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「ドイツ 高効率エネルギー住宅視察 報告」⑥ 2013.12.5 Facebook投稿より

「(最終回)日本とドイツの違い」

今まで①~⑤の拙文をお読みいただいた方はじめ、業界従事者の皆様に改めて「ドイツの先進性(いや、革新性と言っていいでしょう)」の詳細を重ねて説明することは、もはや不要でしょう。

私に立ち返りますと・・・
視察名称に挙げられている「高効率エネルギー住宅」という概念は、現地の視察過程で徐々に理解が進み、終えた際にやっと腑に落ちた気がします。

ドイツにおいてはもはや、「高断熱技術」「省エネルギー技術」「パッシブハウス基準」「再生可能エネルギー利用」等の各事項は、「高効率エネルギー」を構成する諸要素でしかなく、それらを、あらゆる条件下で統合したシステム(設備的に、というだけではなく、一式の統合した計画、設計の組み合わせ)のベスト・ミックス、「最適化」を研究し、実際施工に注ぎ込み、ノウハウ蓄積と更なるフィードバック、という局面に達しています。
もちろんその為の、能動的なピークシフト制御や、徹底した廃熱利用までも含むと、戸建単体のみならず地域単位ごとのエネルギー利用計画までが、当然視野に入ってきます。加えてもはや「創エネ」は当たり前、「蓄エネ」研究が本格化しています。
その概念の徹底した展開自体、既に日本よりも10年~15年は先に進んでいるのは、明白です。
単なる断熱層の厚さを取り沙汰したり(それでも一定以上の気密性と共に確保するだけマシなんですが)、再生可能エネルギーごとの取り沙汰をしているレベルは、既に時代遅れだという事も、またしかり。

そこで最終回は、住宅設計に20余年携わってきた身として、実際に現地で、見て、聞いて、肌で感じた極私的な感想をもって、今回の報告を終わりたい所存です。
社会学的、経済学的に、多少の錯誤もございますでしょうが、私見ということで御容赦を(御指摘・御教示いただきますのは、大歓迎です)。
同じ敗戦国としてスタートし70年近くが経った現在、両国にどのような違いがあるのかを見つめる事で、これからの日本にとって何が必要なのか?に視線を向けたいと思います。

ドイツ滞在時より私の中には、違いについての二つのテーマが大きく、浮かんでいました。


一つ目は、「潔い、ということ」

まずはドイツという国について、改めて。

1970年の写真では旧西ドイツ首相のブラントがポーランドのユダヤ人ゲットー(強制集住区域)跡でひざまずく姿があり、「戦争責任を明確に謝罪してきたことで周辺諸国とのあつれきが消え、米国と対等な関係という意識も強くなった」とドイツ最大野党にも言わしめる経緯があります。
1991年に約22万人いた在ドイツ米軍は冷戦後に削減が進み、現在は約4万6千人、さらなる削減の協議を両国は進めているとか。
また統一後のドイツが1993年に北大西洋条約機構(NATO)と結んだ地位協定は「旧東ドイツ地域への外国軍駐留の禁止」、「外国軍基地内にも原則としてドイツ法を適用する」などを定めている、との事です。
2003年には最後までイラク戦争の開戦に反対し、当時の米国防長官ラムズフェルドから「古い欧州」と皮肉られながらも、その後も独自の路線を貫き、EUでの確固としたプレゼンスを示すドイツ。
(以上は2013.11.06大阪日日新聞、共同:石山永一郎氏寄稿内容より参照)

政策に関して一番大きな内容は、やはり「脱原発」です。
2011.03.11の東日本大震災後の福島第一原発の原子炉炉心溶融発生を受け、2011.06.30時点でドイツ連邦議会は核エネルギーの平和的利用を2022年までに完全撤廃することを決定しています。
17ヶ所の原子力発電所のうち8ヶ所は即座に運転停止、2015年でマイナス46.4TWh、2020年でマイナス89.4TWhの予定です。
また2011.09時点でシーメンス・グループも原発事業から完全撤退、「ドイツ社会と政治が脱原発という明確な立場を取ったことを受け、撤退の決定をした」とのコメントを残しています。

