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20230813 北深志、女鳥羽、元町(松本市) #風景誤読




0.(これまでの松本あるき)

私(たかしな)と15年近い付き合いであるぴよまるさんは長野県松本市に住んでいて、LINEをしているとたびたび松本のなんでもない素敵な風景を写真で送ってくれる。ちょうど「風景誤読」を本格的にはじめたあたりだったので、そうだ、ぴよまるさんにも参加してもらおう、と思い立った。

まず、散歩したときの写真を送ってもらい、そのときのLINEのやり取りをほとんどそのままnoteにアーカイブした。

▼ぴよまるの松本あるき

7月は実際に私が松本に赴き、ぴよまるさんが送ってくれた写真の場所を辿っていくようにして、2日(合わせて4時間ほど)にわたって散歩した。

▼たかしなの松本あるき

短い時間ではあったが松本を実際に歩くことでいくつかの風景に出会い、主に三つのことが気になり始めた。

  1. ぴよまるさんの生活する北深志の街並み

  2. 雑誌『松本の本』と松本の本屋・出版文化

  3. 松本城下町の水辺(湧水群、井戸、水路、川…)

高校時代太鼓の達人を通して仲良くなったあおなくんという友人が最近バイクを買ってウキウキルンルンしており、今度親戚の家がある長野県にツーリングに行くのだ、という話を聞いた私は、彼に風景誤読と松本について話してみた。すると企画につよい関心を持ってくれて(なんで今まで教えてくれなかったのかと詰め寄られた)、松本については特に①が気になったらしく、8月中旬ほんとうに北深志を歩いて記事を書いてくれた。

▼あおなの松本あるき

という風に、いま経歴も関心もおおきく異なる3人の人物が松本、とくに北深志というまちを歩いている。


1.米屋商店(北深志2丁目)

善光寺街道を歩いていたら十王堂辺りの米屋商店が開いているのを見つけた。ぴよまるさんが「お米屋さんかと思ったらヨネヤだった」と言っていたお店だ。

米屋商店(位置)
かつての町名はおそらくぎりぎり萩町(安原町の北端かも)

二階のベランダに看板を被せてつくったような、仮設的な外装が面白い。はじめから店舗として作っている「店舗兼住宅」ではなくて「住宅、のち店舗」というか、途中でお店をはじめるにあたって「じゃあ、看板でも付けるか。あ~、このベランダの手摺壁に取り付けちゃえば良いんじゃね?」みたいな(そんな適当じゃないか)。

隣には美容室を併設している。そちらはいまも営業中なのか分からない。なんだかいろいろと気になるので入ってみることにした。

店内に入ってまず目に入ったのは、入口すぐに置いてある棒状の物体。手書きでかんばと書いてある。ブルボンのお菓子「ルーベラ」みたいな見た目。よくわからなかったが、深く考えずスルーしてしまった。(あとで少し調べてみると「かんば焼き」という長野県のお盆の風習で使われる道具らしい。信州では、迎え火・送り火の際に麻ガラではなく県木である白樺を燃やす。店主のおばあさんに詳しく聞いてみればよかった。)

ほかには所謂「まちの商店」に置いてあるような必要最低限の生活用品、調味料などが並んでいる(この「まちの○○」という言い方、もう金輪際やめようと思う)。なんとなく紙おむつを眺めていたら、店主と思しきおばあさんが奥から出てきて「いらっしゃい」と挨拶してくれる。「こんにちは」とだけ言って商品棚に向き直るが、ハットを被った変な若者の来店が不思議なのか、じーっと私のことを見つめている。しばらくして、「なにをお探しですか?」と話しかけられる。前回の大成堂書店もそうだったが、すっと話しかけられてすぐに会話が始まる感じ、会話をすることが自然なこの近さが、もうたまらなく地元の個人商店そのものだ。

咄嗟に探し物を丁稚上げる。「はい、水筒を探しているんですが。ありますか」。井戸水を汲むための容器が欲しかったので強ち嘘ではない。「あぁ、そういうのはうちは置いてないなぁ。たぶんこの辺りでは手に入らないと思いますよ。まちの方まで出れば色々あるけど」「そうですかー」「うちはこんな感じだから。本当ははやく畳まないといけないような商売だよ」。畳まないといけない?なんだか色々話してくれそうな方だったので、いつもの感じで切り出す。

