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「今は今しかない」を感じた、記憶の話。 媒介する身体。24.1.6

【今は今しかない、当たり前だけど】

記憶は歪む。公文書や議事録のように、いつだって同じことが書いてあり、いつだって客観的に、誰がいつ、どこで読んでも同じ内容が書いてあるような存在ではない。

・覚えていない
・記憶にない
・そうは意図していない

言葉はゆがむ。それは、脳の「記憶」の機能がゆがむように設計されているから、仕方ないなと考える様になった。


カンデル神経科学によれば(p1308)、


・「記憶(memory)」とは、知識が符号化され、その後、検索される過程を意味する。

・「符号化」とは、ーDeep Encoding(深い符号化)と呼ばれるプロセスを踏む。情報に集中し、すでに確立されている記憶と関連づけることにより達成される。

・何か重要なことと関連すること、覚えようと意欲があると強化される。


記憶は、符号化される。記憶に仕舞われるためには、「記憶の中にあるなにか」との関連付けが必要で、意欲があるとそれは強化される。という。

そして、「記憶する」という行為の重要なプロセスに「想起」と言うものもある。

「想起(retrieval)」は保存した情報を思い出す過程で、知覚に似ている。ゆがみやすい。

ある記憶が想起された時、その記憶は再度活性化され、古い記憶が再度符号化されれうる機会がもたらされる。このように想起は発展的な過程であるため、想起された記憶の再符号化はもともとの記憶とは異なっている可能性がある。たとえば、再符号化では古い記憶とともに、再符号化が行われたときの新しい環境についての情報が含まれうる。この再符号化では、時間的には別々の瞬間の記憶を、記憶の中ではつながった状態にすることができるが、本章で後述するように、記憶のエラーに関してはまだあまりわかっていない(カンデル神経科学p1313)


・想起された記憶の再符号化はもともとの記憶とは異なっている可能性がある。

・記憶がゆがみやすい=何かを思い出す時、元の記憶とは別の記憶に変わっている 

「思い出す」ということそのものが、今までの「思い出」を今までの思い出そのものでは無くしてしまう可能性がある。「思い出A」は思い出しただけで、今、感じている他の情報と繋がり、「思い出A-1」 という再符号化が起こり得るのが、記憶ということだ。


まじですごい。

故人の記憶・思い出したくない過去・傷。

思い出すたびに

「想起された記憶の再符号化はもともとの記憶とは異なっている可能性がある。たとえば、再符号化では古い記憶とともに、再符号化が行われたときの新しい環境についての情報が含まれうる。」

という。そして、新しい環境が安心安全であればあるほど、過去の嫌なことも、段々と、嫌な記憶ではなくなっていく

それが、「傷が癒える」ということなのだろう


別の本で読んだのだけれど、PTSD/トラウマと呼ばれるような心の傷は、再符号化が行われず「常に同じ傷としてそこにとどまってしまう」という性質があるらしい。その話もいつか書き残していきたい



歪んでいくからこそ
今書けることは
今書くしかない
今歌うしかない
今撮るしかない
今愛すしかない
今推すしかない
今、脳内にあって吐き出すべきことは、今吐き出さないと、二度と吐き出せなくなる可能性がある

今生きているということを表現し、誰かと共有し、笑い合ったり悲しんだり

その様なことこそ、今すべきなのだろうかとも思うが。とにかく今は、エディアカラ紀の平和(自己完結型の神経系の療養)に止まる時期だと思って、
誰とも連絡を取っていないが、このnoteをあげているということは、自分自身、少し状況が良くなっているということなんだと思う

(エディアカラ紀の平和については、これに書きました)

今思い出している、あの思い出さえも、次に思い出す時は同じ思い出ではないことがある


記憶の能力について、いままでだいぶ認識違いをしていたと思っている


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