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看護師備忘録③〜大学生の頃の看護観〜

大学の授業では主に

自分の看護観について

勉強しディスカッションすることが

多かった。



セミナーの授業で

同級生が"国境なき医師団"について

調べて発表することがあった。

わたしは国境なき医師団を知っていたが

詳しく知ってから少し興味が沸いた。



医療を提供することに

お金も国も人種も関係ない。

同じ医療なのに

同じ人間なのに

なぜ

お金がないと診てもらえないのか。

患者も医療者も同じ人間なのに

お金の有無で、診る診ないを

決定してもよいのか。

医療の平等とは何か考えていた。



その発表のなかには

"発展途上国へ訪れる学生ボランティア"

という活動があることを知った。



そのフレーズだけで

苛立ちを覚えた。

看護学科以外でも当時流行っていた

発展途上国へ訪れるボランティア大学生。

現地の子どもたちと写真を撮り

SNSにあげて

"1ヶ月ボランティアに来ました"

一見素晴らしい行動に思えるだろう。

勉学のために

就活のために

興味のために

訪れた大学生はたくさんいただろう。



その後は?

また訪れる予定は?

そのボランティアによって

あなたは何か学べたかもしれない。

価値観が変わったかもしれない。

将来の夢ができたかもしれない。

だがほとんどの大学生は

それ切りなのではないだろうか。

何か行動を起こしたのか。

再度自力で訪れて何か支援したのだろうか。

あなたは帰国すれば

温かい清潔な家での生活が 再開する。

現地のひとたちは

あなたが来ても来なくても

変わらない生活が続くのだ。

自分が発展途上国でボランティアをした

キラキラな姿を

平和な日本で見せびらかしてるだけにすぎない

とさえ思った。



国境なき医師団の現地活動や

現地での現実的な生活を知り

中途半端な覚悟で参加してはいけない

と思った。

それと同時に

医療技術や医療知識がなければ

どこに行っても

役に立たないのではないかと思った。

発展途上国に行く覚悟はない。

でも、ここで、わたしが生活しているこの場所で

大切な人を守るために

少しでも何か出来るために

しっかり医療を勉強しようと

改めて強く思った。





自分の看護観の発表もあった。

大学一年生で看護学をかじったばかりの

わたしの看護観は

生きたい

死にたい

は同等の価値がある

ということだ。

病気で苦しいけれど生きたいと思う気持ちと

病気で苦しいからもう死にたいと思う気持ちは

どちらも同じ重さの想いで

どちらも尊重すべき想いである。

"病気を乗り越えて頑張ろう"と言うのは

健康な人間の発想にすぎない。

かと言って

この日本では

安楽死が推奨されているわけではない。

"死にたい"

と訴える患者のニーズに寄り添うには

わたしたち医療者にとって

力が及ばないのが現実だ。



看護師になってから

人間の

生きる力と

諦める心を

たくさん見てきた。

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