「このお店ははじめられてもうだいぶ長いんですか」

「そうですね。大正のころから、もう100年くらいやっていますよ。それくらい古いのは、このあたりじゃ、うちくらいじゃないかな」

「100年ですか!おかみさんは何代目なんですか」

「私は3代目。そろそろ畳まないと、と思っているんですけどね」

「このあいだ、もう少し北にある大成堂書店さんに行ってお話伺ったときも、100年くらいの歴史があると言っていました。だいだい同じくらいの時期に商売をはじめられたんですかね。昔と比べて、このあたりの街並みは変わりましたか」

「確かに、大成堂さんも古いね。昔はね、このあたりはぜーんぶ、お店だったんだから。北部銀座って呼ばれていたくらい。そこの角には呉服屋があったし、金物屋さんもあった。店の前の通りももっと狭かったんだよ」

「北部銀座というのははじめて聞きました。例えば、このお店のすぐ隣にある柳菓子舗さんって、まだやっているんですか。すごく古いお店のように見えたんですが」

「柳菓子舗さん、とっくに閉めたよ。跡継ぎがいなくてね、やってたひとももう年で施設に入ったから」

柳菓子舗

「そういえば、お店に美容室が併設されてますけど、美容室も同時に営業されてるんですか」

「美容室も、私がやってます。3ヶ月にひとりくらい、お得意さんが来て、そのときだけ店を開けるの。もう閉店同然だよね(笑)」

あまり長居するのもアレなので、このあたりで切り上げる。色々とおはなしいただきありがとうございました、と言って店を出る。

3ヶ月に一度、そのひとのためだけに開かれる美容室。なんて特別なんだろう。

北深志1丁目・新町緑地(位置)
米屋商店からしばらく南にあるくと見えてくる
新町緑地内に井戸についての興味深い看板がある。
1993年時点で40か所も井戸が残っていて、尚且つ利活用されていたことに驚く。そして、やはり佐藤昭典さんの、仙台の湧き水や井戸についての研究を思い起こさずには居られない

安原地区にはこういった看板が多い。設置者については「安原地区街づくり研究会」だとか「安原地区歴史研究会」だとか書かれていて、そういう地元学的活動が盛んであることが伝わってくる。私はいつも、地域の歴史そのものよりも、その歴史を調べ伝えたり、ちいさな記憶を蒐集したり、歴史をきっかけにコミュニティをつくろうとするひとびとの連続的な活動のほうに興味を惹かれる。

安原地区は旧安原町と旧和泉町を中心に広がる松本城北東/女鳥羽川西側のエリアであり、その範囲は北深志のほとんどをカバーしている(十王堂跡に安原地区の範囲が分かる地図が設置されている)。北深志の街並みの今昔について調べるなら、上で挙げたような団体が出している刊行物などを探してみると早いかもしれない。今回の松本滞在は最終日15日に文献調査の日程を組み込んでいるので、図書館や公民館で安原地区についての文献を探してみようと思っている。


2.梅月菓子舗(北深志1丁目)

さらに南へ歩いていくと、新町緑地・松の湯の近くに梅月というお菓子屋さんがあった。通り過ぎようとしたが店内のショーケースのうえに『松本の本』が置かれているのを発見してしまい、吸い寄せられるように扉を開けていた。私は前回の短い滞在のなかでこの雑誌に出会い、完全にやられてしまった。そして、アガタ書房店主が品切重版未定だと言う幻の創刊号を手に入れるために松本へと帰って来たと言ってももはや過言ではない。

梅月(位置)
和菓子店なのにおもてにたばこ屋のショーケースが設置されている

店にはいると目の前に猫がいる。店員はいない。そのまま猫に目を奪われる。

入口はいって正面に商品棚(ガラスケース)があり、奥の帳場スペースと手前の接客スペースを分けている。猫はその棚の手前、つまり入口扉のすぐそばの床に寝転がっている。道を塞がれている。しばらく私と見つめ合ったのち、「ああ、客ね。誰かと思ったわ。じゃ」みたいな感じで店の奥の方へと引っ込んでいった。