2008年作成の気候保全政策としても、「エネルギー効率(熱電併給の高効率発電所、スマートメーターによる細分化した柔軟な電気料金制度、省エネ建築と古い建物の断熱リフォーム)」、「再生可能エネルギー(発電普及によるグリーンパワーの増加、建築規制による再生可能エネルギー熱利用の増加、より安定した電力供給を確保するための電力網拡大)」、「交通(再生可能エネルギー電力で走るe-モビリティ促進、バイオ燃料使用量の緩やかな増加)」を柱に、2020年までの目標として
・温室効果ガス排出量も(1990年比で)2020年までにマイナス40%(2050年までにマイナス80~95%)にする。
・総発電量に占める再生可能エネルギーの割合を35%以上(2050年までに80%)にする。
・総消費量に占める再生可能エネルギーの割合を18%(2050年までに60%)
・生態系および食料安全保障に支障をきたさぬ範囲でバイオ燃料を普及
・一次エネルギー消費量をマイナス20%(2050年までにマイナス50%)
・電力消費量は2010年からマイナス20%(2050年までにマイナス25%)
・既存建物のエネルギー消費量としても暖房エネルギーマイナス20%(2050年には一次エネルギーでマイナス80%)
等を、明確に掲げています。

再生可能エネルギー促進政策として「再生可能エネルギー法」により、事業者に対し、系統への接続義務、電力買取義務、20年間の法的買取価格の支払い義務、を規定し、現行の買取価格の決定、及び決定方法(年々1%から9%減ずる、まで)、買取価格の財源、までを明確に定めています。

これらの目標に向けて、「産・官・学」が一丸となって「エネルギー効率」に進むドイツは、(傷つきながらも自分の足で立ち上がり、一人で歩き出した大人のような)国としての潔さ、社会としての成熟さ(報告中でも複数御紹介しました各分野での女性進出という面でも、改めて)を感じました。

それに対して、日本は。

戦後より日米地位協定、日米安保条約に基づく米国従属の特殊性があるとはいえ、拠出した戦後補償内容も自国・他国への説明もうやむやに、いまだに河野談話や村山談話の取り扱いに紛糾しているような状態の日本は、いまだに成人しない迷える若者でしょうか。
もちろん、ここで戦争責任論の是非を展開するつもりはありません。
ただ両者の間には、それぞれの特殊性を考慮したとしても、結果としてその身の処遇に大きな差が出来てしまっている、と感じます。
それがそのまま、各施策への責任感、メンタリティの違いとなっているとも、思うのは穿ちすぎでしょうか。

日本でも、今年2013.10、省エネ基準が改正されました。
しかしその断熱水準の内容は(詳細は既知のものなので省きますが)、1999年(!)に定められた「平成11年度基準(当時は次世代省エネ基準と称していた)」と同じ基準を、2020年までに、すべての建物(戸建住宅への対応が一番遅い)に義務化する、という内容なのです。
しかも、平成25年6月14日閣議決定された「日本再興戦略」の中の「住宅・建築物の省エネ基準の段階的適合義務化」という項目には、わざわざ、
「・規制の必要性や程度、バランス等を十分に勘案しながら、2020年までに新築住宅・建築物について段階的に省エネ基準(堤 記:上記の基準です)への適合を義務化する。これに向けて、中小工務店・大工の施工技術向上や伝統的木造住宅の位置付け等に配慮しつつ、円滑な実施のための環境整備に取り組む。
・具体的には、省エネルギー対策の一層の普及や住宅・建築物や建材・機器等の省エネルギー化に資する新技術・新サービス・工法の開発支援等を実施する。」
と書いてあります。

どうでしょうか?

文面は、もっともらしい表現ですが(特に伝統的木造は、別途で、しっかりと扱うべきだと思いますが)、結局は、

「2020年には、現在新築でも5割程度しか実現されていない平成11年基準をようやく義務化します」
「ただし、それには計画・施工する業者側の体制(レベル、と言ってもいいでしょう)が追いつくまでの猶予が必要です」
「現状以外の新技術や工法は、支援するので、今からメーカーや民間で勝手に?開発してください」

としか読めません。

各電力会社からは原発再稼動を促すような節電要請も出、開催国でもある京都議定書の批准目標も大幅に引き下げ、いまだに再生可能エネルギーへの取り組みも本腰を入れないこの日本としては・・・・逼迫性がほとんど感じられないのは、私だけでしょうか。

個人的には「いったい、どちらを向いて決めてるの?」と聞きたいのです。
本当に、住まい手である国民の方を向いているのでしょうか。
今の「日本は住宅(環境)後進国」である、という状況がまだまだ続きかねない、という事を国の施策が示しているのです。
もちろん、上記基準はあくまで最低基準になる、という事を念頭に、私達はよりすぐれた住宅を提供していく必要があるのですが。
(住宅性能表示制度の見直し案で温熱環境における現行最上等級4の上に等級5が設定されたのは、ひとまず評価しましょう)

しかし、ドイツの取り組みと比較するほどに・・・日本はまだまだ「潔くない」と思ってしまうのが正直なところです。


二つ目は、「足るを知る、ということ」です。

今以降のエネルギー事情を考慮した際に、特に先進国(及び先進途上国)では、本当に不可欠な用途以外のエネルギー消費量を抑える、というのは必須だと思われます。
例えいかなる革新的なエネルギー事情が開発されたとしても、気候変動や自然破壊等にまったく影響が出ない、とは考えにくいですし、それに乗じた享楽的な莫大なエネルギー消費、などはありえないでしょう。

