見出し画像

油喰坊主と運玉義留

「油喰坊主と運玉義留」は、第42回新沖縄文学賞の最終選考作品です。沖縄タイムスの文化欄にて「せっかくの長い論理も空転している」や「現在と過去が説明のために並列に置かれているだけだ。この方法では、プロットをめぐる緊張感が十分には書けないだろう」や「肝心の油喰坊主と運玉義留の対決の寸前で小説が終わってしまっている」等のご指摘を頂戴致しております(2017年1月16日月曜日 朝刊)。三人の選考委員による選評は以下の通りです。

「弁ヶ嶽登「油喰坊主と運玉義留」は、戦乱の過去を忘れ、ナショナリズムが台頭する現在の社会状況を、伝説に絡めて描こうとする意欲は肯定的に認めることができる。が、ネットの登場と会員制交流サイト(SNS)の急速な普及という現象は物語として語るにはまだ消化不十分なところがある。それは作者が消化していないという理由ではない。社会的に共通の認識がまだ生まれていない部分があり、それを物語に取り込むのは至難の業と言わなければならない。
 この作品はSNSの利用経験を持っている人と、そうではない人の間に相当な読解の差が生まれるはずだ。米国大統領選挙ではネットを利用したフェイク・ニュース(偽ニュース)が問題視されたが、日本では、そして沖縄では米国よりも5年も10年も早くネットを利用したデマの流布という現象が起きている。作者がそれを作品化しようとした努力には深く敬意を表したい。物語として作品化する以前に率直に体験を描いてみることを試みてはどうだろうか。現象を作品化する過程で体験を言語化することは重要な通過点であるかもしれない。」(中沢けい)
「「油喰坊主と運玉義留」(弁ヶ嶽登)は、教育現場の様子、矛盾、批判を詳述している。「親米保守的な言説」という辺りは、ほとんど沖縄では小説に書かれていないように思える。芸術科の(死者の多さを実感しつつ、霊を慰める)「石の声」は重要な意味を持っている。しかも「石の声」などにかかわってもセンター試験の何の役にもたたないという「生き方」は「生、日常、俗、戦争」と「死、非日常、聖、平和」を照らしだし、読者に考えさせる。
 米軍基地の問題が深まるかと思ったら、急に別世界(自分の高校時代の話など)に移り、肩透かしをくらう。戦争論、中国脅威論などの洞察はルーティンだが、テーマの中心に据えられている。せっかくの長い論理も空転している。」(又吉栄喜)
「弁ヶ嶽登の「油喰坊主と運玉義留」は、沖縄の政治と社会状況を、伝説の人物たちを登場させることで語ろうとした発想はおもしろい。作品は、主人公の現在とその高校時代を行きつ戻りつ進行するが、モダニズムの意識の流れでもなく、ポストモダニズムのより錯綜した時系列の創造があるわけでもなく、現在と過去が説明のために並列に置かれているだけだ。この方法では、プロットをめぐる緊張感が十分には書けないだろう。
 文章は安定しているが、新聞やメディアで頻出する言葉に語りが呪縛されている。また、肝心の油喰坊主と運玉義留の対決の寸前で小説が終わってしまっている。読者がわくわくしながらじっと待っているのはじつはこの部分。ここがこの作品の中核になり、伝説の人物たちが現代に生き生きとよみがえるようなナラティブが展開されていたら、興味深い作品になったことだろう。」(山里勝己)

西原太郎名義で去年応募した「知念村の旅」に対してよりも、弁ヶ嶽登名義で応募した今回の「油喰坊主と運玉義留」に対してのほうが、コメントの量が増えています。また、褒められている点も増えています。さらに、前回いただいた「「おもいつき」の産物の域を出ていない」や「プロットが不鮮明」という指摘はなされていません。これらについては素直に嬉しく思いました(特に、「プロットがない」という指摘の不在は、前回指摘されたこの問題点を首尾よく改善できたぞという自信につながりました)。

しかし

「急に別世界の(自分の高校時代の話など)に移り、肩透かしをくらう(by又吉氏)」や

「物語として作品化する以前に率直に体験を描いてみることを試みてはどうだろうか(by中沢氏)」や

「モダニズムの意識の流れでもなく、ポストモダニズムのより錯綜した時系列の創造があるわけでもなく、現在と過去が説明のために並列に置かれているだけだ(by山里氏)」

などのコメントで指摘されている問題点については、今後様々な小説を読み比べて真面目に研究し、真摯に改善に取り組んでいく必要を感じています。プロットは用意できているが、それを魅力的に配置する技法(過去の文と現在の文を違和感なく一つに寄り合わせていく方法)が自分には身に付いていないと感じています。

「油喰坊主と運玉義留」の執筆は、ツイッターで見かけた@untamagiruuというアカウントの呟きに端を発しています。@untamagiruuこと運玉義留氏( https://twitter.com/untamagiruu )は、いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる人々とツイッターで激しく議論を行っている人物であり、次のような素晴らしいまとめも作成しています。

https://togetter.com/li/955623

ある日、この人物の闘いぶりをツイッターで目にした私は、「この人物について小説を書いてみたい!」と思ったのでした。

思い切って運玉義留氏にDMを送り、何度かやり取りして了解を得た上で、私は小説の執筆に取りかかりました。運玉義留氏の実践と沖縄の危機的な言説状況を世間に知らしめること。私自身の経験や想像を織り込みながらも、これが小説執筆の第一の目的でした。しかし残念ながら、物書きとしての力量不足により、新沖縄文学賞の受賞を私は取り逃がしてしまいました。運玉義留氏の実践と沖縄の危機的な言説状況を世間に知らしめるという私の目論見は失敗に終わってしまいました。

とはいえ、選考委員の御三方は、「油喰坊主と運玉義留」を執筆することで私が世間に伝えたかったことを、部分的ではあるにせよ、タイムス紙上で明確に言葉にして下さいました。そのため、これはこれで目的はある程度達成できたのではないかと一定の満足はしています。

しかししかし、確かに一定の満足はしているものの、物書きとしての力量を高めていきたい、という明確な本音も私にはあります。選考委員の方々から今回も頂戴することのできた建設的な助言を生かし、懲りずに次回も小説を応募してみるつもりです。

最後に一言。

山里氏は「肝心の油喰坊主と運玉義留の対決の寸前で小説が終わってしまっている。読者がわくわくしながらじっと待っているのはじつはこの部分」と指摘して下さいましたが、山里氏が求めているものはツイッター上にしっかりと存在しています。現実のツイッター上で@untamagiruuこと運玉義留氏が実際に行っていることが、山里氏が求めているものです。

つまり今回私が書いた小説「油喰坊主と運玉義留」は現実と地続きの小説(現実そのものを描いた小説)であり、であるからこそ、小説だけではなく現実のネット空間での闘い(運玉義留氏と「ネトウヨ」の間で繰り広げられているツイッター上での議論)までを考慮しなければ、その面白さを十分に味わえない特異なものであるといえます。当初は、ツイッター上での油喰坊主と運玉義留の対決を小説に含めていたのですが、私はあえてこれを全て削除しました。小説を読み終えた選考委員が、@untamagiruuこと運玉義留氏をネットで検索し、ツイッター上での彼の闘いを実際に見てくれることを期待したからです。

しかし私の目論見は見事に外れてしまったようです。私の小説には「現実と見紛うほどのリアリティ」が不足していたのでしょう。中沢氏から、「物語として作品化する以前に率直に体験を描いてみることを試みてはどうだろうか」という指摘をいただいてしまうのも、私の力量不足故の話です。私はあくまで、@untamagiruuこと運玉義留氏と、沖縄で生きてきた私自身の両方の体験を小説で率直に描いたつもりですが、私は作り話や虚構という印象を私の小説から払拭できなかったようです(もちろん小説は作り話や虚構の類ではあるのですが)。私の「現実を語る技術」はまだまだ未熟です。

最後の一言が長くなってしまいました。以下より、「油喰坊主と運玉義留」の始まりです。せっかくなので、小説を読み終えた方は、@untamagiruuこと運玉義留氏をネットで検索し、ツイッター上での彼の闘いも確認してあげて下さい。それでは、どうぞお楽しみ下さい。

油喰坊主と運玉義留


小論文の添削作業の大部分は、根拠と例示の不備の指摘、余計な文章の削除、序論・本論・結論の型に内容を落とし込むことの指示、「てにをは」や誤字脱字の訂正、なのであるが、今回ばかりは、どのように赤入れをしたらいいのか、すぐには見当がつかなかった。

何だこれは、というのが正直な感想であった。

小論文は、H高校三年のツヨシが書いたもので、課題は「米軍専用施設が沖縄経済にもたらす機会損失」についての考えを問うものである。過去に米軍のヘリが墜落したことのあるO大学ならではの小論文課題といえる。先週の小論講座で取り上げたこの課題を、トレーニングのつもりでツヨシにも課してみたのだが、このような小論文を書いてくるとは全く予想できなかった。

通常、小論文では、新聞などから仕入れた情報や、実体験から得た情報が引用されるものだが、ツヨシの書いた小論文は、出所と真偽が一切不明の情報に溢れていた。情報の出所の確認。これをまずは行おう。情報の真偽の確認はその後だ。このように考えながら、ツヨシの席に私は向かった。

ツヨシは「さわふじ教室」の三十二番の席に座っていた。二十坪ほどの部屋に、机が所狭しと並んでいる。それらは全てベニヤ板のパーティションで仕切られており、個々の机の正面には、番号の記入された紙が貼られていた。

「…こんにちは」

話し掛けながら横から近付くと、ツヨシは読んでいた本から顔を上げて私を一瞥し、イヤホンを外した。

「ツヨシ、小論読ませてもらったんだけど、ちょっと質問していいかな?」

ツヨシは黙って頷いた。

「この小論で、ツヨシが書いていることって、どこから仕入れた情報なの?」

近くにあった丸椅子を片手でたぐり寄せて座りながら、私は単刀直入に質問した。

ツヨシは、私が差し出した小論文を見つめている。

「例えばこの部分。ツヨシは米軍基地を肯定的に捉えていて、それはそれで一つの意見としてありだと俺は思うんだけど、このマインド・クリーン・プロジェクトというのは一体何なの?」

ツヨシは、私が指差している箇所を読んでいる。

「「平和運動家が基地のフェンスに貼り付けたテープを清掃するマインド・クリーン・プロジェクトは、街の景観を守り、米軍への感謝を表現している」ってツヨシはこの箇所で書いているけど、マインド・クリーン・プロジェクトの説明を、どこかでしないと、読み手が置いてけぼりになってしまうと思うんだよ」

「結構有名ですよ。マインド・クリーン・プロジェクトは」

ツヨシが、丁寧に、ではあるが、やや冷ややかにそう答えた。

「有名なの?俺初めて聞いたよ。どこでこれを知ったの?」

「ネットです。でも、新聞やテレビのニュースでも取り上げられていますよ」

「そうなのか。俺、全然知らなかったよ。で、このマインド・クリーン・プロジェクトっていうのは、市民団体か何かなの?」

「そうです。確か、宜野湾市在住の市民が中心になって立ち上げた市民団体です」

「この市民団体が誰によって何を目的にしていつ頃作られたのかを書いたほうがいいよ。いきなりマインド・クリーン・プロジェクトって書いたら、読み手は何だこれはって思ってしまうから…」

ツヨシは沈黙したまま私の話を聞いている。

「あと、この部分も気になった。「沖縄の米軍基地の負担割合は74%ではない」って断言している箇所についてなんだけど、これはどこから引っ張ってきた情報なの?」

「ネットです」

「そうか。ネットなのか。じゃあ、この「中国が攻めてくるから、米軍は必要だ。米軍の抑止力がないと、中国が攻めてくる」という箇所もネットからの情報?」

「ええ、まあ。でも、これはもはや常識ですよ」

「そうなの?」

やや大きな声を私は出してしまった。

引用されている情報の出所が全てネットであったとしても、内容が事実であれば問題はない。しかし、ツヨシが小論文に書いていることは、私が初めて耳にする情報であったので、この時点でその真偽を明確に判断することは難しかった。そこで私は、ツヨシに次のように返答した。

「ツヨシ。この小論で君が引用している情報の真偽を俺は判断できない。一度、ツヨシが小論に書いた内容を、俺は自分で調べてみるから、それまで待っていてくれないか?」

ツヨシは私の返答を聞くと、いいですよと言わんばかりに頷いた。

職員室に戻ると、私は自分のデスクでしばらく考え込んでしまった。はっきり言って、ショックであった。

地元沖縄のH高校の三年生が、ネットで仕入れた真偽の不確かな情報だけで小論文を書いていることはもちろんショックであったが、そのような情報に基づいて米軍基地を肯定していることが、何よりもショックであった。

二十年。私が沖縄から離れていた期間である。自分が沖縄にいなかった間に、沖縄人は、大きく変容してしまったのだろうか。

米軍基地を受け入れる。このような判断をする沖縄人がいることを、私は知っている。

いくら拒否しても、基地が押し付けられてしまう状況で、仕方なく、それなりのものを見返りにして基地を受け入れる。このような仕方で、米軍基地を受け入れる沖縄人がいることを私は知っている。

ところがどうだ。今、私の目の前にいたあの高校生。悪びれもせず、米軍基地の存在を全面的に肯定していた。それも、「沖縄の米軍基地の負担割合は74%ではない」や「米軍の抑止力」や「中国が攻めてくる」といった、不思議な言い回しとともに、である。

私が高校生の頃は、このような言い回しを用いて、米軍基地の存在を肯定する人間は、少なくとも私の周囲にはいなかった。

しかしあの頃、今から約二十年前、このような高校生は、確かに私の周囲にはいなかったものの、米軍基地について考えを巡らすという機会自体が、ほとんどなかったように思う。そのような話題を避けていたのではなく、そのような話題に私は徹底的に無関心だったのだ。このような高校生だったのは、私だけではあるまい。

これはこれで問題だろう。いや、大問題であろう。この問題が、今のこの状態を用意したのではないか?身近な問題である米軍基地を語る語彙や術を洗練させてこなかったことのツケ。「政治的な話」を学校で取り上げず、議論の作法を学んでこなかったことのツケ。試験に役立つことばかりを優先して、それ以外のことを無駄なこととして切り捨ててきたツケ。

これらのツケを今、私達は、払わされているのではないか?