すると、奥の方から「○○ちゃん(たぶん猫の名前)、どこ行ってたの~~~!」と女性の声が聞こえてきた。ほかにも何人かの話し声、笑い声が聞こえる。お盆に合わせて親戚が集まっているのだろう。しかも食事中らしい。誰かが「食べて食べて!」と何かを勧めている。親戚が集まって団欒している、という雰囲気がなんとなく懐かしい。

しばらくガラスケースのなかの和菓子や左側の棚に並んでいる本を見ていたら、「ごめんなさい!」と声を掛けられた。「お邪魔しています」と笑う。早速話を聞いてみる。

「すみません。外からこの雑誌が目に入ったので。私、この雑誌の創刊号を探しているんですが、こちらでは販売していますか」

「創刊号はもう在庫がなくなっちゃったんですよ。発行元(想雲堂さん)にもあるかどうか…」

やはり。まぁ、それは仕方ない。切り替えてお店のことを色々と尋ねる。店主の方は気さくで優しく、饒舌にいろいろなことを語ってくれた。

梅月、正面から見る。入口扉に「どら焼」「くず餅」等菓子のなまえが貼り付けられている

「1912年(明治45年)創業です。私は4代目で、30年前くらいに嫁入りして番頭に立つようになりました」

「この栞に銘菓梅園って書いてますが、これは今でもつくっているんですか」

「いや、ここにずらっーって書いてあるお菓子はいまはひとつも作ってないんですよ。このなかだと唯一、氷雪だけ、お世話になっている製造所から仕入れて置いていますが。私がここに立つようになったときから既にここに書いてあるようなお菓子は作ってなかったかな」

むかし製造していた「梅園」のしおり。
かつてはここに書かれている和菓子をすべてお店で手作りしていたという

「じゃあ、30年以上前の栞ですか」

「そういうことになりますね。以前はこのお店の奥にかまどがあったんですよ。昔ながらの町屋で…町屋って知ってる?」

「古い商家ですよね。間口が狭く、奥に長い」

「そうです。建物の奥にかまどがあって、和菓子はここで作っていたんです。でも、かまどを扱える職人さんが居なくなってしまって、いまはひとつもつくっていません。いまはもっぱら、付き合いのあるところからの仕入れですね。この氷雪は氷餅っていう信州のお菓子にお砂糖をかけたもので、安曇野の製造所から仕入れています」

「このマッチ箱はお店オリジナルですか」

「むかしは煙草も売ってたらしくて、そのときにつくったんですね。全然使わなかったそうですけど(笑)」

「あ、だからおもてにたばこって書かれたショーケースがあるんですね。和菓子屋さんなのに?って思ってました」

「そうなんです。その名残でマッチも置いています。1つでも2つでも、良かったら持っていってね」(※ここでもらったはずなのですが、帰宅後さがしても見当たらず。写真も撮り忘れていました)

ふるいショーケース

「私は今日仙台から来たんです。仙台の中心市街地にはこの近辺のような古い街並みはほとんど残っていないので、歩いていてすごく面白いんですが、30年前と比べてこのあたりの街並みはどういう風に変わっていますか」

「まえはこんな感じじゃなくて、もっとずらーっとたくさんお店があったんですよ。このあたりは新町って呼ばれていたんだけど、新町銀座なんて言われてたくらいでね。でも、最近はお店はどんどん閉まって、駐車場とか新しい家が建って」

「新町銀座。さっき北深志2丁目のほうの米屋商店さんというところで北部銀座ということばを聞きました」

「米屋商店さん?どこだろう…この通りの北のほうですか?」

「そうです」

「米屋商店さん…(そそくさと奥のほうへ)ねぇ、米屋さんってどこだっけ?こめや?美容室もやってるって。(米屋商店?と男性の声。何人かが話しているが聞き取れない。店主、戻って来る)分かった分かった!米屋商店さんね」