その際に重要な概念として、特に日本では、
「足るを知る」
というのが、これからの重要なキーワードではないか、と思っていました。
言い換えてみれば、分相応:無駄なく、生活するのに支障の出ない程度のエネルギー消費量を心がける、という事です。
ただし、「無駄なく」という部分では高い気密・断熱性能が必要であり、それなくしては漏れ続ける入れ物に水を注ぎ続けるのと同じ事になってしまいます(完全に受け売りの表現ですが・・)。
それ故に、これから提供していく住宅の(断熱)性能自体は、パッシブハウス級を最上と認識しつつも、日射調整や通風等も考慮した日本の地域性に合わせたもので、コスト的にもバランスの取れたものを、という思いでした。

しかしドイツにて、新築への取り組みもさる事ながら、劇的な改善をした断熱改修工事の状況等を視察して、
「足る」
についてのもう一つの意味付けに思いが至りました。

従来通りの意味で用いられる「分相応で不足がない」という意味とは別に、
「本来もたらされるべき、満ち足りた状態」
という事でも言えるのではないか、と思ったのです。

なぜ日本が「住宅後進国」と言えるのか、の要因の一つには、いまだに家の中の温度差が引き起こす「ヒートショック」が要因の年間死亡者が約14,000人にもなる(交通事故死の約3倍!)という実情があり、とても「足りている」とは思えません。
また省エネルギーの生活と言っても、ただ我慢して生活する、というのでは、人間らしい暮らしとも言えませんし、それにより健康を損なう住まい手が増えるのは想像に難くなく、ただでさえ増加していく医療費を更に増やす結果となります。

そうではなく、本来「住宅」に求めるべき「快適な暮らしのレベル」という内容、概念をちゃんと認識・共有し、それを確保するべく基準を設定し、実施へ向けて動くことが重要ではないのか、と思います。

改めて言い直しますと、
・正しい省エネのあり方
・快適性の追求
以上の両立がなされて、はじめて「足る」と言えるのではないか、とドイツの事例を見て感じたのです。

そして、これからの日本に必要なのは、こちらの意味でも
「足るを知る」
ではないか、と思うのです。

そして行政が、施工・販売側が、ではなく、まさに住宅を求める一般の方々、消費者の方々にこそ、この「足るを知る」の両方の意味を広く伝えていくのが重要ではないか、と思うのです。

それをわかりやすく周知し、納得してもらうことは、住宅従事者の大きな責任の一つではないでしょうか。

そしてかつてのエコポイント実施時のように(功罪あるでしょうが、等級4レベルの普及を広めたという部分については功であったと捉えています)、消費者から求められるようになって、本来推奨すべき、高い性能の住宅が広く求められていくのでは、とも。

そしてその住宅というのは、ドイツのイメージとも重なるような、「質実剛健」というイメージの、「手堅く、揺るがない生活」が得られるものであるべきです。
決してデザイン性だけを求めたり、過剰な設備を搭載すればよい、というものではなく、「(性能・構造共に申し分の無い)しっかりとした住宅」、それがもたらす安心できる生活、休養の巣としての場、を提供するのが、住宅従事者の役目ではないか、と強く念じて、帰国したのです。


その他にも、ドイツに学ぶライフワークバランスや、逆に日本からの提言として、主構造を「木造をベースとする」場合の防火性能の確保等については、対等な議論やノウハウ提供が出来るのでは?
日本では例を見ないが(不勉強なだけかも知れませんが)、各地域ごとに各種エネルギーのベスト・マッチング・コーディネート、システム化というのは、実はこれからのニュービジネスの一つにならないか?
既存住宅についても、そもそも「耐震改修」時には、主構造まで施工を達しめる、ひいては仕上げのやり換えが発生するのがほとんどなのだから、それに「断熱改修」という強い付加価値を、それも可能であれば高い性能であるほど望ましいのでは?
国の義務化が無理なら、せめて、統一表記のラベリング表示の徹底を。
消費者の認知が進み、逆に施工側への要請に至るように。
また、そのための共通で使用できるパンフレットの作成と周知が出来れば・・・理想的!
等々、思うことはまだまだあるのですが、本投稿では長くなり過ぎますので、また、機会を見つけてお伝えできれば、と思います。

以上をもって、ひとまず、今回視察の感想とさせていただきます。
ここで改めて、日本~ドイツでの視察に際して多大なご尽力をいただきました在日ドイツ商工会議所、また快く送り出してくれた会社・スタッフへの感謝を述べまして、終わりたいと思います。
読了、ありがとうございました。

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