私が初めて訪れた場所であった。沖縄で生まれ育ったものの、私は沖縄について、ほとんど何も知らない。

結局、比嘉さんは、私を西原の自宅前まで送ってくれた。

別れ際、「寂しくなるなあ」と言って比嘉さんが涙ぐんだ。

「また飲みましょう!」と私が言うと、「違う。飲むんじゃない。また会いに来るだけでいい」と比嘉さんが言った。

こうして知念村の旅は終わった。

脚注

(1)国道329号線

(2)本土の人間

(3)何だと?ぶっ殺すぞ

(4)言うな

(5)ああ、本当にそうだ

(6)俺が悪かった

(7)沖縄の人間

(8)俺はナイチャーではない

(9)あのガキ、なめている

(10)防空壕

(11)この野郎

(12)お喋り

(13)空じゃねーか

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