避けられたはずの悲劇

 魔族たちの死骸の上にこの村は築かれたのだ。オーレルは時たま訪れる詩人の言葉を聴きながら村の成立を知ったのである。無論そんなことは百年も前のこと。本当にそんな出来事があったのかどうかと、疑いたくなる気持もある。

「これはまさに人間の偉業! 神は称えられよ、人間に施したやんごとない恵のため!」
 詩人の歌は、決まってそんな文句が最後。
 人間は魔族を鏖(みなごろし)にした。

 かつてあらゆる種族の中で弱き者として雌伏の時を過ごしていた人間は、その知恵と武力を尽くして、ようやくこの世界の歴史の檜舞台に躍り上がったってわけだそれがどれほど血と鉄を消耗したか、今となっては推測するしかないわけだが。
 もうここは平穏な辺境の村だ。これ以上進んでも人が暮らしている場所にたどりつくには相応の時間がかかるだろう。何しろ誰も確かめた人間がいない。
 オーレルはごく平穏な少年として成長した。先祖は騎士らしいが、この世代ではもはや単なる農民でしかない。

 けれど、やはり人間は噂を好む性質(たち)らしい。
「何でも、北の山奥に吸血鬼の生残が住んでいるらしいぜ」
 魔族が、まだいる。もはや完全に人間の手に落ちたと思われるこの地方に。
「おいオーレル、行かねえのかよ?」
「何だよ……誰かが確かめたわけでもないのに」
 アントニアンが肩をつかんできた。
「お前の曽祖父は魔族と闘って死んだんだろ? 俺はただの農夫の家だからそんな華々しい活躍はないが、お前んちはどうだよ」
 面子を保つのが人の性。
「そういう伝説を実際に確かめるのが男の度胸なんだからな。やって見せろよ」

 オーレルは自分の勇気を証明したかった。何とか勇気を振絞って
「行くよ!!」
 と言ったはいいが。

 ◇

 これほど夜の闇が濃いとは思わなかった。
 松明の火もそろそろ尽きつつある。元やってきた方向すら覚えにない。もう心は、獣が噛んでくるかもしれない、という恐怖感で一杯だった。オーレルはこんな冒険に身を任せたことに、心底後悔していた。友人たちが陥れる意思を持っていないのは明白だったから、なおさら自分の蛮勇が悔やまれる。
「どうしよう。もう日が暮れる……!」
 オーレルは恐慌をきたした。どこにも還る手がかりがない。
 もはやくじけて、そこに倒れこみそうになった時、夕焼みたいな火が、並木を照らしている。オーレルは一瞬期待してしまって、頬がゆるんだ。
「灯が……ある」 そこだけ、わずかに空間が照らされている。間違いなく、これは人が住んでいる証拠だ。
「行かなきゃ」
 オーレルは草に足が取られるのも気にせず、そこに走り駆けた。
 最初は一点にしか見えなかったその光がどんどん大きいものになって複数の火に。

 家だった。木の壁、茅葺で屋根、素朴な一軒小屋。
 家の中に、数本の火が燃えているようだ。誰かが暮らしている。
 オーレルは直感でそれが人間の物ではないと分かった。先祖の血が生きていたわけではないが、この鋭さはそんな直感はすぐさま期待の向こうに消えてしまった。

 扉の前で声をかけるオーレル。
「あの……道に迷ってしまって」
「いいから、入りなさい」
 真面目で、誠実な人柄のある硬い声だ。
 オーレルは数秒間迷ってから、ついに扉を開けた。
 そこにいたのは、人間で言えば三十代の男だ。顔は縦に長く、目つきは大きくも鋭い。真黒な服を着て木の机に両腕を載せて。