「そのすぐ近くに柳菓子舗という、すごく古い感じの店構えだけ残っているんですが…ご存じですか」

「柳さんね、10年以上前に閉めたと思います。私がここに来た30年前はまだやってましたよ。でも店主のおかあさんが亡くなって、菓子組合も抜けて…。そういえば、そこの安原町の交差点のところにも有名なお菓子屋さんがあったんですよ。あれ、なんて言ったかな。ど忘れしちゃった。ちょっと待ってくださいね。(また奥に引っ込む)ねぇ、そこの角のところにあったお菓子屋さんなんて名前だっけ。(徳若?と誰かの声)あぁ、そうだ、徳若!なんで忘れちゃったかなー…(店主、戻って来る)菓子舗徳若って名前のお菓子屋さん。松本で一番古いお菓子屋さんですよ。でも10年前くらいに閉店したかな」

「お菓子屋さん多いんですね」

「徳若さんは鑑札というか、免状というか、そういうものを持っていて、和菓子を松本城に献上していたのよ」

「すごい!菓子屋や茶屋が多いのは城下町的なんですかね。そういえば仙台にもふるい和菓子屋や茶屋がたくさん残っています」

「うちも歴史があるから、旗日のとき旭町の五十連隊にうちのお菓子が振舞われたと伝わっていますよ。旗日っていうのは、祝賀行事ね、お正月とか」

そういえば、北深志近辺を歩いていて「表具店」「表具舗」と書かれた看板を2,3回見かけた気がする(例えばあおなくんの記事にあった望月表具舗)。城や屋敷のある町特有の需要があるからだろうか。表具という文字は仙台でほとんど見たことがなかったが…。すこし話してみると「全然気づかなかったけど、そうかも。あと、松本には書家が多くて、例えば上条信山は松本美術館で展示されたり、蟻ケ崎高校の書道部が有名だったりする。書道が盛んだからかな」ということだった。

あまりに長居し過ぎたので、お菓子を買って撤退することとする。昼ごはんを食べてないのでお腹にも溜まりそうな味噌パンと、なんだか異様に気になったあんずジュースを購入した。

15日に図書館でコピーした『松本の本』創刊号(14-15頁)に梅月についてのイラストレポートが載っている。絵と文は栗谷さと子さん。この度対応してくださった店主・馬瀬さんの似顔絵もあるのだが、本当にそっくり。エピソードのまとめかたも非常に上手い

話をたくさん聞かせてくれただけでもう十分なのに、「これも食べてみて」と、さっき話を聞いて気になっていた氷雪をひとつおまけしてくれた。何度も感謝を伝えて店を出る。ここには必ずまた来たい。

近くにあったセブンイレブンのイートインスペースで昼食をとる。
あんずジュースは素朴な甘さ
ボリューミーなみそぱん。安曇野穂高の製造所でつくっている
氷雪。今回はそのままパクっといってしまったが、「信州氷餅」はお湯を注いで食べるらしい


3.康花美術館(北深志2丁目)

北深志には一箇所行ってみたい場所があった。Googleマップでこのあたりを調べたときに康花美術館という私設の美術館を発見していた。

先月、室月淳さんのFacebookで康花美術館についての丁寧な紹介が投稿されていたことで余計に気になって、今回は行こうと決めていた。

康花美術館(位置)

館内に入るとすぐに男性が右側のドアから現れて色々と案内してくれる。入館料の500円を払って、2階へ進む。いまは「私を探して」という企画展が開催されている。

須藤康花さんが12歳ごろに描いた自画像をはじめとして、動物の模写や家族の肖像画、風景画もところどころ挟みながら、時間とともに変容していく自画像の数々がこの展示の中心に据えられている。14歳、15歳、19歳、23歳、26歳、27歳…シンプルに「自画像」と題したり、あるいは「夢幻1」等と名付け直したりしつつ、その人生の至るところで、みずからの顔を繰り返し描き続ける。

