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TAR

今日から不定期で自分自身のこと
考えや思ったことなどを書いていく。

つもりだ。

日記のような
はたまた小説のような
それともエッセイのような
自分でも何故こんなことをしているのか
よくわからないんだけど
とりあえず書いてみる。

さて何から書けばいいのやら・・・

昭和が終わる10年程前
僕は産声をあげた。
その当時のことを
もちろん僕が覚えている訳もない。
身内に聞いてきた話しを
うる覚えで書いているにすぎない。
だから多少事実と異なったとしても
それはご愛嬌。
ある種のファンタジーとして
捉えてほしい。

もう40年以上前の話しだ。

典型的な社会不適合者(飲む打つ買う)のパパと
世間知らずのお嬢様風(悲劇のヒロイン気取り)のママと
ケツに火がついても絶対に熱いと言わないクソ頑固な兄。
その3人の下僕は家族として迎え入れられた。

何かで読んだことがあるのだけれど
僕自身がこのパパとこのママそして
この兄を選んでこの世に
生まれてきているというのだ。
もし本当にそうなんだとしたら
「なんてトチ狂った選択してくれとんねんコントじゃねーんだぞバカヤローむちゃくちゃ苦労したじゃねーか。」と首根っこ掴んで引き摺り回したあげく
僕はこの選択をしたボクを懇々と
説教してやりたい。

僕が生まれた頃パパは
あまりにもだらしなかった。
(給料日に飲み代やギャンブルに全額使い切るイカれ野郎。
昔は給料が手渡しだったようで
ママは給料日にパパの職場に行き
パパより先に会社から直接給料を
受け取っていたそうな)ので
母方の実家にお世話になっていた。

母方の実家には
祖父(じいちゃん)と
祖母(ばば)と
まだ学生だった叔母(ねーちゃん)が住んでいた。
この3人が居なかったら
僕達兄弟はきっと想像を絶するような人生を送っていただろう。
日本中にその名を轟かす悪名高いお尋ね者あたりになっていたに違いない。

窓を開ければ
サンシャイン60が見える。
そんなところで
僕の人生はスタートした。
多分ご存知だと思うが生まれたばかりの新生児というのは誰か
(保護者など)の支えがなければ
絶対に生きてはいけない。
ところが天使のように
かわいいはずの僕は1日の大半を
布団に寝かされたまま放置。
何故そんな放置プレイをされていたかというと前述のクソ頑固な兄(2つ上)がそれはそれはそれはそれは手のかかる悪魔のようなクソガキだった。
僕のか細く泣く声は兄のやんちゃぶりによってかき消された。
ママは2歳児の悪魔ちゃん(兄)に翻弄され天使ちゃん(僕)に時間を割くことが物理的に困難であった。
尚且つ兄を育てることによって得た
ノウハウを元に要所要所だけを
抑えた育児により僕は
スクスクと育っていった。
こういう育てられ方が後の僕の性格を形成していくことになる。
手のかからない子なのか
はたまた手をかけられなかったのが
逆によかったのか。
そんな状況でも健やかに
成長したとかしてないとか
未だにこの世に存在する七不思議の内の一つである。
そんな生活を続けていく中
そろそろ生後半年を迎えるという
ある冬の日
僕に大事件が降りかかる。



とりあえず今日はここまで。

今日で最後かもしれない。

気が向いたらまたの機会に。

お付き合い頂きありがとう。

じゃあね👋

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