 それだけなら単なる隠者で済んだろうが、問題はこの男が人間ではなかったことだ。
 白い肌に赤い唇――そんな生物と言えば吸血鬼しかいない。

「待て! 危害を加えたりはしない」
 吸血鬼は叫んだ。まさにオーレルが扉を開けて外に飛出る寸前。
「こんな夜で外に出るのは吸血鬼でも危険だ」
 オーレルは嫌悪感で身をよじらせた。魔族をこの目で見たことはなかったが、実際に彼らが目の前にいるとなると、忍耐強くはいられない。
 魔族。人間が全力をかけて、滅ぼしてきた存在。
「吸血鬼……知ってますよ」
 殺されるに違いない、という予感。普通なら死ぬことが恐くて何もできないはずなのに、オーレルはなぜか高揚とした気分だった。
 人間としての矜持めいたものが俄然として湧いてきたのである。

 理解のできない存在を前に、自分が元から所属している何かにすがるのはごく自然の傾向。

「この地方の征服を描いた詩に出てくる。ずっと想像上の中の奴らだと思っていたのに……」
 吸血鬼は、さして感情を交えずにすんなり認めた。
「そう、君たちが迫害してきた吸血鬼だ」
 オーレルはわずかに後ろを振向いて顔色をうかがおうと。
 何やら、本気で心配していそうだ。
「だから待てと言っている。遭難して死にたいのか」
 その言葉に嘘偽が感じられなかったからこそ不快感も募る。
 オーレルはすっかり答えに窮して、黙りこんだ。

 そんな人間の少年の頑固な態度に吸血鬼の方も懲りたらしく、頭をかきつつ名を名乗った。
「私の名はオズワルド。人間の方でもよくある名前だろ?」
 この吸血鬼がどう人間のことを考えているにせよ、ここまで来たのなら非礼を重ねるわけにもいかない。已得ず少年は扉を閉め、吸血鬼の方に向き直った。
「オーレルと言います」
 オズワルドはすぐさま
「オーレル、か。この山の麓の村生まれだな?」
「……はい」
 オズワルドは壁から椅子を引いて来て、机に持ってきた。
「さあ、かけたまえ。長く歩いて来てお疲れのようだしな」
「いいんですか」
 オーレルはどうしてもぶっきらぼうな口調を避得なかった。『こんな奴ら』という感覚があった。たとえ相手がどんなに親切に接してくれても、決して心の底からそれを感謝することなどできないという距離感。
 壁には何か古めかしい棚が置いてある。その表面には何か人や馬みたいな浮き彫りが長々と刻まれていたが、その内容を人間は知る由もなかった。

「……私はどうすることもできなかった」
 オズワルドはうつむきつつ突然意味ありげにつぶやいた。
「人間は問答無用で我らを殺しにかかってきたんだからな。それまでは、一応協調関係が結ばれていたというのにだ」
 憎しみはなかった。ただもどかしさがあった。不満。
 どんなに年月が経っても決して薄れることがない類だ。
「百年以上前に、僕たちがここに押し寄せてきた時のことですね」
 オズワルドは椅子から立ちあがり、語気を強める。
「私はそれをこの目で視たんだ! 人間が吸血鬼を襲って殺しに行くところをな!」

 そう言えば、吸血鬼は人間よりずっと長寿(ながいき)だったな。言伝なんかじゃない。本当の記憶なんだ。

 オーレルの方にも、釈然としない感情はあった。彼自身は全く記憶にないのだ。先祖がしでかした蛮行。
 今となっては、歴史書と詩の中にしかその証拠はない。吸血鬼がいくら、その事実を主張した所で。

 オズワルドはあきれたように。
「人間は弱い。だから自分を守るにも加減という物を知らない。吸血鬼だって確かに敵が現れたら力を揮うこともある。だが自分から進んで誰かを傷つけることはしない」

