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消えないで消えないでって祈るけど、今日晴れてるし、飲むウーロン茶
春の日に桜を見たからなんだと言うのか。
紫がかった細い雲が浮かび、茹でたオレンジ色の空に父を焼いた煙が溶けた日から数えて二ヶ月になる。
「孫を見るまでは死なん」などと、顔を合わせるたびにくだを巻いていたことを思い出す。一升瓶から直接グラスに注がれた冷酒を煽りながら、時折ふかしたタバコを根元まで吸っていた。結果的に孫の顔を見せることができ、小ぢんまりとはしていたものの、立派に葬式をあげることができたのだから親孝行も一区切りだろう。
「じーじのとこで遊びたい」
「じーじはね、お星さまになったんだよ。ちょっと前にまたねってしたでしょ?」
「またねした! 次いつ会えるん?」
「んー、ほらいつでも会えるよ。見てみよっか」
昼の空には太陽が二つある。父が死んだ翌日に、オリオン座一等星ベデルギウスが煌々と輝いたためだ。冬の星座の王者は春になり居場所を追われ、太陽の光に霞んでしまう。そのはずだった。
「ベデルギウスってさ、興味ないわけじゃないんだけど、全然知らなくて。ニュースで聞いたんだけど642光年離れてるんだね。壮大すぎるね。今見てる光は642年前の灯りなんだ」
そう穏やかに微笑むのは、妻だ。父の死に現実感がなく、途方に暮れていた僕に寄り添い、とてもさりげない優しさを声に含ませてくれている。
投げかけられた優しさに、ふと思う。悲しみを保管することは難しい。おそらく、優しさもだ。液体でもなければ気体でもない。死んだ星の光を思うことに色様々な思索はあるのだろうけど、感情を数値化できない以上、脳内のシナプスで繋ぎ止められた信号を、或いは痛みと呼ばれる悲しみを、誰かと共有することなど出来はしないのだとも。
宵の祭りで花火が上がる。飛び起きたはいいが二度寝を決め込んだ寒の戻り、寝坊の様相を二度寝に例えた春の気温を擬人化させたお祭りだ。
「きえろーきえろー」
そう団扇を振るのは四歳になる息子だ。
思わず苦笑した。当時、子どもだった時分に僕もこの子と同じように花火を残骸の火を団扇で仰いでいたことを思い出した。
『ほれ、花火が上がっとる。垂れ下がった半割もののような火の子を消さんといけん。そのまま落ちたら火事になるぞ、ほら早く団扇であおげ、火を消せ』
言われるがままに一生懸命にあおいでいると、ものの数秒で落ちていく線香花火の名残火に似た塊が色を消していく。
『ようし、よくやった。大したもんだ』
父はお世辞にも、いい父親であったとは言えなかった。
母を蔑ろに家庭の外で女をこしらえて、数ヶ月間家に寄り付かなかったこともある。
たまに家にいるかと思えば酒を飲み、帝王学にも満たない世の中の渡りかたに唾を吐き、それらを植え付けられた他人の子供を馬鹿にするような物言いで僕に社会を語るのだった。
『世の中をうまく生き抜くには馬鹿になることが肝心だ。現実はシラフで過ごせるほど長くねえんだ』
家で20年飼った柴犬が息を引き取ったとき、おそろしいほど大声で泣き続けたのも父だった。おかげで僕は、悲しみのタイミングを完全に見失ったまま大人になった。
『悲しいから悲しいんだ。この気持ちを忘れたら人間として生まれ落ちた価値がねえ』
反面教師にさえした父が亡くなったとき、悲しみが訪れるよりも早く妻が僕の隣で泣いてくれた。
血の繋がらない義父の死に感情を露わにする人間。そんな構図に戸惑いながらそうして、とても嬉しく、ありがたいと思った。一人の男が生きてきたその道程を、脈々と受け継がれる命を、冷静に受け止めることができたからだ。
「もうそろそろベテルギウスの光、消えちゃうんだってね」
日曜日の午後、平日に処理しきれなかった余裕のない業務に、休日を返上して会社に赴いた。
帰宅できたのはすっかり日が暮れた夜の時間で、疲れを隠すことのできない間抜けづらの僕に妻がそう話しかけてくる。思わず窓の外に目をやる。見慣れてしまった二つ目の太陽を仰ぎ見る。
どれだけ高尚な光でも、宇宙の神秘に包まれた根源の明かりだとしても、日常に置き換えればすぐにでも慣れてしまえる。望んでもいないのに攪拌された非日常は悲しみを覆い尽くし、感情を沈殿させてしまう。
日々の営みは完結され、また新たな感情を産むだろう。ほんの少し、酔いを含ませながら。
「きえるなーきえるなー!」
突然窓の向こうの光に叫び出したのは息子だ。睨みつけながら、腕をぶんぶん振り回し、小さな眉間にシワを寄せている。
「どうした?」そう問いかけると「じーじ消えちゃう。きえるなーきえるなー! ね、パパも。一緒に!」
笑ってしまった。人は死ぬと星になる、そう教えたのは、僕だ。息子の中で父は星。642年前の光。消えるな、消えるなか。
「きえるなーきえるなー!」
一緒になっておままごとに付き合ってみる。「消えるなー消えるなー」
とても馬鹿馬鹿しくてかわいらしい、子供の遊びに付き合いながら言葉を発し続けるうちに、窓の外、死んだ星に言葉をかけ続けているうちに、訳もわからずに、涙がポロポロと溢れてきた。何故今更と、その理由を考えた。
『現実はシラフで過ごせるほど長くねえんだ』
酔ってクダを巻いている父の姿が、鮮明に浮かんでくる。
「きえるなーきえるなー!」「消えるな、消えるな」「きえるなーきえるなー」「そうだーいいぞー」「きえるなーきえるなー」
息子の遊びに付き合いながら、もしかしてこれは、僕が求めた死の儀式なのかもしれないと考えた。
血の繋がりのない息子。妻の連れ子を自身の孫として受け入れてくれた父親。血縁が呪縛なのか解脱なのかがわからないまま、僕は僕のことで精一杯でいた。父の、自慢の息子でいられたのかどうか。
後ろから妻が抱き寄せてくれた。背中から、うっうとすすり声が聞こえる。泣きながら抱きしめてくれている。
そうか、と僕は思った。親父は、死んだのか、と。ようやく心が追いついた。
「消えるな、消えるな」もう一度つぶやいてみる。小さく薄く声を発しながら、息子を抱きしめてみる。
「ありがとう」これは言葉には出さなかったが、きょとんとした表情で僕を見つめる息子の頭を撫でながら、少しの酔いを感じたまま、光を眺め続けている。
お肉かお酒買いたいです