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『スーパーノヴァ』('20・英)【ともに過ごす時間への愛おしさー名優2人による究極の愛の物語】

 コリン・ファースとスタンリー・トゥッチという、長年映画界を支え続けてきた重鎮2人が、儚い運命に直面した男性カップルを演じた秀作。

 ピアニストのサムと作家のタスカーは、20年以上もの時を過ごしてきた熟年カップル。ともに音楽と芸術をこよなく愛し、時にジョークを飛ばしながら、2人で過ごす静かな時間を何よりも大切にしてきた。しかし、タスカーがある”不治の病”に侵されており、図らずも2人で過ごす時間は終わりに近づいていた…。

 タスカーが向き合っている”不治の病”は物理的な死に直結するものではなく、記憶が薄れていくというもの。『私の頭の中の消しゴム』('04・韓)や『アリスのままで』('14・米)などでも同様の若年性アルツハイマーの問題が描かれてきたが、これらの作品が発症から記憶を完全に失ってしまうまでの過程を描いているのに対し、本作は記憶を完全に失ってしまうところまではあえて描かない。むしろ、来るべき未来に向けて行動を起こすカップルの”心の準備”を描くことに特化している。体は残っても、愛する人との思い出、そして愛する人の存在そのものを失わなければならないというタスカーにとっての過酷さ。一方、残される立場のサムにとっての、パートナーにもう二度と自分の名前を呼ばれることはなくなってしまうという過酷さ。想像を絶するこの現実をどうにかして受け入れるために、二人は互いを気遣うがゆえに自らの本心を語らないようになっていく。LEEのインタビューで監督のハリー・マックイーンは、このことについてこう語っている。「サムとタスカーの二人は互いに芸術家であるという部分が影響しあっていて、元々は自分の考えや感情をオープンに表現し、形にすることができるカップルでした。ところが、タスカーの若年性認知症が発覚したことで、二人とも、自分の気持ちを相手に隠し、嘘をつくようになった。特にタスカーの選択はそうです」これから迎える運命を思えば胸が張り裂けそうなほどつらいが、「つらい」と口にした瞬間に相手を傷つけてしまうと二人は信じてやまないのだ。互いに本音は口にしないものの、残されたわずかな時間を大切にするため二人はイギリスの湖水地方への旅を共にする。「以前から人が死に直面した時、どんな選択肢や権利があるのかに興味を持っていました」そうマックイーンが語るように、二人の関係が精神的な”死”を迎えることに対して、サムとタスカーはそれぞれの決断を腹に抱えており、二人が旅のエンディングとして思い描いていたことは、全く異なるものだった。しかし、これは二人のどちらが正しいか間違っているかという観点で推し量るべきものではない。サムがタスカーを、タスカーがサムを想うがゆえに出した決断。どちらも二人が深く愛し合っているからこその選択なのである。これに関しても、監督は「どう考えるべきかをはっきりと示唆するような映画を作ることに興味はありません。決めるのは観客です。しかし、二人が窮地に立たされていて、そのことが二人を引き離しつつあるのだという事実を主張したかったのです」と述べている。

 こうしたそれぞれの決断の背景をよりリアルに描くために、マックイーン監督は認知症をわずらう本人、そしてそれを支える人両方の視点を学ぶために、3年以上にわたり、実際にこの病気と闘う人々と向き合い続けた。「ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)に在籍する認知症の第一人者たちや、イギリスの医療系公益団体であるウェルカム・トラストと密に連絡をとったり、認知症患者を家族に持つ人や介護をしている多くの人々の協力を得ました。認知症には多くの種類があり、医学的にも生物学的にも非常に複雑なものであることを学びました」(LEEのインタビューより)こうした監督のリアルな体験や着想があるから、本作はサムとタスカーどちらの視点に立っても胸を打つ作品になっているのだ。

 認知症に苦しむ人々だけではなく、本作は全ての人々に起こりうる定めを描いている。それは、誰にでもいつか愛する人との別れが訪れるということ。ある日突然愛する人が失われてしまうと分かったとき、人はそれまでの出来事を恋しく思い、そして後悔する。監督自身も、かつて働いていたアルバイト先で出会った女性が認知症に苦しんでいたことを後から知ったことがあり、この思いに駆られたのだという。日々を平和に過ごしているとつい忘れがちだが、大切な存在が自分よりも先に旅立ってしまうことは避けられない。そのことに気づいたとき、共有するすべての時間が愛おしいものに感じられるのだ。

 さらに本作がこれまでの作品と一線を画している点として、同性愛の描き方も挙げられる。サムとタスカーは同性愛者だが、本作には『ブロークバック・マウンテン』('05・米)や『モーリス』('87・英)で描かれたような、彼らが社会的マイノリティとして葛藤したり、障害に阻まれたりする描写は一切描かれない。彼らは”ごく普通のカップル”として、あくまで病気と闘っているのだ。これに関しては、「自分自身は、『スーパーノヴァ』はゲイ映画とは思って作っていません。もちろんその側面はあるけれど、それ以外のテーマをはらんでいる作品だと思っているんです。僕が映画を作る時に常に心がけているのは、進歩的で、先進的であること。映画であれ何であれ、それが芸術の仕事だと思う」と監督も認めている。性別や国籍、出自などは関係なく、あくまで二人の人間が、互いへの溢れんばかりの愛を形にしていく、きわめて普遍的なラブストーリーなのである。サムとタスカーを演じたコリン・ファースとスタンリー・トゥッチは、20年来の友人であり、トゥッチがファースに自らオファーしたことがきっかけで出演が決まったという。二人の長年にわたる友情が演技のベースにあったことも、この壮大な愛の物語が私たちの心に残る理由の一つだろう。

日々を誰かと過ごす時間は、当たり前のことのように感じられるが、本作はそんな時間がいかに尊く、そして愛おしいものかについて教えてくれる。タイトルのsupernova、すなわち超新星は、明るく見えるわずかな時間にとてつもない光を発するのだという。互いへの想いが卓越した愛が持つ力強さと儚さを言い得た見事なタイトルだと思う。

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