「しかし人間の血を吸う」
 論駁。
「それは飢えに追いこまれた時だけだ! 君たちはごく特別な面を抜出して全体を観ているのだよ」
 敵意を全開(むきだし)にして接してしまったことに、後ろめたい気分はあった。オーレルはこれだけでも恥ずかしくてならなかった。
「吸血鬼はただ平穏を望んでいただけだ。いつまでも同じような時代がくることを望んでいた。我々は安穏にかまけて、ただその日を備えることを忘れていた……」
 詩の中の吸血鬼はどれも獰猛で理性など持たない化物だというのに、今話しているこの男はまるで理知的だ。
 人外でも、人間との理解とか共存を重んじる種族なんて、想像もつかない。
「人間は進歩を重んじる。安らうことに我慢がならない。だから新しい技術を考えついたり成長しようとする。心の中で、自分たちが未熟だと分かっているだけに」
「時代は……彼らのものだ。我々は消えゆく運命にあるのだよ」
「そうですか」
 オーレルは適当にいらえた。
「人間があんなに進歩していたとは知らなんだ。吸血鬼は軍隊など持たないからな。まして洞窟や森の中に住むだけに集団で襲われたら一たまりもない。一対一なら圧倒できるが戦争という技術には全く不慣だからだ」

 オーレルは全く返答に窮したまま、こう返す。

「確かに、詩の中にも戦争の描写がありました……!」
 甘いな、とでもいうような顔。
「私は目の前で親類を殺されたのだよ」
 オズワルドの口調はごく淡々としていて、まるで他人事(ひとごと)のようだった。
 しかしその内容は異常だった。こんな言葉を堂々と仇敵に言えるオーレルは怖気(おぞけ)が走った。
「百年経った今でも、鮮明に思出せる。洞穴に籠っていた時、火をつけられたんだ」
「なぜあの時生残れたか……今でも不思議でならん。あの時だけは全く昨日みたいな感覚だ。私はもうこの山奥で一人住んでから数十年もするが、その数十年などまるで一瞬に過ぎん」
 オズワルドは額をかきながら語りかけた。

 オーレルは急に下半身を倒して、地面に。
「ご、ごめんなさい!」
 本当はそんな気分では全くなかったのに、オーレルは義務感にかられてオズワルドの前にひざまずいた。なんで僕が、という反発と違和感を十分持っていたにも関わらず。
「今更|蘇生(いきかえり)はしない……」
 驚くほど、冷たかった。
 簡単に言えば、諦めなのだろう。だが、諦めと言うにはあまりにも残酷な境地だ。
 オーレルは立上がった。立上がった時には、もう自分の軽率さを恥じていた。目の前にいるのは吸血鬼だぞ。僕をもしかしたら憎んでいるかもしれない奴なんだ。殺されたらどうする――?
 オズワルドは、しかし眉毛一つ動かさなかった。
「ようやくここから全ての魔族が姿を消したのは六十年ほど前だ。吸血鬼としての生存者は他の国に逃げたりしたよ」
 オーレルはどうしてこれほどの事実に真正面から向合えるのか、訊きたくてならなかった。人間に比べて遥かに長い年月を生きるとしても、喜怒哀楽は同じはずなのだ。ましてやその寿命の中に様々な負の記憶を溜込んでいるのだとしたら、到底、長寿というのは残酷なものなのかもしれない。

「アルカディアだけではなく、他の人間たちの国はどこも魔族を撃滅ぼし、一匹残らず駆逐するつもりでいる。だがそれもまた歴史の命令だ」

 オズワルドは、それを恐ろしいくらいの忍耐をもって扱おうとしているのだ。オーレルは少しだけ、賞賛しようという気分になった。

「何でも人間たちは一部の魔族とは同盟を結んだらしいな……魔族を手なづけ吸血鬼を使用する人間の狡猾さにはどの種族も及ばんよ。我々強い者とは違う。弱いからこそ知恵を磨き、弱いからこそ敵を滅ぼし尽くさざるを得ん。そうして発展し、数を増やしてこの世界に満ち満ちていくのだ」
 ようやくオーレルは上半身を立上げて、オズワルドを視た。
 オズワルドは過去の傷跡に砕散る寸前で、理性を保とうとしているのだ。そしてそれは、人間より強い者であるからこそ、人間が知っているどんな苦難よりも辛いものなのだ――と人間の少年は理解できた。

「私はこの歴史を残さねばならん。吸血鬼にも死は訪れる。あと百年だ。その時には我々のここに存在した証拠もすっかり消え去っているだろう。そんな目を許すわけにはいかない」
「歴史を残すって……どうやって?」
 オーレルはしかし、一種のもどかしさを持っていた。吸血鬼と言う、人間より遥かに長い寿命を持つ生物が語る歴史など、あまりに永すぎるではないか。それを聴終えようというなら、それこそ人間の命がいくらあっても足りないのではないのか。まさかそれをここで語るつもりではあるまい?

