多浪交流会のこれからと、「多浪」コンテンツについて

日本の最高学府たる東京大学には「東大の学部に二浪以上して入学した人」だけが入れる意味不明なサークルがあります。『東京大学多浪交流会』です。今回はこのサークルの活動に関して色々と書きたいことがあるのでNoteを作成しました。

この東京大学多浪交流会というサークル、その名の胡散臭さに反して規模は100名以上メディア出演も年10回前後、その他様々な活動をしている意外とアクティブなサークルです。私はそんな珍奇なサークルの3代目代表を務めております。

もちろん代表とは名ばかりで、3代目の代表になってからやったことは

・文化祭の出店(恒例)
・雑誌・新聞社の取材(恒例)
・多浪サッカー(恒例)
・バーの一日店長
・京都大学多浪交流会との交流

くらいです。3代目で始めたのは下二つだけ。立ち上げ&オンライン記事で伝説的な人気を博した初代と、KADOKAWAから一般書籍を出した2代目に比べてあまりに貧相な実績です。あまりの活動の乏しさに、新入生にも「3代目はサークル潰すって言いますもんね」「この会無くなっても別に良くないですか?」みたいなことを言われる始末です。

しかし、本当にこの思い出溢れるハートフルなサークルを潰してしまって良いのでしょうか?確かに初代の方々が全員音信不通になってるし、歴代の中心メンバーが軒並みうつ病になってるし、自殺という言葉が普通の大学生の30倍くらい飛び交うサークルだけど、終焉を迎えて良いのでしょうか?3代目の代表としてそれは許せません!俺らだけが辛い思いしてたまるか。後世の奴らもこの多浪カルマに巻き込まれて死ぬまで苦しめば良い。意地でも存続させてやる。


なんですけど、実際問題多浪交流会としてやれることはかなり初代と二代目でやりきってしまっていて正直言って失速気味、ルーチンワーク気味になっています。そんな中でも上記のようになんとかやれることを見つけてはいるのですが、二つだけ、他のメンバーに勧められても頑なに避け続けているものがあります。

それが、

Youtubeチャンネルの開設とテレビ出演です。


実際にYoutubeもテレビも出演の依頼が来たことは、交流会単位でも個人単位でもありました。が、全て基本的に断ってきました。依頼を受けることに二の足を踏み続けた理由は「多浪交流会」というサークル、ひいては「多浪」というコンテンツの性格上の問題でした。

そもそも、元々の多浪交流会の設立目的としては

①大学に入ってから馴染めない多浪生達で集まるため
②現に努力してる多浪生・受験生に対して体験記などを通して応援する
③実際に多浪で合格した例などを通して、多浪に対する偏見を減らす

大体このくらいだったかと思います。また文化祭での体験記販売なども当初から始めていました。

しかし、個人的には多浪交流会というサークル自体、そのコンテンツの性質的に長続きが非常にしにくいものであると考えています。それは、

他のサークルに比べて『絶えず様々なことに手を出すことが必要とされる』にもかかわらず『ある一定のラインを超えたメディア露出は大衆の反感を買う』

と考えているからです。

そもそも「多浪」というコンテンツを大衆に向けて発すること自体、当然ながら難しいものがあり、その大きな一因として『多浪自体は積極的にお勧めできるものではない』ということが挙げられます。現に浪人している人を応援はするけど、これから受験する子達に多浪してほしいなんて思っていない。受験関連のコンテンツが好きな人(学歴厨など??)には面白いと思ってもらえたら嬉しいけど、全然興味のない人からすれば不快でしかないかもしれない。

もちろん、我々としては世の中での「多浪」に対する偏見を少しでも無くしたいという思いはあります。我々の活動を面白いと思ってもらえる一般の方々が、もしかしたら多浪に対する偏見を少しだけ緩和させることもあるかもしれません。しかし、偏見解消・受験生応援のために情報を発信するという立派な目標があっても、「迂闊に大衆の前に立つこと」が良いことだとは限らないと思うのです。

あくまで「多浪」という概念は表に出過ぎてはいけないものであり、一部のニッチな日陰の界隈をメインにしながらも、その中で色々なことに手を出す、というやり方でなければ、やはり社会の中では受け入れられないのかな、と考えています。


