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【日記】『結婚とわたし』と結婚と私

5月28日(火) 夜、雨が降っている。
『結婚とわたし』というエッセイを読みました。面白かった!
このエッセイは、作家の山内マリコが2013年〜2017年に雑誌『an・an』で連載していたエッセイを書籍化したものです。
テーマは、著者の同棲→結婚生活
構成が面白く、日記形式で綴られるエッセイ(連載時のもの)に対して、2024年の今著者自身が振り返って後日談が付け足されています。また、『男のいいぶん』ということで、著者の夫の「いいぶん」も時折挿入されています。著者が一方的に主張するだけじゃないところもいいなと思いました。

愛おしい日々と、対話の積み重ねの記録

短いエッセイが並んでいるので、思い立った時に少しずつ読みました。
読みながら、自分はパートナーとどういう関係性を結びたいか?自分はどういうパートナーでありたいか?自分自身の結婚生活のことを考えました。

家庭内言語の話(p.197〜、ドライヤーで髪を乾かすことを「上川隆也」、飼い猫の目やにをとることを「めやんこチュンチュン」と言う)など生活の愛おしいところが軽快に、ビビットに描かれていて、いいなと思うところは多々あったのですが、連載の最終回(p.336)が特によかった。
著者は、不満や疑問に思ったことについて静かに我慢したりひとりで握りつぶしたりせず、とにかく夫に伝えます。喧嘩をすることもあるけれど、仲直りして良い関係を結んでいる。その関係性は、親友たちのおかげであった、と書いているところです。一部抜粋します。

相手を知り、自分を知り、お互いを受け容れ合う。愛し、尊重し、褒める!心にもやもやがたまったら押し殺したりせず、心の内をちゃんと言う。そうしてさらに仲良くなっていく。出会ったときはよく知らない他人だった人が、いつの間にかかけがえのない存在になっている。そういうプロセスを、彼女たちとの付き合いを通して経験していたからこそ、今夫ともごく自然に、うまくやれているのだと思います。

『結婚とわたし』p.336-337

「ゴールイン」なんて言葉があるくらいだから結婚って恋愛の総仕上げなのだ、と漠然と思ってしまっていたけれど、実際に家族を作ってみると、その時に立ち上がってくるのは、恋愛というよりはチームや友情という方が自分の実感には近いような気がしています。友情の定義によるかもしれないけれど…。

私にも大事な友達がいます。でっかい愛を持ち、持っているからこそ、ある時には励ましてくれ、ある時にはりんちゃんそれって違くない、と言ってくれる友達がいて、そのように接してくれた友達がいたからこそ、今のパートナーとの関係をうまく結べている。私は家族(父や母やきょうだい)と腹を割ったコミュニケーションというものをあまりしないで暮らしてきてしまったので、なおさらです。

一時帰国、「結婚と私」について考えちゃった

なぜこの本を手に取ったかというと、今年の3月に一時帰国した時に、まさに「結婚とは…!?」という疑問が私の中に渦巻いたからです。私がなぜ海外にいるのか等詳細は省きますが、1年半ぶりに東京に帰った時に、たくさんの友達に会って、こんなに大好きな友達が東京にたくさんいるのに、なんで私は海外なんかに住んでいるんだ!?と思い至り、パートナーと二人で話し合って下した「結婚して海外に住む」という決断について今更疑問を持ってしまったのでした。
そんな疑問の炎が頭の隅でくすぶっている時に入ったエトセトラブックスで目に飛び込んできたかわいい表紙と「結婚とわたし」の言葉。買うっきゃないっしょこれは。

『結婚とわたし』を読んでみて、結婚(および共同生活)って意外と友情のお作法に近いのかも、ということと、とにかく腹割って対話を積み重ねていくことが、良い関係を続けていくのに一番大事なことだと、それが好きな相手なら、パートナーであれ友達であれ大事〜!という気づきに至ったのでした。

一時帰国の時に会った友達に、「結婚とは…!?」の疑問について話したら、お別れの日にこの本を貸してくれました。まだ読めていないのですが「腹割って話す」について、ひとつのよい道を教えてくれそうな本なので、読むのが楽しみです。良い友達を持ったなあ。

結婚という制度それ自体について

私は、結婚という制度に賛成じゃないけれど、日本の結婚制度を利用している一人です。(しかも、その方が色々便利だからという理由で)
あまりに不勉強だから深い議論はできないけれど、まず性別に関係なく誰しもが使える制度になってほしいし、選択的夫婦別姓も実現してほしい。その上で、結婚制度は無い方が良いのかな、でも実際問題難しいのかなあなどと考えています。勉強します!


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