自分の学生時代、とりわけ高校時代のことを思い出しつつ、ツヨシの小論文をリュックに仕舞い、私は塾を後にした。

※※※※

「朝自が終わらない…」

そう言いながら、疲れ果てた顔でワカナは、そのまま机に突っ伏した。俺も今日の分の朝自をまだ終わらせていない。ていうか、既に一週間分ほど溜めてしまっている。

朝自に突っ伏しながら、ワカナは足をぶらぶらさせている。

「はあ、入試科目に数学ないから、朝自やる必要ないんだけどな…。でも、やらんとサキマがうるさいし…。あーでももう疲れたから、寮帰ろう。そんで二丁目で何か食い物でも買お!」

ワカナはぶつぶつ一人でつぶやいていたが、「おし!」と一言つぶやいて身支度を整えると、「んじゃ!」と笑顔で手を振り、教室から元気に走り去っていった。

相変わらず言動が面白い。疲れているはずなのに、なんて力強い帰り方だ。H高校にはユニークな生徒が多いのだが、ワカナは特にそうだ。女なのに言動が男みたいで非常に逞しい。宮古島出身だからだろうか。

比較的新しい学校ではあるが、H高校は沖縄一の進学校として有名だ。沖縄中から生徒が集まってきており、その多くは国公立大学を目指す。

小高い丘と墓に囲まれたH高校は、受験勉強に没頭したい人にとってはベストな学習環境なのであろうが、そこまで勉強したくないのに様々な事情で迷い込んで来てしまった生徒にとっては、不満の多い学校であった。なぜなら、H高校での教育は「知識の詰め込み」という言葉がぴったりのものだからだ。

例えばH高校では、生徒は朝自を毎朝解くことになっている。朝自というのはA4一枚の数学プリントのことで、生徒は毎日、数学の問題を必ず解かなければならない。でも、大半の生徒が朝自を消化できずに溜めてしまう。やるべきことが多く、圧倒的に時間が足りないからだ。

「やるべきことが多く」と表現すると語弊がある。「必要だからこそ取り組まなければならない作業」という意味に受け取られてしまうおそれがあるので、「教師によって一方的に課される無駄な作業」と正確に表現したほうがよい。ワカナがぼやいていたように、入試科目に数学が存在していないのに、数学を生徒にやらせるような、そんな無駄な作業がH高校には数多く存在する。

早朝七時四十五分から始まるゼロ校時もH高校ならではの無駄だ。

ゼロ校時の質は、通常の授業のそれと変わらない。そのためゼロ校時は、「これだけ大量に勉強させていれば、文句を言われなくて済むだろう」という、周囲の目を気にした教師達の自己保身的な態度の産物にしか思えない。

教師の教え方がうまいなら、まだ我慢できる。しかし、そんなことはないから辛いのだ。特に、担任のサキマによる数学の授業は「退屈」の一言に尽きる。何の工夫もなく、教科書の内容をそのままなぞるような授業なので、聞いていて眠くなってしまう。これなら授業になど出ずに、自分で勉強したほうがよい。授業の質がこんな感じだから、ゼロ校時は残念なことに、仮眠タイムと化している。ほとんどの生徒が授業中に寝ている。ゼロ校時は教師の自己保身と自己満足のためにあるような無駄な時間だ。もしも生徒の大学合格実績が悪くなれば、自分達の教え方ではなく、生徒の質のせいにして弁解するつもりなのだろう。ゼロ校時はそのためのアリバイなのだ。これだけ自分達は頑張っていますというポーズなのだ。そう考えないと、ゼロ校時の内容のお粗末さが説明できない。

無駄なものはゼロ校時の他にもある。

おかしな規則も、H高校における無駄を語る上で欠かせない。

例えば、全ての教室の壁に掲げられた「コーラ・ジュースを飲まない」という文言がそうだ。コーラには糖分が多めに含まれているからまだ理解できるが、なぜジュースも駄目なのだろう。「スリッパを履く」という文言も謎だ。なぜシューズでは駄目なのか。「ガラスを割らない」という文言に至っては、もはやシュールだ。このような規則を設定した人の抱えるトラウマのようなものがほの見えて、なかなかに恐ろしいものがある。

入学するまで、このようなおかしな規則があることを予測できる生徒はいない。入学後、教室の壁を見上げて、生徒は不思議に思うのだ。

明文化されてはいないが、H高校には、次のようなおかしな規則も存在する。

「男女は手をつないで公道を歩くな」

これは、無駄とかおかしいというよりも、人権侵害のように思える。H高校は、森林で覆われた小高い丘に隣接している。そこには、バスの停留所につながる公道が一本通っており、薄暗くてやや気味の悪い空間であるが、普段から多くの生徒が利用している。

ある日、その公道で、仲睦まじく手をつないで歩くH高校の男子生徒と女子生徒が近隣住民によって目撃されたのだそうだ。

よくある話だ。高校生にもなれば、男女が手をつないで歩くこともあるだろう。

だが、これを目撃した近隣住民は、H高校に苦情の電話を入れた。それは「おたくの教育、どうなってんの?」という趣旨の抗議電話だったらしい。そして学校側は、「男女は手をつないで公道を歩くな」というおかしな規則をこしらえた。

このような電話を学校にかけてくる近隣住民もどうかしているし、その電話を受けて、こんなおかしな規則を作ってしまう学校もどうかしている。人を好きになって、手をつないで歩くことの何が問題なのか。教師達はH高校と自分達の評判を気にしすぎている。近隣住民に「おたくの教育、どうなってんの?」と聞かれて、「生徒が恋愛にかまけて、受験勉強が疎かになると、大学合格実績が悪くなり、H高校とその教職員の評判が落ちる。だから、手をつないで歩くの禁止!」という具合に、教師達は考えたのだろう。しかし、恋愛という、個人のプライベートな領域に制限をかける権限は、近隣住民や教師にはないはずだ。

うちらのことをうちら抜きで勝手に決めんなよと思うことが多い。おかしな規則が存在する根拠を教師に聞いても、納得いく答えが返ってくることはない。たいてい、規則は規則だからという答えが返ってくる。教師達の中には、自分達がしていることのおかしさに薄々気付いている人もいるが、苦笑いしてそのまま放置してしまう。問題提起は絶対にしない。せいぜい、内輪の飲み会などで、愚痴をこぼすことぐらいしかしないのだろう。「こんな規則や決まりを作ることは、個人的にはおかしいと思うんだけどね」と生徒にこぼすものの、結局は傍観する側に回る。

ああ。それにしても気持ち悪い。この、「男女は手をつないで公道を歩くな」については、俺だけでなく、多数の同期が憤った。進学校に来ているとはいえ、皆、恋愛には興味があったし、片思いの人もいれば、両思いの人もいたからだ。

論理的で納得のいく説明もなく、「男女は手をつないで公道を歩くな」という規則だけが、ホームルームで教師から言い渡されるH高校は、どう考えてもおかしいと思う。

H高校のおかしさが教師に起因するものであることは言うまでもない。ましな教師もいたが、明らかに何か勘違いしているような、おかしな教師もいた。

例えば、英語教師のムラヤマ。彼は全体朝礼の場で、厳かに次のように述べた。

「君達八期生は、H高校創立以来、最も出来が悪い。したがって覚悟をもって日々勉学に励んでもらいたい。私に残された時間は少ない。たまの息抜きは良いが、二日以上の息抜きは言語道断だ。ひたすら勉強しなさい」

勉強を怠けがちな生徒を叱咤する、生徒思いの良い教師。ムラヤマをこのように評する人もいるのかもしれない。しかし、少なくとも俺は、ムラヤマの存在にイラついていた。

創立以来最悪だとかうっせーよ。余計なお世話だっての。八期生って大きな括りで人を捉えるなよ。自分のことは自分で考えて、自分のペースでコツコツやってく。余計なプレッシャーをいちいちかけんな。

ムラヤマと接する度に、俺は心の中でこのような悪態をついていたが、他の同期も俺と同じ心境だったのではないかと思う。とにかくムラヤマは、「生徒に対して高圧的に振る舞う嫌な奴」という印象が強かった。

ムラヤマの蛮行については、こんなこともあった。

隣の席のサチコが、ムラヤマの英語授業を受けた後に、沈んだ表情をしていた。「どうしたの?」と俺が理由を聞くと、「everythingは単数扱いの代名詞なのに、複数扱いと勘違いして英文を書いちゃったの。そしたら、「こんな簡単なことを君は知らなかったのか?今まで君は何をしていたんだ?」とムラヤマに意地悪く言われた」とサチコは答えて、その後もしばらく落ち込んでいた。

「こんな簡単なことを君は知らなかったのか?今まで君は何をしていたんだ?」などという言葉は余計だろう。なんで生徒を落ち込ませることをいちいち言うんだあいつは?一回死なしたほうがいいんじゃないか?なんか勘違いしてないか?しにむかつく!

サチコから話を聞き、俺は憤った。知識を教えることが仕事なら、淡々と知識を教えればいいだけなのに、なぜ余計な侮辱を入れる?これは嫌がらせではないか?

おかしな教師はムラヤマの他にもいた。教頭が群を抜いておかしかった。いつもイライラしており、顔が引きつっていて、見るからにおかしかった。

ある日の土曜。模試を終えて開放的な気分になっていた俺は、同期と一緒に運動場でテニスに興じていた。すると、スピーカーから大音量で教頭の声が響いてきた。

「そこの生徒!テニスをしている生徒!何考えてんの!早く帰りなさい!」

何考えてんの、だと?

