イベントお疲れ様でした|ヨーガ哲学を学ぶ意義
イベントのご参加ありがとうございました
飯田市上村にある食と体験の宿まごころさんにて、【ヨガと食で向き合うミータイム】というイベントを行いました。
今年からヨーガのパートは哲学を軸にしています。
ヨーガ哲学は教室に通っていても勉強していない人が多かったり(そもそも、そこのお教室のインストラクターが教えていないから生徒が知らない)
私:「(仕事は何かと聞かれて)YOGAを教えてます」
相手:「どんなYOGAですか?」
私:「んー、フィットネス的には教えてません。哲学とか瞑想とかをベースにした感じです(みたいな感じで言う)」
相手:「哲学?そんなのあるの?」
こんなやりとりが多々あるのが現状です。
そんなこんなで、参加者が集まるといいけどなぁと思っていましたが、「興味ある!楽しみにしていました」という元気な方々がご参加してくださいました。
皆さんYOGA教室に通ってはいるけど、哲学の話は初めてだったようです。
今回は執着をテーマにしましたが、皆さん自分のことと照らし合わせて熱心に聞いてくださいました。ご質問もあり、双方のやり取りが出来るクラスでのシェアはやっぱり良いなと思いました。
少人数だったのでコミュニケーションも取りやすいし、距離感が近いことで私もそれぞれの様子や理解度がよく見えるので、自分にはこのスタイル(少人数制)が合うなと思います。
普段、私は聖典や聖者の本を読み、毎回内省し新たな気づきがあるのですが、勉強会の資料を作る時は、誤解や誤りがないように言語化しないといけないので、何冊も引っ張り出して集中的に学習します。
それは、私にとってもとてもよい機会を得ています。
次回は9月に予定しています。詳細が決まったらここでお知らせします。
テーマは今回の続き・関連する話題を考えています。でも、新しく参加されても大丈夫な内容ですので、ご興味のある方とご縁があれば嬉しいです。
精進料理を美味しく頂く
今回もクラスの後に素晴らしい精進料理を頂きました。おいなりさんのランチです。目の前のお料理に注意を払って、感謝をしながら頂きました。←当たり前に聞こえるけど、出来ないことが多い。例)味わずにしゃべりながら食べる、何かしながら食べる
毎回言っていますが、本当にお料理がすごいのですよ。味も見た目も繊細で緻密で。もちろん、味は最高に美味しいです。
(細やかさの例のひとつで言えば、あるおいなりさんの具材が、パッと見、えのきかと思ったらじゃがいもの細切りでびっくりしました。)
集中力がないとこういう料理は絶対作れない。毎回心の底からすごいわーと思っています。
私は好きなものを最後に取っておくタイプなのですが、毎回、最後の方はお腹いっぱいになってきて食べられるかしら?という状況になります。とても食べ応えがあります。
会場のまごころさんは築300年の古民家を改装した宿です。中は落ち着いたシンプルな内装でとても素敵です。周りも山が綺麗に見えるし川も近くてめっちゃホッとしますよ。ぜひ宿泊にもご利用ください。
ヨーガ哲学を学ぶ意義
ヨーガ哲学は心の仕組みを学び(それだけじゃないし、心理学とは違います)、心を越えていくためにあります。
普段、私たちは自分が心をコントロールしていると思っていますが、心に自分が振り回されています。
私がヨーガ哲学を学んでいて良かったと思うのが、何があっても(どちらかというと、悲しみ、怒り、疑念、恐怖など居心地が悪いもの)「今この心にこのような感情や思考が起こっているのは、こういう仕組みによるものだ」と、どこか俯瞰で見れるようになったことです。
実際に、この記事を書いている時点での私は、おとといとても深い悲しみの感情が湧く出来事を体験しました。
聖者の本を読んで感動して涙が出るというのは、ちょくちょくあるけど、悲しくて泣く、目が腫れるくらいにというのは何年ぶりでしょうか。そんなレベルのことがありました。
現時点では、その出来事は過去のことですが、ふと現在もその過去を思い出しては悲しみが立ち上がってくることがあります。
でも、「悲しみが湧くのはこういう心の仕組みが起きているからだ」「この出来事も神の完璧な計算の上で起きている。心配はいらない」「この出来事が内面を見せてくれてるわー(私、めっちゃ執着してるじゃんなど。)」と、悲しみという感情に振り回されて無気力になってしまう、それしか考えられないなど悲しみと自分を同一視せずに済んでいます。
悲しかろうが、怒っていようが、嬉しかろうが、肉体を持っている限りは、時間という概念に身をおかなければならず、明日はやってくるし毎日各々もっている役割を果たすことをしなければなりません。
アーサナを取ることで肉体を健康に保つことは重要だけど、肉体の観点だけで練習をしたり、それそのものがヨガの実践だと思っていると、感情が大きく揺れた時、何も出来なくなってしまう
感情に囚われ、過去という記憶に囚われ、思考も偏ったり妄想が広がって地に足が着かない、体が大ダメージで生活に支障が起こるということが起こりうります。それでは、意味がないというかもったいないと思うんですよね。
だから、YOGA教室をやるのなら、ヨーガ哲学を継続的に学べる場を提供することは、とても重要だと思っています。
Tara Yoga オンラインヨガクラス・飯田市
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