「……でも、もう誰も語継いでくれる人がいない」
 オズワルドはその答を待っていたかのように、自慢げな口調で。
「文字だ。文字なら時を越えて記憶を残すことができる」
「僕は、文字を読めません」
「文字は神聖なものだ。言葉は飛散るが文字は残る……」
 棚を開けて一冊の、古ぼけた書物を取りだした。
 オーレルは、一瞬身構えた。書物というものは神殿に安置されていて、祭の時にしか持ちださない代物だ。それがこんな場所にあるという畏多さ。

「人間がこの世界に主として君臨するのは当然のことだったのだよ。彼らは進歩する生物なのだから。私は滅びゆく者としてこの歴史を遺すのだ」
 ただ、茫然とするオーレルの腕に抱きかかえて、教諭(おしえさと)す。

「君はこれを持って人里に下りなさい。そしてそれを村の誰にも見せてはならない。邪悪な物だと思われて焼かれてはならんからな」
 オズワルドの崇高な使命など、さして興味はなかった。
 オーレルは家に帰りたかった。確かに彼が背負った過去の重みは理解できた。けれど、心はそんな重みに打震えるほどの余裕などないのだ。
 家族が心配したら、どうするのだ。
「でも、もうこんな夜中に?」
「吸血鬼は夜目が利くからな、この程度の闇、大したことはない」
 オズワルドは初めて、オーレルの手を握った。オーレルは、その感触がすこぶる人間と似ていると思った。
 一寸先の闇をにらみながら、
「さあ、行こう。この森の外に出たら、また私たちは――」

「動くな!」
 命令が飛び、硬直する二人。

 そこには、無数の人間たちがいた。
 誰も彼もが杖や武器を持ち、峻厳な目つきで人間と吸血鬼を囲んでいる。
 オーレルは恐怖のあまりため息をついた。なぜ、こんな所に軍隊がいるんだ? どうしてここが分かった……!?
 進み出たのは、純白の制服に金髪を垂らす女。顔こそ端正だが、背は高く肩幅も広い。
「一体、何の用事だ?」 オズワルドは几帳面に尋ねる。
「アルカディアの辺境第三師団隊長、エリアーデと申します」
 女は礼儀正しく名乗った。しかし、今にも襲いかかりそうな鋭い気迫がある。
「長い間、黒薔薇騎士団による無造作な植民事業と魔族たちに対する虐殺の悪評は王都まで響いておりました。しかしそれは王都に巣くう貴族たちの権益によって長らく遮断され、議会の耳には入らずじまいだったのです」

 エリアーデの声は、歌うように明るい。
「新王のご即位によって体制が改革された今、彼らはことごとく罰せられ、騎士団の頭目もことごとく投獄されました。悲劇の元凶は、終焉を迎えつつあります」

 オーレルの恐怖の対象は人間から吸血鬼に移りつつあった。オズワルドの顔は、ただただ驚いていた。口を開いたまま、一声も発さなかった。
 エリアーデは、不思議そうに後ずさる。
「どうなさいましたか」
 この人間たちに対する憎悪が、なぜか感じられた。
 オーレルは、それを感じる自分自身に違和感を覚えた。だがそれがオズワルドへの不信になるのではないかと思うと、また居心地の悪さに迫られる。
 人間との敵意が間近に存在する恐怖。もはや、こんな場所に関わっていたくない。
「……私が今まで味わった悲劇は、避けられたはずの悲劇だったとか?」 オズワルドの瞳にもはやオーレルは映っていない。
 脚をまっすぐに立てて、拳に指を突立てる。
「お前たちがどうこうできるものだったのか? この歴史は……!」
 ぎちぎちと鳴る歯。
「私たちは、この悲劇がもはや繰り返されることはないと知らせるために訪れたのです」
 予定されていたみたいに、エリアーデの言葉には同情の念などなかった。
 オーレルは、オズワルドの豹変に足元から凍付いた。
「ふざけるな。呪ってやる……呪ってやる……呪ってやる……!」
 今、逃げなければ、自分の命が危ない。オーレルは反射的に玄関を出て、走りだした。