だあ、俺が考えていることをあんたに教えてやるよ。そう思った俺はラケット片手に職員室へ向かった。教頭と交渉して、テニスを許可してもらおう。このように考えての行動だった。

職員室の前の廊下で、俺は教頭とばったり出くわした。「教頭先生、テニスをさせていただきたいので、交渉しに参りました」と丁寧に俺が切り出すと、教頭はいきなり激怒した。

「お前はバカか!帰れ!早く帰れ!」

開口一番、教頭はこのように述べた。そしてその後も「帰れ!」としか言わず、こちらの話に耳を傾けようとしなかった。

話が噛み合わないどころか、話自体に耳を傾けてくれないので、交渉にならない。

駄目だこの人は。

こんな、他人と話し合いのできない人間が、なんで教頭なんかやってんだろうと、俺は心底ガッカリした。その一方で、なぜあんなに心に余裕がないのだろうと不思議に思った。いつもイライラしていて、顔が引きつっていて、肩に力が入っている。

朝自、ゼロ校時、おかしな規則、勘違い教師、イライラ教頭。俺にとってH高校は、こんなふうにして語りはじめるしかない妙な学校だ。

もともと俺は、中学卒業後は、同じ町内のN高校に進学しようと考えていた。N高校はサッカーが強く、当時はJリーグが人気だったこともあり、単純にサッカーがしたくて、N高校への進学を俺は希望していた。

だが俺は、父親の強引な勧めで、H高校への進学を余儀なくされた。「H高校か私立のS高校に行け。それ以外の選択は許さん」と迫る父親に逆らえなかったのは、我ながら情けなかった。

でも、「偏差値の高い学校に入学できない人間はカスだ。努力や我慢を嫌う、生きる資格のない、怠惰な人間だ」とでも表現できるような、父親の殺伐とした価値観に俺は反発しつつも、実際そうなのだろう、世の中、偏差値の高い高校や大学に進学できなければ、生きる資格はないのかもしれない、とも心のどこかで思っていた。

だから俺は、父親に反発しつつも、どこかで仕方ないとあきらめるようにして、H高校へ進学したのだった。

しかし、慣れとは恐ろしいもので、当初は嫌々ながら入ったH高校であったが、友人ができ、やがて好きな人なんかもできて、一年二年と時が経つにつれ、息をするかのように勉強をする生活に俺は順応し、次第にH高校の生徒らしくなっていった。

ゼロ校時に間に合うように、朝は毎日六時半頃に起床。甘えは許されない。とにかく身を引きちぎるようにして起床し、手短に食事を済ませて身支度を整え、父親の運転する車へ。混み合う校門前を避け、寮の近くの路地で車を降り、正門を抜けて下駄箱へ。靴を緑色のスリッパに履き替えて、階段を登り教室に。教室入ってすぐ右のボックスから、今日の分の朝自を抜き取り自分の机へ。利きすぎるクーラーに備えてジャージの上着を着用して朝自に取り組む。ゼロ校時がはじまれば、壁に貼られたおかしな規則を眺めながら睡魔と格闘。十二時すぎてやっと昼食。模試の解説や辞書の山で足の踏み場のない教室で、弁当を食べつつ友人達と談笑。昼食後、再び授業に耐える。その後に掃除を行い、十七時半頃に学校から脱出。寮の近くの路地から、ひたすら坂を降りていく形で歩き、運玉義留で有名な運玉森を正面に見据えながら、四十分ほどかけて帰宅。

「石の声」が開催されたのは、このリズムの生活が三年目に突入した高三の初夏であった。このイベントを企画したのは、芸術科の生徒達であった。

芸術科というのは、H高校の学科の一つで、絵や彫刻やピアノの修練に励む生徒が所属していた。

クラスは一学年に一つしかなく、女子ばかりで、男子は一人か二人しかいない。他の学科とは交流がほとんどないため、同じ学校の生徒でありながら、芸術科の生徒達の生態は謎に包まれていた。

ただ、芸術科の生徒達は、学校中の廊下の端にローソクを配置したり、校内のガレージみたいな場所で絵の具まみれになって倒れていたり、自分の髪の色に難癖をつけた教師を名指しして、「○○!絶対くるす!」と文化祭時に体育館の舞台で怒りのスピーチをかます神懸かった先輩がいたりと、かなり自由な人々であることは分かっていた。国公立大学を目指して、ひたすら受験勉強に励む俺達と、芸術科の人々の毛色が異なることは確かだった。

その芸術科の人々が企画した「石の声」というイベントの内容は、沖縄戦戦没者数と同じ数の小石にマジックペンで番号を記入し、戦死者数の多さを実感しつつ、霊を慰めるというものであった。

イベントは、宜野湾市の某美術館で行われるそうで、このことを告げるポスターが、校内の至る所に貼られていた。

「石の声」の開催日は土曜日であった。本来は休日なのであるが、進学校のH高校らしく、この日は模試の実施日であった。俺は「石の声」に興味はなかったので、同期のタダシが、模試直前に言った言葉に驚いてしまった。

「こんなことしている場合じゃないあんに?「石の声」にわったーも参加すべきじゃないか?」

耳を疑った。何言ってんだこいつ?と訝しく思った。もう高三だぜ?受験生だぜ?そんなのに参加している時間はないぜ?と思った。

昔から、沖縄戦の悲惨さはテレビや新聞を通して学んでおり、慰霊の日には黙祷を欠かさなかったので、沖縄戦で亡くなった方々を慰霊することについては、変な言い方になるが、一定の自信があった。沖縄戦とその犠牲者について、知るべきことは知っている、やるべきことはやっているという自負が俺にはあった。

だからこそ、石に二十万もの数字をマジックペンで刻むという途方もない作業に関しては、「なぜそんな面倒なことをする?」という疑問しか浮かばなかった。亡くなった人々のことを想い、静かに黙祷するだけでいいではないかという疑問があった。

「俺らもう高三だよ?目の前の受験に集中しないと。沖縄戦関連の活動に関わったところで、センター試験や二次試験の役には立たないよ。意義のあるイベントなのかもしれないけど、今の俺らの目標には直接関わってこないよ。「石の声」ははっきり言って、今の俺らには無駄なことだよ。だから別に参加しなくていいと思うよ」

タダシは口を開いて俺に何か言おうとした。だが、教室のドアがガラガラと開き、担任のサキマが入ってきたので、タダシはそのまま口をつぐんでしまった。

※※※※

二十一時。

久茂地交差点近くの和風居酒屋に、私を含めて七名の同期が集まった。

皆、H高校時代の同期である。

本土からマキオが久々に沖縄に帰ってきたので、高校時代の同期で集まることになったのである。

「変わらないねえ」「いやあ。白髪が目立つようになってきちゃって」などと言い合いながら、オリオンビールで乾杯を交わす。

皆、四十手前の働き盛りだ。弁護士のマキオ、某団体職員のシンゴ、小学校教員のアツシ、中学校の理科教員のオサム、IT系企業に勤めるヒロカズ、貿易関連会社の経理のヒデジ、そして塾講師の私。それぞれの仕事の様子や家庭の話題で盛り上がり、終始笑いが絶えない。

飲み会が二時間を過ぎた頃、アツシとオサムがしみじみと語り合っていた。ここ最近、小学校でも中学校でも、「成績を上げろ」という上からのプレッシャーが強く、現場が殺伐としているのだそうだ。

「今の小学校ってH高校みたいだぜ。朝のプリントっていう、朝自みたいなものを毎朝解く。放課後も、学力テスト対策の補講が設定されている。勉強させられる生徒もかわいそうだけど、俺達教員も大変。プレッシャーや、毎日の忙しさで体を壊して休職する人がいる。実は俺も体調崩してしまって、薬飲みながら教員している。このまま教員を続けるかどうか本気で迷っている」

アツシがかなり深刻な話をしていた。

「アツシ、お前の話分かるぜ。中学も似たようなもんだぜ。最近の学校おかしいよな。別に進学校でもない普通の公立学校でも、勉強の無理強いが激しい。俺は胃腸をやられた。やること多すぎて。プレッシャーもあるし。生徒を勉強に追い立てているようで心苦しいし。中学校だと部活の顧問もやらないといけないし。学校ってあれだぜ、あれ、そう、ブラック企業だぜ」

オサムもアツシと同じく、学校という職場でかなりのダメージを受けながら働いているようだ。

沖縄県は学力の低い県として知られている。しかし、最近は状況が変わってきている。ここ二、三年の間に、沖縄県は全国学力テスト最下位の状態から脱したのだ。

三年ほど前から沖縄県は、全国学力テスト対策を小学校に盛り込んだ。アツシが話していたことがその内容である。その成果は確実に出ている。しかし、現場の教師や生徒にかかる負担は、思いのほか大きいようだ。

現在このやり方は、中学校にまで導入されようとしているらしい。いわゆる「知識の詰め込み」が、沖縄中の小中学校で行われることになる。H高校の真似事を、沖縄中の学校が一斉にしているようなものだ。

全国学力テストの成績の向上。これを目標にして、勉強を児童生徒に強いること。このことの弊害について、沖縄県の教育関係者は無頓着のようだ。

こんな具合に学校が、競走主義丸出しの、プレッシャーが強く、長時間労働当たり前のブラック企業のような場所であるならば、米軍基地に代表されるような、沖縄での生活に密着した身近な話題を授業で取り上げて、これらについてしっかり議論を行うなんてことは無理であろう。このような実践は、「全国学力テストには米軍基地に関する設問が存在しない」という理由で無駄なものとして切り捨てられるのだろう。

試験に出ないことは無駄なこと。取り組む必要のないこと。

このままでは、このような価値観が形成され、児童生徒は、自分達が生活している沖縄の問題からますます遠ざけられてしまうのではないか。学力の向上と引き換えにして、今後益々沖縄では、このような傾向が加速していくのではないか。そして、その間隙を縫うようにして、ネット経由の親米保守的な言説が、児童生徒を絡め取っていくのではないか。

ツヨシのことで頭が一杯だった私は、アツシとオサムの話を聞いているうちに、このようなことを考えていた。

せっかくなので、この際私は、アツシとオサムだけでなく、この場にいる同期全員に、ツヨシの小論文の内容を話してみることにした。

「先週、塾で高校生に米軍基地に関して小論を書いてもらったんだけど、その内容が、「沖縄の米軍基地の負担割合は74%ではない」とか、「中国が攻めてくるから、抑止力として米軍は必要だ」というものだったわけ。俺、びっくりしちゃってさ。こういうの、みんなどう思う?」

すると、隣に座っていたヒロカズが予想外の発言をした。

「なんでよ?どこもおかしくないさ」

「え?」

「中国のような野蛮な国から日本を守るには、米軍が必要に決まってる」

ヒロカズの語調は当たり前でしょと言わんばかりの勢いであった。

「中国が攻めてきても、米軍が中国と戦ってくれるという保証はないんじゃない?米軍は米軍の都合で沖縄に居座っているだけでは?米軍が中国と戦争するメリットって何かある?」

負けじと私は反論した。

「そんなこと言っているから、平和ボケって言われるんだよ。どんだけ中国が野蛮な国か知ってる?あいつらチベットに侵攻してるんだよ?いつ日本に攻めてきてもおかしくない」

「ヒロカズ、お前、米軍が中国と戦ってくれるという確証を、どうやって得たの?」

質問に答えないヒロカズに苛立った私は、酔った勢いもあり、やや語気を強めて質問した。

「内容の偏向した地元新聞ばかり読んでいるから、中国の脅威に気付けないんだよ」

相変わらずヒロカズは質問に答えない。それどころか、地元の新聞の批判をはじめた。

私が語気を強めたのを察知したのだろう。他の同期達は会話をやめ、私とヒロカズのやりとりを注視している。

IT系企業で働くヒロカズは、日頃からネットに接することが多いに違いない。それで親米保守的な言説に毒されてしまったのだろうか。高校の頃、最も成績が優秀だったヒロカズがこのような状態に陥っていることに、私は情けなさと怒りを隠し切れなかった。

マキオが弁護士らしく、慎重に言葉を選びながら語り出した。

「ちょっといい?中国が日本を攻めるという話は、いわゆる保守と呼ばれる人々によって流布されているもので、具体的な根拠に欠けたものだと俺は思う。中国には確かに問題があるよ。軍事化しかり、チベットしかり。でも、米国や日本にも問題はある。むしろ、米国ほど他国に戦争を仕掛けている野蛮な国はない。そんな戦争中毒の米国との間で、日本は日米地位協定という不平等な取り決めを維持したまま、沖縄に米軍基地を何十年も置いている。米軍基地の存在は米国が振るう暴力そのものだよ。日本は米国の支配下で、沖縄に対して暴力的なことをし続けている。沖縄から見れば、中国だけでなく、米国も日本も野蛮だと思うな」

弁護士らしく、淀みなく語るマキオに、周囲は沈黙している。

今日の宴の主人公はマキオだ。彼との言い争いを避けようと考えたのだろう。さっきまで勢いのよかったヒロカズは、グラスを眺めながら、黙ってマキオの話を聞いている。

「俺は半信半疑なんだけど、米軍基地に反対している平和運動家って、中国からお金もらって運動やってるって話を聞いたことがあって、最初は疑っていたんだけど、つい最近、辺野古の新基地建設反対運動に参加した知り合いから、「五千円って記入された封筒を見た」って聞いたんだよ。俺、その時はホントびっくりした。本当に中国からお金が沖縄の平和運動家に流れてんのかもって思った」

貿易関連会社に勤めるヒデジが、皆を見ながら驚きの表情で語りはじめた。ヒロカズと異なりヒデジは、何が真実か分からないというような、遠慮がちな調子で話している。

「知り合いが封筒を見たって言うけど、その知り合いって信用できるの?それに、その封筒のお金が中国から入ってきたものってなぜいえる?その知り合いの勘違いか嘘なんじゃない?」

このような疑問を私が口にすると、「いやあ、本当かどうかは分からないけど、とにかく知り合いがそう言ってたんだ」と、ヒデジは弁解するかのように答えた。

「基地反対運動って矛盾してるから、信用できないな、俺は」

今度はシンゴが話しはじめた。シンゴは某団体職員だ。

「みんな知ってるか?名護市長よ。基地反対って言っておきながら、米軍が基地を返還しようとしたら、それを断るんだぜ?おかしいだろ?基地に反対するなら、基地の返還を受け入れるのが筋だろ?だから俺は、基地反対って言っている人が信用できん」

