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私の寿命は、あと「14931日」

つい先日、私は40歳になりました。

人生100年時代とは言われますが、2020年時点での男性の平均寿命は、およそ「81.41歳」とのことです。

果たして自分が、平均寿命まで生きられるか分かりませんが、もし、平均寿命ピッタリで私が死ぬと仮定すると、私の寿命は、タイトルの通り、あと「14,931日」です。

生まれた直後から平均寿命の日を迎えるまでは、およそ「29,715日」であることから、私は、14,931 / 29,715 = 50.25(%)つまり、人生のちょうど半分を生きたことになります。

普段私たちが使っている「年」で考えるよりも「日」で考えると、ちょっとだけリアルに感じるのは自分だけでしょうか。

私の息子は2歳です。単純計算で、残りの人生は「28,649日」です。

私の妻は29歳です。単純計算で、残りの人生は「20,973日」です。

私が天国へ旅立ってから、それぞれ息子は「13,719日」、妻は「6,043日」、私のいない世界を生きることになります。

もちろん、不慮の事故や病気などで、平均寿命まで到達できない可能性もあれば、医療の進歩で平均寿命以上に長生きする可能性もあります。

私が唯一気がかりなのは、全員が平均寿命ピッタリに天国へ旅立つと仮定した場合、息子と妻が、結構長い間、私のいない世界を生きるということです。

息子は実家を巣立ち、大恋愛をして、素敵な相手がいるかもしれません。

しかし、妻は、精神的な病気の関係もあって、ちょっと対人関係が苦手です。私の代わりに素敵な相手を見つければよいのですが、ちょっと心配しています。

こんな事を妻に言うと、そんな先の事を考えてもしょうがないし、私は1人で生きていくよ(笑)とバカにされそうですが、大地震がやって来た時に、誰に守ってもらえるのか、とか、自宅に強盗が入って来た時に1人で戦えるのか、とか、足の小指をタンスで強打して悶絶した後に、笑い話として共有できる人がいないのではないか、とか、餅をノドに詰まらせた時に、掃除機で吸ってくれる人がいないのではないか、など、割と心配しています。

多分、ここまで読んだ90%くらいの方から「お前は心配性だ」と言われる可能性があります。

そう、私は心配性です。

一時期は「不安障害」と診断されていました。

列車に乗る際は、脱線を恐れ、先頭車両への乗車を避けています。

また、後方から別の列車が衝突する可能性も考え、最後尾車両への乗車も避けています。

新幹線に乗る時は、物理の公式である「物体の運動エネルギーは質量に比例し、速度の2乗に比例する」式とグラフを思い浮かべながらワキ汗をかき(要は重くて速度が速いとヤバい)、やむを得ず飛行機に乗る際は、運動エネルギーに位置エネルギーも加えた式とグラフを思い浮かべながら、事前に遺書を書いていました(要は重くて速度が速い+空を飛んでいる時点でヤバい)。

飛行機が離着陸する際には、軽く頭を抱え前傾姿勢を取り、対ショック姿勢を取ります。

バスにシートベルトが無いので不安です。

車を運転する際には、信号を指さし確認したうえで、青信号の場合は「進行よし」、黄信号は「注意」、赤信号は「赤」とブツブツしゃべっています(指差喚呼)。

実は、不安障害と共に、当時はうつ病の診断(のちに躁うつ病と判明)も受けていたので、毎日「生きるのをやめたい」と思いながら「ひたすら生き延びる行動」を取っていたことになります。今思えば、とっても滑稽で笑えますが、当時は、真面目にバカをやっていました(今でもバカです)。

ちょっと重い話になるので、病気の話については、また別の機会にまとめます。

話が脱線してきましたが、恐らく「妻の将来がどうなるかなど、考えても無駄なことは考えるな」とアドバイスを受けそうです。

最近、よく書物などでも「考えてもしょうがないことは考えないようにしよう。そして目の前のことにだけ取り組もう」と書かれています。

結論から述べると、自分は、この考えに疑問を持っています。

妻の未来は、たぶん、私が何か考えたところで変わりません。

はっきり言って考えるだけ無駄です。

けれど、妻の未来を考えることで、私は「今、この時の妻との時間を大事にしよう」と思えるのです。

これは、無駄なことではないと、私は思っています。

「マグロの漁獲量が減少しているにも関わらずマグロを食べ続ければ、回転寿司のマグロが、いつか食べられなくなるのではないか」と、私1人がマグロを食べながら考えても、将来マグロは絶滅するでしょう。この場合、私は考えても無駄なことを考えたように思えます。

しかし、多くの人が「マグロが絶滅して、回転寿司でマグロが食べられなくなるのが嫌だ」と考えるようになれば、マグロ養殖の研究が進んだり、マグロの資源保護の運動が起こったり、結果、マグロの漁獲量が回復し、私が回転寿司に行き、1人でたくさんのマグロを食べられるようになります。

要は「考えてもしょうがないこと」は、本当に考える価値がないのか、今一度確認した方が良いと、私は考えています。

今、考えるべきことは、山のようにあります。

・コロナ禍を、人類はどのように切り抜けていくのか。

・少子高齢化で衰退していく日本を、未来の子どもたちにどうバトンタッチしていくのか。

・正規雇用と非正規雇用の溝をどうやって埋めていくのか。

・明日の昼ご飯に、何を食べるか。など

大半の物事は、考えてもどうにもならないことです。

しかし、みんなが必死に考えることで、何か「人類全体が好転する流れ」のようなものが生まれてくるようなイメージを、私は持っています。

妻に笑われながら、明日も何か考えてみようと思います。




換気扇にこびりついた油汚れのような私の記事を読んで頂き、本当にありがとうございます。サポートして頂けると、妻がニッコリします。