この点で考えた時に、初代の活動スタイルは非常に理想的でした。まだ知名度が無く、多浪に対する情報など0に等しい世の中に突如として現れたわけで、多くの人が新鮮に感じたと思います。受験生や浪人生をはじめとした受験関係者はもちろん、全くの無関係であるはずの一般の方達も興味本位で文化祭の体験記やTシャツを購入していきました。しかしまだまだ知名度は少なく滅多にネットで取り上げられず、しかしたまにネットで取り上げられるとその記事を読む人は非常に多く、ますます『一部の界隈』で人気が増えていく、といったスタイルで、まさに上記で挙げた「社会の中で受け入れられる」ための人気の伸ばし方を体現できていたと思います。

しかし徐々に人気が増えていくとそうした「日陰」の中で多浪交流会の新鮮さは失われていきます。元々受験に興味のある層自体ある程度限られているのに、ましてやここ数年で「浪人」に関するコンテンツは某Youtubeを始めとしてネットで散見されるようになりました。もはや多浪交流会に惹かれる様な層にとって「多浪」というコンテンツは衝撃でも何でも無くなってきてしまっている、と言えるでしょう。

別に新鮮さなんて無くても人気があれば良いんじゃない?と思う方も多いと思いますが、私はこの一種の「新鮮さ」こそが多浪交流会を存続させることが出来た一番の要因だと思っています。

そもそも多浪経験者は極めて怠惰です。多浪交流会を立ち上げて人を集めたとて、その中で参加するのは1割程度です。ましてや、多浪生たちだって普通に友達もできるし、他のサークルにも入りまくるし、全然普通に大学をエンジョイしやがるので、ますます多浪交流会などというサークルに顔を出す気力はなくなります。大学生活を楽しむ中、大学入学前の話に興味が無くなるのは当然かもしれません。
そのため「普段の活動」などというものは無く、集まる機会は基本的に何かしらのイベントが伴う時のみです。そのイベントというのが、例えば文化祭における体験記&Tシャツの発売、新聞社からの取材、多浪サッカー(シュートを決めると浪人した年数分だけ点が入る激アツゲーム)などです。

しかし、これらの活動も2年生、3年生以降になると徐々に飽きてきてしまいます。それに対する一番の刺激として、先代はKADOKAWAからの一般書籍の発行がありました。ちょうど出版社からの依頼があったとのことですが、「自分のサークルで出した本が全国の本屋に並ぶ」というのは、普段あまり顔を出さないメンバーを参加させるのに十分な動機だったと思います。こうして、初代〜2代目にかけては様々なイベントと勢いを駆使してその規模を存続させていけたのだ、と私は考えています。

以上が私が、多浪交流会が『絶えず様々なことに手を出すことが必要とされる』と考える理由です。ここに挙げたのは「交流会メンバー」が変化を求めているから、と言った理由ですが、個人的には発信相手となる一般の方々にとっても変化のない繰り返しはストレスになりうると思っています。理由は後述します。

そして、そんな中で3代目は何をするか?という話は副代表をはじめとして交流会の様々な人から話をされました。その中で真っ先に出てきたのがYoutubeチャンネルの開設・テレビ出演でした。ですが私はこれに対してかなり消極的でした。

そもそも動画媒体の恐ろしいところとして、自分自身で出す情報の精査が文章を書く時より粗くなってしまうという点が挙げられます。多浪というただでさえ批判が集まりやすいコンテンツに対して、何かしら失言をしてしまったらそれで批判が集中することもあり得ます。今までの記事インタビューでは記者の方が推敲して下さったため、誤解を招く様な発言は極力カットされていたことと思いますが、動画ではそれがありません。本意ではない受け取られ方をされてしまうリスクが文字媒体より跳ね上がってしまう、というのが動画媒体に対する懸念点の一つです。