これについて私は初耳だった。なぜ名護市長は基地反対を表明しつつ、基地の返還を拒むのだろう。確かにおかしい。

「それは、細切れ返還を拒否しているのであって、基地反対とは矛盾しないのでは?」

淡々とした口調で、マキオが突っ込みを入れてきた。

「は?細切れ返還って何?」

「傾斜地や狭い土地など、再開発しにくい土地を返還すること」

「なんで細切れだと駄目なの?基地返還であることには変わりはないさ。基地反対の立場なら、細切れの返還でも受け入れて、基地を減らしていくべきでしょ?」

シンゴが反論する。

マキオは、分かる分かると共感するかのように、うんうんと頷きながら、冷静に次のように答えた。

「名護市は再開発しやすいまとまった土地を求めている。借地料を生活の糧にしている地主が返還後に生活で困らないように、再開発できて地主が収入の目処が付けやすいまとまった土地が返還されて欲しいってこと。もしも細切れ返還を受け入れると、借地料に代わる収入が得られない地主は生活に困ってしまう。だから細切れ返還は嫌われるのさ」

マキオの説明は非常に分かりやすかった。

「でも、返還後に収入がなくなるっていうのは、地主個人の問題だろ?なんで米軍が借地料に代わる収入を地主に保証しないといけんの?」

シンゴが再び反論する。

「別に米軍は地主に収入を保証しないよ。再開発しやすい形で土地を返還することを地主は米軍に求めているのであって、米軍に収入を保証してもらうわけではないよ。地主は米軍に金くれって言っているわけではないよ」

「それは分かってる。俺が言いたいのは、返還後の収入源を確保するのは地主個人の問題だろってことだよ」

マキオは粘り強く説明を続けた。

「もとはといえば、米軍が地主から土地を奪ったから、こんな状況になっている。米軍が土地を奪わなければ、地主は自分の土地を様々な商売に生かせたはず。しかし米軍が土地を強奪したから、それができなくなった。それに、米軍は当初、地主から奪った土地を無料で使っていた。地主達は米軍に異議申し立てをして、プライス勧告に反対して、やっと借地料を払わせるところまでもっていって、今に至るんだ」

シンゴは黙ってマキオの解説を聞いている。

「つまり借地料を生活の糧にする地主の存在は米軍によって作り出されたものなんだよ。地主が借地料に頼るように仕向けたのは、地主から土地を奪った米軍なんだ。だから米軍には、地主が生活に困らないように、奪った土地をせめて再開発しやすい形で、返還する責任があるのさ」

長い説明を終えた後、マキオはビールをぐいっと飲み干した。

しかしシンゴはまだ納得がいかない様子だ。

「米軍が土地を地主から奪ったのは事実だとしても、それは戦争だから仕方ないんじゃないか?なんでそんな過去のことを今でも問題にするんだよ?」

シンゴのこの台詞に、マキオはすぐに返答した。

「ハーグ陸戦条約の第四十六条で、私有財産の没収は禁止されている。だから米軍が地主から土地を奪ったことは、戦争だからといって正当化できるものではないよ…」

相変わらずシンゴは、納得いかないという表情をしていたが、ヒロカズと同様、本日の主役であるマキオに気を使ったのか、そのまま黙った。

私は、マキオの話したことの真偽が判断できるほど、基地返還に関する事実関係に詳しくなかったので、今日耳にしたことを後で調べてみよう、と考えていた。

それにしても、なぜマキオは米軍基地関連のことに詳しいのだろう。仕事柄、法律や人権に関する話題に敏感だからであろうか。それとも、沖縄から離れて本土で生活しているからであろうか。沖縄から出ると、なぜか沖縄のことが気にかかり、沖縄について知りたくなるものである。実際私がそうであった。

いずれにせよ、このようなやり取りが同期の飲み会で行われるとは思っていなかった。ツヨシのことを思い切って話題にして正解である。塾や学校の授業でもこのような議論が自然に行われたらいいのであるが。

「そういえば、オサムは基地反対派だぜ」

場の雰囲気を和ますようにして、意味ありげな笑みを浮かべながら、ヒデジがオサムの顔を見た。私は「へえ」と驚いた。オサムは昔から、「政治的な話」とは無縁な人で、「基地反対」という言葉が似合わない人物だったからだ。今でこそ教員をしているが、高校生の頃は、飲酒や喫煙などの問題行動を度々起こしていた。

皆の注目を浴びながらも、オサムは落ち着いた調子で携帯をいじり、隣に座っていたシンゴにその画面を見せた。「なにこれ!これはひどい!」と声をあげるシンゴ。なんだなんだと皆が覗き込む。

携帯の画面には、フロントがぐしゃぐしゃに潰れた車が写っていた。

「もしかしてYナンバーと?」

アツシがそう聞くと、オサムは頷いて詳細を話しはじめた。

「これなんだけどよ。休日に子ども乗せてゴーパチ走ってたら、軍車両がいきなり突っ込んできてこうなった。幸い怪我はなかったけど、見てこの車、ひどいだろ?でもむこうは無傷だった。軍車両って、あれしに頑丈だぜ。あんな危ないものが普通の車と一緒に公道走ってたら駄目だろ!それにあったー運転が滅茶苦茶だぜ。車が頑丈だから、なめた運転してるとしか思えん。俺、この事故以来、基地には反対。あんなものがあると、事故がまた起きるぜ」

オサムは本気で怒っていたので、皆その剣幕に圧されてしまった。

「で、さらにむかつくのが事故の後だわけよ。米兵はソーリーとか言って先に帰っていくのに、俺らだけ道で待たされて、警察じゃなくて沖縄防衛局の人と話さないといけなくて、しに面倒」

ヒデジはからかい気味に、オサムを「基地反対派」と呼んだが、オサムはヒデジのことなど意に介していない。ヒロカズやシンゴは、基地反対運動に不信感を抱いているはずであるが、オサムには何の反論も示さなかった。

この風景を眺めていた私は、これは面白い、としきりに思っていた。

生活経験に根差した言葉には、迫力と説得力がある。また、オサムの怒りの表情には人を引き込むインパクトがあった。

それにしても、である。私を含めて、同期の皆は、沖縄に長年住んでいるのに、沖縄のことをあまり知らない。どう考えても危険で迷惑な米軍基地に関して、ものを知らなすぎる。オサムだってそうだ。軍車両と衝突しないと、基地がもたらす危険性に気付けないなんて、鈍すぎやしないか?少し調べればすぐに分かりそうなことなのに。

しかし、これは仕方のないことなのだろう。米軍基地に関しては、学校で細かく勉強する機会がない。だから、この話題に関しては無知にならざるを得ないのだ。

私は、このような分析をしつつ、周囲を眺めていた。

その後、米軍基地関連の話は立ち消えになった。そして、「誰それが遂に結婚した」や「離婚した」や「子どもが可愛くてしょうがない」といった話になり、気が付くと、いつの間にかラストオーダーの時間になっていた。時刻は二十四時に近い。私達は飲み会をお開きとし、店の外に出た。

また集ろうと親しくお別れして、先にオサムとヒロカズとアツシがタクシーで帰った。皆、家庭のある人達だ。残された私達は、目的地を定めずに、ぞろぞろと路地を歩いていた。やがて先頭を歩いていたシンゴが、「さて、次どこ行きますか?」と、にやけ顔で振り向いた。

以前、二十年ぶりに沖縄に帰郷した私のために、高校の同期が飲み会を催してくれたのだが、その時にもシンゴの音頭で、浦添のキャバクラに行ったのだった。

このようなお店に行くことには抵抗を感じつつも、興味と義理意識から、のこのこキャバクラについていったのだが、短時間で八千円近くを失ったので、稼ぎの少ない身としてはやや不満が残った。

今回シンゴは松山に行こうと提案した。松山とは、いわゆる風俗街で、東京で言えば歌舞伎町に該当するような地域である。

前回と同じく、今回も流されるようにして、私は同期達とタクシーに乗り、松山に向かった。

松山に足を踏み入れるのは初めてである。普段なら絶対に行かない場所だ。シンゴも松山は初めてと言っていたが、遊び慣れているのか、一斉に群がってきた客引きの男達と、冷静に値段交渉をしはじめた。

私とマキオとヒデジは客引き達に取り囲まれて、顔を強張らせている。

「どんなお店探してます?ハッスル系?しっとり系?」「うちいいこいますようちいいこいますよ」「はい。ではすぐ近くなので、四名様ご案内!」と、複数の店舗の客引きがそれぞれ大声で話し掛けてくるので、大混乱状態である。

「お客さん。いったんコンビニの中で作戦会議したほうがいいすよ。うちら、コンビニの中には入れないというルールなんす。このままだと決めきれないすよ」

私達の硬直状態を心配したのか、眼鏡をかけた丸っこい客引きが、気を利かせて助言をしてくれた。

コンビニの中に逃げ込んだ私達は、シンゴに全てを任せた。しばらくすると、シンゴが外から手招きをしている。店が決まったようだ。送迎用のバンがコンビニの前に停車した。シンゴに促されるまま、その車に乗り込む。

ここまで来たからには最後までやろう。ソープに行こう。という話になっていたことを知らされたのは、車に乗り込んだ後だった。一万円で四十分。シンゴはしきりに金額を運転手に確認していた。

着いた場所は、辻と呼ばれる一帯であった。車から降りると、とあるビルの待合室に通された。そこでもシンゴは店員と交渉をしている。「四十分でこれ?少し高いよ?女の子チェンジできるの?何度でも?」と、しつこく問いかけるシンゴに、店員は終始穏やかに対応している。

最初にあてがわれる女は売れ残りだから断ったほうがいい。シンゴは慣れた口調で言った。金出して余りものの相手をさせられるのはたまらないから、気に入らないならどんどん断れ。ろくな女が一人もいないなら、店を変えたらいい。こんな具合に言い放つシンゴは、私が知っているシンゴではなかった。

「準備できましたー」

店員が待合室に入ってきた。どうする?誰が最初に行く?と皆が一瞬目を合わせる。

「じゃあ俺が行くよ」

私がドアに一番近かったので、私が先に行くことにした。

店員の案内に従って歩いていくと、階段の踊り場に、ひらひらした服を着た女性が立っているのが見えた。こちらに向かって何度もお辞儀をしている。

この人から話を聞いてみたい、と私は素朴に思った。宜しくお願いします、と挨拶し、その方が指し示す部屋に入った。

部屋は薄暗かった。風呂と寝室が合体したような部屋であった。

私は部屋に入るなり、次のように話した。

「すいません。私はエッチしたいとは思っていなくて、飲み会の帰りで、友人に流されるようにして今ここにいます。何もしなくてもいいですか?でもせっかくなので色々とお話をお伺いしたいので、もし差し障りなければ、あの、もしも嫌でしたら答えなくても結構ですので、色々質問をしても宜しいでしょうか?」

女性は一瞬「え?」という表情をしたが、「ええ。いいですよ」と笑顔で答えてくれた。

アカリさんは三十七歳とのことであった。四歳の子どもがいて、風俗遊びとギャンブル遊びの激しい旦那と半年前に離婚し、借金返済のためにソープで働くようになったのだという。

子どもは実家で預かってもらっており、両親と子どもには「飲み屋で夜働いている」と説明しているのだそうだ。

「旦那は建設関係の仕事で、月二十五万円ぐらい稼ぐんですけど、家にお金を入れてくれなかったんです。すぐにギャンブルや風俗で使ってしまう。仕方なく自分はピンサロで働いて生活費を稼いでたんですが、遂に離婚することになり、もっと稼げるソープで今は働いているんです」

「なぜここで働いているんですか?」という私の不躾な質問に、アカリさんは何ら抵抗を示すことなく答えてくれた。

なんだか欺瞞的であるような気がしなくもない。客として部屋に入り、良い人であるかのような素振りで、ズケズケとプライベートな部分に踏み込んだ質問をする自分に、私は気持ち悪さを感じていた。しかし、色々と聞いてみたいことがあったので、そのまま質問を続けた。

「もしも私が女だったら、いくら借金があったとしても、ソープで働くことは怖いので、生活保護を利用すると思うのですが、生活保護を利用するという選択は取らないのですか?」

要するに、なぜ生活保護という便利な制度があるのに、不特定多数の男とセックスをするというリスクの高い仕事をするのかと、私は聞きたかったのである。

するとアカリさんは、次のように答えた。

「生活保護って簡単にもらえるんですか?」

確かに簡単ではない。貯金の額がその地域の最低生活費を下回らないと生活保護は支給されない。生活保護の利用を勧めたものの、ソープで働いてなんとか生活を成り立たせている人に、ソープで働くのを辞めて、貯金の額を減らして、本当に困っている状態にして、生活保護の申請を勧めることにはどこか無理があるように思えた。

