kiyosi

20代で渡米ヒッピー、ラブ&ピース、ネイティブ・アメリカンを学び帰国。1982…

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20代で渡米ヒッピー、ラブ&ピース、ネイティブ・アメリカンを学び帰国。1982年からティピ500ピースを製作販売。06年から遊ぶ・学ぶ・働くの一体生活を実践。13年から4年間ネパールでタントラ、ヨガ修行。17年から屋久島に1年住み18年から広島市でサロン・ド・キヨシ運営。

マガジン

  • KIYOSHISM

    私は所謂普通の日本人とはかけ離れた生き方で半生を歩んで来て、今年71歳になった。5年前の2017年文字通り無一文でネパールから4年ぶりに帰国し、4年前から成り行きで、僅かな生活保護費だけのボンビー暮らしに満足出来れば、金をゲットする為に大切な時間を犠牲にする生活から解放され、金と時間に縛られる事なく、好きな事を好きなだけやり続けても全く問題がないライフスタイルで広島市内に居住している。

  • ネイティブ・ハート

    米国の先住民・ネイティブ・アメリカンのラコタ族は、ラコタの言葉で、ティは住むため、ピは必要なと云う意味の、ティピと云う彼ら独自の、構造がシンプルで設営撤収が簡便な、入り口は必ず、我々日本人同様、地球を含めた太陽系の中心、太陽の昇る東に向け設営され中心には、聖なる焚き火を、照明、料理、暖房用として、絶やさず燃やす快適なモバイルテント・移動式天幕で平和な暮らしを営んできた。 ラコタ族のメディスンマン、ブラック・エルクは「四角いモノにスピリットは宿らない。ティピは丸く、宇宙も、地球も丸い。丸い形にこそスピリットは宿る。季節は丸く廻り、ヒトの一生も丸く廻る。」と語っており、またピース・パイプ・セレモニーと呼ばれる平和の儀式では、初対面の人々とも円陣を組んで座り、タバコをピース・パイプと呼ばれる喫煙具で喫煙し、互いに打ち解けリラックスする知恵の伝統を継承している。

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Amazing beauty of Sunrise

2023年初夏のある日の早朝、私は広島市の平和公園を散歩していた。そして静けさに包まれた日の出前の原爆ドームを、昇り始めた太陽の、未だ大気に汚されない新鮮な光が、まるで後光のように指し始めている、感動的な風景を映像化する貴重な機会に恵まれた。ありがたや、ありがたや。

    • 私は自分を4種のマインドの私、俺、オイラ、儂に使い分け表現する。

      英語ならアイで済むが、洋の東西を超えて、私を含む日本人が育んできた、知的で繊細なカルチャーは、途方もなく奥深く、自分を表現するマインドだけでも4種類の自分がいる。 そんなオイラは中高時代米国の音楽・映画・ポップアートに感化され、1971年二十歳で渡米しカリフォルニア州スタクトン市のカレッジに入学し、米語と写真を学び、その後SF市に移り73年に帰国し、1974年東京吉祥寺に日本初の自然食ライブハウスをオープンした。 しかし都会暮らしに幻滅し、自然と調和した生活を体験したく、19

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          ティピ設営法

          ティピは、北米大陸にカナダと米国が建国する以前から、カナダ南部から米国北西部に広がる大平原と呼ばれる草原地帯で、衣食住全てをアメリカバイソン・バッファローに依存し、季節に応じて、野苺や松の実など数々の野生植物の実を採集し越冬用食糧として保存する狩猟採集社会を形成し、安定した自給自足生活を行ってきた米国建国以前から米国に先住していたフランス語でスー族と呼ばれたプレーン・インディアンに分類されるネイティブ・アメリカンのラコタ族などの、所謂平原インディアンの、構造がシンプルで、設営撤収が簡便な、理に適った優れたモバイルテント・移動式天幕の名称で、ティは住むため、ピは必要なと云う意味です。 ティピの入り口は必ず、我々日本人同様朝日が拝める、地球を含めた太陽系の中心である太陽の昇る東に向け設営され、ティピの中心には、聖なる焚き火を、照明、料理、暖房用として、絶やさず燃やす快適な生活空間で平和な暮らしを営んできたラコタ族のメディスンマン・ブラック・エルクは「四角いモノにスピリットは宿らない。ティピは丸く、宇宙も、地球も丸い。丸い形にこそスピリットは宿る。季節は丸く廻り、ヒトの一生も丸く廻る。」と語っております。 またピース・パイプ・セレモニーと呼ばれる平和の儀式には、はこ柳の葉などをピース・パイプと名ずけた喫煙具で喫煙し、部族内外の人々と交流してきました。 ティピは、三世代が居住できる巨大サイズから、瞑想及びビジョン・クエスト用の一人用サイズまで、大きさ用途は各種あり、設営可能な土地が使えるなら、キャンプイン・ワークショップでネイティブ・アメリカンの智慧と知識と生活技術の伝授も行います。

        Amazing beauty of Sunrise

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        • KIYOSHISM
          4本
        • ネイティブ・ハート
          2本

        記事

          半生記

          私、通名キヨシこと、本名吉井清は、1951年2月16日、本州で日本最大の広さを誇る関東平野を東西に流れる、坂東太郎とも呼ばれる利根川の支流の広瀬川が、街の西を南北に流れる、当時人口およそ8万人の群馬県伊勢崎市で、父親政男、母親あき夫妻の長男として生まれた。 生家は、東京都台東区の東武鉄道浅草駅を始発に、埼玉群馬両県を走る、東武伊勢崎線の終着駅と、群馬県高崎市の高崎駅を始発に、栃木県小山市が終着駅の、JR両毛線伊勢崎駅が一体となったイセサキ駅の南に広がる市街地の旧農家を住宅

          半生記