善と悪について
人間は性善説か性悪説か。私は性善悪説を今回説いてみることにする。性善説と性悪説を簡単に説明すると、前者が、人は生まれながらにして善人であるという説で後者が生まれながらにして悪だということである(ちゃんと調べてはいないので間違いがあれば教えてください)。しかし、選択肢が二極端はあまりよくないと考えていて、つまり第三の選択肢として中間を取ることにした。人間は善であり悪でもある。または善も悪もない。生まれたばかりの赤ん坊を考えてほしい。生まれたばかりの赤ん坊に善悪の判断がつくだろうか。不可能である。赤ん坊は母親ないし父親に物事の良し悪しを教わり始めて善と悪の区別をするようになる。つまり、ここでの親の教育によってその子供がどのような人物になるのかが決まるのである。
ここで、善と悪について考えてみる。私が考える一般的な善とは、行うと良い、正しいとされるものであり、悪はその逆-行ってはいけない、悪いとされる行為である。そして、善は正義に悪は悪として扱われる。人の教育はもちろん、善を推し進めて悪は非推奨する。いや、むしろ悪はタブーにさえされる。よって、相対的に正義(善)は多数派(マジョリティ)で悪は少数派(マイノリティ)になる。ここでもし、善と悪の認識が誤っていたらどうだろう。それはとても恐ろしいことで、本当は悪は悪ではなく、むしろ本来善であるものであり、その善を悪として排除しようとしているのであるから、善(正義)とされているものによって真の善が滅びてしまうのである。では、悪として扱われたものを善に変えればいい話であるが、善は多数派で悪が少数派のものであるから、少数派が多数派をひっくり返すのは難しい。どうしたらよいか。これは悪の誤解を解き、正義(善)と悪の認識を改める必要がある。そもそも、正義(善)と悪というものがあるのだろうか。正義(善)が正しくて悪が間違っているのだろうか。私はどちらも間違っていないと考える。
では殺人はいいのか。殺人は人間の目的である生きるという行為を人為的に奪ってしまうものなのでいけないことだと考える。しかし、殺人という行為そのものは憎むべきものであるが、殺人を行ったものを憎むべきではないと考える。殺人=殺害となり殺害は「害」なのである。ここで私が言った正義(善)と悪はどちらも間違っては無い(もしくは正義(善)と悪という概念が存在しない)というのが適用されるのである。