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「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」吐き気がするほどおぞましいアレ

先日、「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」を観てきました。noteの私の投稿に「いいね」をしてくれた人の中には、お礼のメッセージに目玉おやじの画像を見掛けたことがあるかもしれません(ランダムです。)。

つまり、私は鬼太郎シリーズのファンなのです。そんなに詳しいわけではありませんが、現存する作品はたぶん一回は見ているはずです。

とか思っていましたが、浅墓でした。検索してみたら、見たこともないものが出るわ出るわ(それは言い過ぎ。)。全部コンプするには、まずはどこまで広がっているかを確定するところから始めないといけません。さすが60年続くコンテンツですね。

ちなみに現在、TOKYO MXで6期の再放送がオンエアされています。12月半ば現在で、たぶん29話かな?西洋妖怪たちと激闘を繰り広げているところです。
アニメで一番有名なのは、たぶん一番有名なのは、吉幾三さんがOP/EDを歌っていらっしゃる3期でしょう。

大人になってから気付きましたが、アングルワークがセクシャルですね。子泣きじじいは絶頂してるし。
何にせよ、ご興味のある方はぜひぜひ。

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本題の映画についてです。

水木しげる先生の原体験やら作中の水木(イントネーション、ああなの?)の在り方やら、最後のトキヤに対する言葉のああだこうだ云々みたいな、内容についての個別具体的な感想だとか、まして考察の類なんてものは、可能な限り控えます。
というよりは、上手く書く自信も全く無いし、そんなことを書いても楽しくないな、というのが正直なところです。

どの作品についてもそうですが、粗筋を丁寧に追いながら、「あれはああなんですよね。」とレビューしている人は、何にせよ凄いですね。

さて、一番のホラー要素であろうリュウガ家の「吐き気がするほどおぞましいアレ」は、PG12のレートが設定いるとはいえ、日曜朝アニメだった6期を敷衍した形での作品だということを鑑みると、なかなかどぎつい内容だったのではないかと思います。18禁作品でも、あそこまでのクソはいないんじゃないですかね。

97年に、奈良県の月ヶ瀬村という場所で、殺人事件が起こりました。高校生だった私にはインパクトの強い映像や言葉が、まだニュースの段階からバンバン出てきたこともあり、事件自体についてもよく覚えています。

そして、何年か経ってからその事件を追ったルポを読みましたが、(具体的にははっきり書かないけれど)「21世紀も間近な当時でも、まだまだ日本の村にはこんなものが残っているんだねぇ。」という、これまた強烈な印象が残ったこともまた、よく覚えています。

本作の舞台は、昭和31年の森深くの村。そんな事件が平成初期にあったことを思うと、「昭和」と「地方の名家」、「村」とくれば、本作の「吐き気がするほどおぞましい」アレも、まぁさもありなんとして受け入れるだけの情緒や背景が、少なくとも私にはあるのです。
それくらい、日本の田舎の村とはえげつない。有名なところでは、毒ぶどう酒事件だとかも。

決してのんのんびよりみたいに、牧歌的じゃないんですよ。閉塞空間で、人の出入りもなく、改革の機運すらなく、何十年と顔を合わせ続けざるを得ないというその怖ろしさ…私と同じ田舎者ならそのヤバさ、共感してもらえそうですが。

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はてさて、ホラーの怖さ(≒ヤバさ)において、「あったら怖いよね。」と「あり得る話だよね。」の差は、個人的にとても大きいものだと思います。あとは、ちょっとベクトルが違うけど「なんか分かる」感。

洋画ホラーの、物理的でなく、精神的なホラー作品に対していまいちピンと来ないのは、たぶんそれが原因でしょう。
恥ずかしながら私は、外国の習慣とか世俗とかに詳しいわけではないので、その国の人が「ワァ…」と思うようなところが、おそらく響いていません。

その点本作の「吐き気がするほどおぞましい」アレや「気持ち悪すぎるほど閉塞的な日本の村社会」を描いたことは、上述の私自身の体験から、ホラー要素として大いにアリでした。

最後に、鬼太郎の片目がないことについては諸説ありますが、一説(墓場ルート)のとおりに、あの場面で記憶を失った水木が「グロッ!!」と言いながら赤ン坊の鬼太郎を地面に叩きつけていたら、本当に救いのない話でしたね。

あれで良かったと思います。

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今日(20日)は緒乃ワサビさんの「裏社長室」の配信予定日でしたが、緒乃さんの体調不良ということで、一週延期になりました。実はこっそりやってるのではないかと確認しに行きましたが、「配信予定」の日付もちゃんと27日になっていました。どうぞお大事になさってください。

前回の配信の感想文で、自分自身について「生物のいち個体として、衰え弱くなっていく自分を認め、折り合いをつけていく時期なのだろう〜」云々と書きました。

これと似たようなことを、周りの年長者に話したことがあります。まあ、全員に「まだ早えよ。」と言われてしまいました。

↑の鬼太郎の作者である水木御大も、貸本の「墓場鬼太郎」を描き始めたのは38歳、「悪魔くん」を描き始めたのは41歳。円熟期を迎えるのはまだ少し先。例は極端ですが、普通は40前半で、こんなことは考えないでしょう。

私の場合は、身体を酷使する趣味を続けていること、そこに少なからぬ情熱を注いでいるからこそ、強くそう感じるのだと思います。もう、自分より年上の関取も、NPBに所属する野球選手も、J1に所属するサッカー選手もいません。

数字は正直です。そしてほとんど卑猥な場面でしか用いられないであろう「身体は正直だな。」という言葉も、よく言ったものだと思います。

今年、一番調子の良かった時期に撮りました(諸事情により、現在は削除。)。今年は本当に辛うじてですが、まだまだ頑張れました。しかし来年は、再来年は、こうしていられるのだろうか、と不安に思うこともあります。

「おれも昔は凄かったんだぜ。」みたいなの、めちゃくちゃカッコ悪いですからね。続けられる限りは続けます。もはや、美学みたいなもんですね。

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