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美しい時間

美しい景色、美しい人、美しい町。

世界は美しいものに、あふれている。美しいものが好きだ。けれど、美しいだけでは、バランスが崩れてしまう。例えば、食べることは、【栄養の摂取】というベクトルと【美食】というベクトルの、ふたつの方向がある。

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同じように、すべての生きている時間は【生きるため】ということと【美しさの追求、幸せの追求】という二つの世界観を行ったり来たりしながら生きているなぁと、最近は考えている。「今は、どっちの方向だろうか?どっちのエネルギーが強いのか?」というようなことを、景色を眺めるように、ぼんやりと考えている。

例えば、忙しい時の、コンビニ弁当は【生きるため】の方向が強いなとか、【吉野家の牛丼】はそれよりは「美の追求」が強い気がするなぁとか。あるいは、今日つくった、サンドイッチは、どっちの方向性が強いのか。ということ。



人は、美と幸せを追求し過ぎると、太りすぎて病気になったり、たどり着かないコンプレックスに悩まされたりする。生きるために必死になりすぎても、幸せが逃げていってしまう気がする。

うまく言えないんだけれど「美の追求、幸せの追求」は欲望とも、ちょっと違う気がしている。もちろん、欲望とセットになっている時もあるけれど、欲望とは違うかたちで、それを探究できるような気もする。

そして、美と幸せの追求が欲望とセットになると、だいたい失敗するような気もする。この辺のことは、あまり整理ができていないけど、そのまま進む。

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最近、僕が感じた美しさに「美しい時間」がある。時間が、美しいってどういうことなのか。そもそも、「時間がなにか」ということは、うまく説明できないけれど。曖昧さと疑問を残したまま、美しい時間について書こうと思う。

きっとそれでも、ふんわりと何かが伝わるはずだから。

それはどんな時間かというと、今まで「いい時間」と呼んでいたようなことに近い。僕は、今ようやく、いろいろな評価から解き放たれているので(つまり、働いていないということだww)、せっかくなので、自分も何かの評価をなるべくしないように、暮らしている。

「いい時間」が何かを考えると、「悪い時間」が生まれる。悲しい苦しい時間は、悪い時間のように思えていたけれど。そういう時間にも、美しさが潜んでいる。「いい時間」では括れないけれど「美しい時間」と呼べば、しっくりくる時間が、流れることがある。

例えば、僕が書いたnote。それと一緒に、引退のお知らせを、今までのお客さんに、個別にラインやメールで送っているのだけれど。僕はもうそれで、一生のお別れでもよいと思いながら送っている。


「すしたべたい!!」の期待に応えられなくなってしまうから。


「ごめんよー」っていう意味も含め、「今まで、お世話になりました!!」ってご挨拶をしているんだけれど。なかなか、どうして、本当に幸運ながら、僕はいい人にたくさん出会っているんだなと感じる時間を過ごしている。

「おすしなんて関係ないから、お茶しよー」ってお茶したり。「こっちが応援されてる気分になったよー」と連絡をくれたり。

これからもご縁があるような余韻を感じつつ、そのまま人生が続くような気がして、泣きそうになる。そういう時間は「いいか悪いか、わからないけれど、美しい時間」だと思う。

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もう2年前になるのかな。

「おばあちゃんが、具合悪くなって、それから、外に出るのも億劫になっちゃったから、握りにきてくれないかしら」

と遊びに行ったご家族の(握りに行ったというより、友だちんちに遊びに行ってる感覚で)おばあちゃんに、めちゃくちゃ喜んでもらったことがあった。

その後、メールで「あんな美味しいお寿司が食べられるなんて。また食べるために元気でいなくっちゃって、今まで拒んでいたデイサービス通うようになったんです」って連絡をもらって、泣いたことがある。

その人からも、note書いてからフェイスブックでコメントをもらって。

「おばあちゃんも、お元気ですかー?」と聞いたら。

「実は、亡くなったんです」と返事がきた。あの時が最後のおすしだったこと(プロの料理、という意味での食事も最後だったそうだ。)。その時の写真を葬儀でも使ったんですーって。ことも教えてくれた。

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悲しい気持ちは起きなかった。自分が何かの役に立って嬉しいとかもない。ただ、そこにいれて、よかった。それだけ思った。そして、亡くなったことを知れたのもありがたかった。

おばあちゃん、生ききったんだー。

そのことに、ただ、ありがとうって感じ。別れの出来事を「いい時間」と呼ぶには違和感がある。悲しみや苦しみ、いろいろなことを含めて、「いい時間」かどうかは、よくわかならい。でも、そんな時間も「美しい時間」と考えると、「ほんとうにそうだよなー」と素直に思える。

「いい時間」とは、言い難いけれど、間違いなくそれは「美しい時間」。

2年前の、おばあちゃんとの出会い。その数年前からのご家族との出会い。過ごした時間と別れの時間まで。ぜんぶが「美しい時間」だ。

悲しみはもちろんあるけれど、美しさの余韻も同じように続いていく。

僕は、宗教のことは全くわからないから、死後の世界のことや、魂のことも知らない。それでも生きている間のことは、大切にしたい。最後までの「美しい時間」を誰かと何かを交わしながら、生きていきたい。

きっと、そんなことも、自分が「今の状態」にならなかったら理解できなかったと思う。

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死ぬまで、ドキドキしたいの。
YUKI ーJOYー

ドキドキする対象って、変わっていくねー。

Feel, Aware, Embrace.That's my new life.
今井竜介。TARA.



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