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アメノウズメのDNA

こんにちは!魔タリカ779歳、魂のR指定です!
もううう、毎日暑いですよね〜💦
エアコン嫌いの私でも今年はある程度使わないと、頭が全然働かないんじゃないかと思っています。
前のメルマガを書きかけのままで、また1回スキップしてしまいましたが、その間に自分のためのトレーニング参加と名古屋タオ・ダンス&メディテーション(TDM)と、甲府のTDMまで終えて、サンクチュアリのために長野に移動してきました。
今年は激しく移動していて、荷物の詰め替えと家の換気のため?に帰宅しているのか?ってくらいに腰が座りません。こんなに短期間で忙しいのはコロナ以降、久しぶりです。

今回のTDMツアーでは、親子連れ、家族連れなどもありました。
日常生活では出会うことのない踊り狂って叫びまくる大人を見ることは、子供の未来にとって、大事なことだと思います。大人の非日常空間を垣間見ることは、子どもたちにとってのプチ・イニシエーションになるんじゃないかと思います。

各会場では、「源、存在、成熟、うちなる声、無垢、手放し」と、
大切なテーマをいただいて、全く違うことをするわけじゃないんだけど、
意図によってそれぞれ違うことが起こります。
何より一番違うのは、ご当地人のエネルギーです。どの会場でも、新旧メンバーの入り混じり具合と、古くからコミットしてくれているスタッフが作ってくれる器の温かさが、最上のプロセスを醸し出してくれます。
2会場、3会場と重ねて参加してくださったタオ・マニアの方々やスタッフも、各地のエネルギーの違いにはびっくりなんですが、私も毎回その違いを楽しみにしています。

最近は「うるさい」という苦情のために、お隣同士の諍いや子供達の施設の建設が制限されたり、世の中の方がよっぽど狭量でうるさいと思うのは私だけでしょうか。
お祭りもだいぶ減ってきましたよね。地域のお祭りを担う人材の不足もあるのでしょう。私たちのTDMの会場選定も「うるさい」ことが理由で、かなり限られた選択になります。

音響関係も素人が使いこなせるものの中では、最善のものを本気で選択しているし、私もみんなのダンスや叫び声を煽り、そこに嬉しそうに乗っかってくるスタッフや、普段は注意深く紳士淑女であろうとしていた人々も、ついついつられて叫び始めれば、あとはもう汗と笑いと理由のない涙と熱気で急激に温度が上昇した会場が、うるさくないワケがないんです。

しかしね、どれほどみんな自分のパワーを押し込めているんでしょう。あれだけのパワーが内向すれば、具合が悪くなったって当然だと思うのです。
更年期の具合の悪さだとかもそうです。あまりに長い間の抑圧は、本来持って生まれたパワーや才能を忘却の彼方へ押しやります。ですがこのエネルギーは、忘れられても失われてしまうわけではなく、その強力なエネルギーは、体内の脆弱な部分からなんとかして外に出ようともがいているように、私には見えます。もともと私たちが生まれてくるときに、創造の源から携えてきたそのエネルギーを一気に放出させて、それを祝うのがTDMの役目でもあると思っています。だからこの非日常空間で出会う自分自身というのは、実は本来の、あるがままの自分自身だと言えるのです。


続き……………………………



今年のTDMを振り返ると、年に一度地元に回ってくる(かもしれない)お祭りの一座のようだな、と思います。祭りは年に一度、一生懸命真面目に働いた人たちが無礼講でストレス発散する場です。友情を温め直したり、新しい友人を作ったり、時には恋が始まったりするような、次元の「間・あわい」に姿を表す異空間です。
そこに飛び込むと決めた人だけが垣間見ることのできる世界。あるいは暗い山道に迷い込んで、遠くに見える明かりを辿って偶然行き着いた雀のお宿のような。

昔々、遊び女(あそびめ)という人たちがいました。
江戸時代の遊郭にいた「遊女」と「遊び女」は違います。遊び女は奈良時代に発祥の起源を辿ることができる芸能を生業とする女性たちで、音楽や舞踊、詩の朗読など、多くの芸を持って各地を回っていました。

遊び女たちは、単なる娯楽の提供者としてだけでなく、文化の伝播者としても重要な役割を果たしました。彼女たちの芸能は、宮廷文化や貴族文化の一部として受け入れられ、その技術や美学は、後の歌舞伎や能楽といった日本の伝統芸能にも受け継がれているほど、影響力があったのだそうです。

芸能はもともと神事や宗教祭祀であり、演ずる人たちは神と人々の「間・あわい」をつなぐ媒介者です。巫女にも少し似ていますが、巫女の主たる役割は宗教的な奉仕者です。一方で芸能は、人々の心模様を物語り、芸術や娯楽として提供する、神々と人々の「間・あわい」に存在していました。
伝統芸能である「能」は、ふとした拍子にあの世とこの世の「間・あわい」迷い込んだ人が、幽霊や亡霊、鬼などの超自然的存在の語りを聴き、祈りや経文の力を借りて成仏へと導く、というのが主要な展開です。
そんなことで、私は能に全く明るいわけではありませんが、深いシンパシーを感じます。

遊び女の起源は天鈿女(アメノウズメ)だと言います。
天岩戸にお隠れになった天照大神を外に連れ出すために、天鈿女命はエネルギッシュで官能的、魅力的な舞で他の神々の笑いを誘い、天照大神が一瞬外を覗いた瞬間、力持ちの神である天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)が外に連れ出したので、世界に光が戻ってきたという、あの物語です。

各地の祭りが消えつつある今でも、私たち日本人の中に宿った天鈿女と天手力男命のDNAは、各地の神社で舞や楽を奉納する人たちの中にも、私たちタオマニアの中にも強く息づいており、神々と人々の間を繋ぐ役割を担当させてもらっているのだと思えます。

祭りとは神様を喜ばせるためのもので、日常の穢れを祓い、神々や祖先と繋がり、社会と繋がり直すような、ハレの場です。官能的な舞や、熱く湿って勢いのある人々の賑やかな声を、神々はお喜びになることでしょう。

祭りが終わって家路についた人々は、昨日と同じ場所に戻っても、昨日までの自分とは違う次元で生き始めるでしょう。家族やパートナーは、彼らの清々しい変わりようを訝しげに眺めるかもしれません。それほどに彼ら、彼女たちの顔は輝いていて、清々しく、自然体です。

今日からは長野ですが、どうやらずっと雨模様なようです。しっとりとした雨は、私たちのワークに心地よく降り注ぐでしょう。祭りの後の奥の院「サンクチュアリ」は、完全にあの世とこの世の「間・あわい」にあって、古代縄文の神々の呼びかけが聞こえてくるようです。

Love♡

Tarika
 

2024 / 7月10日発行メルマガより

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