「風俗以外のお仕事をしながら、足りない分を生活保護で補うというのもありでは?」

「風俗で働くのは、昼の仕事よりも自分に合っているからです。昼の仕事はちょっと抵抗があって…」

抵抗がある理由を聞きたくなったが、話したくなさそうであったので、この質問は遠慮することにした。

「風俗の仕事をしている知り合いが周囲にいて、誘われて風俗の世界に入ったのですが?」

「ええ。風俗関係者が身近にいました。風俗の話をその人から事前に聞いていました」

「風俗の仕事で危険な目に遭ったことはあります?例えば、米兵に乱暴されそうになったこととかありますか?」

「体が大きくて怖いので、私は外国人はとらないようにしています。前に同僚が、外国人の客に生でレイプされそうになって、スタッフが駆け付けたら、日本語が理解できない振りをしたんです。もしかしたら米兵だったのかもしれません」

「乱暴する客も怖いと思うのですが、性病も怖くはないですか?」

「性病にかかるのは嫌なので、フェラのあとは必ず消毒液で消毒しています。フェラは生でやるのですが、性病を持っている客は、ペニスを洗ったときに腰を引いたり痛がったりする傾向があるので、ある程度見分けることができます。そしたらすぐに手でいかせて、絶対にフェラはしないようにします。一回抜いてしまえばそう簡単に立たないので」

「恋愛感情を客に抱かれることはあるのですか?」

「あります。でも、しきりに店外で会おうとする人が多くて、そういう人は単に体が目当てでしょ?ただでしたいと思っているだけ。結婚指輪しているのに、好きと言われても信用できないから、店外で会うことは避けています」

「差し支えなければ、現在の給与の額と借金の額を教えて下さいますか?」

「月十五万ぐらい稼いでいて、あと借金は三十万なので、もう少しで返せます。返したら、昼の仕事に挑戦してみようかと考えてます。正直、仕事は辛いです。でも割り切ってやっています。スタッフの人達は優しいので、助かっています」

「仕事での失敗談を聞かせてくれませんか?」

「風呂で濡れたままベッドで仕事するので冷えてしまって、勤めはじめた当初は、風邪をよく引いていました。でも、段々慣れてきて今は平気です。先輩のミユキねーねーが、「無理してあんたが倒れたら誰が金稼ぐの。子供が困るでしょ。堂々と休んだらいい」ってその時言ってくれたので、有難かった」 

ぷるるるると電話が鳴った。カラオケボックスのようだ。あと五分という合図の電話らしい。

最後にアカリさんは、冷蔵庫の隣のスタンドの下から携帯を取り出し、携帯の待ち受け画面を、嬉しそうに見せてくれた。

そこには、丸刈りの男の子が笑顔で写っていた。 

礼を言って立ち去ろうとすると、「スタッフには、エッチしなかったことを言わないで下さいね」とアカリさんに言われた。

部屋を出て階段を降り、ビルの外に出ると誰もいなかった。他の同期はまだビルの中のようだ。

客引きのお兄さんが、「どうでした?」と気さくに話し掛けてくる。

「そうですね。話が面白かったです」と曖昧に答える。

「誰でしたか?」とお兄さんが聞いてくるので、「ええと。名前はちょっと忘れてしまって」ととぼけた。

「もしかしたら、ユウカちゃんでしょ?」とお兄さん。

「そう、だったかな、そう、だと思います。多分」と私。

「そうでしょう。ユウカちゃんは人当たりがいいですよ」とお兄さんが満足げに言った時、ヒデジとマキオがビルの外に現れた。

ヒデジが、「もう二度と来ないな。思っていたよりも良くなかった」とポツンと言った。

マキオは浮かない顔で、「罪悪感がある」とだけ言った。

私達はビルの外でシンゴを待った。

しかし、いつまで経ってもシンゴは現れない。シンゴの携帯に電話をしたが反応がない。

お兄さんに事情を話して調べてもらったところ、シンゴは数度のチェンジを要求したあと、他の店に移動したとのことであった。

一体シンゴはどこの店に行ったのだろう。

仕方なく私達は、夜の辻の街をあてもなくフラフラと歩き、初ソープの感想を交換し合った。

「ひとつはっきりしたことがある。俺はセックスではなく、恋愛がしたいのだ」

マキオが力強く言った。

ヒデジは「う~ん。なんだろうこのモヤモヤは」と先程から苦しんでいる。

マキオはさらにこんなことを言った。

「ちゃんと勉強していたら、こんなところで働くことはなかったのにって思って、いろいろされつつも複雑な心境だった」

勉強という言葉に私は反応した。勉強。ソープで働かずに済むための勉強。何とも言えない違和感がある。それに、同情的ではあるが、マキオの物言いは、ソープで働く女性のことを何も知らないのに、彼等を怠惰な人間だと最初から決め付けるような、上から目線の物言いに思えた。

「そうだよな。努力して勉強さえしていれば、こんな仕事しなくて済んだだろうに」

ヒデジがマキオに同意を示した。

何かおかしい。

いくら勉強しても、競争の結果、仕事にあぶれる人は必ず出る。勉強しても、競争すれば、必ず差が生じて敗者が生まれる。だから、勉強すれば問題が解決するというわけではないだろう。

それに、好きでやっている人もいるのかもしれないが、ソープで働く女性達の多くは、女性が仕事から排除されている現代の日本社会で、構造的にソープに追い詰められた人達とは言えまいか。

つまり、女性が就くことのできる仕事の絶対数が不当に少ない社会では、いくら勉強して学歴を女性が身につけても、必ず仕事にあぶれる人が生じ、ソープで働かざるを得なくなるのではないか。

そして、このような構造の社会を維持している男性が、ソープに客として訪れる。あまつさえ、その男性は、既婚者であったりする。結婚には、労働から排除された女性が仕方なく頼る生命維持装置の側面がある。そう考えると、追い込み漁のように、女性をソープや結婚に追い立てている男性が、恐ろしい存在に思えてくる。

就くことのできる仕事の絶対数が男性によって制限されているために、女性の少なからずが、努力して勉強してもしなくても、ソープで働くことになるのなら、この場合の勉強は一体何のためのものなんだろう?

マキオとヒデジの言う勉強とは、受験勉強や資格試験の勉強を指すのであろう。しかし、もしも私の分析が正しいなら、ここで行うべき勉強は、この社会の構造と改善を目的にした勉強であるべきではないか。そして、アカリさんだけでなく、マキオやヒデジや私も、そのような勉強をすべきなのではないか。そうでなければ、根本的な解決にならないだろう。少ないパイを奪い合うだけの勉強ではなく、皆で生き延びるための勉強を、私達全員が行うべきではないか。

「で、そっちはどうだった?」

考え事をしている時に、突然ヒデジに尋ねられたので、反射的に私は正直に答えてしまった。

「俺はエッチせずにずっと会話をしていた」

ヒデジとマキオは「ええ!一万も出したのに?」と声をあげた。

しばらくすると、シンゴからメールが届いた。鳳仙花という名のソープから今出てきたところということであった。

鳳仙花を見つけ、その付近でシンゴと無事合流する。

シンゴは女の子の文句ばかり言っている。痩せすぎで、いまいちだった、というような文句を言い続けている。

ふと私は、このメンバーの中でシンゴが唯一の既婚者であることを思い出した。妻子のある身なのになぜ他の女性とセックスしてんだお前は?矛盾してんのはお前だろ?なぜ気付かないんだ?と強く言いたい気持ちに駆られた。

※※※※

土日が模試で潰れ、そのまま月曜に突入したから、休日が減っていることになる。

模試の見直しを行えば、模試を受けた意味はあるといえるのだけど、そんな時間はない。例のように、H高校の生活ではやるべきことが多く、ゆっくり模試の見直しをする時間が持てないのだ。

だから模試は、ゼロ校時と同じく、「貴重な時間を奪うだけの無駄な時間」と化している。たまに受けるのであれば、模試は実力の確認に使えるのだが、ほぼ毎月受けるのは、はっきり言って疲れるだけだ。時間の無駄だ。

学力向上のために、学力向上に必要な時間が模試で奪われるのは、矛盾といえば矛盾なのだけれども、H高校の三年ともなれば、様々な矛盾やおかしなことに慣れてきているわけであるので、いちいち気にはならない。

ただ、模試直前にタダシとした会話は、ずっと気にかかっていた。

「石の声」は結局、予定していた二十万余りの番号記入を達成できずに終了した。「あんな無駄なことに力を入れて、芸術科は暇でいいな」という皮肉が一瞬頭をよぎった。

こっちは寸暇を惜しんで勉強に励んでいるのに、あいつらは遊びのようなことをしていて羨ましい。このような嫉妬めいた気持ちが自分のどこかにあった。しかし同時に、「我慢して勉強しているうちらの方があいつらよりも将来報われるに違いない。そうに決まっている」という妙な優越感も存在していて、心が騒がしかった。

とにかく落ち着かなかったので、「石の声」のことを、隣の席のサチコに俺は話してみることにした。

「土曜に、「石の声」ってイベントあったの知ってる?」と俺が聞くと、「ああ。芸術科主催のやつでしょ?」とサチコは返答した。

「あれどう思う?石に戦没者の数だけ番号を刻むことに、何の意味があるんだろうって思わない?」

サチコはしばらく考えた後、次のように逆に質問をしてきた。

「意味っていうのは、見返りとか利益とか、そういうもの?」

「まあ、そういうこと。慰霊という行為自体は、黙祷でも可能なのに、なんでわざわざ石に番号を刻むという面倒な作業をするんだろう?俺にはそんな面倒な作業は無駄に思える」

「それは正論だと思う。石に番号を刻むのは疲れるし、時間がかかるし…。慰霊だけが目的なら、黙祷の方が手間がかからないから、忙しい時はそっちのほうがいいと思う」

「でしょ?やっぱそうだよね?この前の模試の直前で、「俺達も「石の声」に参加しないといけないんじゃないか」ってタダシが言ったから、俺は無駄だって言ったんだけど、やっぱそうだよね。慰霊するなら黙祷でいいよね」

「でも、タダシの言わんとしていたことも分かるような気がする」

「というと?」

「タダシは、沖縄戦の戦没者の慰霊だけではなくて、沖縄に向き合うということをしたかったんじゃないかな」

「…向き合うってどういう意味?」

「んー。沖縄とつながりのある全ての問題、例えば、今も沖縄に残っている米軍基地について自分なりの考えを固めるとか、他にもあると思うけど、そういうこと」

「なんで米軍基地が出てくるの?」

「例えばの話よ。他にも考えるべきことはあって、米軍基地はその一つで、タダシは、模試や受験勉強は大学進学を目指す自分達にとって大事だけど、沖縄で生きていく上で、同じように真剣に取り組まなければならないものが、模試や受験勉強以外にもあるんじゃないかって言いたかったのではないかな」

「…ふ~ん。なるほど…」

「多分よ。多分。私の考えが当たっているかどうか、タダシに確認してみて。で、分かったら私にも教えて」

「うん。確認してみる。ところでサチコは米軍基地についてどう思う?去年、少女暴行事件が起きて、米軍基地に対する反対運動が激しくなったけど、もしかして強く反対する?俺は基地にも米兵にも個人的な恨みはないから賛成でも反対でもない。ていうか、あんま関心がない」

サチコはしばらく黙っていたが、俺の顔を直視して、次のように言った。

「反対」

「なんで?」

「迷惑だから」

「なんか実際に被害にあったりしたの?」

反射的にそう聞くと、サチコは次のように述べた。

「小学生の頃、基地の傍で下半身丸出しの米兵に追っかけられて、とても怖かった。昼間なのにだよ?一生懸命走って逃げ切れたから良かったけど、捕まってしまったら、何されていたか分からない」

俺は絶句した。こんな身近に、米兵絡みの事件の被害者になりかけた人がいることに驚いた。

「え?それ本当?どこで?」

「浦添」

「サチコって浦添だっけ?」

「うん」

「浦添って基地あるの?」

「ある」

「でも、米兵以外にも、下半身露出する変質者ってどこにでもいるから、米兵や米軍基地をそこまで憎まなくてもいいんじゃない?」

「…」

思いついたことを、俺はそのまま言ってしまったのだが、サチコが俺の言葉を不快に思っていることが感じ取れたので、俺はすっかりうろたえてしまった。

「…そうかもしれない。変質者はどこにでもいるのかもしれない。でも、あの体験は、とてもショックだった。それに、基地がなくなれば、米兵によるこういう事件は確実に減るでしょ。だから私は基地に反対なの」