もう一つの懸念点としては、Youtubeでもテレビでも、不特定多数の方に届くことにより、一部の方からの誹謗中傷のリスクが上がるということです。今までも文字媒体でネット記事に出たことは何度もありますが、その反応が直接自分達に返ってくることは基本的にありません。また、そうしたネット記事に関して興味本位で読む人自体ある程度限られており、Youtubeやテレビなどに比べて何だかんだアクセスされる頻度は相当に低いものになると思います。(ネット記事は検索しないと基本出てこないが、テレビはもちろんYoutubeも人気になればオススメに出てくる可能性がある、また見る層の民度もネット記事以上に予測できない)そのため、ネット記事(あるいは雑誌記事)以外の形で表に出ることに対する強い抵抗があります。

個人的には動画媒体で出るということは、まさに最初に言及した比較的広い意味での『内輪ノリ』で済んでいた「日陰」から出て表に出しゃばることであり、そのことが結果的に大きな痛手になりうるという風にどうしても感じてしまうのです。これが、『ある一定のラインを超えたメディア露出は大衆の反感を買う』と考えた理由です。

こうした制約を感じる中、何とか他に手を出せるものがないか?と探す中で、例えば他の受験系インフルエンサーと手を組む事を考えたこともありました。実際にYoutubeの出演依頼なども来たことがありました。

ですが、そうした方々との交流は基本的にしないことに決めました。今もするつもりはありません。

その理由として、

受験の話題、特に多浪に関するエピソードを武器にメディアに出過ぎることは単に無関心な層の反感を招くだけで無く、本来ターゲットであったはずの「受験に関心のある層」からの反感まで買う恐れがあると考えているからです。

実際、ツイッターなどで浪人経験者・受験関係者としてインフルエンサーのような立ち位置にいる方もいらっしゃる様ですが、確認する限りその大半は相当粘着なアンチの方がいらっしゃる様です。しかもその中には多くの場合、現在受験をしようと志している高校生・浪人生が相当な割合を占めているように思えます。

それもそのはずで、受験に関する話というのば言わば麻薬の様なもので、「自身のエピソード」のみである程度完結させてしまってもそれなりに説得力を持ったものの様に聞こえてしまう点で、発信者に一切のインプットを必要としない、という点が他のインフルエンサーとの重大な違いとしてあげられます。いわば「自分語り」で完結させてもある程度様になる。もしくは他人の体験談も使うことがあるかもしれない。しかし、基本的に自分語りがベースになってしまうとそこから中々抜け出せなくなってしまう様に思えます。実際彼らのツイートの多くを見ていると、「体験談」に終始しており、それへの分析が甘いものが多い気がします。これこそがアンチを集める一番の原因ではないか、と思えてなりません。

「体験談/エピソード」に終始することは最初こそ多くの人を惹きつけていても、次第に多くの人の反感を買うのは当然です。本当に困っている時を想像して欲しいのですが、何かしらの課題に直面して人からの助けを求める時、本当に必要なのは「その課題を乗り越えた人の体験談」そのものよりも「今、自分が乗り越えるために必要なアドバイス」のはずです。世間一般でよく見る合格体験談とは、ある種「自分が課題を乗り越えるためのアドバイス」を探し出す作業があるからこそ成立するものでしょう。中には単純にロマンを掻き立てるためだけに読む人もいるかもしれません。しかしあくまで後者の「必要なアドバイス」に当たる部分に乏しい体験談はいわば「クサい自分語り」として多くの受験生に切り捨てられるものであるでしょう。

そうした状況を踏まえて上記のインフルエンサーの方々の発信する情報を見ると、やはり残念ながら反感を買う様な情報の出し方をしている様に思えます。


実名を挙げるのはよろしくありませんし、私個人としては実際にお会いしてとても人当たりの良い方だったので明言は避けますが、最近は教育系のライターとしても活躍されてる某インフルエンサーの方のツイートなども、個人的には却って多浪のイメージを下げてしまう、と考えてしまいます。
そもそも受験のエピソードなど、社会に出ておらず視野も狭い、まだ何も知らないただ1人の若者が数年間の中で感じた極小な体験談です。最初はそれで受験生に夢を与えることができても、それ一本で何年もインフルエンサーとして食い繋いでいくこと自体に無理があります。次第に同じ話をするようになり、それ自体から見出される「アドバイス」性は下がり、ただの何の足しにもならない自分語りになっていく‥そうして「しつこさ」だけが残った体験談を、今必死に努力している受験生が見たら快くは思わないでしょう。そうした方々は、一生懸命にもがけばもがくほど却って自身の理想とは真逆の結果を出す(多浪生への偏見の増長)ことになると思うのです。