 突如、右手を天に突き出して彼は叫んだ。
「炎の精霊よ! 我が求めに応じて顕現せよ!!」
 吸血鬼の地面に、紅の呪文が描かれ、
「やれ!!」 直後、エリアーデの号令。
 何十もの呪文が、兵士たちの杖からほとばしった。
 四方に伸びる爆発。跡形もなく吹き飛ばされるオズワルド。灰と塵。

 もはや小屋は存在せず、小枝や枯葉にわずかな火がくすぶるばかり。
 これほどの衝撃と熱であったにも関わらず、彼らがその場に佇続けていたのはまさに防護魔法が施されていたからに他ならない。
「アデオダート、先ほどの少年は?」
 エリアーデは副官に尋ねた。
「逃出しました。どうやら窓を割って我々が開けていた場所から抜けたようです」
「そうなの。そう言えばあの吸血鬼、何か書物を託していたみたいね」
「歴史書ですか?」
「あれは恐らく歴史に残らない。なぜなら……奴らが書いた歴史を、あの子が理解できるはずはないのですからね」
 ごく、冷淡な言葉。そこに軽蔑の意思は見受けられない。ただ、吸血鬼の意思を理解する気のないことだけが明白。
「つまり、吸血鬼の言葉は実現されないと?」
「アデオ、私たちは上からの命令を遂行するだけよ。他に何か愁える必要がある?」
 副官はなお食い下がるように言う。
「……この件に関してはどう報告するのです?」
「吸血鬼が人間の少年を襲おうとしたから守った、とだけ伝えなさい。複雑な事情なんて教える必要はないわ。何しろ、あれが最後の生存者(いきのこり)だったんですから」

 ◇

 オーレルは、どうやって家に到着したのか皆目思い出せなかった。ただ、オズワルドと出会ってから、そこから脱出するまで、意外と短い間の出来事で、家族も、家畜たちもすっかり寝静まっていた。
 自分が、あるべき姿に戻ったという安心感。視てはいけないものを見てしまった後悔。
 彼らの顔をできるだけ、思出さないようにした。
 すぐに自分の部屋に入ってベッドに寝転がる。しかし、どんどん考えてしまう。寝つこうとした。それでも、安らぎは訪れなかった。
 今度は、オズワルドが夢の中に現れ、あの言葉を繰返した。

「呪ってやる……!」

 こちら側に投げかける、憎悪の視線。それは自分自身の私情を越えた、種族の恨だった。

 一陣の光が差しこんで来た時にはと目覚め、自分が夢を観ていたのだと分かった。そこで安心すると同時に、自分がなぜオズワルドにあんな目を向けられたのか考え始めた。
 僕が罪深いのか? 確かに、そうなるのだろう。吸血鬼にとって僕らは確かに罪深い存在なのだろう。けれど、もし征服していなかったらどうなっていたんだ? やられるだけだったのではないか。あの時軍が駆けつけていなかったら、僕はあいつの餌食になっていたかもしれない……。

 急激に、吸血鬼への同情がしぼんでいった。人間としての自覚がぎちぎちと燃え上がっていった。あんな奴らにうなされるのはごめんだ。そうか、あの本に責任があるのかもしれない。あの本を焼いてしまえば、呪いから解放たれる……!
 まだ、夜だった。いまだに陽は昇っていなかった。それをいいことにオーレルは密かに家を出て、本を火の中に投入れた。