俺は、ここまでサチコに説明させてしまったことに申し訳なさを感じて、これ以上言葉を継ぐことができなかった。

「石の声」の決着をつけたくて、もとい、「石の声」についてのタダシの真意を確認したくて、俺はタダシと一緒に帰ることにした。

タダシは、小学生の頃からの幼馴染で、俺と同じく運玉森の麓に住んでいる。小中学生の頃は、タダシの成績はそんなにぱっとしなかったから、H高校に一緒に通うことになるのは意外だった。

そして、今はタダシのほうが、俺よりも席次が良い。百五十番前後をうろうろしている俺とは違って、タダシは五十番以内をキープしている。

俺は幼い頃から、部活や遊びを禁止され、学校と家に軟禁されるようにして勉強を強いられてきた。だから成績は良かったが、タダシはそんな俺とは違って、普通に生活して普通に遊んで、H高校に入ったようだ。もちろん、勉強はしたのだろうが、タダシは勉強以外のことものびのび経験してきているようだった。

タダシの髪型はオールバックで、やや不良っぽい。学ランも丈の短いものを着用していてお洒落だ。スポーツもできるし、勉強もできるし、とにかくスマートな奴だ。勉強しかしてこなかった俺とは違う。だからこそ俺は、タダシを妬んでいた。ガリ勉の良い子ちゃんの割には席次の低い俺と違い、勉強もできて、車やバイクや釣りやタバコのようなものにも詳しいタダシに、俺は嫉妬していた。

優秀な人間というのは、タダシのような人間のことを言うのだろう。勉強を無理矢理やらされて、勉強以外の経験から隔離され、やっと良い成績を取ることができる俺のような人間ではなく、タダシのように、勉強以外のことも経験しつつ、H高校に入学できるような人のことを、優秀な人間と言うのだろう。

そう言えば、マキオやオサムやヒロカズもタダシと同類だ。彼等も小学校時代からの幼馴染だ。三人とも普通に生活して普通に遊んで、小中学校では成績はそれほど良くなかったのに、今はH高校で俺よりも良い成績をおさめている。ヒロカズなぞは数学に関しては、席次はいつも十番以内だ。

ちくしょう。いろんなものを犠牲にして勉強に打ち込んできたのに、俺はなんて無様なんだろう。騙されたような、時間を奪われたような、嫌な気分だ。

時折、このような気分に陥る俺は、これを抑え鎮めるかのようにして、とにかく周囲を歩き回る。もともと歩くことは好きだったのだが、H高校に入学して以来、歩きたいという衝動に突き動かされることが増えた。だから放課後には首里を散策したり、迎えの車を待たずに、学校から家まで汗だくになって歩いて帰ったりしている。

タダシもなぜか歩くのが好きなようで、たまに一緒に歩いて、家まで帰宅することがよくあった。二人とも、帰る方向は西原方面だ。帰る際には、運玉森を見据えつつ、寮の近くの路地辺りから坂道を下り、池田を通り抜けていく。

二丁目の売店を横切り、そこから坂道を下っている時に、「石の声」の話題を俺はタダシに振った。

「この前のさ、「石の声」についてなんだけど」

「ああ」

「あれさ、タダシがあれについて言いたかったことって、「石に番号を書くことは無駄な行為ではない。そうすることで得られるものがある」ってこと?」

「ちょっと違う。何かが得られるかどうかではなくて、ああやって沖縄戦について何かをすること自体にも価値があると思った」

「どういう価値?」

「価値は価値さ。沖縄人としてしかるべきことをしているというしっくりした感じって言った方が伝わるかな」

「…ごめん。あんま理解できない…」

「簡単に言えば、受験勉強ばかりしていたら、フラーになるぜってことさ」

こんなやりとりをしながら歩いていると、高速道路の高架下付近で、黒い麻袋のような服を着た男とすれ違った。

池田原人だ。

池田原人とは、西原の池田ダム周辺に出没する野宿者である。「いつも歩いていること」で有名で、与那原や南風原や大里や那覇などの路上でも頻繁に目撃される一種の有名人だ。

のしのしと歩くその姿は、威風堂々という言葉がよく似合う。足の筋肉が異常に発達していて、ふくらはぎがぷくりと膨れている。その頑丈そうな足で、たいてい道路の真ん中を、いつも独りで胸を張って歩いている。

体中日焼けしていて真っ黒で、眉毛が顔から飛び出すほど勢いよく生えており、口がガハハと笑う寸前のような開き方をしている。時代劇に登場する荒くれ侍のような風貌だ。世界史の図説で「屈原」という詩人の絵を見かけたのだが、あれによく似ている。池田原人に畏敬の念を抱く者は数多く、池田周辺でこの人物を知らない人はほぼいない。

「今すれ違ったの、池田原人だよ!」

知っているとは思うけど、咄嗟に俺がタダシにそう言うと、タダシは「池田原人?違うよ。あれは運玉義留さ」と答えた。

運玉義留というのは、西原の運玉森に伝わる民話の主人公で、鼠小僧のような、いわゆる義賊だ。

油喰坊主という名の子分とともに、金持ちの家に盗みに入り、貧しい者に富を分け与えた泥棒で、反体制的でイリーガルな存在でありながらも、民衆に慕われていた。

運玉義留は最終的には死んでしまう。槍の名手に傷を負わされ、盗みに入った屋敷から、故郷の運玉森まで命からがら逃げ帰るものの、身を隠すために潜んだ沼で、そのまま息絶えてしまう。その亡骸は村人達によって丁重に葬られたのだという。

この話は創作の産物だが、多くの沖縄人があたかも実際にあった出来事のように語る物語だ。おそらく、圧政に苦しむ民衆が求めたからこそ生まれた物語なのだろう。そうであるが故に、リアリティに満ち溢れ、今でも語り継がれているのであろう。

池田原人と俺が呼ぶ人物を、タダシはタダシで運玉義留と呼んでいるようだが、それも悪くないと思う。

池田原人と俺が呼ぶ人物は、迫力に満ちた人物であり、明らかに只者ではない。それに、運玉森周辺に出没するという特徴もしっかり備えている。彼を運玉義留と呼ぶことには何の異論もない。

「運玉義留か。そのネーミングもいいね」

運玉森を正面に見据えながら、池田のT字路付近で、俺はタダシと別れた。

※※※※

ネットで調べた結果、マインド・クリーン・プロジェクトは、宜野湾市在住のC氏を代表にして、二〇一一年八月頃から親米保守的な活動を開始した市民グループであることが分かった。

メンバーの数は十人前後と小規模ではあるが、ブログやSNSや動画共有サイトやラジオ放送などを通して積極的に情報発信をしており、その影響力は無視できないものに思われた。

活動の主な内容は、オスプレイの普天間基地配備に賛同を示したり、米軍の存在意義や米軍に対する感謝を表現した横断幕やプラカードを国道五十八号線沿いで掲げたり、というものである。ツヨシが小論文で触れていたように、基地のフェンスにビニールテープで描かれた「NO BASE」などのメッセージをはがす活動も行っている。

マインド・クリーン・プロジェクトに関して調べていると、ツイッター上で、油喰坊主というユーザーに行き着いた。

ツイッターとは、不特定多数の人間と言葉のやり取りができるネット上の無料ツールである。この油喰坊主は、マインド・クリーン・プロジェクトのメンバーであり、ツイッター上で多数のフォロワーを有していた。その数は二千を越えており、発言力と影響力の大きさが見て取れた。

油喰坊主という名前は、沖縄の民話的英雄として名高い運玉義留の子分の名前である。

伝承によると、運玉義留と油喰坊主は、困窮する民衆を救うために、泥棒というイリーガルな活動に従事した義賊であるが、ツイッター上で見掛けた油喰坊主は、体制迎合的で親米保守的な書き込みを繰り返し、かつ、他人を侮辱するような幼稚な物言いばかりの、民話における油喰坊主の名に値しない存在であった。

主張の根拠を示さず、都合の悪い質問や指摘を受けると、沈黙するか、強引に話題を変えて逃亡する。また、「死ね」だの「カス」だのといった悪態をついたり、議論の内容以外の話題で相手を貶めたり、むやみに口真似をしたりと、稚拙な反応ばかりしている。沖縄人かどうかは不明であるが、米軍基地関連の事実を含む沖縄の歴史や議論の作法などに無知な人物であることは明らかだった。

運玉義留と油喰坊主の物語に昔から馴染みのある私は、ネット上の油喰坊主のこの有り様に怒りを覚えた。英雄の名を汚し、沖縄人を冒涜するものに思えた。しかし、体制迎合的で親米保守的な現在の沖縄人を体現しているようにも思え、何とも複雑な心境になった。

油喰坊主は、「中国の脅威」や「沖縄メディアの偏向」や「米軍の存在意義」や「日当をもらって活動している平和運動家」に関する書き込みを日頃から行っており、読んでいて、ツヨシの小論文を読んでいるかのような錯覚に陥った。

もしやと思い、ツヨシのフルネームをネットで検索してみる。すると、ツイッター上で同姓同名のユーザーが数件見つかったが、その中に、ツヨシの顔写真をプロフィール欄に掲載しているものがあった。間違いなく、これがツヨシであろう。

そして、恐る恐る、ツヨシがフォローしている人物を調べてみると、案の定、油喰坊主が含まれていた。

これではっきりした。ツヨシは、マインド・クリーン・プロジェクトのメンバーである油喰坊主の発信する情報を鵜呑みにしている。油喰坊主の情報に基づいて、ツヨシは小論文を書いている。

正直、困ったな、というのが本音である。ツヨシの小論文の添削をすることは、一筋縄ではいかない困難な作業に思われた。背後に謎の組織が控えている相手に立ち向かうような重苦しさがある。

しかし塾講師としての仕事を私はしなければならない。私は、ツヨシが書いていた「沖縄の米軍基地の負担割合は74%ではない」と「中国が攻めてくるから、米軍は必要だ。米軍の抑止力がないと、中国が攻めてくる」の二つの主張に関して、ツヨシを刺激しないように指導する方法を考え出さなければならない。

ひとまず、これら二つの主張の対抗言説を、私はネットで洗い出してみることにした。どこかで誰かが既に批判しているはずである。検索する言葉を次々に変え、ネット上の情報に目を通す。ネット上の情報は玉石混交状態なので、ここから信頼に足る情報を探し出すことはかなり骨の折れる作業である。まず、有名無名を問わず、多種多様な人間によるブログ記事や、ツイッターでの議論に目を通す。そうすることで手がかりとなる言説が得られたら、その情報源を調べて、信頼性を確認する。吟味に吟味を重ねた結果、地元新聞のネット上での記事と、O大学の教授を含むプロジェクトチームによって作成された「それってどうなの?沖縄の基地の話」というサイトが、最も信頼でき参考になる資料だと判断できた。これらの情報源からの言説が曖昧な点が最も少なく、確かな根拠を具備した言説に思えた。

この作業に私はだいぶ時間をかけてしまったようである。気が付くと、夜が白みかけていた。

「さわふじ教室」の三十二番の席に、今日もツヨシは座っていた。激しく批判するつもりはないが、おかしい点はおかしいと明確に伝えないと、彼のためにならない。私は緊張していた。不毛な言い争いにならないように、細心の注意を払わなければならない。

「ツヨシあのさ。この前の小論についてだけど」

声を掛けながら横から近付くと、ツヨシは「はい」と返事をしてこちらを見た。

「結論から言うと、あの内容だと、点数が低くなる可能性がある。今からその説明をします」

小論文をツヨシの前に広げて、私は説明を開始した。

「まず、情報源についてだけど、新聞が無難だ。新聞の情報を事実として扱い、その事実に基づいて、己の主張を行ったほうがいい」

「新聞…」

とつぶやいたツヨシが考えていることは大体予想できた。きっと彼は、「新聞って言っても、地元の二紙は偏向している。偏向している新聞に基づいていいといわれてもな」と考えているに違いない。私は先手を打って、次のように話を続けた。

「ここで注意すべきことは、どの新聞にも偏りがあるということ。地元の二紙だけでなく、他の新聞も偏向しているということ。でも、完全な嘘や出鱈目が新聞に載ることは非常に稀だ。だから基本的に、新聞に書かれていることを事実として引用すればいいです。新聞の内容自体を疑うこともできるけど、そこまで疑うと、自力で取材して事実を把握しなければならなくなる。これは高校生では無理なので、新聞の内容を事実とみなすといいです」

ツヨシは苦笑いしている。この笑いは、「地元二紙は偏向していない」という反論を予測していたからこそ生じたものだろう。全ての新聞が偏向しているという主張を耳にしたのは初めてであり、斬新かつ新鮮に思えたからこそ、ツヨシは苦笑いしたのではないか。

