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#2エッセイを書く(2021/6/5)

「ふいにエッセイを書こう。」と思った訳ではない。
むしろ「エッセイなんて、一生書くものか」と思っていた。
私にとって、これは”修行”の一種だ。修行である以上、苦痛が伴うのは当たり前である。

私は昔から、自分のことを話すことが嫌いだった。誰かの話を聞いている方が楽しいし、なにより楽だと思っていた。
だから話を振られた時はいつも「誰が私の話などに興味があるのだろう?」と思っていた。

「この話題はさっさと切り上げて、他の誰かに話を振ろう」とばかり考えていたせいか、私は極端に会話中の言葉数が少ない。大学生時代に努力して改善したものの、リモートワークや自粛期間の影響で再び昔のように戻ってしまった。そのせいで、話すことに対する苦手意識が再発したのだと思う。

そんな私が、今やシナリオライターとして個人で仕事をしている。
当時の私が聞いたらきっと驚くと思う。「お前にそんなことができる訳ないだろ!!」と言われてしまいそうだ。

シナリオライターの仕事は「面白いフィクション」を書くことである。
「面白い」とは、「笑える」「興味深い」「含蓄がある」「関心を寄せる」など、人を惹きつける要素の総称である。
フィクションであれば、面白い作品を書ける自信がある。
これは主観的な感想ではない。積み上げてきたシナリオ執筆の実績や、技術を学ぶ過程における努力からわかる、”客観的な自信”である。

しかし、「面白いエッセイ」を書くことは苦手だ。
なぜなら、面白い事実を人に伝える実績や努力をしてこなかったからだ。まさか大人になって、このような形で後悔することになるとは思っていなかった。


冒頭で「修行」と述べたのは、つまりそういうことである。
これは”自分と向き合う為”の修行なのである。

普段からその日にあったことは、日記にメモを取るようにしている。日記の習慣は大体2年程続いている。それを「対外的に」「面白く」「まとめる」だけでいい。なんてコスパのいい修行なのだ!!
(それがムズカシイのだけれど…)

自分と向き合うのは少し怖くもあり、楽しみでもある。
少なくとも文章を書く能力だけは、以前よりも向上している。別に気負う必要はない。ただ、ツラツラ文章を組み立ていけばいいだけ。

そう自分に言い聞かせながら、少しずつ発信を続けていきたいと思う。
どうか皆様も、私の”修行”に付き合ってください。


民奈涼介

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