見出し画像

YOGAでいざという時も慌てない心を作ろう


いつでもヨガをする|ヨガとは何なのか?

今日で東日本大震災から13年。

当時、私は震源地からだいぶ離れた場所に住んでいたけど、立っていられなかったし、壁に引っ掛けていたキッチン用品が振り子のように揺れ、それだけでもかなりの恐怖だったけど

どうにかテレビをつけたら、速報で日本列島の図が東北を中心に震度6、7という数字で埋め尽くされ、実家のある地域が震度7だったことに(後に修正されました)驚愕し、実家がヤバイかも!と更に恐怖が増したのを覚えています。

震災当日の記憶が強烈過ぎて、余震がある度に不安になり、震災直後は寝れないほど気が張っていたり、携帯が使えない・電車が終日運休という日々が続いていました。
今まで経験したことない状況や、何よりテレビで報道されている津波や被災地の被害状況にショックを受けて、その時期は「ヨガやっている場合じゃない」と思っていました。

でも、ヨガは健康法やフィットネスではなく、(言い換えれば)いつでも平常心でいられるように心を良き方向に訓練する方法、恐怖や悩みを超えていくための方法です。
だから、この時はやるけど、この時はやらないという境界線はありません。

心を良き方向に訓練するには、体が健康でないと取りかかりにくいです。体が整っていないと瞑想もしにくいです。だから、アーサナ(ポーズ)を練習します。アーサナを取ること自体は主軸ではないのです。

ヨガの教えを学んだり、いつでもどこでも行動においてヨガの教えを実践していくと、この恐怖や悲しみは、地震という現象に対して【心がどう反応したか】に過ぎないこと。心が生み出したものに過ぎない。
というのが分かってきます。

地震に限らず、何か自分にとって不都合なこと、予想外のこと、受け入れ難いことが起きて、否定的・消極的感情が湧いたとしても

ヨガを続けていれば、状況や感情に振り回されて大きく崩れることが少なくなったり、ネガティブな感情から行動したりすることがなくなってくるんですよね。

でも、当時はそのヨガの意味やヨガをする意義を本当に理解していませんでした。

関連記事↓↓

とっさの時に日頃の行いが出る

今年は年明け早々に能登地震がありましたが、その時はクラスをしていました。
クラスに参加していた人も不安になる人もいるくらい、割と揺れたんですよね。

私はというと、どちらかといえば落ち着いていました。思考や感情というエネルギーは他者に伝染するから、私が慌てたら参加者も不安になるし、状況に応じた適切な行動も出来なくなります。

私の場合は自分の行く末は神のみぞ知るという考えでいるので、地震によってどうなるかは私には分からないし、たとえ冷静に行動してもその時が来たら潔く受け入れるしかないと思っているので
「どうなっちゃうの?!」と心が不安に占領され、動揺してしまうということはなかったけど、東日本大震災の記憶は蘇ってきました。

でも、その記憶(過去)とその地震(現在)は別物。
紐づけてしまうと(もしあの時みたいになったら…という妄想をすること)恐れや不安が立ち上がってきます。
でも、不安や恐怖は地震がもたらしているのではなく(見かけはそうだけど)、実は心が生み出しているんですよね。そして不安に焦点を当てればそれは増大する。

だから、揺れが収まる間は、その記憶や感情ではなく「今、この瞬間」にただ意識を向けたり、心でマントラを唱えてみたり、揺れが収まるのを待つ間はそんなことをしていました。

昔の自分だったら、過去の記憶に反応して(感情に飲まれて)目の前のことを冷静に判断したり、冷静に行動することが出来なかったかもしれないです。

例えば、こういう時っていろんな情報が飛び交うけど、それに左右されてネガティブなことばかり考えて過ごしていたかもしれないし
物理的な地震の備えは必要だけど、(※)恐怖から慌てて防災グッズを買い漁ったりしていたかもしれません。※「もしも…」って考え始めたらキリがない。

もしもの時や受け入れ難いことが起こった時に、その人の普段の物事の見方、考え方、行動って出ます。
不意に不都合なことが起きても、落ち着いた心や冷静な判断や行動が出来るように、感情に揺さぶられて自分を見失わないように、普段からヨガの哲学で心の仕組みや扱い方を学んで、日常で実践を積み重ねることは重要です。

それが心の備え。


飯田市のヨガ教室 TaraYoga

【個人ページ】個人的なこと、もっとディープなヨガのことを気楽に書いています↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?