「そもそも、偏向していない新聞を作ることは不可能だ。全世界の全ての出来事を網羅した新聞が、定義上、偏向していない新聞ということになるが、こんなもの、大量に情報が記載されているだけで、何の役にも立たない。第一、全世界の全ての出来事を把握して、それを紙に記述すること自体が不可能だ。だから、新聞というものは、全て偏向するしかないんだ。世界中で起きた全ての出来事における一部を切り取って作られるものでしかないんだ」

ツヨシは反論せず、頷きながら私の話を聞いている。

「今話したことが、今回必ず覚えて欲しいことの一点目です。全ての新聞は偏向しているが、新聞で報道されている内容を事実として小論に引用してよい。まずこれが一点目」

ツヨシは黙って聞いている。

「あと、俺からの指摘の二点目についてだけど、誤読されないような正確な文章を書く。これが二点目。今回、ツヨシは「沖縄の米軍基地の負担割合は74%ではない」って書いているけど、これは、「自衛隊との共用施設を含めた全ての米軍施設・区域」を分母にして計算した場合の話だよね?「米軍の専用施設・区域」を分母にして計算したら74%になるよ。だから、この箇所は、「「自衛隊との共用施設を含めた全ての米軍施設・区域」を分母にした場合、沖縄の米軍基地の負担割合は74%ではない」と修正すべきです。曖昧にするのではなく、読み手が誤読しないように正確な文章を書く必要がある」

ツヨシは黙って聞いている。反論はしてこない。

「指摘の三点目だけど、主張には根拠を必ず付与しよう。何らかの主張をする際には、その主張の後に、「なぜなら」という言葉を必ず使って、根拠を書くんだ。今回ツヨシは、「中国が攻めてくるから、米軍は必要だ。米軍の抑止力がないと、中国が攻めてくる」って書いているけど、中国が攻めてくると断言できる根拠が書かれていないよね?それに、米軍に抑止力があるといえる根拠も書かれていないよね?こういう場合、根拠がないということで大きく減点されてしまう可能性がある。だから主張には根拠を必ず付与するようにしよう。もしも、主張に根拠を付与することが難しいなら、そのような主張はしないようにしよう」

ツヨシは「はい」と素直に返事した。反論は全くなかった。

一生懸命、本やネットで情報を調べて、解説の準備をした甲斐があったといえる。

しかし、もしかしたら私が、教師という立場の人間だから、ツヨシは反論を控えたのかもしれない。

そう考えた私は、次のような言葉を付け加えた。

「でも、「中国が攻めてくる」という主張は、完全に否定することも難しいと思う。計算の根拠は示せないけど、中国が攻めてくるという確率はゼロではないと俺は推測する。それに、中国が軍事力を高めていることは事実なので、もしかしたら中国が攻めてくるかもと隣国の住人が想像することは、無理からぬ話だと思う。でも、中国が実際に攻めてきた時に米軍が中国と戦ってくれるとは全然思わないけどね。なぜなら、米軍には中国と戦うメリットがないから。ただ、「米軍の抑止力」についてだけど、中国と米国が戦争になれば、どちらも大損害を負うはずだから、中国が米国を刺激しないように、米軍基地のある日本の領土への侵犯を控えることが期待できるように思う。でも、こんな形での抑止力がたとえ米軍にあったとしても、沖縄で米軍絡みの事件や事故が発生し続けることは看過できないから、もっと別の形で抑止力を手に入れる必要があると俺は思う。日本が中国との外交や経済的なつながりの強化に力を入れることで、米軍に頼らずに、中国が日本を攻められないような状態を実現させる。これがベストだと思う」

このような私の付け足しを聞き、ツヨシはにやりと笑みをこぼした。「先生、話分かるほうじゃん」とでも言いたげな顔だ。

議論をする前に、「この人となら話ができる」というような信頼関係を作りたいという計算が働いたのは否定できない。本来は、こんな小細工など弄さずに、淡々と批判するなり議論するなりしていいのであろう。

しかし私は、教師と生徒という上下関係をツヨシが意識し、ツヨシが私の話に対して納得した振りをすることをなるべく回避したかった。なので、ツヨシの考えに合わせた考えを本音として吐露することで、敵ではないことを印象付けて、ツヨシを油断させようとしたのである。

その後、ツヨシとしばらく雑談をしたのだが、すっかり油断したのか、ツヨシは次のような台詞を、ぽろりとこぼすようになった。

「普天間基地なんていう危険な基地は、とっとと辺野古に移しちまえばいいんですよ」

やはり、根は思っていたように深い。油喰坊主がツイッター上で撒き散らすような言説に、どっぷり漬かってしまっているような発言だ。

「ん?でも辺野古に普天間基地が移されたら、基地のもたらす危険性が辺野古で増してしまうんじゃないの?それはいいの?」

やんわりと私が反論すると、ツヨシは黙ってしまった。

やっぱり先生は左翼だ、と認識したのだろうか。それとも私の説明に心から納得してくれたのだろうか。これを判別することは難しかった。しかしとにかく私は、私なりの方法で、ツヨシに向き合うしかない。

不意に、ある考えが浮かんだ。ツヨシを心から納得させるには、このような対面での議論よりも、ネットを利用したほうがうまくいくのではないか。

ツヨシには、空気を読む傾向がありそうである。自分の本当の考えを隠して、自分よりも立場が上の人間の考えに、賢く合わせている気配がある。であるならば、空気を読む必要のないネット上で、匿名の対等な人物としてツヨシと議論することができれば、ツヨシを心から納得させることができるのではないか。

あるいは、ツヨシの情報源である油喰坊主。この人物とツイッター上で議論し、私が油喰坊主を言い負かしてしまえば、芋づる式にツヨシを納得させることができるのではないか。

さらに、この議論の記録をネット上に残しておけば、第二第三のツヨシの誕生を阻止できるのではないか。

ツヨシと接しながら、このような着想を私は得ていた。

※※※※

時が経つのは早い。もう十月の中旬だ。

センター試験まで、あと約三ヶ月。

誰の仕業か知らないが、黒板の片隅で、センター試験までのカウントダウンがなされるようになった。数字は既に百日を切っている。

まだ志望校を決めきれていない俺は、とにかく焦っていた。

成績は相変わらずぱっとせず、席次は百三十番前後をふらふらとしている。沖縄から出てみたいという願望はあるものの、県外の大学は数が多すぎて、どうやって志望校を決めたらいいのか分からない。もちろん、偏差値が低くなくて、学費が安くて、ロケーションが良くて、ユニークな教授が大勢いて、面白そうな大学に進学したいが、この条件に合致する大学を調べると、いつも関西のK大学に行き着いてしまうのが嫌だった。

あんな高偏差値大学に進学できるわけがない。

毎年、K大学を含む旧帝大に合格する生徒はいるのだが、そのような生徒は、席次が上位二十番以内の人々であり、俺とは次元の異なる世界の住人であった。

小学生の頃から勉強を強いられてきた割には、たいして偏差値の高くない自分に、俺はつくづく嫌気が差していた。

そもそも俺は、勉強が好きではない。しかし、嫌々ながらも我慢して、仕方なく従事するものが、勉強なのだ。そして、このようにして嫌なことにも我慢して取り組む力が、努力として評価されるのが、この世の中なのだ。努力しない奴に生きる資格はない。そんな奴は道で野垂れ死んでしかるべきなのだ。我慢して嫌なことに取り組んだ努力家だけが、生きることを許される。勉強せずに楽ばかりしているような奴は、無職になるか、劣悪な底辺の仕事にしか就けないものなのだ。世界はそのようにできているのだ。そして俺は、このような世界の落伍者だ。偏差値の高い大学に進学できない俺は、駄目な人間だ。

勉強ができない自分を情けなく思うと同時に、そんな俺でも合格できる低偏差値大学にたとえ進学したとしても、その後はどうなるんだろう、ちゃんと生きていけるのだろうか、という将来に対する不安で、俺はいっぱいだった。

いつからか俺は、救い、あるいは、手がかりを求めるようにして、進路指導室に通うようになっていた。各大学の洗練されたパンフレットに目を通していると、若干気持ちが安らぐ気がした。

進路指導室の棚には各大学の赤本が並んでいる。その表紙に印字された大学名を、隅から隅まで、一つずつ確認するかのように眺めていると、棚の隅に、白い雑誌が収納されていることに気付いた。

何となく手に取る。それは『創立10周年記念誌』というタイトルの、A4サイズの冊子であった。

校長や県教育長や町長などによる挨拶、旧職員らによる回想、生徒による合格体験記、大学合格実績一覧、開校の経緯を示す新聞資料など、H高校の歩みに関する情報が満載された冊子であった。 

これによると、H高校の設置計画は、かなり物議を醸したようである。競争主義、受験競争の激化、大学進学至上主義が問題視されたようだ。設置に反対する人々の中には、中学校の教員や組合の人間が多数含まれていたと書かれている。

一方、設置に賛成する人々は、優秀な生徒に応じた教育の必要性や、人材育成を重視していたとある。

生徒の父母に、教師や医師や公務員が多いと記載されていて、興味深く思った。何を隠そう、俺の両親も教師だ。嫌々ながら我慢して勉強をしてきた人達が、嫌々ながら我慢して勉強することを子どもに強いていることが読み取れるような気がした。

「ノイローゼや思い込みによる不安や絶望感から来る心因病が多く、カウンセリングを要する生徒に悩まされた」と述懐している旧職員の記事には戦慄した。「それみたことか」と強く思った。心を病んでしまった先輩達に共感するとともに、そこまで追い詰めた周囲の人間を憎らしく思った。

様々な記事の中で、最も俺の関心を引いたのは、卒業生らを交えて行われた座談会の記録記事であった。

一期生の卒業生が、「一期生は皆緊張していました。初日のゼロ校時から皆、背筋をぴんと伸ばして目はまっすぐという感じでした」と述べる。

これに返答するようにして、旧職員が「職員室でも国公立への進学率はいつも話題になっていました。学校長も、いつも本校一校で三桁だと目標を言って職員を激励していました。一期生は、プレッシャーに負けずによく頑張ったと思いますよ」と述べる。

進学校としての実績を出さねばというプレッシャーが、ぎりぎりと、教師と生徒の両方に重くのしかかっている様が感じ取れる。

しかし、教師はともかく、なぜ生徒まで、プレッシャーに晒されないといけないのだろう。まるで生徒が、プロ野球選手や、会社員のようではないか。給料をもらっているわけでもないのに、なぜ他人の目をそこまで気にして、勉強する必要があるのだ。

先程の一期生がさらに次のように述べる。

「やはり、自分たち一期生は、たぶん今の八、九、十期生とは違った緊張感があったような気がしますね。特に最初の一年間はぴりぴりして過ごしました。期待されているということが確実にプレッシャーになりました。そのプレッシャーから逃げようということと、自分がこの学校を選んだのだから頑張らなければいけないということの葛藤は、大きかったと思います」

この述懐からも、開校当時のプレッシャーが異常なものであったことが読み取れる。また、一期生が「遠足が雨で中止になった」という出来事に触れて、次のように述懐している箇所にも、強迫的なものが感じられた。

「雨に降られて解散という時に、校長先生が「お前ら、すぐ家に帰って勉強しろ」と言われて、さらにそこで数学のプリントを渡されて、「何か、これは……」って、破りたくなりましたよ(笑い)」

ここで笑いが生じているが、この笑いは、否定的な意味合いを込めた笑いであろう。引いた笑いであろう。俺にはそのようにしか読めなかった。

そして、一期生による最後のコメントが、俺を引き付けた。

「一期生から三期生までは、学校や周囲からのプレッシャーを強く感じ、新しい学校を作っていくんだという前向きの姿勢がありましたが、中にはそのプレッシャーに押しつぶされた人もいました。しかし、あれだけ苦しんで勉強したという重みは、大学や社会でさらに勉強していく中での励みになっていると思います。ひとつ残念なことは、勉強のプレッシャーの中で心の勉強がなおざりにされていた点です」

心の勉強。

これは何を意味するのだろうか。

一期生はこの詳細について何も述べていなかった。

これは、もしかしたら、勉強の動機や、勉強をしている自分についての勉強を、指しているのではないか。

勉強するのはなぜなのかという問いに、俺は一度も取り組んだことがない。勉強することは常に前提としてあり、勉強は我慢して嫌々ながらもしなければならない義務として最初からあった。  

