見出し画像

運命の朝

勢いよく玄関を開け放つ
2階の窓から落下した僕が地面に倒れグッタリとしていた。
血相を変え裸足のまま玄関を飛び出し倒れている僕の名前を叫びながら
必死に僕を抱きあげた。
救急車の手配をしようとしていた
家族を横目に僕を抱き抱え
咄嗟に走り出した。
病院まで徒歩5分。
走れば2〜3分の距離。
救急車を待つことより
一刻も早くかわいいかわいい天使ちゃん(僕)を助けたいその一心で裸足のまま病院へ駆け出した。

ひとつ疑問なのが
この時誰が僕を抱き抱え裸足で駆け出したのか。
僕が聞いた説は2つある。
ママという説と
ばば(祖母)という説である。
ママは私が連れて行ったと言っていた。しかし私が聞いた多くは、ばば(祖母)だったという説。
どちらが正しい説なのか?
正直どちらも僕を助けたい一心であったことに変わりはないのだろう。
ここから先は勝手な僕の独断と偏見だ。
僕が2人と今まで接してきて
僕なりに2人の性格や気性を考えたときに救急車を待たずに駆け出したっぽいなと思ったのは、迷うことなく、
ばば(祖母)の方だった。
もし駆け出したのがママだったら
それは本当に申し訳ないのだけれど
僕は、ばば(祖母)であったんじゃないかと思っている。
何故そう思ったかというと
冗談抜きで僕の為
いや僕と兄の為なら
自分の命と引き換えにしてでも
守りたい助けたいと
本気で思ってくれていたのは
後にも先にも
ばば(祖母)だけだった。
今思い返してみても
やっぱりばばだけだ。
僕たち兄弟は心の底から
溺愛されていた。
幼いながらもばば(祖母)の
深い深い愛に包まれている
そういう自覚は確かにあった。
(これはのちにねーちゃん(叔母)から聞いた話なんだがねーちゃん(叔母)の息子が生まれて育っていく中である時その子がはっきりとねーちゃん(叔母)にこう言ったそうだ。
「ばば(祖母)は僕のことをあまりかわいいと思っていない。
にいにい達ばかり可愛がって僕と接する時と明らかに態度が違う。」
ねーちゃん(叔母)からそれを聞いた時嬉しい気持ちと反面ものすごく申し訳ない気持ちになったことを今でもはっきりと覚えている。)

息を切らしながら
たどり着いた病院のドアを叩き続け
助けを乞う。
気づいた病院の方に連れられ
僕は処置室へと運ばれていった。
どれほどの時間が経っただろう。
血の気がひいてその場に
へたり込んだまま
僕の安否を祈っていた。
しばらくして処置室のトビラが開き
先生から説明を聞いた。
「手は尽くしました。明日の朝、もし、この子が泣かなかったら・・・覚悟して下さい。」

覚悟して下さい。

ある種の宣告を告げられた。
家族みんなが絶望に打ちひしがれ
一睡もせず僕の側で
手を握り涙を流し僕を励まし続ける。僕はそれを覚えていないけれど
想像することはできる。
目を閉じればその情景が
なんとなくだけど思い浮かぶ。

ばばが
母が
父が
じいちゃんが
ねーちゃんが
そしてまだ小さかった兄が

僕の帰りを願っている。
あの瞬間以上に
僕が人に愛されたことは
多分これまでの人生を
振り返ってみてもない・・・と思う。noteを書いていて
ふとそんなことを思った。
それぐらい僕の人生を
左右する大きな大きな出来事だった。

翌朝、先生が僕の身体に
刺激を与えていく。
家族みんなが固唾を飲み
祈りながら見守っている。
その時


僕は泣いた。


産声をあげた時のように力の限り。
僕は家族みんなが祈る
目の前で命を取り留め

泣き叫んだ。


Podcast始めましTAR

↓こちらからご視聴できます↓
こちらもよろしくお願いします



#日記 #小説 #エッセイ #戯言

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?