中盤のところで私が「多浪交流会が『絶えず様々なことに手を出すことが必要とされる』と考える」と言ったもう一つの理由がこれです。受験のエピソードは過去の話であり、限られたものです。それを同じ様な出し方で繰り返し繰り返し出していくことは寧ろ受け手にとって拷問です。もちろん我々多浪交流会は毎年新しい新入生が入ってくるので、ある程度新鮮味は保たれるでしょう。しかし同じことの繰り返しでは次第に新聞社からも飽きられ、イベントのお誘いは来なくなります。そうすると活動の頻度も下がり、新入生も入ってこなくなるでしょう。


ここまで思うように活動ができないことの言い訳をツラツラと並べてきました。
そこまでダメな状況なら、もう多浪交流会自体潰してしまえば?と思われるかもしれません。実際当初のサークルの設立目的の一つである「大学に入ってから馴染めない多浪生達で集まるため」という目標は達成する必要はなくなりました。みんな普通に馴染めています。多浪とか関係なく、みんなサークルに沢山入って大学生活を楽しんでいます。交流会なんて無くても、みんな一つも困らないのかもしれません。


ですが、

「今現在頑張っている浪人生に希望を与える」

という目標がある限り、やはり多浪交流会は、少なくとも私の代では絶やしたくないと考えています。

私自身が浪人中、自殺さえ考えていた時期に狂ったように多浪交流会の体験記を読んでいました。世間的にはどんなに道を踏み外しているように見えても、ここまできたらもう死ぬしかないとすら思える状況になっても、何だかんだ合格していく人はいるんだ‥、そういう実例と、その時の経験者の、変にドラマチックに飾り立てようともしない生の声が体験記全体を通していくつもありました。それを読むことが、どんな慰めよりも自分の心を支える唯一の希望だった期間が、僕の受験生活ではあまりに長すぎました。中には私自身よりも壮絶な受験生活の人もいました。鬱病になってまで東大に固執して、多分落ちたら今度こそ死んでしまうのでは?という時に東大に拾ってもらった、そんな人たちの体験記を見ていると、頑張る気力はまだ湧かないけど、取り敢えずこんな自分でも生きていて良いんだ、と思えるから不思議です。

そして未だに毎年、少しずつですが、「浪人中に多浪交流会の体験記を読んでいた」という方が無事合格して東大多浪交流会に入ってきてくれています。そうした方々が1人でもいる限り、いや交流会には入らずとも、受からずとも、浪人中に希望を持ってくれる人が1人でもいる限り、この会は続けていくべきだと思っています。

東大多浪交流会はあくまで浪人生を支えるためのサークルです。そして、その浪人生が本当に立たなくなって何かしらの助けを求める時、僕らができることは「自分語り」とはまた異なる、同じく苦境を乗り越えてきたからこそ伝えられる「生の声」だと思います。そこに含まれるのは具体的なアドバイスかもしれませんし、実はしょーもないエピソードの部分が却って心を軽くしてくれる効果があるかもしれません。しかし、少なくともSNSで不特定多数に向けてバズらせるような文言にそれらは含まれていません。「自分はこんなに苦労しました!!」と自分を過度に良く見せるための変にドラマチックな文章にもありません。ましてや、テレビのメディアのように特定の側面だけ切り抜いて一つの軸を見出そうとする編集の寄せ集めの中にあるはずがありません。それらは全て「虚像」です。
実際に起こったことを、カッコ悪いところも含めて、でもその中で感じたことをできるだけ忠実に伝える、そうすることを通してでしか読み手が得られないものがあると思いますし、それでしか救われないほど心が潰れかけている浪人生たちを救うことが、多浪交流会の存続している意味なのではないか?と思います。



結局これからの活動は決まっていませんし、何だかんだで去年までと大して変わらない活動をするかもしれませんが、会員が残ってくれる限りは続けます。

初代の代表のぽくだいかめんさんの書いた体験談で僕は家の外に出ることができました。そういう人がこれからも現れることを願います。

終わりです。

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