志望校を決める前に俺はまずこの問いに取り組むべきではないか。

勉強で得られる知識は有効利用できるものであろう。しかし、勉強して高偏差値大学に入ること自体が目的化しては、本質を見失う。

いや、高偏差値大学に入ることが目的化しても問題はないのかもしれない。そこに自発性や快楽が伴っているのであれば。誰に言われるまでもなく、高偏差値大学に入りたいと心から思う人が勉強に打ち込むことには、何の問題もない。本来は、そういう人だけが、H高校に来るべきなのだ。ただ、俺はそうではないということだ。俺は勉強が嫌いだ。高偏差値大学を目指してはいるが、高偏差値大学に入れないと周囲から馬鹿で怠惰な者とみなされるから、仕方なく目指しているのだ。偏差値の低い自分を自分が許せないから、でもある。ノイローゼや心因病になった一期生の先輩達も、俺と同じだったのではないか。本当は高偏差値大学など目指したくないのに、親や教師に勉強を強いられ、勉強以外の経験から隔離されているうちに、成績でしか自分の価値を証明できないと思い込まされて、成績の低迷に耐え切れなくなった時に、壊れてしまったのではないか。

俺はなぜ勉強しているのか。この問いに対する答えを俺は見つけねばならない。

そもそも勉強は、生きるためにするものではないか。

いや。厳密には、勉強と生きることは区別できないもののはずで、生活のなかで必要だと心から感じた事柄を勉強し、実際に使っていくことの連続が、生きることなのではないか。

例えば、腹が減ったならば、食べ物を探し出して腹を満たせばいい。「空腹」を自覚し、それを解決すべく動けばいい。「空腹」を満たす方法や知識を勉強し、実際にそれらを活用して、「空腹」を満たせばいい。

今の俺にとっての「空腹」に該当するもの。これを俺は、俺自身の生活から探ればいいのだ。強迫的に盲目的に勉強して大学を目指すのではなく、自分の生活に必要なものを心から実感した後で、進学するなり就職するなりの行動を決めていけばいいのだ。勉強することで壊れてしまうのであれば、何のために勉強をしているのか分からない。苦にならないならばいいが、自分を生きづらくしてしまうだけの勉強であるならば、そんな勉強はやめてしまえ。不健康だ。

おし!俺は勉強をやめる。正確に言うと、受験勉強をやめる。そして、勉強する自分について勉強する。つまり、俺自身にとっての「空腹」を探す。その結果、心から受験勉強したいと思うようになれば、そうすればよいのだ。大学へ進学するにしても、旧帝大を目指す必要はない。入れる大学に入ればいい。無理なものは無理なんだから、等身大の自分に可能なことをするしかない。そして、そのことを恥じる必要もない。そもそも、なぜ恥じる必要があるのか。身の丈を恥じる必要がなぜあるのか。とにかくどの大学に進学しても、自分に可能な何らかの仕事をして、生きてはいけるはずだ。もしも生きていけないのならば、それは潔く受け入れよう。

俺は今までおかしかったと思う。H高校の教師を忌み嫌いつつも、俺自身が彼等の共犯者になっていた。努力しない人間と見なされることに脅え、努力できない自分を苛み、努力しない人間を軽蔑して、嫌々ながら勉強に従事しているだけの弱虫だった。人の目を気にしすぎであるだけでなく、他人の期待を自分の欲望であるかのように思い込んでいた。もう俺は、他人のことなど気にしないぞ。俺は俺の「空腹」にしたがって行動するぞ。嫌々ながら勉強せずに、する必要があると心から感じた勉強しか、もうしないぞ。

こんな風にして俺は、進路指導室で、自分の進路を決定した。 

後日俺は、「石の声」が再開されたことを知った。多くの芸術科の生徒からの要望で作業が再開され、遂に、二十万余りの石に番号を記入することができたことを俺は知った。

俺は思わず拳を握った。他人にとっては無駄に思えるからこそ、尊い行為に思えた。

素晴らしい「空腹」だ。

そう俺は思った。

※※※※

運玉義留という名前で私がツイッターをはじめたのは、ツイッター上で油喰坊主と議論をするためである。 

油喰坊主を説教する人間は、その親分である運玉義留がふさわしい。このような理由で私は運玉義留を名乗ることにしたのだが、他の人間による沖縄の米軍基地に関連した書き込みに対しても違和を感じたならば、私は積極的に反論していくつもりである。

体制迎合的で親米保守的な言説を流す人間と、正面から誠実に議論をして、その記録をネット上にできるだけ多く残す。それが、ツヨシを納得させる近道であり、第二第三のツヨシの誕生を防ぐことになる。

このように私は考えている。

本来であれば、学校の授業で、沖縄の生活に密着した問題を自由に深く議論できることが望ましい。そこで、米軍基地関連の事実を含む沖縄の歴史や、情報を鵜呑みにしない態度や、議論の作法を児童生徒が学べることが望ましい。

しかし、今後の沖縄では、全国学力テストの成績向上を目指し、各小中学校がH高校化していくようであるので、このような学びは期待できないだろう。

沖縄全土にわたる公立学校のH高校化により、自分の住む沖縄の、実際の生活から乖離した知識ばかりを詰め込まれた沖縄人が、沖縄では今後益々増えていくのだろう。この学校教育の隙・欠点を突くようにして、ネット経由の親米保守的な言説が、児童生徒を絡め取っていく。結果、米軍基地を肯定する沖縄人が、若い人を中心にして増加するのだろう。このように考えると、教育問題と基地問題は地続きの問題だといえる。学校教育の貧しさが、親米保守的な言説に絡め取られる沖縄人の誕生を用意しており、基地問題を複雑にしている。

しかし私は絶望はしていない。危機感はあるが、むしろ、親米保守的な言説に絡め取られた人々は、「政治的な話」に関心を持っているという点で、「政治的な話」に徹底的に無関心な人間よりも、議論に応じる準備ができているのではないかと楽観視している。

米軍基地に関して無知で、かつ、関心のなかった、かつての私のような人間が最も厄介であろう。私は他人の目を気にして受験勉強のみに強迫的に従事するような人間であった。自らの存在価値を成績でしか証明できないと妄信し、偏差値を上げることと直結しない事柄を「無駄」として切り捨てるような人間であった。

もしも私が、タダシやサチコや一期生の先輩のような、受験勉強以外のことにも関心のある他者と出会えなかったならば、私は、他人の目を気にして業務のみに強迫的に従事する、仕事中毒の会社員のような人間になっていたであろう。あの、東京も放射性物質で破壊的に汚染されるかもしれない状況でも、周囲の目を気にして、黙々と会社で仕事に従事するような人間になっていたことだろう。

原発事故直後の東京からの一時的な避難と、二十年ぶりの沖縄への帰郷を決断できたのは、私が仕事よりも生き延びることを優先し、他人の目を気にしなかったからこそである。

原発事故直後の東京には放射性物質が降り注いだので、東京からの一時的な避難は正しい判断であったが、沖縄に帰るという判断の是非は実は今でもよく分からない。原発事故は収束しておらず、放射性物質は放出され続けているとはいえ、あのまま東京で生活を続けても問題はなかったのかもしれない。

しかし、不安を感じることなく呼吸ができ、雨に濡れることができる現在の沖縄での生活に私は十分満足している。

ただ、沖縄には沖縄の、解決すべき問題がある。今後私は、沖縄という、自分が生まれ育ち、そして生きている世界の改善を目指して、沖縄に積極的に取り組んでいこうと考えている。

ツイッターでどこまでできるのか分からないが、タダシやサチコや一期生の先輩のような他者として、ツヨシや油喰坊主に接していきたい。無駄な徒労に終わるのかもしれない。何の意味もないかもしれない。しかし、これが現時点における私の「空腹」である。

私は、沖縄にまつわる全ての事柄に精通しているわけではない。知っていることよりも、知らないことのほうが多い。沖縄戦や、その後の沖縄における米軍基地反対運動の歴史については、知らないことが多く存在している。だから、常に勉強しながら、議論をしていくつもりである。

勉強することが目的なのではない。議論をして、世界を自他にとってより良いものにしていくことが目的であり、勉強はそのための手段である。私はツイッターでの議論を、単なる罵り合いではなく、勉強によって得た知識をそれぞれが持ち寄り、ぶつけ合わせて、現状を良い方向に変えるための方策を共に模索できるものにしたいと考えている。その過程で、学校教育で学び損ねた、米軍基地関連の事実を含む沖縄の歴史や、情報を鵜呑みにしない態度や、議論の作法を、お互いに学び合えたらと考えている。目的は皆で生き延びることだ。そのための手段としての勉強なのである。

今、日本は危機的な状態にある。日本は確実にファシズムへの道を歩んでいる。このような状況下だからこそ、黙っているのではなく、私達は努めて「政治的な話」をし、異議申し立てを行っていくべきである。そうでないと、私達のことを私達抜きで勝手に決める人間が支配する、おかしな規則ばかりの、緊張だけが支配する、ひたすら競走主義的で殺伐とした、最悪の世界が到来してしまうだろう。これを私達は、絶対に阻止しなければならない。

その際、たとえイリーガルなことをせざるを得なくても、そのことを私達は恐れてはならない。

例えば、辺野古の新基地建設や高江のヘリパッド建設に反対する人々は、体制迎合的で親米保守的なアンチ基地反対派によって、イリーガルであると頻繁に批判されている。道路交通法違反や、基地のゲート付近の地面に勝手に引かれたイエローラインへの侵入や、米兵に対する暴力的な抗議の声を、声高に指摘される。

しかし、イリーガルであることを恐れてはならない。

なぜならここ沖縄は、イリーガルな存在である運玉義留の物語が、今も昔も愛されている場所であるからだ。

運玉義留は泥棒である。泥棒はイリーガルな存在である。しかし、運玉義留が愛されたのは、その行為が民衆のためになされたものだったからである。つまり、重要なのはイリーガルの内容なのである。イリーガルであることが民衆のためなのか否かが重要なのである。

土地を強奪した他国の人間から土地を取り返すこと。強奪された土地に作られた基地に反対すること。その基地を利用する者に抗議の声をあげること。これらがイリーガルな行為と見なされたとしても、気にすることはない。運玉義留による泥棒と同じく、これらは十分理解可能で許容できる内容のものである。米兵による沖縄人の強姦や殺人、機動隊や海上保安庁の人間による一般市民に対する暴力行為とは、明らかに内容が異なる。

ところで私は、ツイッターで油喰坊主に向けて、まず次のように書き込んだ。

「油喰坊主があびあびーしているやっさー。ちょっとシめてやらないといけんな」

イリーガルであろうか?暴力的であろうか?目を背けたくなるほどの残虐な行為を私は行っているであろうか?もしも私のこの書き込みを、イリーガルで暴力的だとアンチ基地反対派の人々が見なしても、私は全く動じない。他に批判する手段を持たないアンチ基地反対派が、苦し紛れにイリーガルだ暴力的だと言い募っているにすぎないとみなすのみである。

イリーガルであることや暴力的であることを真剣に批判したいならば、機動隊や海上保安庁の人間による首絞めや足蹴りなどに対してもそうするべきであろう。それをしないでおきながら、基地反対派の人々の言動についてのみ、イリーガルだ暴力的だと騒ぐアンチ基地反対派は矛盾しているとしか言いようがない。イリーガルさや暴力性を批判したいのではなく、単に基地反対派を批判したいだけなのだろう。

その後、実際に私は、ツイッター上で油喰坊主と言葉のやり取りを行った。

何度か私が油喰坊主を言い負かしてしまったからに違いない。私からの指摘や問い掛けに対し、油喰坊主は次第に反応を渋るようになった。油喰坊主は、偉そうな口調の割には、非常に打たれ弱い人間のようである。

しかし今でも、油喰坊主と運玉義留のやり取りは続いている。

油喰坊主と運玉義留の議論に関心のある方は、運玉義留という名前か、untamagiruuというツイッターユーザー名を、ネットで検索して欲しい。そして、ツイッター上での油喰坊主と運玉義留のやり取りの記録を、是非ともご覧になっていただきたい。さらに、運玉義留をフォローして、運玉義留を応援してもらいたい。

もしも可能であるならば、より多くの人に、ツイッター上での「政治的な話」に参加して欲しい。油喰坊主が流す体制迎合的で親米保守的な言説に、私と一緒に対抗して欲しい。その具体的な方法についてであるが、油喰坊主と運玉義留のやり取りの記録が参考になると思う。

毎日でなくてもいい。一週間に十分程度でもいい。時間と余裕がある時に、近所の悪ガキに説教するようにして、米軍基地関連の事実を含む沖縄の歴史を、油喰坊主に教えてあげて欲しい。デマのような物言いには、「なぜそういえるのか?」と根拠を問いただして欲しい。質問に答えず、一方的に話題を変えてきたら、「逃げるな」と伝えて欲しい。「クズ」だの「カス」だの言って侮辱してきたら、「人の尊厳を貶めるな」と一喝して欲しい。実名での参加が難しいのであれば、適当な偽名を使って議論に参加して欲しい。

例えばあなたも、運玉義留と名乗ってみてはどうだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?