はじめはシンプルな絵だったはずなのに、時の経過とともに段々と輪郭や濃度が大胆に変わり、「夢幻1」のようにそもそもモチーフ(顔)が断片化したり化石化したり、素直な自画像ではなくなっていく。その自画像の変奏の過程に、作家の自己意識の変化と「私」のイメージの深化のようなものが見えてくる。2歳の時に発症した難病ネフローゼ症候群との闘病や13歳の時の母親との死別などを経て、生きているかぎり容赦なく現実が私をひとりにしてしまう、その謂わば「自己への繫縛」なかで、自画像たちは澄んでいくのでも歪んでいくのでもなく、ただ安易な解釈を拒むほど詳細に、具体的に成っていく。ここで私たちはその過程を経験していくのだから、展示空間はまるで作家の道行きの果てに嫌でも同行させられてしまうような、ひとつの構造的なインスタレーションとして感覚されるのだった。

例えば、晩年の作品になるにつれて、卵のような球体が(ドラクエ7のラストダンジョンのように)画面いっぱいにリフレインし始める。強迫的とも言える執拗な反復が、グロテスクなまでのなまなましい現実感として、強く印象に残る。亡くなる3年前に描かれた『最果て』という作品(前掲した室月さんの記事のサムネイル)は、この宇宙の大規模構造的な赤い泡たちにひとつひとつ触感があり、それがいつまでも地平線の先に続いているような途方もないイメージが湧いてくる。

1階には本棚があり、古い文庫本(康花さんの蔵書だったのだろうか、聞き忘れた)や画材が収められている。ほかに作品がすこし壁に掛かっていて、販売コーナーがあり、机には芳名帳等が置いてある。

さきほど対応してくださった男性は康花さんのおじにあたる方だった。室月さんの文章には、康花さんのお父さんが対応してくれる、とあったが、いま正親さんは体調を崩しているらしい。「何かを見て来てくださったんですか?」と聞かれたので、「室月先生のFacebookの投稿を読んで来ました」と本当に素直に答えた。「あぁ、室月先生。お知り合いなんですか」「家族でお世話になっていまして。あとは単純に室月先生の文章の愛読者なんです」

今度は松本市美術館で「須藤康花展」を開催する予定で、いまは学芸員と一緒に展示準備を進めている、と教えてくださる。会期は今年12月9日から来年3月24日までということなので、次に松本に来たタイミングで行けるかもしれない。

販売コーナーには正親さんが書いた本が何冊か置いてある。正親さんが康花さんの弟(康花さんが2歳のときに他界)の名を名乗って書いたという『苦海の美学:夭折の画家・須藤康花の世界を読み解く』(須藤 岳陽)が面白そうだった。『須藤康花画文集:夢幻彷徨』が欲しかったのだが売り切れで、サンプルしか置いていないという。

須藤正親さんは娘・康花さんが2009年に30歳という若さで亡くなったあと、2012年に康花美術館を設立。彼女ののこした作品群を見つめなおし、解読し、ことばで応えようとする営為を何年も続けている。

室月さんは「実存的な作業」と書いていた。康花さんとの別れを乗り越えるための作業ではもはやなく、もっと深く、娘の作品と人生に向き合うことを通して正親さん自身の人生を解きほぐすような作業だと。私の関心に引き付けると、康花さんや正親さんの哲学的対話とその内容よりも、康花さんの尋常ならざる制作の熱に正親さんがながい時間を隔てて呼応する、ある意味で通い合うことのない交流(コミュニケーション)の形式に心を打たれる。康花さんの生において、現実と向かい合う唯一の方途として制作が自然と始まったのと同じように、おそらく正親さんにおいても(美術館を設立し運営する、作品を読解しなおす、執筆する等の)制作が自然とはじまり、いま制作が還っている最中なのだと思う。


4.本・中川(元町1丁目)、松信堂書店(中央3丁目)

つづいて北深志を離れ、女鳥羽川方面へ。アートブックが充実しているという本・中川という書店を目指す。もちろん狙いは『松本の本』創刊号。

女鳥羽川に架かる桜橋(位置)
桜橋から川を見下ろす。右から別の川が合流している
合流地点(この水路の名前は不明)
水路は元町方面から流れている

西友元町店の裏にまわって本・中川を探すが入口が見当たらない。ナビに導かれてアパートと一軒家が立ち並ぶせまい小路に入ったが、お店があるような雰囲気がまったく感じられない。

