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ハロウィンに浴衣は文化の盗用?

先日、友人のハロウィンパーティーに誘われた。彼とは仲が良く「ピスタチオの友達も大歓迎だよ」と言ってくれたので、最近仲良くなったフィリピン人の友人も誘うことにした。

彼のハロウィンパーティーでは、強制ではないが、仮装することが奨励されている。去年の参加者はほぼ全員、気合の入った仮装をしていた。もちろん私も仮装する予定だったし、その旨を友人にも伝えた。

すると、

「浴衣ならあるよ!日本人になろうかな」

と言われた。

私はその言葉を聞いたとき、強烈な違和感を覚えた。もちろん、彼女は私が日本人だということは知っている。

彼女の性格上、冗談でハロウィンに浴衣を着るという提案をしたわけではないし、ましてや嫌味で言ったわけでもないのも分かっている。

つまり、彼女はいたって本心で、浴衣 = ハロウィンの仮装に値する服装と認識した上で発言したのである。

短時間のうちに頭の中で色んな思いが交錯したが、私としては

浴衣 = ハロウィンの仮装で着るものではない

というのが当然の思いとしてあるし、その裏には

浴衣 = 日本の伝統衣装である (元の性格がお風呂上りのガウンだとしても)

というプライドがある。そして、

他の機会で海外の人が浴衣(や着物)を着るのは大歓迎だが、ハロウィンだけは辞めて欲しい

という思いが違和感の原因であることに気づいた。しかも日本人が参加するのが分かっているなら尚更。

さらに、「日本人になろうかな」という発言にも違和感がある。今回のコンテキストからして彼女の「日本人になる」というのは、

"身も心も日本人になる(=リスペクトがある)"
という類ではなく、
"日本人のモノマネをする(=仮装)"

ということを意図したものだからだ。

それって、ダウンタウンが顔に黒いペイントを施して、黒人になりきったのと大差ないのでは?と思った。

彼女の何気ない一言で、私はすっかり嫌な気持ちになってしまった。

結局、彼女には

「それって、もしかすると文化の盗用(Cultual Appropriation)じゃないかな?浴衣を持っているのは嬉しいけど、ハロウィン以外で着て欲しいな。最終的な判断は任せるよ。」

と言って、その会話は終わった。

結局、彼女は普段着でパーティーに来た。


今回の件は、この友達大丈夫かな…と思う後味の悪さを残した一方で、自分たちが無意識に他の国の文化の盗用を行っていないか、振り返る良い機会にもなった

このnoteを書くにあたって、文化の盗用に関する以下の記事を見つけた。

"My Culture is Not a Costume (私たちの文化はコスチュームではない)"

まさにその通りである。

例えば、日本のハロウィンでベリーダンスの衣装を着ている人を見たことがある。ベリーダンスは中東の伝統舞踊で、現地の文化として着用する人がいる衣装だ。

※浴衣とベリーダンスの衣装で異なる点は、浴衣は誰でも着用できる普段着であるのに対して、ベリーダンスは限られた人が着用する衣装であること。影響範囲は少し異なるかもしれない。

中東のように遠く離れた国ではなくても、チャイナドレス(旗袍)やチマチョゴリ、沖縄の琉装などはもっと身近に感じるかもしれない。

でも、国が近いから、同じアジア人だからハロウィンで着て許される、というわけではないと思う。

それらの文化を尊重しているのであれば、ハロウィンというややこしいタイミングで着用するのではなく、別の場面で着用するのが無難だと思う。



ハロウィンの仮装で他の文化の服装を着ている人をみると、今までもなんとなく違和感があったものの、その違和感をうまく言葉に表すことができなかった。

自分が「浴衣@ハロウィン」の当事者になったことで何が不適切なのか明確に分かるようになった。

それは文化の盗用なのである。

文化の盗用は、自分が当事者にならないとなかなか気づきにくい。

これを機に、周囲を無意識に傷つけないように心がけようと思う。


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