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女体のエロティカ

魔タリカ 766歳 魂のR指定、チェンマイからサワディ〜カ〜!
このところ移動ばかりで、メルマガのサイクルも乱れがちで、いつ出してていつスキップしたのか、もはやもうわからなくなってしまいました。
タイと日本の時差は2時間ほどの微妙な差なので、なんだか時間を読み間違えて、この間はマジュヌとのFBライブをうっかりすっ飛ばしてしまったり、まぁ色々とやらかしております。

今日からは続々とチネイザン参加者が到着して、だいぶ賑やかになってきました。チェンマイは、ここに来ていなかった年月を無効にしてしまうほどに、馴染みやすく暮らしやすい街です。

こちらも雲が晴れると相当に暑いのですが、日本の暑さとはなぜか違います。日本はもう温帯じゃなくて、亜熱帯という感じなので、あまりタイと変わらないか、それ以上にコンクリートの照り返しや湿気で苦しい暑さだと感じるのは、時間の流れのせいなんでしょうか。
ここにいる人はほとんどがホリデーの人たちだから。

日本じゃ最近、コスパだのタイパだのと、時間を切り詰めて効率ばかりが重要視されているからなのか、空気すらも「急いで、早く、ちゃんとして。」と耳元でずっとリフレインされているような気分だったのだと、こちらに来るとカラダで実感します。「モモ」で、時間泥棒たちに無駄な時間を預けてしまってどんどん生気がなくなっていく人たちを思い出します。
タイパには賛同できない!もっと無駄な時間を楽しんで生きようよ、と思っていたにも関わらず、時間泥棒に無駄な時間を預けてしまったのは、私自身だったのかも。もう少しで灰色の時間につかまってしまうところでした。

日本には独自の世間での暗黙の了解があります。
他の国でもそれなりにそういうものがあると思いますが。
そういえば、最近私がもっとも面倒くさいと思っていたものは、「肌の露出を控える」ことです。昔よりもそこに重圧を感じるのは、歳をとったせいなのかもしれませんが。

昔、服飾の専門学校で教えていた頃、生徒に「先生、ブラが透けてる。」
と注意されたことがありますwこんな若い子がそれを気にするんだ!とびっくりだったけど、若い世代の方がちゃんとすることに関しては意識が高いのかもしれないですよね。

だけどそもそも、女の体はエロティックなのです。何が悪い?
OSHOも講話の中で話しています。
「女性の体はエロティックだけど、男性のはちっともエロティックではない。」と。

続き…… 成熟のエロティカ


女性が体を隠して歩かなければならない社会は、知能程度の低いエロの資本主義社会じゃないですか?女の体を金儲けと欲望を満たす手段としてしか見れないなら、女性達はできるだけ肌の露出を抑えて、搾取の対象とならないように、自分自身の本来の姿を巧妙に隠して、賢く立ち回るのが「女性らしさ」なのだという強固な条件付けが出来上がるでしょう。

実際、身体のラインが出るような服装で歩く時の(一部の)男性の目は、女性達を震え上がらせるには十分すぎます。わざわざ誘うような服装をしないのが、賢く慎ましい女性の在り方なんでしょうか。

一方で、レイプや痴漢の被害に遭う女性達は、男性の欲望を掻き立てるような服装をしていたのかというと、ほとんど全く関係ないのだということは立証されています。
女性が女性として、あるがままでのびのびと自由でいられない社会は、もちろんオーガズムの貧困にも、少子化にもつながっているのだと思います。
ヌーディストビーチなんて概念もまた、日本では犯罪級にぶっ飛んでますね!いやらしい淫らなマインドの人が多く存在する国では、危険すぎます。

乳首が見えるドレスを着て批判を浴びた女優のフローレンス・ピュー

「なぜあなたはそんなに胸に怯えるのですか?」「私の胸のサイズや体について、そんなに腹を立てることで満足するなんて、一体あなたに何があったのだろうと思います」

HUFFPOST

まったく、男性も女性も女性のカラダのラインや下着のラインにすら怯えていたら、幸せなセックスなんてはるか遠い世界の出来事です。
怯えている人たちの、そのマインドの方がずっと淫らじゃないんでしょうか。私たちは自分が本来持っている丸みを帯びた柔らかいカラダのラインを隠して禁欲的に振る舞うか、逆により誇示するとか?
これもまた極端な陰と陽の現れですね。統合のポイントは世間の目ではなく、内なる自分の感覚以外にはありません。

もっとも身近に潜む危険とタブー「ヌード、エロス、セックス」これらは全て、生命の根幹、生命が湧き出るところ、宇宙の創造性の源です。
それをなかったもののように扱えば、「愛、喜び、幸せ」の探究は、おシャレでステキなラッピングに過ぎず、中身はずっと箱の中にしまわれたままで日の目を見ることはないのでしょう。

初めてタオガーデンに行った時のショックを懐かしく思い出します。チネイザンのコースを受けに行ったのに、お腹に触れられることすら緊張感があって、ましてやカルサイネイザン(生殖器のチネイザン)なんて、どうしたらいいの?なんて思っていました。
膣の中に卵を入れるエッグカンフーも、世界中の人たちが楽しく真面目に取り組んでいる姿に、自分の幼さ、未成熟を感じて、人生でどれほどのものを取り逃してきたのか、ともったいなさと同時に恥ずかしさすら感じました。

タオでの探究は、私に成熟への道と人間存在の素晴らしさの再発見を教えてくれます。今年は5年から10年、タオとチネイザンに取り組んだメンバーの、チネイザンティーチャーへのアップグレード試験に臨みます。
そこではエッグカンフーや射精コントロールを含めた口頭試問なども含まれていて、ダメなら即落とされる厳しいものです。
ユニバーサルヒーリングタオの試験は受ければ受かるものではなく、いくらお金を払っても時間をかけても、できていなければダメなのです。

それもこれも、こんなに未成熟なマインドの社会では、自分たちと受講者の探究を安全に導き、守るのに大事なことなのだと思います。
本物はインスタントには醸成されないんですよね。
明日からは4年ぶりのタオガーデンに移動します!
楽しみ〜〜〜!

Love♡

Tarika

2023 / 8 / 1 発行メルマガより


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