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癒しの庭のお散歩

こんにちは!魔タリカ766歳、魂のR指定です!
インドでのスピリチュアルキャラバンサライは4つのパートに分かれていて、その最初のパートの瞑想が終わって、アーユルヴェーダトリートメント三昧の日々を過ごしつつ書き始めましたが、Wi-Fi事情で四苦八苦しているうちに、もう家に帰ってきてしまいましたw

インドでは日焼け止めを買ったんだけど、つけることなく過ごしていたので、もぅぅ真っ黒!
今時は普通、日焼けを嫌ってしっかりガードするのが正しい日本人
としての在り方ですw
いつも帰ってから後悔するんだけど、シミの一つや二つ(いや、もっと!)
はいい時間を過ごしてきたことの勲章だと思えばいいか!
ということにしておくことにします。

私の長年のシミとの取り組み経験からすると、シミが濃くなる時というのは、疲労、寝不足などで肝臓が弱っていて、老廃物の蓄積が著しい時です。
こんな時はひまし油湿布と腸洗浄の基本セットにビタミンCの大量投与が効果テキメンなので、帰国後が勝負どころです!最近サボっていたので早速再開しなきゃ。


このコロナの4年というもの、ずっと日本に引きこもって仕事して、
何か問題が起こった時には、文字通り必死に解決を求めて
取り組んでは来たけれど、その必死さと一生懸命さがアカのように
こびりついている自覚はありました。今回の1ヶ月のインド滞在は、
それを少しは…いえ、だいぶ洗い流すことができたような気がします。

場所を変えてインドにいると、人付き合いが普段の何倍も拡大するので、
嬉しいこと、楽しいことと同時に、エゴの鼻っ柱をへし折られるような
小さな痛みを伴った新たな気づきも盛り沢山です。
やっぱり英語が最悪だ!などをはじめとして、ですねw
もう本当に笑っちゃうような脳内誤翻訳などを連発して、面倒臭いので分かったような顔で聞いていた話を、後から「さっきのことだけどね…」「えっっ、なんのこと?」なんてもう、日常茶飯事です。
脳内英語スイッチがONになる頃にはもう帰国、の繰り返しですが、
私にとっては、毎日起こるそんな小さな事件からの気づきを
存在(神、宇宙など、どんな呼び名でもいいのですが!)からの
贈り物として受け取りたいと思うのです。

続き…………….癒しの庭散歩



存在は常に私たちと共にあり、次々と物事の様々な側面を展開して
私の視野を拡げようとしてくれます。
全ての事件は、俗にいうところの「お試し」であり、次の段階へ進むための
イニシエーションでもあります。
問題だ!と思えば全て問題となり、降りかかってくる試練のように感じて、人生は苦しく生きにくくなるでしょう。
でも、「なんの問題もない!」という視点から見ると、
新たな視野や可能性が開けて来ます。
問題の本質へと深く入ることを習慣付けておけば、それは次の段階
へ移行するための踏み台となる気づきが生まれます。
問題の核心、本質に迫るほどに痛みは増しますが、普通はみんなそういう痛みを嫌うんだけど、傷ついて痛んでいるのはエゴ、本当の自分はどこも傷ついていないんだってところに繰り返しアクセスしていかないと、踏み台の土台は豆腐のままです。

いくつになっても学びは終わらず、取り組むべき新たなテーマが
私を新しい生き方のステージへと誘ってくれますが、日本の土壌にいる時よりも、鮮明にそれを感じることができます。
「瞑想は内側へと、気づきは外側へと広がる意識の光だ」
という、マスター・マンタク・チアの言葉があります。
瞑想と気づきは両輪で、どちらも同じくらいに大切です。
気づきのない瞑想はスピリチュアルエゴの増大を、瞑想のない気づきは浅瀬の海で溺れてしまうが如きです。
最近あった痛い出来事など、改めて思い出してみると、きっと新たな気づきの光が灯るんじゃないでしょうか。

こんな言い方もできると思います。
瞑想は垂直方向の霊的成長で、気づきは水平方向への成長です。
ちなみにSyntheseのジンさんは、
「成長なんていらん。楽になればいいんだ。」と言いますが、
他にいい表現が見つからないので、ここはあえて成長という言葉を使わせてもらおうと思いますw

成長したいという向上心は、経済的成長も自己成長も含めて、近年では人間の苦しみを助長する強迫観念みたいになってますよね。
一方で「今の自分のままでいい」という言葉は、甘いお菓子の如くです。
白砂糖でコーティングされているもの、蜂蜜やデーツでコーティングされているもの、どちらを選ぶのかによって、未来の自分の健康を大きく左右する、そんな感じです。良薬は口に苦し、とも言いますよね。
なんであれ、全てはまず最初にあるがままの自分を受け入れて、そこに寛ぐことから始まります。

成長や気づきが起きたからにからには、外側の環境や自分の生き様が即変わるはず!とか、そんな魔法みたいなことを期待するような風潮もあります。だけど今の私の中では、内側で起こった小さな変容の萌芽が、少しずつ成長していくだろうという予感があります。小さな芽は、今は小さすぎてどんな姿に成長していくのか、見当もつかないけれど、その成長を日々見守っていくのが楽しみなんです。
大きな木ほど、成長するのには時間がかかるし、小さなドングリがあんなに大きなブナやシイの木になるなんて、想像もつかないですよね。
運よく日当たりの良い場所に落ちれば、やがては木になり、林になって、森に育っていくかもしれません。

うちなる癒しの庭を、大切に守り育てていくという根気のいる仕事は、
自分にしかできません。
「意識」「気づき」「瞑想」「洞察」などが光や雨となって、木々に滋養を与えてくれるでしょう。
何があっても、転んでも怪我しても、タダじゃ起きないという気概を持って
行こうと思います。それらの経験全てが豊かな森を創り出すんですものね!
インドは私にとって癒しの庭で、魂の滋養の宝庫です。

Love♡

Tarika

2024/1月31日発行メルマガより


癒しの庭のお散歩

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