と思ったら
入口発見

入ってみる。なんと玄関で靴を脱いであがる仕様。おうちにお邪魔してる感がすごい。絵本、エッセイ、画集、写真集、図録、ZINE、文庫が多い。深瀬昌久の図録とゆめある舎や如月出版の詩集に興奮した。仙台で言うとボタン、曲線っぽさがある。黒田維理『サムシング・クール』(如月出版)を片手にレジに向かう。

「すみません、『松本の本』の創刊号って置いてますか」と聞くが「ごめんなさい~売り切れてしまって…」と想像通りのお返事。いつものように『松本の本』を探している経緯を説明する。そのなかで仙台から東京・名古屋を経由して松本に来ている話をしたら、お会計して店を出ようとしたタイミングで、「あの、」と呼び止められ、「仙台と松本ってどっちの方が暑いですか」と尋ねられた。

だいたい同じぐらいです、それよりも名古屋が数倍暑かったです!と笑って答える。仙台のこと、時間差で興味を持ってもらえたのかな、みたいにちょっとだけ思う。店を出てから、松本にある現代アートのギャラリーについて聞き忘れたことに気付いた。

松信堂書店(位置)

まだ時間があるので、続いて松信堂書店にも行ってみる。松本でおそらく最も古本屋らしい古本屋なのではないかと思う。入口に本が並んでいる…というレベルではもはやなく、写真で見て分かる通り、ファサードが古本で出来ている。古本タワー。奇跡的なバランス。

店内も、すごい。そして、冷房などはなく、蒸し風呂のように暑い。つくばにあるブックセンター・キャンパスと同じ雰囲気を感じた。少し触れたら崩れてきそうな古本の山をかき分け、一番奥の郷土本コーナーにたどり着く。郷土史は本当に充実している。『新松本繁昌記』(高見書店)がめちゃくちゃ欲しかったが6500円と値がついていたので流石にあきらめた。

店主は古本に四方を囲まれた椅子に座って、うちわを仰いでいる。「ごめんね、いま整理中でごちゃごちゃしてて。疲れちゃって、休んでるんだ」とのこと。ほんとうに、ちゃんと休んでください。

『信州の銘菓 名産品特撰ガイド』という本に梅月がつくっていた梅園の写真が載っていた。紫がかった雲のような見た目だった。『松本の本』は置いていなかった。


5.おまけ:涙のジントニック

今回もうひとつやりたいことがあった。それは「有名な信州のワインを飲んでみる」。ワインは普段あまり飲まないのだが、この機会に挑戦してみようという気になっていた。

松本駅にちかい中島酒店(位置)でワインをさがす。いろいろありすぎて良くわからないので、店員さんに話しかけてみる。「塩尻ワインを飲みたいんですが、2000円くらいでおすすめってありますか」「そうですね~味はどんなのが好みですか?辛め、甘めとか」「うーん。あんまり飲まないんで分からないんですね。でも、フルーティな感じが良いかな」「じゃあ、甘めですかね。この辺とかどうですか?」「この洋梨のような香り、というポップの説明に強く惹かれますね。これにします」「ありがとうございます」

簡単な緩衝材で包んでビニール袋に入れてくれる。今日はこれを飲みながら本でも読もう。内心、とてもウキウキである。

お店を出てしばらく歩く。バスにでも乗って移動しよう、などと考えつつ、ちょっと荷物を持ち換えた、その瞬間。


つるっ 


パリ‐ン


じょぼじょぼじょぼじょぼ


あの美しいワインボトルは、一瞬にして汚いビニール袋へと姿を変えた。店を出て100メートルくらい歩いたところで、ワインを地面に落として割ってしまった。泣きたい。というか、泣いている。

ガラスの破片でビニール袋の底が割れ、そこからワインがぴゅ~っと迸っている。それはさながら、おちっこである。換言すれば、放尿である!色もちょっとそれっぽいのである!!(笑)何も考えずに近くのファミリーマートのごみ箱にポイッである~!!

悲しすぎて頭が痛くなってきたので、がむしゃらにその辺のカフェに入る。ジントニックを注文する。

涙のジントニック。木のステア

顔を真っ赤にしながらゴクゴク飲んだ。やっぱ、ジントニックしか勝たん。ジントニック最強。松本編、明日に続きます。


[たかしな]

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