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お墓を維持することが難しくなってきている

先日、母方の実家へ行き、古くなって誰も住まなくなった家をどうする、お墓をどうする、といった話をしてきました。

家族には思い入れのある家だけにその処分というのは困るわけなんですけど、実際に維持していくためには税金などのコストも掛かるわけですし、古くなったことで倒壊などをおこすとその責任も伴ってきます。

なので、誰も住まなくなれば誰かに売却なり解体をしておかないと、子供や孫の世代に金銭的負担を残してしまうよね、と言うのがこちらの話。

そしてその中でも少し出てきたお墓の話が今回のお話。

核家族化、少子化した現代においてお金がかかるお墓を残されても困る

今回は私の母方のお墓ですし、母の旧姓を継いでいる叔父たちがきちんと世話をすれば良いのではないかと思いますし、そういった方向で動きそうな気はしています。

幸い孫たちも生まれているので、これが今までの形式が維持されれば問題なさそうですが、核家族化した今の生活様式で、今後お墓を世話をするというのは大変です。

祖父母から離れて育った私たちには、お墓のためだけに思い入れのない街へ行くというのはなんか義務感を感じます。

またお墓は建てるときもお金が掛かりますが、維持するため、そしてお墓を片付ける時にもそれなりにお金が掛かります。

私としては見たことのない先祖とはいえ、家の墓を無縁仏にしてしまうことには抵抗があるだけに、このお金の問題とお墓のあり方についてはきちんと向き合っておくべきことなのですが、少子化の日本において、子孫が先祖の墓を守るというのには限界がすぐそこまで来ているように思います。

家族が死んだらお墓で祀りたいというのが本音

最近のSNSなどを見ていると、「死んだら葬式も家族葬でこじんまり」「お墓なんか子孫に負担を掛けるだけだから散骨でもOK」という意見もちらほら見ます。

家族葬に関する私の考えはこちらの記事でもご紹介していますが、私は一緒に過ごした家族だからこそ、葬式を「家族がこの世に生きた証としてしたい」といった気持ちもあるし、逆の立場なら「葬式へ行って、最期の時を一緒に見送ってあげたい」「遺された家族に少しでも自分との思い出を分けてあげたい」という厚かましい気持ちもあります。

でも確かに葬式はお金が掛かるし、来てくれた人へのお礼も大変ですので、遺族が満足する形であればそれでいいのかなと言うのが結論だけど、私の考えとしては「家族が亡くなればきちんと葬式をして家族の一緒のお墓に入れてあげたい」というのが私の本音です。

正確には「思っていた」かな?

新しくお墓建てるのやめない?

古いお墓をどうする?という話から少し気になってたのが我が家のお墓の問題。

そこで妻に思い切って切り出してみました。

「新しくお墓建てるのやめない?」

実は私自身が次男であることや、先立った愛息子のお墓を建てるため、すでに墓地は購入済み。

実家を離れた都市で家を建てて住んでいることから、自分の墓は自分で建てておこうと思っていました。

でも、実親のお墓の話や家の話を目の当たりにすると、どこかで子供たちに負担を掛けないためにも我が家の常識というものを変えておいたほうがいいのかな?と思った次第です。

さらに私の実家のお墓の問題はクリアになりつつあるのですが、今後は妻の実家のお墓について問題が起きる可能性があります。

すでに義両親は自分たちが入る墓を建てているのですが、後を守るものが独身の義兄しかいないのです。

そうなると必然的にいずれうちの息子たちにその役目が回ってくるのではないかと。

しっかり可愛がってもらった分、その役目を果たせればいいですけど、そこへ私達が建てた墓の守りをするとなると、さすがに大変になるのではないかと思うわけです。

お墓はお金の問題より心の問題だから難しい

お墓の問題ってお金のことももちろんですけど、やっぱり亡くなったら墓に入ってお参りをするという固定概念や、故人が墓に入ることで「そこに居てくれる」と思える遺族の心の問題が大きいのではないかと思います。

私もお墓に関することというのは漠然としかわかっていませんが、その建てた土地に縛られるというのはとてもよくわかります。

そういった前提の話をしないうちに「お墓を建てるのをやめない?」と妻に言ってしまったことで頑なに反対をされる可能性もあります。

でも将来的に子供たちにも金銭的な負担を掛けることになるのは間違いのないことでしょうし、固定概念をちょっと違った方から考えてみると言うのは悪いことではないのではないかと。

まだ急いだ話ではないですし、色々考えをすり合わせてみたいと思います。


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